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撈月伝説

 月陰(げついん)70年。嶺月(れいげつ)国は、領地拡大の為、他国侵攻を繰り返し日夜戦に明け暮れていた。

 男も女も戦える者は皆兵に取られ、勝っても負けても多くの犠牲者を出した。その中で、女は戦場で負傷し戦えなくなると味方の兵の慰みものにされるという屈辱を味わう事になった。

 何年経っても終わらない戦と、女への卑劣な扱いについに国民の不満は爆発した。


 月陰77年6月。国内で武装した女の集団が反乱を起こした。彼女らは月を(すく)う者“撈月(ろうげつ)”と名乗り、女である事に誇りを持つ意志を示す為、肌を極端に露出した鎧を身に纏い、たった100人余りで反乱を起こし10万もの嶺月軍と戦った。武術の達人達や“五行のいしずえ”という妖術の様な力を使う者達の活躍で劣勢ながらも善戦し嶺月軍を苦しめた。

 国民も彼女らに味方し、益々勢いに乗った撈月だったが、月陰77年12月。谷の要塞・撈月渠(ろうげつきょ)を包囲され、ついには反乱を起こした女達は全員捕らえられ、都・東京中帝府(とうけいちゅうていふ)にて全裸で吊るされ、陵辱された末に処刑された。

 特に反乱の首謀者である賈美嬢(かびじょう)はその一族を皆殺しにされ、その血は途絶えた。


 撈月の鎮圧に成功した嶺月国はその後すぐに近隣10カ国を侵略し、月陰83年に嶺月帝国となった。



 ***



 200年経った今では、撈月は逆賊として歴史の中で語り継がれ、女は皆、撈月と同じ考えを持つとして蔑まれ、軽んじられて、街中で自由に肌を露出する格好をする事は出来なくなり、仕事もなくなっていった。


 皮肉にも、撈月が女の人権を守ろうとして起こした200年前の反乱が、現在の嶺月帝国の女にとって、とても生きづらい世界を作ってしまったのだった。

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