一章15.「小さなヒーロー」
「お前は…。」
見覚えのあるその風貌。
忘れられるわけがない。この世界に来て、初めて見た異形の『怪物』。そして、京介たちいじめっ子と同じ目をする『怪物』。ここが異世界でどこまでも現実だと教えてきた『怪物』。
そして――
僕が敵わない『怪物』だ。
イツキはまた、足がすくみ立ち上がることすらままならない。
あの時よりも強くなったはずなんだ。能力だって手に入れて、エメラダのためなら何でもすると覚悟も決めて。あの時よりも、昔の自分よりも、強く。
それなのにどうして、どうして僕の足は、立ち上がろうとすらしない。どうして、目の前の怪物と戦う決意が出来ない。
「ギャッギャッギャッ」
ゴブリンは、イツキが恐れているのを理解しているのか、楽しそうに笑う。まるで、人間の様に。
僕は…。やっぱり、怖い…。痛いのも死ぬのも嫌だ…。
イツキは、ゴブリンからの攻撃を何度もくらう。実際、今のイツキならどうにかできるほどの相手。しかし、イツキの身体はそれを拒むように震える。まるで自分の身体じゃないみたいに。
「イツキ!!!!!」
イツキのピンチに気づいたエメラダが叫んだ。自分もゴブリンと戦いながら、イツキの心配をする。
しかし、イツキの耳には届かない。恐怖で周りが見えていないのだ。
そこへ、ゴブリンが死の一撃。
思い切り振りかぶった棍棒でイツキの頭を砕きにかかる。ゴブリンは以前、油断しすぎたせいで誰かに邪魔をされたのを学び、早めに決着をつけようと考えた。そしてさっさと目の前の馳走を喰らおうと。
イツキは、その攻撃にも気づかない。
――ゴン。
骨が砕ける音。
その瞬間にイツキの身体は、何かに弾かれる様に吹き飛んだ。
「な、なに…が。」
そして自分が元居た場所を見た。見てしまった。倒れているのは自分だったはずの場所で倒れているエメラダを。
それを見て、ようやく周りを見渡す。怯えている村の人々。たくさんのゴブリンの死体。倒れているエメラダ。唯一生きている傷だらけのゴブリン。そして、生きている自分。
どうして。僕等がこんな目に合わなくちゃいけない。ようやくこれから、エメラダと旅をして…。旅をして…どうなるのだ…。エメラダがもし皆から認められてもそこに僕の居場所はあるのか。僕は彼女のために何故、そこまで体を張ろうとしている。彼女も言わば人間だ。僕の大嫌いな人間。なのに、どうして。どうして彼女のことを思うとこんなにも胸が熱くなる。
どうして、僕はエメラダのことが、どうしようもなく好きなんだろうか。
きっと、彼女が自分の命を犠牲にしてでも僕のことを助けるような子だから。きっと、自分に罵声を浴びせた人々でもピンチなら助けてしまうような子だから。僕が知っている人間の中で誰よりも優しいそんな子だから。
だから、僕はエメラダのためにこの旅に出た。今までの自分と決別して、彼女のためになら本当の化け物になろうと。でも僕は、変わった気でいて、変われていなかった。僕は、人間が嫌い。だけど、何よりも、誰よりも、僕、自分自身が一番嫌いだ。
イジメられても、自分で何もできないのが悪いと諦めていた。涼香に助けられて勝手に彼女に期待をしていた。自分では何もしていないのにどうして彼女が僕なんかを救ってくれるだろうか。今思えば、涼香がしていたことはある意味当然で、僕なんかを助ける理由なんか元々無かったのだ。それなのに勝手に、裏切られた僕は被害者だと、面を被っていた。僕は、どこまで醜い人間なのだろうか。
そしてまた、自分の慢心と臆病のせいでエメラダに怪我を負わせてしまった。
倒れているエメラダの頭から血が流れる。そして、そのゴブリンの後ろの森から何かが近づいてくる。明らかに多数の何かが。もしかしたら、助けが来たのかもしれないと期待を馳せる。しかし、その正体を見て、イツキは、更に絶望した。
先よりは少ない数体のゴブリン。しかし、何処か風貌が違う。図体がでかく、牙も鋭い。
その見るからに強いゴブリンに勝てる訳がない。その上、最愛の人が目の前で倒れているというのに、僕だけでどうしろと言うんだ。
僕は、未だに誰か助けてくれないかと願ってしまっている。だってそうだろう?だれもが一度は、子供の頃にヒーローに憧れる。けれどいつからか、誰かがやってくれるだろうとモブに成り下がる。ほとんどの人がそうだろう?僕だけを責めるな。僕はただのモブに過ぎなかったのに、トレーニングとか勉強とかして主人公を気取ろうとしたけど、やっぱり無駄だったんだ。僕は、どうしようもなくどこまでもただのモブだから。だから誰か、誰かたす――
「お姉ちゃ!!!大丈夫??痛いの痛いの飛んでいけーー!」
イツキが諦めかけた瞬間、エメラダに近寄り、一生懸命にその言葉に本当に意味があると信じ込みながら呪文を唱える小さな女の子が目に入った。
ギリギリ意識はあるのか、エメラダは必死にその子供に「逃げて」と呟くが、少女は止めなかった。その言葉が届かなかったのではない。拒否したのだ。
「だって!!だって、お姉ちゃは、さっき私たちを命がけで守ってくれたでしょ?まるで昔話の英雄さんみたいにかっこよかたもん!!次はチイが、お姉ちゃを助ける番ね!」
ゴブリンは、目の前にあるご馳走に涎を垂らす。初めて食べるエルフの味が楽しみで仕方ない。その傍にいる子供には、目もくれずエメラダに最後の攻撃を仕掛ける。
イツキはそれを傍観していた。もう諦めの目だった。この世界でこのまま生きていくなんて不可能だと思ったから。ここで終わってしまえば辛いのは一瞬で済む。もう終わりにしよう。そう思ってしまっていた。次の台詞を聞くまでは――
「やめて!ゴブリンさん!!悪いことしたら英雄さんが来て、やっつけられちゃうよ?だから、こんなことしちゃ、メッだよ!」
その少女は小さい体で腕を大きく広げて、ゴブリンの目の前に立ちはだかる。
暴論だ。子供の言う戯言。それにゴブリンが聞く耳を持つわけもなく、そのまま少女ごと攻撃するモーションに入る。その暴論は確かにゴブリンには届かなかった。
ここまで自分勝手な言葉、人間も聞く耳を持つ者は少ないだろう。しかし、イツキは、それを聞いて、全身に血が回った。子供の頃の自分と重ねて。
歳を取るにつれて、英雄なんていないのだと知った。子供の頃に憧れたヒーローは大人が作ったまがい物で、空想の人物だと知った。これから先の子供たちも憧れ、大人になり知るのだろう。そんな奴は存在しないって。でも、僕は、この少女を見て思った。
忌み嫌われるハーフエルフのエメラダに駆け寄り、身を挺する少女を見て思った。
きっと、ヒーローはいると。
君は、今僕から見てヒーローそのものだから。
だから僕もまだ諦めなくていいかな?本当は今までずっと憧れていたんだ。ヒーローに。中学生の頃、中二病とバカにされてどんどん根暗になってイジメられて。最近、エメラダのヒーローになるとか心の中で思ったりしたけど、それを口に出してもいいのだろうか。誰かにバカにされることはないだろうか。正直もう僕は、誰かのヒーローになりたいなんて思わなくなっていた。でも今は違う。いるんだ。助けたい人が。救いたい人が。
だから――
イツキは、立ち上がり、拳を握り締めて、ゴブリンとの間合いを瞬時に詰め、殴り飛ばし、言った。
「お嬢ちゃん。ありがとう。僕の大事な人を守ってくれて。もう大丈夫。まだ、僕はヒーローにはなれないけど、いつか変われたらその時は、僕は君に英雄さんって呼んでもらえるような人間になる。」
誓う。今までのそれとは違う、確固たる目標。彼女たちの様なヒーローになることを掲げ、イツキはゴブリン達と対峙した。