一章16.「ありがとう」
イツキと五体のゴブリンは、お互いの目を凝視する。
五体か…。一体でも勝てなかったのにな。どうして僕は、こんなにバカなのだろうか。やっぱり僕はどこまでも人間なんだ。自分の欲望に逆らえない。
でも何故だろう。あまり、悪い気はしない。まず、どうしようかな。
「チイちゃん…でいいかな?そのお姉さんのことお願いしてもいいかな?僕は今からあいつらで手一杯になりそうだ。」
「うん!任せておいて!チイが守っちゃうんだから!」
イツキは、クスリと笑った。
この子はどこまでもヒーローなんだな。やっぱり、敵わないや。でもいつか僕も、君みたいな、エメラダみたいな存在になれるだろうか。こんなに捻くれた僕だけど、いつか、君たちみたいなヒーローに。
イツキは、自分の右手をスライムに変化させ、ゴブリン達の顔を覆った。実際、ゴブリン達も呼吸をしなければ生きてはいけない。だから、この手は好手だった。
しかし、ゴブリンの肺活量は人間の数倍。すぐに悶え苦しんだりはせず、すぐに振り払われてしまう。
「これじゃ駄目なのか。そしたら…。」
次にイツキは、ウサギの脚力を使い、モヒカン頭の一番図体の小さいゴブリンに突進した。
一応、効いてはいるものの決定打にはなり得ない。それからもイツキの考えうる能力で攻撃するがどれも足りない。
「やっぱり、ダメなのか…。」
今まで殺意のない動物ばかりを倒してきたイツキは、目の前の殺意むき出しの魔物に成す術がないことを悟った。それでも、後ろで静かに化け物の様な僕を見てくれている小さなヒーローが諦めさせてくれない。期待の目で見つめられては、引くことなど出来ない。
しかし、倒せないのも事実。動きでは翻弄している。なにか決定打なり得る何かがあれば…。
イツキは、辺りを見渡した。武器があれば、ゴブリンの喉元を引き裂ける。何でもいい。凶器はないかと。
そこで目に入ったのは、自分のカバン。先程エメラダに突き飛ばされたときに中身が散らばってしまっていた。その一つに小さなナイフもあった。自分の髪を切った小さなナイフ。
イツキは、即座にそのナイフを拾い、一番大きな鈍間なゴブリンの首を突いた。
ゴブリン達は、イツキのスピードに恐れ、一旦距離をとる。
しかし、その距離ではイツキのスピードを見切れる訳もなく、二体三体と倒され、残るは一匹。傷だらけのゴブリンは、今までの弱い人間と今の畏怖すべき人間が同一人物だとどうしても思えなかった。逃げるべきか戦うべきか。その一瞬の油断が勝敗を分けてしまうことを知らずに。
イツキは、予想以上に戦えている自分に驚きながらも最後の宿敵とも呼べるそのゴブリンの一瞬の隙を見逃さなかった。ゴブリンの返り血を浴びながら、遂にその首元にナイフを突き刺した。
宿敵との戦いを終え、イツキは戦いの負荷を一気に受ける。この変身能力は使いすぎると、負荷がかかるのだ。
それでもようやく、倒せた。イツキは、喜びと共にぐったりとその場で空を仰ぐように仰向けになった。
「へぇぇぇぇ。面白い能力使う奴がいたもんだ。それにしても実験は大成功。これでフェルゴール様もお喜びになられる。たくさんの収穫があったしねぇぇぇぇぇ。」
その一部始終を森の中から見ていたその男は、ニヤリと口を開き、その赤く染まった歯を露にし、姿を消した。
☆
全てが終わり、安堵する村人たち。隠れていた人々も続々と顔を出し始めた。
「チイちゃんや!危ないじゃないか。なんでこんなことしたんだい!」
少女は、急に戦場に来たことを老婆に叱られ、
「ごめんなさぁぁい!」
と泣きじゃくっていた。
生き延びた村人たちも亡くなってしまった身近な命に子供の様に涙を流した。
各々がこの災害を嘆き、悲しんでいた。
そこに、
「村の皆よ!聞いてくれ!これからこの村を再興させていかなくてはならぬ。そのために皆の力が必要不可欠!どうか力を貸してほしい!!」
と村の人々に投げかけるように大声で叫ぶ神父が現れた。その投げかけに村の人も力を一丸に頑張ろうと心を一つにまとめかけたその時、
「まずは、この災害を引き起こしたそこのハーフエルフを一刻も早く処刑せねば!」
神父は、この災害はハーフエルフのせいで起きたと言い出した。さすがの村人もこれには戸惑い、
「いや、でも、あんなに命を張ってくれたのに、あの子が犯人ってあり得るのか?」
「でも、確かにあの子が村に来たからこうなった気も…。」
「そうだ!あの子自身が災厄なんだ!子供の頃から、ずっと言われていたじゃないか!ハーフエルフは不吉な存在だと!」
三者三様の村の反応。それでも神父の信頼は厚く、
「処刑だ!」
「処刑しろ!!今すぐに!」
「近くにいる黒髪もさっき人間離れした化け物の様な技を使っていた!そいつも殺せ!」
段々と村人たちは、僕等の処刑を望んだ。きっと、ぶつける怒りの矛先が無いからというのもあるだろう。
けれどこんな仕打ちがあっていいのだろうか。命を懸けて守った相手に罵倒されるどころか、殺せと言われることが…。イツキは怒りのままに村人を殺そうかと思った。人間が嫌いとか関係ない。たった五文字を言うだけでエメラダは救われるのに。これをエメラダが聞いてしまったら、きっと立ち直れない。そうなる前に僕が。こいつらを殺してしまおう。ゴブリンより怖くない。きっと瞬殺だ。
イツキは、持っているナイフを再び強く握った。
「お姉ちゃ!!!!!お兄ちゃ!!!!!私たちを助けてくれてありがとう!」
「孫を救ってくれてありがとう!本当にありがとう。」
しかし、その手からナイフが零れ落ちる。その二人のたった五文字。それが聞けたから。きっと、村の人を殺してしまったらこの人たちもエメラダも悲しんでしまう。イツキが諦めたその時、奇跡が起きた。
「ありがと!!!」
「あ、ありがとう!」
「ありがとうございます!」
最初は子供。その次に老人。村の皆へと伝播するように罵倒が感謝に変わった。傍から見れば、ただの掌返し。しかし、目の前で起きているこれは、彼らの本の音に聞こえた。
頑なに牙を向け続けた神父もこれには、開いた口を塞ぐ手立てがなかった。
しかし、最後の反抗なのかエメラダの治療を拒み続ける。引くに引けなくなった人間は何とも無様だ。しかし、ここで治療できないとなると急いで王都に向かわなくてはいけない。
イツキは、自分の身体に鞭をうち、立ち上がろうとする。
そこでチイがイツキの身体を抑えた。
「お兄ちゃ、動かなくても大丈夫だよ。チイが二人とも治すから!」
回復魔法は、光の魔法の中でも高位な魔法だと以前エメラダから聞いた。子供の頃からそれができるとはイツキは思えなかった。しかし、チイは瞬く間にイツキの疲労を癒し、エメラダの傷も治した。
それには、老婆もびっくりしたらしく、
「チイや!お前何故回復魔法を使えるんじゃ!」
「チイの魔法じゃないよ!精霊さんが特別に力を貸してくれるって言ってくれたの!」
その言葉は、この世界の精霊魔法を知る者ならば誰もが驚くものだった。
精霊は、基本的に人間と会話しない。例え、姿を見せたとしても会話することを禁忌としているから。しかし、このハーフエルフを救うために精霊は禁忌を破った。その事実はこのハーフエルフの人望を取り戻すのに容易なことだった。
その奇跡は、人から人へ。時に風に飛ばされ、この世界に知れ渡ることとなる。