12
藪を掻き分け木立の間を走る。
背後からは追跡者の足音が引っ切り無しにきこえてくる。
(初めての召喚の時もこんなことあったな……)
サイコ男に追い詰められたときを思い出し、腹に手を当てた。
その瞬間、嫌な予感を覚えて、右に飛ぶ。
今しがたまでいた地面に小さなナイフが刺さっていた。
足元を狙ったあたり殺す気はなさそうだが、怪我をさせるのに躊躇はないらしい。
右に飛んだついでで反転し、私は追っ手と向き合う形になっていた。
六年前……彼にとっては十二年前と変わらない熊のような巨体に全身から漲る威圧感。
敵を前にしたサイは、いつも恐ろしい雰囲気をまとわせていた。今のように……
「お前さん、何もんだ。何をこそこそ嗅ぎ回ってやがる」
腰の剣を抜きはなちながらサイが言う。
丸腰相手に容赦がない。
「見ての通りナーリスヴァーラの侍女でございます」
「侍女がなぜ逃げる」
「か弱い女の身。貴方のような方に追いかけられれば逃げたくもなりましょう」
私の答えにサイはふんっと鼻で笑う。
「か弱い女が俺のナイフを避けるか」
うん、最初は避けられなかったよ。
サイから受けた手ほどきは、アレクシスやレニーや留守番隊隊員その1その2から受ける、騎士の訓練とは一線を画していた。
小枝を探しているとき、鍋を混ぜているとき、あるいは談笑しているとき、いつも唐突に始まった。
あの頃は投げられるのはナイフではなく、木の実や小石だったけれど……
怪我が即治る仕様でなかったら、私は全身青色人間になっていたに違いない。
「あんた、おとなしく投降する気はあるか? できれば女に怪我はさせたくねえんだがなあ」
「いや、今さっきナイフ投げたでしょ」
白々しい物言いに思わず突っ込んでしまった。
「ばれたか」
サイはにやりと笑うと剣を構える。
「悪いが、王の安全が最優先だからな」
『ナコ……悪いが、俺はお前とアレクシス、どちらかを選ばなけりゃならなくなったら、アレクシスを優先する。その代わり、お前の訓練は容赦しねえ。俺からのせめてもの詫びだ』
昔、サイに言われた言葉が蘇る。
詫びが容赦のない特訓とか、ドM以外喜ぶまい。
サイを相手に、私に勝ち目はない。
だがここは森の中、巨体のサイには動きづらいはず。一瞬でも隙をつければ逃げるチャンスはある。
じりじりと後退する踵にこつんと石が当たる感触がした。
(これだ)
ケープを止めてある紐をほどき、さっと足を引くと、石をサイに向かって蹴りあげる。
きっと剣で弾くはず、その隙にケープを被せて逃げる!
はずだったのに……私の思惑は見事に外れた。
サイは飛んでくる石には目もくれない。額にクリーンヒットする石をものともせず、突っ込んでくる。こうなってはケープを外すどころではなかった。
突き出される刃をすんでのところで避け再び対峙する。
「いい動きだ。だが残念だったな」
額から流れる血が顎をつたってしたたり落ちていた。
サイの重心がかすかに右足に傾く。
(右からくる!)
私はさっと左に避けた。
その瞬間サイの呆れ切った声が聞こえた気がした。
『ナコ……お前、何回フェイントに引っかかれば気がすむんだ』
まずい。と思った時には左からくる足払い。
私の体は見事に宙に舞っていた。
手で押さえていただけのケープが目の前でひらひら揺れて地に落ちる。
サイは私の上にのしかかると、容赦のない力で私の髪を鷲掴みにして、顔を上げさせた。
「お前……まさか……」
髪を掴んでいた手が緩んだ。
「ナコ?」
ばれた。体がぎくりと強張る。
「いや、違うか? あいつの髪は黒かった。歳も合わねえ」
(やっぱり)
アレクシス、カミーユ、サルヴァトーレ、ダニエル、ナルヒ、パーヴェル。一年をともにした皆が私に気づかないのは、単に時間が経っていたからなだけではなかった。
彼らと私の間での時間経過の認識が違う点が一つ。それから初めて染めたこの髪の色。
それらが私という存在を、かつて出会ったナコから遠ざけていたのだ。
「ナコは色気のねえ猿みたいな餓鬼だったしな」
押さえつけられていなければ、間違いなく回し蹴りを食らわせていた。きっと鬼神と呼ばれたファウラー将軍にも一発入れられたはず。
「どいていただけませんか。もう逃げませんから」
顔を見られた以上、もう逃げても仕方がない。
ここからは他人の空似の聖女でいこう。
「そうしてもらえると、こちらも有難い」
サイは髪を離すと、立ち上がる。なぜか拘束することもなく。
「で、あんた何者だ。目的は?」
私は胸の前で掌を合わせた。
「私は神より遣わされた聖女です。六王の会談を見届けるためにまいりました。目的……は六王の人となりを知るためです。あなた方只人とは違う、尊い身とはいえ万能ではございません。神の遣いたる私に対する此度の無礼、私にも落ち度がなかったとはいえませんので、特別に不問に処し……」
「じゃんけん」
上から目線の口上を突如サイが遮る。
「ぽん」
サイの手はグーになっていた。
私の手はチョキ。
「じゃんけんぽんと言われたら、どんな時でもつい手がでる。昔、お前が言ってた話は本当だったみたいだなぁ」
サイはそれはそれは嫌らしく、にたあと笑った。