法華経の話し(^^)ノ
新しい朝が来た。
希望の朝である。
今日は、戸隠でお蕎麦を食べる予定なので、私達は、スパホテルを七時過ぎに出来した。
もちろん、お昼の為に朝食は抜いた。
しかし、塩尻から戸隠は意外に遠いんだな。
と言うより、長野って思ったより大きい県だな、と私は思った。
私的には神も悪魔も、いるとも思ってないし、いないとも思ってない。
でももし、黙示録の悪魔が地獄から解き放たれたとしたら、陰陽師は、一体、どのように対応するのだろう。
ふと気になって、それを夫に尋ねてみた。
夫は、しばらく考えた後、個人としては出来る事なんて殆どないよ。
せいぜい、玄関に三峰山のお札を貼るとか、蘇民将来子孫家門の護符を貼るくらいしか出来ないかな、と言った。
夫が語るに、三峰の護符も、蘇民将来の護符も行疫神に対して強い効力を持つと言う。
まだ菌やウィルスの存在が確認出来なかった時代は、民間信仰の中で、疫病は獣の悪霊が引き起こすと考えられていた。
風邪を引くと葱を首に巻いたり、肛門に葱を差し入れたりするのは、葱を苦手とする獣に対し、喉元や内臓を食い荒らされない為の呪いであると言う。
安政5年(1855年)から甲斐や駿河でコレラが大流行した。
その際、コレラを引き起こすのは孤狼狸と呼ばれる獣の妖怪であるとの噂が流れた。
この時代、獣を殺すのは狼の役割と、狼を眷属として祀る三峰詣りが大いに流行したと言う。
蘇民将来は、行疫神である素戔嗚尊を助けた事により、その後、素戔嗚尊によって引き起こされる疫病の難を免れた蘇民将来の逸話が基になった災厄払いの民間信仰である。
蘇民将来は安倍晴明が編纂したと伝わる陰陽道の秘伝書、簠簋内伝にも記載があり、陰陽道との関連も深いとされる。
夫曰く、この日本における蘇民将来の伝承は、二本の門柱と、かもいに、子羊の血の付ける事で神の災厄を免れた事に端を発するユダヤ教の宗教的記念日である過越がルーツだと言う。
夫は、疫神を宥める方法はいくつかあるけれど、もしも僕に強い権限や権力があったとしたら、天の岩戸開きの神話をモチーフにして、僧侶を百人くらい集めて、法華経の読経をしてもらうかな、と言った。
私は何故、法華経なのか疑問に思い、その理由を聞いてみた。
夫は、般若心経や、真言、念仏と同じく法華経は、経そのものに霊力が宿る仏典だと語った。
更に、法華経の経文は、法華経を奉ずる者を助ける為に、あらゆる神々を召喚する経文であると言う。
そう考えると、聖徳太子は、本当に預言者だったのかもね、と夫が唐突に言うものだから、私は何で?と思わず聞いてしまった。
夫は、法華経には、唯一成仏を果たす、八歳の龍女が登場するんだ、と言った。
法華経が成立した当時も、畜身で、子供で、しかも女性が成仏するなんて、とても考えられなかった筈だよ。
でも、法華経では、そんな龍女が悟りを経て、成仏するんだよ。
つまり、法華経って、龍を成仏させる事が出来る世界で唯一の経典なんだ。
なので、しかるべき場所で、法華経の経文を唱えれば、龍を成仏させる為に、世界中から、あらゆる神々が集まって来るんじゃないかな。
聖徳太子は、恐らく、それを分かっていたから、この日本に法華経を持ち込んだのかも知れないね、と語った。
私は、真偽はともかく、夫の想像力にただただ脱帽した。
しかし、神も仏も本当にいるのかな。
神や仏がいるのなら、世の中はもう少しマシな筈だろう。
私がそう思っていると、夫は、人の世は何処まで行っても人の世だからね。
だから当然、神も仏も助けてなんかくれないよ。
でも、真っ当に生きている人が、いよいよ危ない目にあった時、不思議な力が働く事があるんだよ。
それは、その人の生き方の結果なんだけど、それでも人は、自分一人の力だけでなく、何らかのお陰様で生きている訳だから。
その不可思議な現象を、昔の人は神や仏の力に喩えたのかもね、と独り言のように呟いた。




