06
室内を照らす暖炉の炎。
そのすぐ前で暖をとりながら、パーヴェルが手配した着替えが届くのを待つ。
じき夜の帳が下りる。
ここが孤島でさえなければ、闇に乗じて逃げ出せたのに!
いっそ船を奪って……と考えてやめた。
この世界の星を読めないし、少なくともどの大陸とも200海里は離れているのだ。辿り着けっこない。
こうなれば腹をくくるしかない。
なに、考えてみれば、そんなに難しいことではない。六王の会談とやらが終わるまでの間、パーヴェルとナルヒの二人にバレさえしなければいいのだ。
というか最悪パーヴェルさえどうにかできればいい。彼にバレたら結婚詐欺犯扱いだが、ナルヒなら、究極のイエスマンの彼なら、たとえバレても酷い事態にはなるまい。
ただ一つ、気がかりなのは、二年前の彼と少しばかり様子が違う点だけれど……
長く伸びた彼の髪を思い出す。
ナーリスヴァーラにいたとき、肩の上で綺麗に切り揃えられた、彼の髪に触るのが好きだった。ナルヒは猫のように目を細めていつも気持ちよさそうにしていたっけ。
恋人というよりは姉と弟のような関係だった。
ほどなくして、服が運ばれてきた。
運んできた女性は一目でバツィンの人間だと分かった。かの大陸の城で働く女性たちは首の詰まった深い緑色のワンピースに白いエプロンをつけていた。女性の服装は一年前によく目にしたそれと同じものだったのだ。
用意されたのも当然、バツィンのものだった。
体にフィットした上半身とは逆にふんわりとしたラインのスカートが特徴的である。ペチコートとアンダースカートを重ねるこの服装が、私は大っ嫌いだった。
上半身は窮屈で、下半身は嵩張って動きづらい。
その上、女性は足を見せてはならず、歩きにくいからとスカートをたくし上げた姿をパーヴェルに見られた日には、一時間に及ぶ説教に涙目になった。
着替えの手伝いを丁重に断り、ペチコートとアンダースカートを畳んで、チェストの中に隠す。
ここはバツィンではない。ならばバツィンの流儀に従う必要もないだろう。動きづらいし。
葡萄色のドレスを身につけ、黒いヴェールを頭から被る。
兵士に借りたマントは洗って返しておいてもらおう。
脱いだスカートを畳んでいるときに、ポケットに何か硬いものが入っているのに気づく。
手を突っ込んで取り出してみる。買ったばかりの香水の瓶だった。ポーチに入れていたけれど、化粧を直した時にしまうのを忘れてポケットに突っ込んだままだったらしい。
どうせなら、スマホでも入れておけばよかった。
そうすれば、音楽を再生するなり、写真をとるなり、容易く奇跡が起こせた。
悔やんでも仕方ない。
私は香水の瓶をスカートと共にペチコートの隣にしまった。
ブラウスは、残念ながらビリビリに破けた上に血でびっしょりと濡れている。
一年後にはこれを着て帰らなければならなかったのに……
それもこれも、兵士の持っていたあの槍の切れ味が良すぎたのが悪い。
自分でやったことを棚上げして人のせいにすると、外で待っていた女性に声をかけた。
ブラウスを見せ、血抜きとできる範囲でいいので繕ってほしいとお願いする。
真っ赤に染まった袖を見て絶句した女性が立ち直って「おまかせください」と服を引き受けてくれたとき、見計らったようにパーヴェルが姿を現した。
ボリュームの足りないスカートに一瞬目を止める。が、何でもないように、にこりと笑う。
「大変お似合いです」
顔を隠しているのに、何を持って、似合う似合わないを定義するのか。
社交辞令に顎を上げ、睥睨するようにパーヴェルを見た。
無論、あちらからは見えないがなんとなく雰囲気は伝わるもので、パーヴェルは微かに困ったように苦笑した。
よし、今回の聖女のコンセプトは超プライドの高い神の御使様でいこう。
六人もの王を相手にするのだ。なめられない。これ大事。
パーヴェルの案内で静々と六王の会談が行われる間に向かう。
「賢王バタノフ、他の王たちはもう集まっているのですか?」
「ええ。皆様首を長くして聖女お待ちですよ」
嘘つけ。
いきなり出席が決まった、怪しい女を誰が待つというのか。
「聖女様。私のことはどうぞパーヴェルとお呼びください」
私は頷いた。否やはない。
一年前はずっとパーヴェル様と呼んでいたのだ。バタノフと呼ぶより余程馴染みがある。
「聖女様の御名をお呼びする栄誉をいただけませんか」
名前。名前か……
これまでの六度の召喚で私はいずれも「奈子」と名乗った。
フルネームで名乗らなかったのに特に理由はない。
いや、あるか。
一度目の召喚で出会った少年が「アレクシス」とファーストネームしか名乗らなかったので、それに合わせたのだ。
彼はアクスウィス大陸を戦火に陥れた強大な帝国に蹂躙された亡国の王子で、「アルバーン」の名は伏せていた。
一年間、私は彼や彼の仲間に「ナコ」と呼ばれ、帝国相手のレジスタンス活動に身を投じていた。
六度の召喚で最も過酷な一年だったと言えるだろう。
まだ一六歳で、しかも初めての召喚だ。
最初のうちは戸惑って、泣いてばかりだった気がする。
ーー今なら、もっと上手くやれただろうか?
ふと感傷めいた気分に陥り、緩く頭を振る。
あの一年をアレクシスたちと共に乗り切れたのは、一六歳だったからだ。
今なら――
帝国側についている自信がある。
一年前、私がパーヴェルの側にいたのは彼が最高権力者だったからだ。パーヴェルは国を、バツィン大陸を概ね掌握していた。ただ最後のひと押しが足りない、という彼と利害が一致したに過ぎない。
ナルヒのときもそう。
彼は究極のイエスマンだったが、周りの人間はナルヒに輪をかけたイエスマン揃いだった。
洞窟に鎮座する水晶に力を注がねば生活できない、あの国の事情が人々をそうさせたのだろう。民はナルヒを崇め畏れていた。ナルヒはある意味パーヴェル以上の権力者だった。
ならば私の選択はナルヒにとり入るの一択。
読みは大当たり。
五度目の世界はひたすら余暇に浸り、六度目の世界は贅沢な生活を享受した。
何が悲しくて一年しかいない世界で、命がけで尽力せねばならないのか。
度重なる召喚で、私はすっかりクズになり下がっていた。