令嬢は目覚める③
この間から兄様が部屋に来ることが多くなった。もしかしたらあんな頼み事をしたから私が寂しがっていると思っているのかもしれない。でも遠慮なくとことん甘えてしまおう。いつも忙しそうな兄様がゆっくりしているなんてまたとない機会だから。
「あ~に~さ~ま~」
ベッドの傍に華奢な椅子を持ってきて私の顔を眺めていた兄様の髪の毛を軽く引っ張った。顎の下くらいまで伸びた髪の毛をいつもは後ろでリボンで結んでいるけれど、今日は下ろしていてますます性別が曖昧にみえる。
「どうしたの、マリー」
自分を引っ張る私の手をさりげなく離しながらにこりと微笑まれた。神々しいわ、、、流石美少年。社交界にデビューしたら人気が絶対出るわね。社交界にデビューするときは兄様にエスコートしてもらいたい。私が十六歳になるまでは八年で、、その時兄様は、、二十歳!きっと素敵な紳士になるから婚約者だっているかもしれない。きっとすごくお綺麗で優しい方と結ばれるわ。でも何か、ちょっと嫌だな。
美しく、全力で私を愛してくれる兄様を独り占めできる時間を大切に思いながらおねだりをする。
「ねぇバイオリン弾いて?」
何を隠そう秀才で有名なエカード兄様はバイオリンの名手でもある。毎年色づいた葉が落ちる頃行われる、王家主催の音楽会で演奏依頼がくるほど。トリアオスト王国は「芸術の祖」と言われるほど芸術文化が発展しているから耳の肥えた方が多いけれど、そこで認められるなんてやっぱり兄様は素晴らしいってことだ。
「え~、最近触ってないから」
何を言われているのか。毎晩甘いセレナーデを弾いているのを屋敷中の者が知っていますわよ。使用人の部屋では窓を大きく開けて演奏を聴きつつ晩酌が行われているらしい。
「私、暇で暇で溶けて消えそうなんです。お願いします、兄様の弾いてる姿、好きなのよ」
是が非でも聴きたくて畳み掛けるように笑うと兄様が折れた。
「分かったよ、、、取ってきて」
音もなく兄様の従者であるザシャが私に微笑みかけてから部屋を出ていった。この部屋にいるなかでザシャが一番兄様を信仰しているから、バイオリン弾いて発言はザシャ得であり私得でもあるのよ。
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「じゃあ、マリーの好きな曲弾くね」
兄様が美しい姿勢で弓を滑らせた瞬間、他の音が聴こえなくなった。弾き始めたのは奏者の表現力次第で曲調が変わるような難曲。私が大好きな曲でもある。兄様が一番楽しんで弾くから。
「久しぶりだから弾けないかも」なんて言っていたのに圧巻の演奏!私は兄様の周りで音符と五線譜が戯れているのが見えた気がした。いや見えたわ。控えていたメイドもうっとりしている。ザシャはもはや崇める目ね。絶対エカード教とか入ってる。私も是非とも入れてほしい!
「兄様素晴らしいわ!ますます好きになった!私もバイオリン、弾けたらなあ」
拍手を受けてちょっとだけ頬を赤くした我が兄に悶絶しながら思わず言葉を溢すと、
「弾いてごらん?私が支えよう」
慣れたように私の身体を起こすとベッドに座らせ、左側から支えてくれた。寝そべってばかりだから背中の筋肉が凝りすぎて痛い。でもいい機会ね、背筋を伸ばしてバイオリンを受け取った。確かこれは学院の入学祝いで父上から頂いていたもので値段が、、、、、、、。
、、、どうしよう緊張で手が震えてきた。これ壊したら相当まずい気がするのだけれど。
「力抜いて、軽くね」
無理よ兄様!手が強張って力がぐっと入ってしまった。弾きたいって言った私、許さない!
、、、部屋に響いたひび割れた音と、近くにいた全員の歪んだ苦し気な顔を私は一生忘れないだろう。
「、、、才能なんて一欠片もないのよ」
「お、落ち込まないでよ。練習あるのみだから、ね?ね?」
楽器を触るのはこれから控えるようにいたしましょうね。
気を取り直して午後のおままごとのようなお茶会を開くことにした。屋敷の大きな窓のある談話室にはいい香りのお茶とお茶菓子が用意され、それらは兄様は少食だからぜーんぶ私が食べていいことになっている。
「兄様は第一王子と会ったこと、あるのよね」
ふと、思いついた質問をしてみた。
「うん、学院で一緒だったからね」
「どんな方なんですか」
見たことはないけれど頭も容姿もよいというのは聞いている。
「うーん、完璧主義者だねあれは」
優雅にティーカップを傾けながら兄様が絞り出した答えにこてん、首を傾げてしまった。
「完璧、主義者?」
「そう。勉強も剣も一番にならなければ意味がないって。学院は絶対実力主義の世界だから、王家だからって特別扱いされないんだ。だからずっと勉強も剣も一番練習してたよ」
「でも兄様が一番でしょ?」
「そう、あいつも同じ年に入学したけど私は学年を飛ばして卒業してしまったからね。順調に学院生なんじゃない?」
「殿下のプライドを折っちゃったの」
「うん、最年少で一緒に入ったやつに置いてかれるなんて、彼の、山よりも高いプライドが許さないのだろうね。だからアダルが候補から外れるなんてことがあったら私も一枚噛んでしまっているよ」
そうだったわ。兄様と第一王子は共に最年少の八歳で学院に入られたのだった。でも兄様は飛び級でさっさと卒業してしまって、、、。何か話を聞くと王子より兄様のほうが私は結婚したいなあ。身内贔屓かしら。
「確か他にもご兄弟がいるんでしたよね」
「第二王子がいたはず。私が学院にいた頃には会わなかったなあ。第一王子は歳が同じだけど、第二王子はマリー達の一つ下だった気がする」
アダルは小さい頃からずっと王子と結婚する!とお勉強を頑張っているから報われてほしい、と心の底から思う。
「私、アダルには幸せになってほしいわ。もちろん兄上達にもね」
「私もだよ」
そう言った兄様は少し悲しそうで、切なそうで。
何でそんな顔をするの、と聞こうとしたら元気な声が乱入してきた。
「マリー!あれ、エカードお兄様もいたの」
お勉強を終えたアダルは「いてて~」、と首をごきごき鳴らしながらお菓子に手を伸ばした。今は怒ってくるエルザがいないから安心して食べていいのよ。
そして三人の会話は何故か私の空想癖についてになってしまった。アダルに現実の男の子のお嫁さんになりなさいよ、と言われたけれどそれに得意気に答えてみせる。
「私には運命を約束した方がいるから」
夢の中で会った、シードルという男の子。会話できたのは一回きりだけれどね。ああ、思い出すだけでドキドキするわ!美形ってもはや罪だと思うの、私だけ?
「まーた始まったわ、マリーの妄想癖」
「妄想じゃないわ、夢であったもん」
「そういうのを妄想っていうのよ」
「違うもーん!!!」
「アダル、やめなさい」
双子の口喧嘩がヒートアップするころ、ぴしゃりとエカード兄様の止めが入る。アダルが煽って私がムキになり、、、という流れはいつものことで、兄様がアダルを叱るのもいつものこと。やっぱり妹って得ね、と思ったけれど刺す勢いで睨んでくるアダルを前に迂闊に変なことを言えないから黙っておこーっと。
「何で?本当のことだわ」
「ずけずけ言うものではないよ」
「エカードお兄様は甘いわ。マリーに甘過ぎ」
「アダル!」
「ウェルお兄様だって言っているわ、マリーのふわふわでへにょへにょした性格を治すべきだって」
「そこがマリーのいいところなんだよ。アダルは明るくてしっかり者のところが長所でしょ?他人と違うところを大切にすべきだと思うけど」
兄様の正論にうぐっとアダルが反撃に詰まった。勝負あり、ね。さりげなく傷つけられた心は知らないふりしておこう。というか一番上の兄はふわふわだのへにょへにょだの、そんなこと言ってたのか。領地に帰ったら髪の毛抜いてやろう。と心に決めつつ私は優雅にお茶を飲んだ。
今日も平和だわ。
侯爵家の兄弟たちによる、ほのぼのを入れたかったのです、、、。
誤字あれば教えてください。