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守屋山とイサクの燔祭(^^)ノ

その日は、朝からとても天気が良かった。


下道を通っても、さほど時間の短縮にならないので、今回は、高速には乗らずに信州へと向かった。


信州に入ってしばらくと、ナビに映った甲六こうろく烏帽子えぼしの地名を指差しながら、夫は、監督の別荘がこの辺りにあるらしいと言うと、例のアニメ映画について語り始めた。


あの物語のプロットって、故郷を追放された若者が、前時代の神を倒す事で、生け贄に捧げられた姫を救い出すって言う素戔嗚尊すさのおの英雄譚が元ネタになってるよね。


あの物語の舞台って、僕は諏訪だと思ってるんだ。


諏訪には、出雲からやって来た建御名方神たけみなかたと土着の洩矢神もれやしんとの戦いがあったと言う伝承があるんだけど、一説によると、この戦いは、餅鉄べいてつ褐鉄鉱かってっこうを用いた原始的な製鉄を行う土着民と、砂鉄を使った、たたら製鉄民との争いだったのではないかと言われてるんだよね。


だいだらぼっちは、鉱山や製鉄が行われていた場所に現れる、言わば鍛治神なんだけど、あのアニメでは、立派な角を持つ鹿のような、羊のような、それでいて狒々(ひひ)のような不気味な顔をした、人格を持たない前時代を象徴とする神が登場するよね。


諏訪には、石棒や柱を依代とする、いにしえの神が未だ生き続けている。


そして同じように、諏訪には何か重大な事実が秘匿されているって事を監督は、よくよく分かっていたんじゃないかな、と夫は言った。


今日は朝から登山らしい。


その建御名方神たけみなかたが降臨したと言う、伊那山地の最北部に位置する、守屋山へと私達は向かっている。


守屋山は、諏訪明神たる建御名方神たけみなかたが降臨した山ゆえに、建御名方神たけみなかたを主祭神とする諏訪大社上社の神体山と言う説がある。


また、丁未ていびの乱の後に、物部守屋の次男の武麿たけまろが守屋山へ逃れて守矢氏に養子入りし、神長になったと言う伝承が残っている為、守屋山は物部氏との関係をも暗示しているのだ。


前回の位山登山で懲りたので、今回は登山用のスカートにスパッツと言う出立ちだ。


ジーンズは登山には適さないぞ。


守屋山の登山口の駐車場に到着したのは、午前10時を回った頃か。


山頂でお昼を食べようと、道の駅でおやきを沢山買って来た。


私も夫も、信州名物のおやきが大好物だ。


登山は登り始めが一番汗が出る気がする。


私は守屋山の風景を楽しみながら、ゆっくりと歩いた。


守屋山の木々は、何か微妙に艶かしくて、凹凸おうとつや窪みが女性の身体のように見える。


不思議な雰囲気の山だな、と私は思った。


夫は、諏訪大社の上社は、いわゆる農耕民族が祀る神社の祭神とは一線を画する、特別な神であると語った。


当たり前の話しだけど、神社って聖域だから、基本的に生臭ものは厳禁だよね。


だけど、上社本宮では、全国的に珍しく、二匹の蛙を串刺しにして供物として捧げると言う、蛙狩神事かわずがりしんじや、諏訪大社前宮の十間廊では、鹿の首を並べ捧げると言う御頭祭おんとうさいが例年、執り行われているんだよ。


これらは、日本が農耕社会になる以前の、狩猟祭祀を色濃く残していると、一般的に考えられているんだ。


聖書の創世記に、イサクの燔祭はんさいと言う逸話が記されているんだけど、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は全て、最初の預言者であるアブラハムを祖とする宗教だよね。


イサクの燔祭はんさいと言うのは、その預言者アブラハムが、一人息子のイサクを、モリヤの山で生け贄として捧げるよう、神に命じられた時の逸話なんだ。


モリヤの山とは、今のエルサレム付近にあったとされる山の事だよ。


神の命に従ったアブラハムが、モリヤの山で、イサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神の御使いが現れて、その行為を止める。


そして、アブラハムが周囲を見回したところ、茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げた、と言うが、イサクの燔祭はんさいの概要だよ。


夫は、息を切らせながら、聖書に記されたと言う、イサクの燔祭はんさいのエピソードを説明した。


そもそも、本当の意味での預言者って言うのは、神の言葉を預かる人であり、神との契約を更新する役目を負った人なんだよ。


だから、この逸話が意味する所って、それまで神に対して人身御供を行っていた人々が、アブラハムの登場により、神との契約の更新が成され、人でなく獣を捧げものとしたって事なんだと思う。


素戔嗚尊すさのお英雄譚えいゆうたんにも、生け贄に捧げられた櫛名田比売くしなだひめを救い出すエピソードがあるね。


そんな出雲の神が、最後に行き着いた諏訪と言う土地には、聖書に記された、この時代のイスラエルの信仰が、未だに存在している。


そう考えたら、それは、とてつもなく凄い事だと思うんだけど、と夫は真顔で答えた。

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