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act9☆お姫様

 

 その晩、薪奈親子になんだかんだと言いくるめられた私は、生まれて初めてお泊まりというものをすることになった。

 ニンニクましまし餃子の口臭が抜けないまま、フロン母の手料理をいただいた。

 ふわトロたまごのビーフシチューオムライスは絶品だった。ケチャップライスに冷凍ミックスベジタブルしか入ってないうちのオムライスとは比べものにならなかった。

 真夏の入浴はシャワーで充分だと断る私に勧めてくれたお風呂はジャクジーだった。

 バスタブに足を浸けた途端にぶくぶくと泡立ち、ひとり「わおっ」と感心。しかしスイッチらしきものがどこにも見当たらず、止め方が分からない。しばらく浸かっていたが仕方なくバスタブから出ると同時に静まり、これまた「わおっ」と感心。

 うちのラブホテルにはこんなハイテクなバスタブはないんだろうな、と足を踏み入れたことのない寂れた外観を思い出す。

 フロン母が出してくれた、フロン姉のネグリジェ。子供の頃に憧れた、お姫様みたいなフリルがたくさん付いていた。「やだぁ、お姉ちゃんより似合うわぁ」とフロン母は絶賛してくれた。ちょっと恥ずかしい……。

 でも、嬉しかった……。

「お先にー」

「お帰りなさい、蝶子さん。私もひとっ風呂浴びてくるので、部屋で寛いでてください」

「ありがと。ドライヤー借りるわね」

 いつになくいそいそと風呂支度をするフロン。寮ではめんどくさがって、私がせかさないとなかなか行かないくせに……。おうちのお風呂は好き、とか? まぁ今となっては分かる気がするけど。

 私はフロンの部屋で独り、高層マンションからの夜景を覗いた。16階からの眺めは非現実的だ。少し暗くなっている所が昼間の川辺だろう。その向こうにはポチポチ灯りが見える。

 非、現実的……か……。

 窓ガラスに映る芹澤蝶子。ほんのり顔が赤いのは、風呂上がりだからだろうか。それとも、淡いピンクのネグリジェのせいだろうか……。

 悪役ばかりで、なりたくてもなれなかったお姫様。今、私はお城から国を見渡すお姫様……なんてね。

 お姫様はどんな仕草をするのだろう?

 うふっ、と肩を窄めてみる。……違うわね。単なるぶりっこだわ。

 今度は両手をグーにして、顎に添えてみる。……うーん、余計違う気がする。

 それならば、裾を抓んで首を傾げて……うん、まぁまぁね。お姫様というよりお嬢様という感じだけど。

 窓の外の芹澤蝶子が笑っている。おかしいのか嬉しいのか。どちらもだろう。

 フロンのお母さんは、私のこの目を奇麗だと言ってくれた。髪もスタイルも爪も肌も、褒められたことは多々あった。頑張ったもの。『芹澤蝶子』のイメージを壊さないために。

 だけど、唯一この切れ長の目だけは……。

「そうかな……」

 あちらの芹澤蝶子も、恐る恐るこちらへ近付いてくる。お互い覗き込む。不安げな浅い瞬きが2つ……。

 悪くない。

「あの……お母様」

 ダイニングテーブルでハーブティーを嗜んでいるフロン母。その背に声をかけると、フロン母はカップを持ったまま振り返った。

「どうしたの、蝶子さん。あなたも飲む?」

 フロン母がティーカップを少し掲げる。私は「いえ」と小さく首を振ってから切り出した。

「あつかましいお願いだとは存じてますが、このネグリジェを私にいただけませんか?」

 きっと真っ赤だ。私の顔は真っ赤だ。

 うちは貧乏だ。でも学校ではお嬢様を演じている。だからというわけでもないが、他人様に譲ってほしいだのと頼んだことはない。

 それでも、プライドなんて今はいらないと思えた。少なくとも、この親子には……。

「もちろんいいわよ、蝶子さんが気に入ってくれたのなら。お姉ちゃんはもう着ないと思うし、それに……」

 フロン母はカップをカチャリと置いた。ゆっくり立ち上がると、改めて私を眺める。

「すごく似合っているもの。プリンセスって感じよ? もっとこういう服を着るべきだわ」

 そこまで言われると、さすがにむずがゆい……。が、その表情にはお世辞などないように見える。両手を合わせて「ね?」と微笑んできた。

「ありがとうございます。大切にします」

 私も微笑み返す。フロン母の反応を見る限り、『悪魔のほくそ笑み』にはなってないようだ……。

「いえいえ。喜んでくれて嬉しいわ。蝶子さんは笑顔が素敵なのに、あまり普段は笑わないでしょ?」

「え……はい」

 だって……。

「だからぎこちないのね。笑っていいものか不安なのが顔に出ているもの。もっと上手に笑えば、もっともっと素敵なレディになるわよぉ」

 だって、私は……。

「笑わない理由があったんでしょうけれど自信を持って? でないと心まで凍りついてしまうわよ?」

 心まで……。

 そうかも。

「お母様、やっぱり私にもハーブティーいただけませんか?」

「もちろんよ。座って座って?」

 フロン母はいそいそとキッチンへ消えていった。見送ってソファに腰かける。暖色の間接照明が灯っていると、昼寝した時とはまた違う雰囲気だった。

 不思議な親子だ。両親にでさえこんなに甘えたことがないのに、自分からお願いごとを口にするなんて……今までの私からは考えられない。

 ちょっとずうずうしいかな、とも思ったけれど、嬉しそうにティーカップを温めているフロン母の横顔を眺めたら、湧き始めた後悔はすぐに消えていった。

 ハーブティーをごちそうになりながら、フロン母としばらく談笑した。フロンのこと、部活のこと、寮生活のこと……。あまり自分から発信しない私だが、フロン母の前では自然と口から滑り出ていく……。

「ちょっとぉ、母様ったらずるいですぅ」

 フロンの鼻はハーブティーにも反応するらしい。扉も開けずに廊下で叫んでいる。さすが奇行種だ。

「ひどいですよ、蝶子さぁん。どうして私も誘ってくれないんですかぁ」

 フロンが扉を開けるとともに2匹のネコたちも入ってきた。チャチャは私の隣に、シルシルはフロン母の膝にそれぞれ飛び乗る。「いい子でちゅねー」とチャチャを撫でると、フロンはまた「あぁ、チャチャまでぇ……」と絶望極まりない声を発した。

「なによ、ちょっとお母様とお話してただけじゃない。別にフロンを仲間外れにしたわけじゃないわよ」

「母様ぁ、私にもお茶を入れてくださいよぉ。ずるいですよ、蝶子さんを1人占めするだなんてぇ」

「はいはい。その前に髪を乾かしていらっしゃいな」

 おっとりお目々をかっ開いて抗議する娘の髪を撫でる母。「むむぅ」とむくれても構わずキッチンへと立ち上がった。

「フロン、私が乾かしてあげるわ」

 言うと、フロンはハイパービームを放出しそうな視線を向けてきた。「いいんですかぁ?」とご機嫌な笑顔になる。単純だ。実に単細胞だ。

 私はチャチャにごめんねをして立ち上がり、下手くそなスキップで部屋に駆け込むフロンの後を追う。後ろ髪ひかれて振り返ると、ネコたちは同時にあくびをした。

 やっぱりそうなんだろうな、とは思っていたが、だぼだぼTシャツにスパッツというフロンスタイルは実家でも標準装備らしい。

「蝶子さん、なにかいいことあったのですかぁ?」

 ドライヤーを差し出しながら、にこにこ顔のフロンが問いかけてくる。私はそれを受け取り「別に?」とスイッチを入れた。

「えぇー? 絶対なにかありましたよぉ。もしかしてあれですか! 私のいない間においしいものを母様と……」

 騒音に負けじと大声を出すフロン。それを聞こえないふりをしていると、振り返って鼻を近付けてきたので「違うわよ!」と首を無理矢理元に戻してやった。ぎゃっ! と踏まれたカエルのような悲鳴が聞こえた気がしたが、気のせいということにした。

 少しくせのあるネコっ毛をくしゃくしゃ梳いていると、またもフロンがこっちを向いて何か言っているので「聞こえないわよ」と耳を近付けた。

「ありがとうございますぅ、蝶子さぁん」

 ……そんなことなら乾かし終わってからいいなさいよ、と心の中で呟きながらひとつ頷く。フロンは満足げに目を閉じた。

 そして三度振り返る。「今度はなんなの?」と語気を強める私に、にんまりと口角を上げて……。

「初夜って感じですねぇ」

 そう言って、私にドライヤーで小突かれるのであった。

 馬鹿じゃないの? もう何ヶ月も毎晩寮で一緒なのに。

 でも、実は私も内心わくわくしている。それが何になのかなぜなのかは分からない。

 分かっていることは、私も同じ言葉を伝えたいということ。

 ドライヤーの風音に紛れて呟く。

 ありがとう、と……。

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