令嬢は目覚める①
第一幕です。
重い瞼を頑張って持ち上げると見慣れた高い天井。淡い空色のグラデーションに、繊細に施された金色の植物をモチーフとした装飾。目を動かすと空色と白色で纏められた私のお部屋。いつみても綺麗な色ね。
ふかふかの枕、肌触りのいいシーツ。服はレースの白い寝巻き。どうやら私は、ベッドに寝かされているみたい。部屋の明かりは微かで、大きな窓は豪奢な深い青色のカーテンで遮られている。きっと今はまだ夜ね。ドアの外からも窓の外からも誰かの声が聞こえてこないから。
誰か、と喋ろうとして口が開かなかった。喉から掠れた空気の音しか出てこない。何だか身体が重くて眠くてしょうがない。頭の中もうまく働いてくれないし。頑張らなければまた瞼がくっついていまいそう。
え?何で?どうしてかしら。
私の動いた気配に気づいたのか、ベッドの傍でしっかりと手を握っていた人がむくりと顔を上げた。まだ半分夢の中なのか焦点があっていない。でも、私と目が合うと大きな瞳をさらに大きくした。
「、、、マ、リー、、?、、マリー?目が覚めたの!?マリー!!エルザ!誰か来て!」
サファイアのような瞳をうるうると潤ませて私の頬に手を当てる。あったかい。人の体温だ。
「マリー?分かる?私よ、アダリーシアよ」
声が出ない代わりにうんうんと大きく首を縦に振った。アダルがにっこりと笑って、それから大粒の涙をぼろぼろ溢す。あらあら泣かないで、かわいいお顔が台無しになってしまうわ。久しぶりに見るアダルはひどくやつれているみたい。
「アダルお嬢様!?マリーお嬢様が目が覚めたのですか!?」
両開きの重いドアを突き破るように入ってきたのは、私たちの乳母のエルザ。いつもきっちり纏めあげられている赤毛は解れ、顔から疲労感が溢れている。でも、私に近づいて目が合うと大きく目を見開き駆け寄ってきた。アダルをちょっと押し退けて、私のおでこに手を伸ばす。
「ええ。私も今さっき気づいたの。寝てしまっていたから」
「失礼しますね、、、ああ熱は下がったようです!下におられるお医者様を呼んで来ますね」
「マリーは私が見ておくから」
「はい!ああ何て素晴らしいの!旦那様方にもお伝えしなくちゃ!ちょっとそこのあなた、先生を呼んで!あなたは旦那様方の部屋へ!メイド長も呼んできて!、、、そうよマリー様が!」
廊下に出たエルザの声が開けっぱなしのドアからこっちまで響く。いつも私たちには静かに!とか言うのにね。そう思いながらアダルを見るとお互い同じことを考えていたのかぱちっと目があって思わず笑ってしまった。カサカサの唇が引きつるように割れてちょっと血の味が広がった。
「ああマリー、あなた、私とお人形遊びをしていたら急に倒れたのよ?それからずっと眠ったまんまで、、、ほんっっとに心配したんだから!」
ぷくっと頬を膨らまし、でも心配するように手を擦ってくれる。優しいアダル、自分にとっても大切なお人形を私の枕元に置いてくれている。
「、、、ご、めん、な、さい、、ね」
やっと声が出た。がらがらの変な声。私じゃないみたい。でもだんだん靄かが晴れるように頭が整理されてきた。手足はぎしぎしするし、後背中がとても痛いわ。思い切り伸びをしたい気分。
と、白髪のおじいちゃま、もといお医者様が急ぎ足で部屋に入る。
「マリーお嬢様!お目覚めになられましたか!?ちょっと診察をいたしますね」
「アダルお嬢様、一度外に出ましょうね」
「嫌よ、ここにいるわ!マリーがまたこうなったら」
「大丈夫ですから、はい出ましょう」
アダルが必死に抵抗してるけれどふくよかでたくましいエルザに抱えられて部屋から出された。あら、アダルもお揃いの寝巻きのまま。ずっとここにいてくれたのかしら。
「本当に仲がよろしいのですね。マリーお嬢様がお倒れになられて一週間、目が覚められるまでずっと傍で手を握っておられたのですよ。おっと、声は出さなくてもよいですからね。ずっと使っていなかったので出にくいのでしょう」
他に違和感があるところを聞かれ、身ぶり手振りで手足が痛いと伝える。お医者様はゆっくり運動していけば動くようになる、と言われたから頷いておいた。
と、廊下が騒がしくなってきた。いつもの屋敷はこんな感じ。人の気配で溢れている。
エルザが小走りで戻ってくると丁度熱が計れたみたい。
「熱も、、もう下がって大丈夫ですね。四十度を越えられていましたから。はあ、、、本当によかった」
「先生、お嬢様は、?」
「暫く安静にして。食事はゆっくりと少しずつ与えてください。水はちゃんと飲ませてくださいね、一時脱水症状が出ていましたので」
「承知いたしました、ありがとうございました」
エルザとお医者様の会話が聞こえる。四十度ですって、まあ大変だったのね。私だけ置いていかれている会話に心のなかで相槌を打つ。
するとバン!またドアが開いてたくさんのメイドとアダルが突入してきて、あとは、、、父上!
「マリー!!目が覚めたのか!?」
「お父様待って!私もまだあんまり喋ってないのよ!」
「旦那様!アダル様!お静かに」
「マリー、その髪の毛どうしちゃったの!」
家にいる時のゆったりとした服を着られた父上が躊躇なく私を抱きしめた。うーん、父上のいい香りがする。いつも冷静で落ち着いた父上からは想像できないほど焦っていたみたいで私の顔を見た途端、ふわりと笑った。まあ珍しいわね。
そうして動いたせいで髪の毛がベッドに広がり、アダルが声を上げた。腰まであるはちみつ色の髪の毛は先の色が抜けてしまったようだ。先にいくにつれて銀色になっている。
「ストレスか熱か、、すみません、原因が分からない」
「いい、マリーが生きてこちらに帰ってきたのだから」
父上が身体をそっと離して優しく頭を撫でて微かに微笑んでくれた。滅多にないから嬉しいご褒美ね。ちなみにエルザが隣ですっごい睨んでいる。静かにしろってきっと思っているはずだ。
「マリー!?私のマリーを見せて!」
だだだっと入ってきて私を抱きしめたのは母上。栗色の巻き毛が適当に束ねられて、簡素なドレスに手触りのよいストール。こちらも珍しく取り乱していたようで、ふぅと呼吸を整えるのが聞こえた。背中に手を回すと、まあっまあっを連呼して大号泣。
「マリー!私っあなたが消えてしまうんじゃないかって!不安で不安で!まあっ」
本格的にしくしく泣き始めた母上を父上が優しく抱き寄せる。大丈夫よ母上、頭の中は今たくさん考えて正常に動いているから。
「さあさあお食事を持ってきて、お身体を綺麗にしてから、、、シーツも変えましょう!旦那様方も少し寝られてはいかがでしょう?朝食までは時間がありますから」
湿った空気を入れ替えるようにメイド長が指示をテキパキと出す。やっぱりまだ夜だったのね。起こしてしまって申し訳ない。
「そう、しよう。安心したら眠くなってきた」
「ああ、マリー!朝になったらまた来るわね」
「私ここにいる」
「旦那様と奥様にはブランデーを、エルザ、アダル様を部屋に回収してホットミルクを持っていって」
皆が色々忙しく動いている間に、サイドテーブルに置いてある紙に『シードル』と書いておいた。綴りが分からないけれど、忘れないようにしないと。
私の、王子様。目を閉じると思い出せる、、、。
「お嬢様、お眠りになりますか?」
そうじゃないわよ!