モーセと徐福(^^)ノ
戸隠には昼前には到着したが、お昼には、まだ少し早かったので、私は、前もって調べておいた忍者屋敷へ行こうと、夫を誘った。
夫は、子供じゃあるまいし、と渋っていたが、いざ忍者屋敷に入ってみると、子供みたくはしゃぎ始めて、終わる頃には、顔がテッカテカになる程、楽しんでいた。
私が、忍者屋敷も、バカにしたものじゃないでござるぞ、と言うと、夫は、ニンニンと激しく同意して、戸隠に来たら絶対に行った方が良いでござると、大絶賛だった。
私達は、戸隠神社の中社の近くにある蕎麦屋さんで、蕎麦を手繰った。
蕎麦も天ぷらも大満足の美味しさで、余韻を楽しんでいると、店員さん同士が会話をしているのが耳に入った。
どうやら戸隠の鏡池には、これからはバスでないと行けないらしい、と言う話しをしていた。
それを聞いた私達は、これは、鏡池に行けって事だろうと、ご都合主義全開になり、早速、鏡池へと向かう事にした。
夫は相変わらずの腰の低さで、蕎麦屋の店員さんに鏡池の詳しい行き方を聞いていたが、蕎麦屋からすぐ近くだと言う。
鏡池に到着すると、私達以外には誰もおらず、私は、その絶景を独り占めにしているようで、思わず、贅沢だな、と呟いた。
夫は、鏡池の前で、後ろを向いて前かがみになり、股から顔を出して、逆さまになった鏡池に映る景色を眺めていた。
すると、夫が、こうして見ると、どっちが上なのか下なのか分からなくなるから、やってみて、と興奮気味に私に言って来たので、私も試しにやってみた。
まあ、誰かいたら、絶対にやらなかっただろうけどな。
そこで見た鏡池に映った景色は、本当にどちらが本当の世界なのか分からない程、美しかった。
私は、直感的に、ここは神話の舞台なんだと思った。
しばらく、私達は、鏡池で遊んでいたが、思い付いたように夫が、牛の神と蛇の神の話しを始めた。
山梨岡神社にはさ、夔神って言う、妖怪のような神が祀られているって話しをしたよね。
夔の神は、江戸時代中期の思想家の荻生徂徠が山梨岡神社に古くから伝わる、一本足で不気味な木像を、これ古代中国の夔じゃね?と言い出したのが、始まりとされてるんだよね。
この夔は、夔龍や夔牛とも言って、牛の神でありながら、風雨を起こす性質から龍神でもあると考えられているんだよね。
夔は、紀元前17世紀頃に興った古代中国の王朝である殷王朝を中心に信仰されていた神なんだけど、伝説では夔は世界に三頭しかいないとされているんだ。
一頭は、黄帝が捕まえて、皮を剥いで太鼓にし、もう一頭は、秦の始皇帝が捕まえて、同じように太鼓にしたと言うよ。
ただ、最後の一頭だけが、何処にいるのかが分からないとされているんだけど、仮に、荻生徂徠の言ったように、山梨岡神社に伝わる謎の神像が夔であるなら、最後の一頭は、大陸から海を渡って、この山梨岡神社にやって来たって話しになるよね。
そもそも、蛇を超える神格の龍って、中国発祥じゃなくてメソポタミア神話が発祥なんだよね。
だから、僕は、この夔神って、古代メソポタミア神話の神がモチーフになってるような気がするんだよ。
そもそも夔は古代中国の青銅器の文様に見られるそうだよ。
青銅器文明は、古代メソポタミアや、エジプトで発達した文明だけど、やがて様々な国を経由して中国に流入した訳だよね。
同じように、メソポタミアの神々も、同じように様々な国の勃興を経由して中国に伝わるまでには、大きく変容を遂げていたんだと思うんだ。
だから、そう考えると、夔のルーツは、青銅器と共に中国へとやって来た、古代メソポタミアの神なんじゃないかと思うんだよね、と夫は語った後、まあ、アカデミックな説ではないけどね、と自嘲気味に笑った。
夫は続けて、旧約聖書に登場する最初の預言者、アブラハムってさ、メソポタミアの出身者だから、乱暴な言い方をすれば、聖書ってメソポタミア神話が元になってるとも言える訳だよ。
前にも、ちょっとだけ話したと思うけど、メソポタミア神話には、エンリルと言う、嵐と雄牛を象徴とした神と、エンキって言う、水と蛇を象徴とした神の対立って言うのがあるんだよね。
この対立って、聖書で言う所のヤハウェと蛇との対立だったり、農耕民であるカインと、遊牧民であるアベルの対立とも見て取れる訳だよ。
もっとも、日本は、古来から家畜を飼う習慣が盛んでなかったからか、牛の神の信仰も、あんまり普及しなかったんだけどさ。
まあ、そんな中でも日本神話の素戔嗚尊による八岐大蛇退治のエピソードは、元々古代メソポタミアまで遡る、牛神と蛇神の対立がモチーフになってるんじゃないかと思うんだよね。
牛頭天王と集合されたのは素戔嗚尊だけど、日本神話に登場する、都怒我阿羅斯等って人も、素戔嗚尊と同じように、牛が象徴になってる人なんだよね。
前にも言ったと思うけど、都怒我阿羅斯等は、角がある人って意味で、この都怒我阿羅斯等には、天日槍って言う別名があるんだ。
天日槍って、元々は新羅の国の王子だったんだけど、妻を追って日本へ渡って来ちゃうんだよね。
この天日槍の妻って言うのが、阿加流比売神と言う、女神なんだけど、この神の出生の逸話が、かなり面白いんだよね。
新羅国の阿具沼で寝ていた女の股間に、虹色に輝く日が射して、女はたちまち妊娠し、産んだのが、赤い玉だった。
女の出産を見ていた商人の男が、その玉を譲って欲しいと女に願い出て、赤い玉は、男のものになった。
ある日、商人の男が商いの為に、食料を括り付けた牛を引いていると、天日槍と出会う。
思い込みが激しいのか、天日槍は、牛を引いた男を見て、男が牛を食べようとしてると勘違いして、男を罰し牢に入れようする。
男は勘違いだと弁明するも、天日槍は許さない。
最後は、赤い玉を差し出して、男は、やっと天日槍許してもらえた。
天日槍が赤い玉を持ち帰って床の近くに置くと、赤い玉はたちまち美女に変化したので、天日槍は女を正妻とした。
女は美味しい料理を作り、お互い楽しく暮らしていたが、ある日、驕り高ぶってしまった天日槍の暴言に怒り、女は両親の国へ帰ると言って、難波の津へと旅立ってしまった。
それを、追って日本へとやって来たのが、天日槍なんだ、と夫が言った。
この天日槍のエピソードって、牛とか、生贄とか、太陽なんかの牛神を構成する要素が多分に盛り込まれているよね。
更に、女の股間に射し込んだと言う虹は、蛇の暗喩になるから、蛇神との繋がりも示唆されている。
この逸話って、何か怪しいよね。
古事記には、素戔嗚尊と大宜都比売と言う女神とのやり取りがあって、素戔嗚尊も大宜都比売の提供した食事に対して怒り、大宜都比売を斬り殺したりしている。
日本書紀では、素戔嗚尊は新羅の曾尸茂梨と呼ばれる牛頭山を経由して出雲に天降っているから、どうにも、この新羅王子の天日槍と素戔嗚尊には、幾つか共通してる部分があるんだよね。
夫は何か思い付いた様子で、聖書に登場する、最初の預言者のアブラハムは、メソポタミア地方のウルって言う都市の裕福な遊牧民だったそうだよ、と言った。
アブラハムは神から直接啓示を受けて、約束の地カナンを目指すんだけど、それ以前は、故郷のウルから、ハランと言う街に長い間、滞在してるんだよね。
ウルもハランも、月神ナンナを崇拝する宗教都市だから、ここに暮らしていたアブラハムは、恐らくヤハウェが登場する以前の月の神であるナンナを信仰していたと思うんだ。
ナンナは牛の角を象徴とする三日月をシンボルにしている神だから、恐らく、この神が、日本神話の素戔嗚尊のモデルなんだと思う、と夫は語った。
月神ナンナの別名はシンと言い、モーセが神から十戒を授かったシナイ山は、この月神シンが語源であるとされる。
だとしたら、シナイ山でモーセに十戒を授けた神は、この牛の角をシンボルとする月神シンなのではないか。
月の神。
日本神話で言う所の月神は、月夜見尊である。
この月夜見尊は、伊邪那美を追い、黄泉へと降った伊邪那岐命が、地上に戻る際に、黄泉の穢れを禊いだ事によって産まれた神であり、天照大神や素戔嗚尊と並ぶ、三貴神の一柱である。
しかし、それだけ高貴な神であるにも関わらず、月夜見尊のエピソードは極めて少ない上に、大宜都比売を斬り殺すエピソードが、古事記では素戔嗚尊なのに対し、日本書紀では、月夜見尊となっている。
この事からも、月夜見尊と素戔嗚尊は、実は同じ神であり、大宜都比売もその名から、月との関係が示唆されていると思われる。
モーセは、エジプトのファラオの圧政に苦しむイスラエルの民を率いてエジプトを脱出した。
徐福もまた、モーセと同じように秦の始皇帝から逃れる為に、一族郎党を率い、日本へとやって来た。
ならば、徐福もモーセと同じように角を象徴とする月神を奉じていたのではないか。
仮に、徐福はモーセの投影であり、素戔嗚尊が、ユダヤの民である徐福の宗教的背景を表現しているのであれば、全ての辻褄が合う。
旧約聖書のヤハウェは、素戔嗚尊と同様に些細な事で怒り狂い、人々に災厄を巻き起こす、言わば厄神である。
日本の夏には、夏越祭として、茅の輪くぐり、神事を行う神社が多くある。
この神事は、神道儀式というよりも蘇民将来の伝説を起源とする民間信仰に基づく神事であり、素戔嗚尊が引き起こす災厄を防ぐ為に、門戸に蘇民将来の護符や茅の輪を付けて災厄を免れた事に由来すると言う。
ユダヤ教にも、過越祭と呼ばれる、門戸に印を付けて神の災厄を逃れたと言う、出エジプトのエピソードに由来する祭日がある。
これらの似通ったエピソードから察するに、素戔嗚尊は旧約聖書のヤハウェの特性を色濃く受け継いでいるのではないだろうか。
月と黄泉。
古代、女性の子宮は黄泉と繋がっていると考えられていたと言う。
月経は月の穢けがれであり、黄泉の穢れである事から、月と黄泉は密接に繋がっていると考えられて来たし、更に、医療が発達していない古代は、誕生と死は常に隣り合わせであった。
月見里と書いて、やまなしと読める人は、そうそういないだろう。
しかし、古くから、月が綺麗に見える場所は、月見里と呼ばれたと言う。
その事からも、古代の甲斐国と月は、非常に深い関係だったのではないか。
万葉集の甲斐の国の枕詞が、生黄泉であるのは、そうした理由もあるのではないかと、夫は語った。




