一章03.「一目惚れ」
ほのかに鼻をくすぐるようなお腹の空く香りが漂い、居心地の良い鼻歌が聞こえてくる。どこか懐かしいようなそんな気がした。
「ここは…?」
目が覚めたイツキはさっきまでいた草木の景色とは異なり、無骨な丸太の骨組みに囲まれた今の景色のギャップに戸惑う。
よく見たら誰かのお家のようで、必要最低限の家具やらが部屋を形作っている。現に今イツキが寝ているのも誰かしらのベッドの上だった。
「僕は…確か…。」
意識を失う前の自分を思い出す。この世にいるはずのないゴブリンに死んでいるはずの自分が攻撃され腕を粉々にされたり、いきなり目の前でゴブリンが傷だらけになったりとまるで意味の分からないことの連発で脳の処理が追い付かず頭がおかしくなってしまいそうだ。
――ここは一旦、落ち着いて考えよう。
何故か今、あの時に粉々にされたはずの腕に下手に包帯が巻いてあって、痛みはほとんど引いている。つまり、誰かが治療を施してくれたということだろう。それ自体はありがたいことだが、一体何のために僕なんかを助けたのだろう。人が人を助けるときは大抵何かしらの下心があるものだ。
医者だって仕事だからやっている者もいれば、高収入だから。モテるから。などの理由で選ぶ者もいるだろう。自分にとって得する何かがあるから人助けをするのが人間。きっと、見返りがなければ、人は人を助け得ない。
イツキは、自分の短い人生でそう悟った。捻くれた考え方ということは理解しているが、それでもそう考えざるを得ない程に周りの人間が腐っていたのだ。
「♪♪♪♪♪」
それにしても、先程からその恩人であろう人物の鼻歌が、部屋の仕切りの向こうから聞こえてくる。きっと機嫌がよいのだろう。きっと僕からの見返りに心躍らせているとかそんなところだ。
でも一応、お礼は言っておきたい。命を救われておいて、感謝も出来ないような嫌な人間にはなりたくない。とりあえず、金目のものは学校に取りにいかないとないため、今できることは感謝の気持ちを伝えることだけだ。
イツキは立ち上がり、鼻歌のする方へと歩いた。
前髪が目にかかり、ぼんやりとしか見えないがスラっとした黒髪ロングの女性が古風な台所でご飯を作っているようだ。
「あの…。」
あまり女性と話すのが得意ではなく、勇気を振り絞って出した声だった。だが、それはあえなく彼女の鼻歌に掻き消される。元々、女性に限らず人との会話自体得意ではないためこの意を決した第一声が届かなかったのはコミュ症にとっては辛いものだった。
しかしこのままボーっとしているのも気まずいし、はたから見たら完全に少女を背後から狙う不審者だ。もう一度少ない勇気を振り絞り、声を出す。
「あ、あの!!」
声が届いたのか相手はビクッと体を震わした。捻りだした声が裏返ってしまい顔が火照るように熱いがなんにせよ声が届いたようで何よりだ。
「?!????!??????。?????????」
少女は長い黒髪を靡かせながら、こちらを向いて急にペラペラと外国語を喋りだした。黒髪の少女だったのでてっきり日本人だと思っていたがそうではないらしい。学校で習った英語にも聞こえない。聞いたことのない言葉だ。きっと、欧米の方の言葉とかだろう。
それにしても困った。当然僕は、日本語しか喋れないし聞き取りも出来ない。ここは公用語の英語で突破するしかない。よし、
「さ、サンキュー。」
「??????????????????!」
少女は、何かひらめいた顔をした後にポンっと両の掌を叩いて、何かを唱えだした。英語が通じたのだろうか。しかし、彼女の言葉は依然分からないままで困惑することしかできない。命を救ってもらっておいてこのまま出ていくというのも何か釈然としないが会話ができないのでは仕方がない。
イツキは、お辞儀を深くしてそのまま家を後にしようとする。
――すると突然、仄かな光に包まれる。
「な、なんだ!?」
「あ!良かった!これでお話しできるようになったね!」
ん?いやいや…は?
一気に色々なことが起こりすぎて頭が回らない。まず、急に現れた光は何だったのだろう。それにこの子、日本語喋れるのかよ。いや、何かおかしい。森で目を覚ましてから摩訶不思議なことの連続でまるで夢の中なのかと錯覚してしまうことばかりだ。
でもまぁ、一応これで会話ができる。もうこうなったらヤケだ。ポジティブに考えることにしよう。
「えっと、あの。この度は助けていただき本当にありがとうございます。その…お礼はまた別の機会にさせてください。」
コミュ力を総動員させて、社交辞令を済ませる。これでもう本当にこのお家から出て行っても問題ないだろう。
そう思い少女の顔色を窺うように顔を上げた。同時に目にかかっていた前髪から右目が顔を出した。さっきまでボンヤリとしか見えていなかった彼女の姿が鮮明に右の瞳に映る。
ドクン。と心臓が脈打ち、目が釘に打ち付けられる感覚を覚えた。勿論、彼女の耳が尖っていて自分の知っている人間の姿とは違うことにも驚いた。だが、そんなことなんかどうでもよくなるほどの容姿。こんなにも美しく、それでいて可愛い人を見たことがない。一目惚れをするというのは正にこういうことを言うのだろう。イツキは今までにないほどに心臓の鼓動が高鳴り、その顔から目が離せない。
「うん!どういたしまして!それにしても私の顔になんかついてる…かな?そんなに見つめられるとちょっと恥ずかしいかな…。」
そう言いながら顔を赤らめ恥ずかしがる彼女は更に可愛く、ますます目が離せない。だがこれ以上彼女を困らせてはいけないと本能が叫んでいる気がしたので、深呼吸をして心を落ち着かせる。
「す、すみません。つ、つい。」
深呼吸して尚も焦りが出てしまった。普通の女子との会話も緊張してしまうというのに彼女ほどの美貌の持ち主に平常心でいる方が無理な話だ。
「そ、そうよね。なんかごめんね?私なんかがあなたを助けてしまって…。」
急に彼女の顔色が暗くなる。何か失礼なことを言ってしまったのかと思い、咄嗟に謝る。それを聞いた彼女は何か哀愁を漂わせながら作り笑いをした。
初見の僕でさえ、それが作り笑いだと分かるほどにぎこちない笑顔でこちらを見る彼女にまた胸が高鳴る。彼女にこんな顔をさせたくない。こんな僕みたいな顔をさせたくない。イジメられて、それでもヘラヘラと作り笑いを浮かべていた僕のような顔をこの子にさせたくない。
きっと彼女も何か抱えているのだろう。それが何かは分からない。分からないけれど、それでも彼女を心から笑わせたい。
人が人を救うために見返りを要求することをあんなにも嫌っていたのに、今僕は、彼女をその『なにか』から救って、彼女の心からの笑顔を欲してしまっている。僕自身もどうしようもなく人間なのだ。
人間嫌いな僕が、初めて人間(?)に一目惚れをした。それも、そう自覚してしまうほどに。