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角がある人の話し(^^)ノ

聖徳太子は、鬼として表現されていると言う。


聖徳太子の有名な肖像画には、童子が二人配されているが、童子は鬼の象徴である。


京都太秦にある、秦氏の氏寺、広隆寺には、有名な弥勒菩薩の他に、摩多羅神またらじんと言う鬼神が祀られているのだと言う。


摩多羅神またらじんは、牡牛を殺す事によって人類に繁栄と救済をもたらすと言う、ミトラス神が変容を遂げた存在であり、弥勒菩薩の裏の顔なのだろう。


摩多羅神またらじんは、丁禮多ていれいた爾子多にしたの二童子と共に、三尊からなり、とんじんの三毒煩悩の象徴である。


広隆寺には、牛祭りと言う、この摩多羅神またらじんの奇祭がある。


仮面や飾りつけをした摩多羅神またらじんが、牛にまたがり、仮面をつけた四天王が松明を持って従い、境内と周辺を一巡し、薬師堂前で祭文を読み、これが終わると同時に堂内に飛び込む。


国家安全、五穀豊穣、魔障退散を祈願する祭だと言う。


夫は、この牛祭りの際に、摩多羅神またらじんに付き従う四天王は、仏教に取り入れられた、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大天使なのかも知れない、と言っていた。


日本書紀には、聖徳太子は戦の前に、束髪於額ひさごばなの髪型で四天王に祈ったと言う記述がある。


その束髪於額ひさごばなとは、そもそも童子がするものなんだよ。


束髪於額ひさごばなは、額の上で髪を結い上げる髪型ゆえに角隠しの暗喩なんだと夫は言った。


恐らく、この髪型で祈った四天王とは、やはり仏教に取り入れられた四大天使なのだろう、とも。


夫は、更に話を続けて、日本の正史は六国史と言って六つあるのだけど、古事記、日本書紀の後に編纂された、続日本紀に詳しく記載のある役行者こと、役小角えんのおづぬも角が生えていたとされている。


この役小角と言うは、葛城の賀茂氏から出た人で、前鬼、後鬼と言う鬼神を二柱従え、日本独自の仏である、金剛蔵王権現を感得し、山岳仏教の修験道を開いた人だと言う。


夫は、この役小角が感得したと言う蔵王権現は、仏、菩薩、天神地祇、全ての力を包括し、究極不滅の真理を体現した、あらゆるものを司る王だと言うから、恐らくは一神教の教えにインスパイアされた仏なんだと思うよ、と言った。


まあ、役小角の伝説も、神を縛ったり、空を飛んだり、お堂を投げ込んだりだとか、人の域を超えた超人的なものばかりだから、この人も預言者の一人だったんだろうね。


実際、蔵王権現を感得してる訳だし。


なるほどと、私は感心しながら聞いていた。


そうそう、日本武尊やまとたける束髪於額ひさごばなの髪型の記載があるから、鬼として描かれているのかもね。


日本武尊やまとたけるって、古事記の記載だと、兄を殺してしまった為に、親である天皇からは恐れられ疎まれて、九州の熊襲の討伐を命じられ、それを平定する。


その後、休む間もなく東へ向かい、駿河の地で火攻めに逢うも、草薙の剣で草を薙ぎ払い、迎え火を着けて賊を退ける。


相模から上総へ渡る際、神が波を起こして日本武尊の船は進退窮まる。


そこで、后の弟橘比売おとたちばなひめが自らの命を捧げる為に入水すると、波は自ずから凪いで、一行は無事に上総国に渡る事ができた。


東征を終えて帰路、伊吹山で牛ほどの大きさの猪に出会う。


しかし、その猪は、神使などではなく神そのものだった。


伊吹山の神を侮った日本武尊やまとたけるは、神の怒りに触れ大氷雨をその身に受けて失神してしまう。


その後、弱った身体で大和を目指すも力尽きてしまい、故郷を想ってこの世を去る。


これが、古事記に記載された、日本武尊の物語の骨格なんだけど、このお話って、モーセの出エジプト記と、ほぼ同じようなプロットなんだよね。


そうなの?


そう。


モーセも親に捨てられて、人を殺した為に、王に睨まれ故郷を追われてしまう。


その後、神の啓示を受け、人々を率いて約束の地へ向かう。


炎の柱がモーセを導き、海を割ると言う奇跡を起こし、モーセはシナイ山で神と出会い、十戒を授かる。


しかし、モーセが率いた人々は、神でなく偶像を拝んでいた為、神とモーセは激怒する。


実は、モーセも神との約束を破った事があった為、約束の地カナンを目の前にするも入る事が赦されず、その生涯を終える。


ね、似たような話しでしょ。


まあ、確かに似たような話だなと、私は思った。


角は、預言者やイスラエルの隠喩なのかも知れないと思っていると、そう言えば、素戔嗚尊すさのおも牛の頭を持った疫神の牛頭天王と習合されていたよね、と夫が意味深な事を言った。


素戔嗚尊すさのおが徐福とイコールであるなら、つまり、徐福もまた、預言者の一人と言う事なのだろう。

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