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水の都にて

 約束の塔を出発して8日目の昼過ぎ。セレマウ一向は工業都市、農業特区と続く3番目の都市、水の都にたどり着いた。

「おおおおおお! すごーいっ!!」

 水の都が遠目に見え始めた頃から、御者台側の窓からずっと外を眺めていたセレマウだったが、いざ水の都を目の前にするとそのテンションはさらに上がっていた。

 目の前に広がる大きな湖と、その上に築かれた街並み。

「これ、どうやってできてるの?」

「水の都は、約束の塔よりも昔に築かれた都市と言われており詳細は不明ですが、基本的には水中に建物の基礎があって、その上に建物が建てられているみたいですよ」

 馬車の預り所を目指し湖の外周を進みながら、ナナキが答える。

「水の都には街道っていう概念がないから、どこへ行くにもゴンドラで移動するのよ」

「ほうほうっ」

 水の都の街並みに視線を奪われ続けるセレマウはまるで小さな子どものようだった。

「水の都を治めるフィーラウネ公爵の住まう宮殿は中央部にあり、その宮殿へはいくつか橋で繋がれているそうです」

「あ、水公って言われてる人かっ」

 水の都はその立地から貴族御用達の別荘地でもあり、その貴族たちから治められる維持費により皇国でも上位の経済力を持つ都市だ。そこを治めるフィーラウネ公爵は名君と言われており、水の都に住む住人たちの不満なども少ないと聞いていた。

「泳いだりはしないのかな?」

「泳げなくはないだろうけど、プールとは違うのよ。水の都の湖は強烈な塩湖だから、泳ぐのは向かないんじゃないかなぁ」

「宮殿や一部の別荘では入水できる場所もあるみたいですが、季節柄ちょっとおすすめはできませんね」

「ほうほう。……二人とも、なんでそんなに詳しいの?」

 目を輝かせて湖を見つめていたセレマウだが、あまりにもさらさらと二人から説明が続くことに小さな疑問を抱く。

「セ、セレマウが来る場所だからね、どういった場所なのか調べておくのは当然じゃない?」

「そ、そうですよ! 安全の確認は大事です」

 少し上ずった声で返ってきた答えに、セレマウはじとっとした目をユフィとナナキへ向ける。

 それっぽい理由を述べているが、水の都へ来るのを楽しみにしていたのはセレマウだけではないのだ。ナターシャ家の別荘があるのは知っていたが、ユフィは物心つく前にしか来たことがなく、ずっといつか来てみたいと思っていた場所なのである。ナナキも話に伝え聞く水の都の美しさに元から興味を引かれており、入念な下調べをしてきてある。

「せっかく来たんだからね、楽しむとこは楽しまないとね!」

「そうですよ! まもなく預かり所です。必要なお荷物のご用意をお願いします」

 なんとなく引っかかったセレマウだったが、ナナキの言葉に慌てて荷物の確認をし始める。水の都ではナターシャ家の別荘に二泊する予定だ。今日のうちにフィーラウネ公爵訪問を終わらせ、明日は終日査察と言う名の観光を行う予定なのである。

 馬車が止まったのを確認して、薄緑の法衣をまとったセレマウが先に馬車を下りる。

「わぁ……!」

 眼前に広がる湖の上に広がる街並み。大地の上に人は生活するのだという常識が破壊されるように感じられ、心がうずうずしてくる。

 下車の準備で抱えた鞄は軽い。準備してと言われたから鞄を用意したものの、よく考えればほとんど持っていくものなどない。セレマウのバッグに入っているのは日記くらいのものだ。着替え等は現地調達すればいいという、セレブ思考でもある。

「ほんと、すごいわね……」

 セレマウ同様ほとんど荷物を持たないユフィが感嘆の声を漏らす。

 預り所から30メートルほど離れた先は、湖の中心部に向けて、水の都の建物が並びだす。遥か遠くに見えるドーム型の屋根をした宮殿がフィーラウネ公爵の住まいなのだろう。

 足元の湖に目を移せば、そこには透明度が高く、湖底が青く輝いて見える光景があった。塩分濃度の高さ故か、生き物の存在は確認できないようだ。

 また街並みへと視界を戻せば、遠くには人を乗せたゴンドラが見える。何か特別な場所へ来たという昂揚感が湧いてくる場所だった。

「手続きが終わりましたよ。さぁ、行きましょう」

 ナナキだけは着替えなどのある程度の荷物を持っていた。さらにいざと言うときのために、彼女の左腰には一振りの剣が帯刀されている。

「ナナキ、ゴンドラも漕げるの?」

「漕いだことはありませんが、ボートならございます。おそらく同じ要領でしょうし、お任せください!」

 彼女たちに用意されたゴンドラは比較的横幅が大きく、横並びに5人が4列ほどは座れそうな大きさだった。長さは10メートルほどあり、3人で乗るには少々寂しい大きさである。

「お気をつけてくださいね」

 湖面に浮いたゴンドラは緩やかな波を受けゆらゆらと揺れており、先に乗り込んだナナキがセレマウの手を取り、乗船させた。

「お気をつけてお乗りくださいっ」

 ナナキに導かれて乗船したセレマウが、ナナキの真似をしてユフィに手を差し出す。

「ありがとね」

 ユフィの手を握り、セレマウは満足そうだった。小さな波が与える揺れは優しく、春の気候と相まって穏やかな気持ちにさせてくれた。

「では、参りますね」

 セレマウとユフィが中央に座ったのを確認して、ナナキが最後尾に立ち、オールで漕ぎだすとゴンドラはゆったりと動き始めた。

「おぉ……すごい」

 ずりずりとゴンドラを這うように移動したセレマウが湖面を覗き込むと、湖底までがはっきりと見えた。そこまで深くはなさそうだが、ものすごくしょっぱいと聞いているので落ちるのはごめんだ。

 少しずつ建物へ近づくにつれ、様々な場所へゴンドラで行き交う普段着や黄色の法衣の人々たちが見えてきた。人々は皆彼女たちが着る法衣の色に気付くと一様に拝礼する。その様子を見るセレマウは、どこか少しだけ寂しそうだった。

「まだしばらくかかると思いますので、もし何かお寄りになりたい場所が見えれば言ってくださいね」

「うんっ、ありがとっ」

 だがセレマウが辺りを見渡せた時間は然程長くはなかった。ゆったりとしたペースで進むゴンドラの小さな程よい揺れと、時折吹く優しい風。セレマウがユフィに寄りかかるように眠ってしまうまで、大した時間はかからなかったのである。


 1時間程ゴンドラを漕ぎ街の中心部へ進むと、ようやく公爵の宮殿が視界に収まらないくらいまで近づくことができた。セレマウが眠ってしまった後、ユフィも段々と眠気が移ったようで、二人は仲良く肩を寄せ合ったまま眠ってしまったため、彼女たちを起こすまいと丁寧にゴンドラを漕ぎ続けたナナキの顔には、少しだけ疲労の色が浮かんでいた。

「セレマウ様、ユフィ様、まもなく着きそうですよ」

 ゴンドラの船着き場まであと数分という距離になった頃、ナナキが二人に声をかける。

「ん……おはよぅ……」

「むぅ、寝ちゃったのか、ごめんねナナキ。途中で代わってあげるつもりだったのに」

「そんな、滅相もございませんっ」

「漕いでくれてありがとね」

 寝ぼけ眼のセレマウに対し、ユフィは寝起きから頭をしっかり動かしナナキへ労いの言葉をかける。セレマウがいつも無防備に眠った姿を見せてくれるのは、自分への信頼があるからこそだと思うと、ナナキも悪い気はしない。ユフィまで眠ったのは珍しい出来事だったが、この数日で自分の信頼も高まったからこそだろうと思い込む。

 中心部に近づいたことにより、見た目の豪華な建物が増えていた。大半がレンガ造りの街並みは落ち着いた雰囲気もあり、恐らくこのあたりが貴族の別荘や高級宿屋のエリアなのだろう。いくつかの屋敷は中心部にある宮殿との間に橋がかけられており、ちらほらとその橋を行き交う人々も見られた。

「あ」

「どうしたの?」

 唐突に声を出したユフィの顔を覗き込むセレマウ。

「あれ」

 ユフィが指差した方向へセレマウもナナキも視線を移す。

「うちの別荘だ」

 ゴンドラの進行方向左手奥、フィーラウネ公爵の宮殿へかけられたアーチ状の橋をいくつかくぐった先に見える一際大きな白色の外壁を持つ屋敷が見えた。首都にあるナターシャ家の屋敷よりは小さいが、特徴的な白い外壁を持つ屋敷は、ナターシャ家の邸宅であるという証でもある。

「おっきいねっ」

 遠目に見てもその屋敷の大きさは目の前に近づきつつあるフィーラウネ公爵の宮殿と大差ないだろう。ナターシャ家の経済力が窺い知れるというものだ。

「あちらのお屋敷から橋も架けられているでしょうし、最初からあちらに向かいましょうか」

「そうね、その方がいいかも」

 公爵との謁見でどれほど時間がかかるか見通しの立たない部分もあるため、夜になってからゴンドラに乗るのを避けるため、先にナターシャ家の屋敷の側の船着き場に預けた方が安全だろうと判断する二人。元々別荘の場所を知らなかったユフィは、公爵に尋ねるつもりだったのだが、先に分かったのならば予定変更である。明日はナターシャ家からの出発なのだから、ゴンドラはナターシャ家に置いておいた方がいい、そういう判断だ。

 セレマウは二人の思考を読み取れなかったようだが、二人の顔を交互に見た後、なんとなく同意するように頷いていた。

 その後4つのアーチをくぐった後、30分もかからずに3人を乗せたゴンドラはナターシャ家別荘前の船着き場に到着した。

「お待ちしておりました」

 船着き場には礼服を着た老紳士が立っていて、彼は紫色の法衣を着たユフィを確認すると深々と礼をした。今日はこちらに来ることは伝えていたため、いつ彼女が到着してもいいように待機していたナターシャ家の使用人だろう。迷いなくユフィに気付いた事から年齢的にユフィが幼い頃に会っているのかもしれないが、彼女自身には覚えはない。

 桃色の髪のとてつもない美少女、という事実だけでも彼女に気付くのは容易であろうが。

「ご苦労様、ありがとうね」

 老紳士が慣れた手つきでナナキから投げられたロープを受け取り、見た目に反した力強さ引っ張りゴンドラを降り場へ近づける。

「長旅お疲れ様でした。中でお休みになられますか?」

 先に陸地へ移ったナナキはゴンドラに乗った時と同じようにセレマウの手を取り下船させる。そしてセレマウはまたナナキの真似をして、ユフィの手を取り下船させた。

「いえ、まずは公爵家に行ってくるわ。ナナキの荷物だけ預かってもらえる?」

「かしこまりました」

 祖父と孫のような年齢差のある使用人とユフィだが、おそらく慣れているのだろう。ユフィの指示に異論もなく従い、ナナキから荷物を預かる。

「お気をつけて」

 使用人の見送りを受け、3人は自分の足で公爵家へ繋がる橋へ歩き出す。水の都では隣の建物へも歩いて移動することはできないため、馬車を使用することはできない。フィーラウネ公爵が重要と判断した建物や屋敷へは橋が架けられているが、こういった歩いて移動できる場所の方が稀有なのだ。

 ナターシャ家の屋敷へ架けられた橋を歩く者は彼女たちの他なく、セレマウを挟む形で3人は並んで歩く。アーチ状の橋の頂きで少し立ち止まった3人は、手すりに手をかけ、街の外観を改めて眺めた。

 時間にして午後2時頃だろうが、降り注ぐ柔らかな日差しを受けて、遠くの湖面がキラキラと輝いて見える。レンガ造りの街並みを行き交うゴンドラたちはゆったりと湖面を進み、見ているだけで穏やかになる光景だった。

「さ、またお仕事モードで頑張ってね」

「おう、任せとけー」

 ユフィの応援に笑顔で答えるセレマウだが、正直仕事用の法皇モードに入った彼女はまるで別人なのではないかと疑いたくなる思いの二人だ。先日の工業都市で見せたあの姿は、普段の彼女とはまるで別の人間だった。見た目こそ変わらぬ美しい黒髪の少女だが、法皇モードのセレマウは普段の優しさも無邪気さも消え、二人の知るセレマウは完全に姿を隠してしまう。

 約束の塔にて、大司教やコライテッド公爵から受ける法皇としての帝王学の影響だとは分かっているのだが、親しい二人からしても気を引き締め、跪かねばならないような気持ちにさせられるのを思い出し、ユフィは少しだけ寂しい思いがした。

 いつか彼女が本当に世界を統一するのではないかという期待と、手の届かないところへ行ってしまうのではないかという不安。

「でもまだいいよね?」

 そう言って右手でユフィ、左手でナナキの手を取り、楽しそうに大きく腕を振りだすセレマウ。1歳しか年は離れていないはずだが、今のセレマウは本当に小さな子どものようで、思わず微笑みが溢れる。

 彼女の笑顔はユフィの不安を消し飛ばす。

 数分に過ぎない時間だったが、両手を大好きな二人と繋いで歩くセレマウは、心から幸せそうであった。



もちろんイメージはヴェネツィアです。

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