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酒折宮と甲斐銚子塚古墳(^^)ノ

踏み切りを渡ると、そこに神社があった。


酒折宮さかおりのみやの境内は、こじんまりとしているが、とても雰囲気が良く、ここは近隣の人達の憩いの場所なんだと思った。


心地良い風が吹いていた。


電車が来るようで、踏み切りが鳴った。


連歌発祥の碑がある。


神社の背後にある山は、月見山と言って、左右対称の神奈備の山だね。


だから、この神社は、元々は、あの山を遥拝していたんだと思うよ。


月は黄泉の象徴だけど、死者の鎮魂は、物部氏なんかが行っていた筈だよ。


物部氏は軍事氏族でもあるから、恐らく、東征に伴って、物部氏も、この地にやって来たんだろうね、と夫はそう語った。


それっていつ頃の事なの?


私が気になって聞くと、夫は、恐らく、曽根丘陵の大型の前方後円墳が出来た頃と同時期ぐらいだと思うよ、と言った。


ここからだと、それ程遠くないとの事で、その公園にあると言う古墳に行ってみる事になった。


曽根丘陵公園は、かなり大きな公園らしい。


私達は、大きな古墳が見える比較的小さな駐車場に車を止めて、古墳に向かって歩き出した。


私は、整備された古墳を眺めながら、随分な大きさだと思った。


曽根丘陵公園には、大小いくつかの古墳がある。


その中でも、東日本最大級の前方後円墳、甲斐銚子塚かいちょうしづか古墳に登りながら、夫は、ここみたいな、巨大な前方後円墳って、稲作の象徴だと思うんだと、息を整えながら語った。


武力を振りかざさないで、その土地を統治するには、自分達がいかに役に立つのかを示さないとならないよね。


だから、大和政権は、その征服した土地で、稲作の為の水路を沢山作ったんだよ。


その過程で出た大量の土砂を盛り付けて出来たのが、こうした大型の古墳なんだって。


私は、へぇと感心してしまった。


なるほど、稲作と権威付けが、同時に出来る訳だ。


夫は頷いて、あと、前方後円墳って大和政権の象徴なんで、恐らく、ここの古墳の被葬者は、何かしらの大和政権の関係者だったんだろうね。


私が、誰が埋葬されてるか分かってないのと聞いてみた。


日本武尊やまとたけるが酒折の宮を訪れた際に、連歌ってのを歌ったんだよ。


夫は、スマホを取り出し「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と読み上げ、その後「かかなべて夜には九夜日には十日を」と続けた。


この歌を連歌と言うんだけど、日本武尊が酒折の宮を訪れた際に、周りの者に新治にひばり筑波の地を過ぎてからどれくらいたったろうと問いかけるも、その問いかけに、誰も答えられなかった。


でも、御火焼翁みひたきのおきなと言う、火の番をしていた老人が、日数にすると、夜では九夜、昼では十日でございます答えたというのが、酒折連歌の発祥なんだって。


今も連歌のコンクールみたいなのがあるみたいだよ。


私は、連歌だから、問いに対して、気の利いた答えを返すみたいな感じなのかな、と思った。


裕ちゃんも、応募してみれば良いじゃない、と夫に言われたので、私は、あなたが、一緒にやるならやっても良いよ、と答えた。


古墳の上からは、御室山や八ヶ岳がよく見える。


夫は、南アルプスの中で、頭だけを覗かせている甲斐駒ヶ岳を指差しながら、あの山の山頂には、天津速駒あまつはやこまと言う、白い神馬が住んでいると言う伝説を話した。


何でも、聖徳太子の愛馬である甲斐黒駒かいのくろこまは、天津速駒あまつはやこまが宿る、芦毛の名馬だそうで、甲斐駒ヶ岳の麓で産まれたのだと言う。


日本で一番最初に富士山に登った人を知ってるかな、と夫が聞いて来たので、話の流れから、私は聖徳太子と答えた。


ピンポン。


恐らく、太子信仰が広まる過程で、聖徳太子は甲斐黒駒かいのくろこまに跨り、富士山に登ったと言う伝説が作られたんだと思うよ。


あと、そもそも、巨麻郡のコマって、高麗って意味もあるけど、馬を指す駒と言う意味もあるんだよね。


つまり、聖徳太子の愛馬も産出した古代の甲斐は、馬の一大生産地だったんだ。


甲斐は、大和政権の軍事拠点だった訳から、当然、戦に使用する馬を飼育する必要があっただろうし、当然、兵士が食べる米も必要になる訳だよ。


だから、ほぼほぼ山間部しかない甲斐の国において、甲府盆地の開発は、必須案件だったんだろうね。


私は、まるで巨大な壁のように甲府盆地を取り囲む連峰を見渡しながら、本当に、山梨は山しかないなと思った。


山なしなのに。


声には出してないものの、余りのしょうもなさに、少しニヤついてしまった。


夫は、周囲の山々を眺めながら、戦国最強と謳われた、武田騎馬軍団を支えた土壌って、古代から続いていた馬の飼育による恩恵だったんじゃないかな、と言った。


多分そうだろう。


南アルプスや八ヶ岳は、まだまだ雪が残り、真っ白に輝いていた。

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