一章07.「涙の理由」
なんだ…。何が起きているんだ。体の感覚がいつもと違う。でもしっかり、自分の身体だという確信はある。スライムから逃げることに必死で気づいたらイノシシになっているとかどんな手品だ。もしかして、これが僕の能力?イノシシになれる能力とか微妙すぎるだろ。あれか?人間が嫌いって思っているからか?でも、別にイノシシになりたい訳じゃない。確かに能力は望んだ。でもこうじゃない。
――そもそも人間の姿に戻れる…のか?
このままエメのところに戻って説明しても絶対信じてもらえない。僕だったら信じない。どうしよう。確かイノシシになった時は、速く逃げなきゃと強く思った。ということは、人間になりたいと強く思えば…?
僕は人間になりたい!
イツキは、心の中で願った。だが、姿は変わらない。牙が猛々しく生えたままだ。
どうして…。本当にこのままイノシシのまま暮らさなきゃいけないのか…。嫌だ。人間の姿の方がまだマシだ。このままなんて絶対に嫌だ!
すると、何故かそう本気で思った瞬間に人間の身体の感覚に戻る。
「…えっ。」
さっきと同じように願っただけなのに戻れた…?なんでさっきは、戻れなかったんだ?
――もしかして、本心…?
僕は、人間が嫌いだ。それはもちろん自分のことも例外ではない。そのため、人間になりたいなんて心から思っているわけではない。もしかしたら、このイノシシに変身する能力は僕の心をしっかり汲み取るものなのかもしれない。
それにしても、服がそのままというのもおかしい気がする。体感で言うと、獣人化する能力というよりも変身に近い感じだった。よく子供のころ見ていた戦隊モノみたいな感じだ。いや、イノシシとヒーローとでは雲泥の差ではあるのだけれど。
とにかく、一旦戻ろう。オレンジらしきフルーツは、逃げている時に落としてきてしまったが、あれを拾いに戻っている場合でもない。
イツキは人間の姿で急いで、エメの待つ家に戻った。
☆
イツキは、なんであんなに焦って家を出て行ってしまったのだろう。
先程イツキと別れたエメラダは、その時のイツキの態度が気になっていた。
やっぱり私なんかと一緒に居るのが嫌だったのかな…。嫌われ者の私と…。イツキならもしかしたらって思ったんだけどな…。でも久しぶりに人とお話しできて楽しかったな。
このまま戻ってこないかもしれないと覚悟しておこう。また今までと同じ日々が戻ってくるだけ。そう思い込もうとする。しかし、何故か自然と涙が溢れてくる。とめどなく流れる涙を必死に拭うが、それでも止まってくれない。
「私はやっぱりこういう運命なんだな。」
エメラダは儚く散ってしまいそうな声でポツリと呟いた。
☆
「はぁはぁ。」
息を切らしながら、ようやく小屋の目の前に辿り着いたイツキ。
疲れた。やっぱりこの世界は魔物が当たり前のようにいるんだ。ということは、イノシシになるといういかにも弱い能力でこの世界を生きていかなきゃいけないのか?無理だ。絶対に無理だ。とにかく、この世界のことについてもっとエメに聞いておかないと…。
そう思い小屋の扉を開けた。
「「えっ。」」
扉を開けた先にはなぜか涙を流しているエメラダがいた。
お互い目を合わせて驚く。
な、何故泣いているんだ。
いきなり女の子が泣いているという状況に戸惑いが隠せないイツキ。
どうしよう。何かあったのか?こういう時は、ど、どうすればいいんだろう。
イツキは人とほとんど関わらずに人生を過ごしていた。関わっていたのはいじめっ子達と負けん気の強かった幼馴染の涼香だけ。涼香は基本的に人前で涙を見せるような奴じゃなかった。だから、こういう時どうすればいいのかイツキには分からない。
「ど、どうかしたんですか?」
思い切って何があったかを聞く。すると、
「うん。あった…。でもね!もう大丈夫!大丈夫になった!」
エメラダに急に笑顔が戻った。女の子は良く分からないなと不思議に思うイツキを置いてけぼりにしながらエメラダが続ける。
「それでイツキ…。フルーツ取ってくるんじゃなかったの?」
「あ、それは――」
イツキは、事の顛末をイノシシのことを除いて話した。
僕がそんな化け物だって知ったらエメだって怖がってしまうかもしれない。そうなってしまったら、立ち直れない気がする。だから、そのことを黙っておくことにした。
「イツキは怪我とかしてないの?大丈夫??」
話を聞いたエメラダが慌てふためいてイツキの身体を心配する。
「うん。なんとか…。」
「そっか。良かった!でもどうしようかな。本当なら今日は、村に買い出しに行く予定だったんだけど…。疲れてるイツキを置いてはいけないし。イツキはどうしたい?」
村に?それは、願ったり叶ったりだ。こちらからお願いしたいぐらいだ。でも――
「どうやって村まで行くの?森には魔物がたくさんいるのに。」
「それはね、この魔除けの石があれば、弱い魔物は襲ってこないの。だから、大丈夫!」
「なるほど…。」
魔除けの石?そんな便利なものがあったのか。それにしてもそんなものがあるなら早く教えてほしかった。そしたら、さっきみたいなことにはならなかったのに。いや、あれは僕が慌てて飛び出したのが悪いか。
ん?それにしても確か、ここから村まで三日かかるとか言ってなかったか…?
「村まで行くってことは、野宿しながら行くの?」
「うん!だから、きちんと準備してから行かなきゃなんだけど…。」
正直疲れも溜まっているし、ここから野宿しながら森を歩くなんて嫌だ。でも、このままエメに迷惑をかけ続けるわけにもいかない。だから――
「行こう。」
二人は、こうしてこの小屋から一番近いというアピセ村へと向かった。