一章01.「桐谷樹」
ジリリリリリジリリリリリ。
「ん…。」
ガチャ。
「ふああああ。」
イツキは耳障りな目覚ましを止めて、口を大きく開けて欠伸をした。
今日もまた一日が始まってしまった。毎日明日が来なければいいと思いながら眠りについているのに一度もそれが叶った試しがない。
そんなことを考えながら、早速制服に着替えて階段を降りるイツキ。
いつも通り朝ごはんを食べるために椅子に座る。今日はこれ食べといてと言わんばかりに食パンとバナナと昼飯代の五百円が机の上に置いてある。
これもいつものことだ。両親は共働きで基本朝は早く夜は遅い。なんなら、帰ってこない日さえある。僕が小学生の頃は二人ともそれなりに急いで帰ってきていたイメージがあったがもうそんなことは忘れた。親父は次の日に帰ってくるときは毎回臭い香水の香りを漂わせているし、母も臭いタバコの匂いを漂わせている。つまりはそういうことなのだろう。反吐が出る。
イツキは朝ごはんを食べ終えた後、食器を洗ってからその重たい足で家を出た。
☆
キーコーンカーンコーンと学校のチャイムが鳴り午前の授業を終える。
窓際の席から外を眺めボケーっとしていると、
「おい!樹!早く俺の飯何でもいいから買って来いよ。」
と声をかけられる。
「いや…。でも僕お金そんなないし…。」
「あ?いつも五百円持ってきてんだろ。今日はねえとは言わさないかんな。」
「で、でも。」
「うるせえな。俺は金ねえんだよ。俺のこと助けると思ってさっさと買って来い。」
そう言われて逃げるように教室から出た。
そう、お察しの通り僕はイジメにあっている。ただ、その事実を誰にも打ち明けることのできない臆病者だからとイジメにあうことに納得さえしてしまっている。
「ぎゃはははははは。京介昨日給料日だったじゃん!金あるだろ!」
「うるせえ。あいつは俺専用のATMなんだよ。」
「ぎゃはははははは。」
耳障りな大声が教室を出てから聞こえてきたが、こんなのもいつものことでぶっちゃけ慣れてしまっている僕がいた。
一階にある購買で適当なパンを買って教室に戻る。
「あの…。これ…。」
三つほどあるパンを京介に渡すと、
「おい、飲み物がねえじゃねえか!っち。ふざけんなよ。」
と急に立ち上がり、お腹を殴られ、イツキはそのまま床に倒れこんだ。息をするのがやっとなほどの威力だ。そのまま顔も蹴られそうになるがなんとか腕でガードする。何発もの攻撃を喰らい意識が朦朧とする。
――そこへ、
「ちょっと!京介!やりすぎでしょ!やめなさい!」
「あ?涼香か。うるせえな。こいつが悪いんだから仕方ないだろ。」
「ちょっと、イツキもきちんと嫌なことは嫌って言わないとだめでしょ?」
この綺麗な黒髪を靡かせる少女はイツキの所謂幼馴染というやつで、イツキがいじめられているところを何度も救ってくれているイツキにとってのヒーローのような存在だった。
イツキがこんな目に合っても未だ尚学校に来ているのはこの子のおかげである。むしろこの子に会うために学校に来ているのだ。そして何より、唯一色がはっきりしている少女でもあった。
「っち。興が冷めたぜ。」
そのまま京介はいつものグループのいる席に戻っていった。
「ありがとう涼香…。いつもごめんね。」
「もう。全くよ!男の子なんだから自分で何とかできるようになりなさい!」
と涼香もそのまま隣の教室に戻っていった。
イツキはそのまま自分の席へ戻り、お腹を鳴らしながら寝たフリをして昼休みが過ぎるのを待った。
☆
今日はその後何事もなく終わり、放課後を迎えていた。
珍しく担任の教師から頼まれごとをされ、職員室に出向き書類を三階にある理科の準備室に運んでいた。
目的地に着き、扉の前に立つと何やらコソコソと声が聞こえてきた。聞きなれた声に心臓をバクバクさせながら聞き耳を立てる。
「…。なぁ涼香。ここでしちまおうぜ。」
「駄目よ。それは、お家に着いてから…ね?」
「っち。まぁいいか。それより今日も樹のこと庇いやがって、妬いちまうじゃねえか。」
自分の名前を呼ばれ心臓が跳ね上がる。何より自分の中の勇者と魔王が仲睦まじい会話をしていることに気持ちが悪くなる。
「だって、ああやって私が止めに入ることによって見て見ぬ振りしてる先生たちからの評価がうなぎのぼりなんだもん。推薦校狙いやすくなるからね。」
「樹も可哀想だな。幼馴染に推薦校を狙うための道具にされてるんだからな。」
目の奥から何かが込み上げてくる。どんなに暴力を振るわれようと、どんなに一人ぼっちでも流さなかった「それ」が一気に込み上げてくる。
「そんな言い方しないでよ。私が悪い人みたいじゃない。大体、幼馴染だなんて思っているのはあっちだけよ。別に私は同じ学校に通う近所の知人ぐらいにしか思ってないもん。」
限界だった。今までの自分の「それ」が尽きることなくダムが決壊したように零れ落ちる。
「っちょっと。ここではダメって言ったでしょ///?」
「いや、涼香が可愛すぎて我慢できねえよ。頼む。」
「もう///ここではキスだけね?家に帰ったらしましょ?」
朝の目覚ましよりも耳障りな音が耳に入り込んでくる。聞きたくもない音から逃げるように「それ」を流しながら、同時に襲ってくる吐き気を我慢しながら、無我夢中に走った。ここでないどこかに行ければそれでよかった。
走って、走って、気付けば普段開いていないはずの屋上に来ていた。夕焼けが差し掛かり綺麗なオレンジ色をしているだろう空を眺める。
――そして、屋上の淵に立つ。
人間ってくだらない生き物だ。勿論、僕含めて。
「もう、どうでもいいや」
そうつぶやいた瞬間、イツキは宙を舞った。
落ちるイツキに抵抗するかのような凄まじい風を下から顔面に浴びながら髪を靡かせる。
このまま顔から落ちたら痛そうだな。と思ったよりも冷静な自分に驚きながら体を仰向けに切り替えいつ最期を迎えるかもわからない恐怖心を抱きながら落ちていく。
――グシャ。
骨の砕けた音が体中に響き渡る。
こういうのってすぐ死ねるもんじゃないのか。
体中が熱くそして鈍器であちこちを叩かれているような痛みが次々に襲ってくる。ドロドロと体の中から血が流れていく感覚がある。意識が飛びそうになるとその痛みで目が覚めての永遠ループだ。
「あああああぁっぁぁぁぁぁっぁ」
苦しい。死ぬのがこんなにも辛いことだなんて聞いていない。習ってないこんなこと。こんなに辛いなんて知っていたら今ま(・)で(・)のことだって我慢できたさ!死ぬよりもずっとマシじゃないか!心の中で神を呪うように叫ぶ。神なんてものが存在するのなら決して崇めるような存在でないと「僕」は知っているから。だから、最後に呪って死んでやるんだ。
こんな世界滅んでしまえ。
「ほう。小僧。お主はまだ生きたいか?このくだらない世界を壊したいか?ならば我と契約しろ。」
何だか胡散臭い声が頭の中に響いてくる。
「このまま死ぬか。はたまた我に縋り生を掴み取るか。選べ。」
こっちが苦しくもがいているというのに自分勝手な声の主に腹が立つ。
「そのまま苦しむのも一つの選択だ。我はお主の言葉から聞きたいのだ。」
そんなの決まっている。こんなにも辛いと知りながら死を待つなんてできるはずがない。
「――僕は、まだ、生きたい!」
「では契約成立だ。」
声が聞こえなくなり、その後はただただ苦しい時間が経ち、そのままイツキは意識を失った。