04
「大変だ! アレクシス様がいらっしゃらないぞ!」
慌てた留守番隊員その一が、ポロっとそうこぼしたのは、盗み聞きをした数日後のことだった。
「おい!」
狩りから戻った留守番隊隊員その二が、私を見て、隊員その一に目配せする。
大丈夫、私はできる子なので、何も聞いていません。
「マキアツメオワリマシタ。ワア、オイシソウナトリ。レニーガモドルノガタノシミデスネ」
二人は顔を見合わせてため息をついた。
「ナコ、棒読みになってるぞ」
バレバレだった。
「まぁ、いい。おい、ナコ、アレクシス様をお見かけしなかったか?」
「馬の世話をされるとおっしゃっていたのに、お姿が消えているんだ」
留守番隊の二人は取り繕うのをやめたらしい。
私の信用も随分あがったものだ。
「薪拾いに出ていたので見てはないんですけど、実は少し前に……」
私はアレクシスがサイにくってかかっていた内容を話した。
「まずいな」
隊員その一が唸る。
「お姿が見えなくなってから、まだそう時間は経ってない。今からなら追い付けるかもしれん」
「しかし……」
隊員その二の提案に、その一がちらりと私を見た。
「あ、私なら大丈夫です。火を焚いてれば獣も寄って来ないだろうし、一人で留守番できますよ」
実際、夜に遠吠えを聞いたことはあっても姿を見たことはない。
「すまん。なるべく早く戻る!」
隊員その一、その二は颯爽と馬に跨り、アレクシスを探しに行った。
残されたのは、暇な私と、馬車と、馬車を引く馬が二頭。それに今しがた狩られたばかりの鳥が3羽である。
レニーが鳥を捌くのはいつも見ている。
確か木から逆さに吊るして首を切って……
いや、待てよ。血の匂いに釣られて獣が寄ってくるかもしれない。
君子危うきに近寄らず。私は大人しく焚き火に薪をくべながら、ぼーっと待つことにした。
別に鳥を捌く勇気が出なかったからではない。
焚き火の暖かさにうつらうつらとし始めた時だった。
パキッという小さな音が聞こえた。
始めは薪が爆ぜた音だと思った。
しかしパキッポキッと続いて聞こえた音は、はっきりと森の中から響いてくる音だとわかった。
枯れ枝を何かが踏みしめる音だ。
獣!?
焚き火を大きくするため、枝に手をかけた。
木々の間に落ちる木漏れ日を受けて何かが光る。
私はその光を何度も見たことがあった。あれは日光を反射する剣か鎧か、レニーが持つフライパンの光だ。
レニーは皆と出ているし、フライパンは全部揃っている。
サイたちが帰ってきたのなら、蹄の音がしないとおかしい。
私の知らない誰かが来た。
そう気づいて、立ち上がる。
向こうからは、赤々と燃える焚き火の炎がきっと見えている。もしかしたら、その側に座っていた私の姿も。
(逃げなくては!)
私は光が見えた方向と反対の森の中へ駆け出した。
「逃げたぞ」
「追え!」
その途端聞こえる男の声。
物盗りかアレクシスたちの敵か。
どちらにしろ捕まれば碌な未来は待っていまい。
森の中をがむしゃらに走る。小枝が顔や足をひっかきピリピリと痛む。だが、そんなものには構っていられない。
(大丈夫。逃げられる)
そう自分に言い聞かせる。
向こうは武装しているようだが、私は身軽なものだ。
運動神経には自信がある。運動会ではいつも大活躍だった。
サイたちが戻るまで、なんとか逃げ切れば!
必死に駆けたかいがあってか、背後の足音が徐々に遠ざかり、やがては聞こえなくなる。
大きな木の幹の向こうに回り込むと、尻餅をつくように座り込んだ。
はぁと息をはく。その喉元に白刃がつきつけられた。
「がんばって逃げたじゃないか。だが、残念だったなぁ」
「……っっつ」
カラカラに乾いた喉では悲鳴も出なかった。
顔を上げると、目の前に男が立っていた。まだ若い。20代後半だろうか。皮の胸当てに緋色のマントを身につけ、長い金の髪を垂らしていた。こんな森の中には不釣り合いな派手な出で立ちだ。
「兎狩りはなかなか楽しかったよ。でももう飽きたかな。さあ、教えてもらおうか。仲間はどこだ?」
「し、知りません」
私は正直に答えた。
「剣を突きつけられても仲間を庇うのか。健気だねえ」
私の答えは全く信じてもらえなかったらしい。
男は「痛い思いをさせたくなかったのに残念だよ」と嬉しそうに笑う。
喉に突きつけられていた白刃が遠ざかった。かと思うと腹部に灼熱が走る。
「……え?」
何が起こったかわからなかった。
熱を感じた腹を見下ろせば、すっぱりと服が切られ赤い血がじわりとにじみ出ているのが見えた。
「仲間は?」
「本当に知らないんです!」
私がしていたのは、最初にサイに言われた通り、調理補助と、資材調達(主に薪)と、馬番と、装備の手入れだけだ。
サイたちがどこへいって何をしていたかなんて、具体的なことは全く知らない。
「そう」
男は剣の切っ先を腹に押し当てる。
じわり、じわり、と刃が食い込む感触がする。
「手遅れになる前に答えたほうがいいよ」
冷たい刃が肉を裂き体内に入り込む。
痛みよりもその感触に総毛立った。
「……し、知らないの。本当に」
「へえ、頑張るなぁ」
男は笑顔でさらに切っ先を押し込む。
心の底から楽しそうなその笑顔に、何故か切れた。恐怖よりも痛みよりもこの瞬間だけは男への苛立ちが勝った。
「知らないって言ってんでしょ! どうしろっての! このサド! 変態! 悪魔! おたんこなす!」
男は目を見開いた。かと思えば、くすくすと笑う。
「威勢がいいなぁ兎ちゃん、お腹に刃が刺さってるの分かってる?」
そうは言われても
「知らないものは答えられない」
男を睨みつける。
「まあ、いいか。知らないなら仕方ない」
腹から刃が引き抜かれた。
見逃してもらえる? と思った私は甘かった。
「さようなら兎ちゃん。せめて苦しまないように逝かせてやるよ」
男が剣を振りかぶる。視線の先は私の首だ。
ああ、もうダメだ。
そう思ったとき。森の奥から何かが一直線に飛んできた。それは木々の間をすり抜け、目の前のサイコ男が振りかぶった剣に当たる。
「ナコ!」
名を呼ぶ声はアレクシスのもの。顔を上げれば、血に濡れた剣を持ち、駆けてくるアレクシスが見えた。
その背後には弓を構えたサイの姿。
アレクシスは木の根を踏み台に勢いよく飛び上がり、そのスピードを利用して剣を振りかぶる。
私の目にはそれは避けようがない完璧な一撃に見えた。
しかしサイコ男は己の剣でアレクシスの白刃を受け流す。
「ははっ。やはり当たりだったようだ。けど、分が悪いか。剣聖ロイドの再来と言われた第二王子にファウラー将軍までお出ましとはな」
言うなり男は身を翻す。
「待て!」
それを追いかけようとするアレクシスを止めたのはサイだった。
「馬鹿野郎! 同じ間違いを犯す気か!」
アレクシスを一喝すると、自身はサイコ男を追いかける。
二人の姿は瞬く間に見えなくなった。
うつむき、唇を噛み締めるアレクシス。
「大丈夫?」 そう声をかけようとして、はっとした。
服が切られて、腹が丸出しだ。
しかも……また、傷が治ってる……
私は大急ぎで切られた服を腕で隠した。しかし一歩遅かった。
「怪我を!? 見せろ!」
アレクシスは跪くと、私の腕をとった。
「やっ、ちょっと、待って」
抵抗を軽々と押さえ込み、真っ赤に染まった腹に目をやる。
血まみれなのに、傷一つない皮膚を見て目を見開いた。
私はまくし立てた。
「兎の! 血なの。あいつ、兎を切って、こうなりたくなかったら、仲間の居所を喋れって」
「無事……なのか?」
アレクシスの声は掠れていた。
「無事無事! ちょう無事だから!」
何も悪いことはしていないのに、えも言われぬ罪悪感に襲われ、私は努めて明るい声をだした。
「良かった……すまない。俺が勝手な行動をとったから……すまない。良かった。良かった」
アレクシスは「良かった」と「すまない」と繰り返す。その体は小さく震えている。
ぽつ、ぽつ、と膝の上に染みができる。
こんな風に力なく泣く同年代の男の子を見たことがなかった。
戸惑ってしばらくはただ呆けたように見ていることしかできなかった。
けど、どうにもいたたまれなくて、力の抜けたアレクシスの手からそっと腕をひきぬき、震える背中に手を伸ばす。
嫌がられるだろうかと心配したけれど、アレクシスは微動だにせず頰を濡らしていた。
私はサイが戻ってくるまで、アレクシスの背中を撫で続けた。
この件以降、アレクシスは異様に過保護になった。
と、同時に厳しくもなった。
「悔しいが、俺はまだまだ未熟だ。ナコを守ってやりたいが、俺とていつ死ぬか分からない。だから自分の身を守る術を覚えてほしい」
と言い出し、スパルタ剣術指南が始まったのだ。
おまけに面白がったサイやらレニーやら、アレクシスと同じく責任を感じていたらしい留守番隊隊員その一、その二が加わり、みっちりしごかれることになった。
特にサイこと、鬼神ファウラー将軍の訓練は常軌を逸していたと思う。後々大いに役立ちはしたけれど、未だにちょっと根にもっていたりする。
ははっ。ぼくミッ……
この話でアクスウィス1終わりです




