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act6☆ラー油事変

「蝶子さんのせいでびしょびしょですぅ。へっくしょん!」

「なによ、元はと言えば、あなたの普段の行いが悪いからじゃない。へっくしょん!」

 しばしのお昼寝ののち、私とフロンは少しの川遊びと、少しの散歩をした。

 川遊びというか……膝まで小川に浸かっていた際、小石に引っかかり脱げてしまったミュールを拾おうとしてくれたフロンがつんのめり、私に倒れかかってきたのだが、私は反射的にいつもの癖で突き飛ばしてしまい、結果フロンは川底に尻もちをつき、全身ずぶ濡れになったというだけなのだが……。

 こうなってしまったからには、逆に木陰は涼しすぎる。川辺を歩きながら天日干ししつつ、ランチに備えての腹ごなしをしようということになったわけで……。

「なんか、汗だくの人みたいで恥ずかしいですぅ。早く乾かないかなぁ……」

「乾くわよ、こんなに暑いんだもの。まぁ、濡れてるだけまだましだけど」

「乾かないことには餃子屋さんには入れないですよねぇ。……あぁっ、私の時計がぁーっ」

 フロンは左手をブンブン振っている。腕時計が水死したのだろうか。見たところ、最近流行りのスマートウォッチだ。大体が防水だと思うのだが……。

 私はスマホを取り出した。時刻は12時20分を過ぎたところ。覗き込んだフロンの時計も同じ時刻を差していたので一安心する。

 お目当ての餃子屋さんは土手の上らしい。フロンが指差す向こうに赤い看板が見える。10人ほど並んでいるようだ。「並んでいる間に乾きますかねぇ」とフロンの目が光る。

 普段はのらりくらりとしたネコのお散歩のような足取りのフロンだが、食べ物が関わってくると一転。店先に近付くにすれ、その速度が上がる。実際、フロンが最後尾にたどり着いた時点で、私は30メートルほど置いていかれていた。

「いらっしゃいませー。ご新規2名様でーす」

 こだまする「いらっしゃいませー」に招かれ、私たちは15分ほどでテーブル席に案内された。いい感じに服も乾いている。エアコンと冷えた水が有り難かった。

「私はですねー、回鍋肉定食で、プラス100円で変更可能の『ニンニクましまし餃子』にしますぅ。ご飯とスープとザーサイもついてますよー」

「ニンニクましまし? ……お、おいしそうね……」

 た、食べてみたい……。でも……。

「おいしいんですよー。どうせなら蝶子さんもましましにしませんかぁ? どっちかだけニンニク臭いと気を遣いますが、2人とも臭いのなら怖い物なしじゃないですかぁ」

「た、確かに……」

 一理ある。いや、一理どころか全くの正論だ。見知らぬ土地で、人の目も鼻も気にせず、心置きなくニンニク餃子を味わえるチャンスじゃない。しかも今日から夏休みだし……。

「じゃ、じゃあ、私もフロンと同じで……」

「そうこなくっちゃぁ。すいませーん!」

 それでも羞恥心かプライドか、フロンが注文している間、私はひとり顔を伏せていた。店員が去るのを待って、コップの水を半分までガブ飲みする。フロンは雑に手を拭きながら「楽しみですねぇ」とほくほくしていた。

 自意識過剰。分かっていても、周囲の目を気にしないではいられない。そわそわと落ち着かない自分が歯がゆい……。

「ちょっとぉ! どんだけラー油入れんのよ、あんたー」

 聞こえてきた声にビクッと肩が揺れた。

「へ? ラー油ダメだっけ? じゃあぼくのと取り替える?」

「そっちもだくだくじゃない! バカなの? バカなわけ?」

 ボリュームは抑え気味ではあったが、明らかにブチ切れた様子の女の声。こちらに背を向けたカウンターに座る男女だった。ラー油ごときでブチ切れる女も女だが、餃子のラー油と唐揚げのレモンは宗教問題の次にデリケートな問題なのを分かっていない男も男だ。

「蝶子さんはラー油好きですかぁ?」

 フロンの耳にも入ったのだろう。カップルの背を不思議そうに見つめている。とばっちりを受け手もめんどくさいので、あんまり凝視しないの! と、両手でフロンの首を戻した。

「いたたたた。だって知っておいた方がいいじゃないですかぁ。そしたら私たちはあんな些細なケンカはしないと思いますしぃ」

「しーっ! そもそもお世話してるのは私の方なんだし、あなたが私にラー油をドボドボかける心配はしてないわよ」

「それはそうですねー。さすが蝶子さん、私のことをよく分かってくださってます! いやぁ、私はいいお嫁さん候補を見つけたものです、はい。つくづく思いますよー」

 私はもう一度、人差し指を唇に当てた。分かってるんだかそうでないんだか、フロンはうんうんと頷いてはいる。それでもチラチラとカウンターに目をやるので、私もつられて横目で捕らえた。

「う、嘘でしょ……?」

 思わず声に出た。カウンターに並ぶカップルのうち、見慣れた赤毛の女は、クラスメイトの相葉汐音だった。いつも高々と結っているポニーテールを下ろしていたのですぐには気付かなかったのだ……。

 ま、まずい……。見た目とキャラを壊さないように、今までしてきた努力が……!

 いや、落ち着け落ち着け芹澤蝶子。幸いあちらは私たちに背を向けている。そしてラー油事変で熱くなっている。店先で並んでいる時にはいなかったのだから、私たちよりかなり早く退店するはず……。

「蝶子さん?」

 万が一あちらが振り返ったとしても、なるべく顔が見られないように横髪をできるだけ垂らす。上目づかいでギロリと睨むと、さすがのフロンもたじろいだ。

「わ、分かりました、静かにします。だからそんなに怒らないでくださいっ」

 本気で怒っているのは分かってくれている。だが、私がなぜ下を向いているのかまでは分かっていないようだ。

 フロンは1組なので、私と同じ4組である相葉汐音とは節点がない。しかし、あの目立つ髪色なので相葉汐音のことを、フロンが知らないはずがない。

 フロンが相葉汐音だと気付いてしまったら、「偶然ですねぇ」とかなんとか話しかけてしまうかもしれない……。それはまずい!

 早く帰れ、早く帰れ! 私は祈るというより、呪うように心の中で繰り返した。

「お待たせしましたー! 回鍋肉定食でニンニクましまし餃子お2つですねー!」

 ニンニク効果で元気いっぱいなのか、声の通る男性店員がお盆を2つ持ってきた。俯き続ける私とは対象的に、ぱあっと笑顔を上げるフロン。「はぁーい」と元気よく手も上げた。

 やばい、やばい。今のボリュームだと、カウンターまで聞こえてしまったんじゃ……。髪の隙間からそっと覗くと、相葉汐音とその彼氏は今度はなにやらコソコソ話を始めていた。

 早く帰れ、早く帰れ。お願いだから帰ってください。そしてお願いだから気付かずに帰ってください。お願いだから帰り際に「あれ? 芹澤さん?」なんて展開にならないでください……。

「た、食べてもいいですか……?」

 珍しくフロンがおどおどしている。私の殺気を感じているのだろう。大丈夫、フロンに向けた殺意じゃないから。私がひとつ頷くと、フロンは小さな声で「いただきまぁす」と手を合わせた。

 私もなるべく平然を装って箸を運ぶ。妙な動きをすれば人目を引いてしまうものだ。普通の客。私はそこらへんにいる女性客。どこにでもいる女性客。

「あ、あの……蝶子さん、おいしいですかぁ?」

 引き続きフロンは小声で尋ねてくる。自分には分からないが、何かとてつもないことが起きているんだろうと察している様子。さすがフロン、私の喜怒哀楽だけはしっかり見極めている。

 黙って頷く。フロンは少し安心したように「よかったぁ」と頬を緩めた。

 だが、実際は味なんてしない……。

 何をやっているのだ、私は……。せっかくのニンニクましまし餃子なのに……。見た目とのギャップなんて気にせず、食べたいものおいしく食べたらいいじゃない……。

「さすがにニンニクましましは食べれないよなぁ。あとからチューできないし、臭いからあっち行けって汐音なら絶対言うだろうし」

 カウンターの方から聞こえてくる、相葉汐音の連れの声。ほっといてよ! 味なし餃子を食べてニンニク臭さだけ残る私の気も知らないで……。

 思わず殺意を向けてしまう。鬼と言われようが、ハンニャと言われようが、悪魔とでも閻魔とでも、メデューサとでも言えばいい。夢にでも出てうなされればいい。おねしょでもすればいいっ!

「うわぁ!」

 殺気を感じ、振り返った相葉汐音の連れ……もとい、恋人・獅子倉茉莉花が、化け物でも見たかのように椅子から転げ落ちそうになった。

 それはそうだ、普段から恐ろしいと言われている私が渾身の睨みを効かせているのだから。青ざめた顔で「見ちゃダメだ、見ちゃダメだ!」と相葉汐音に繰り返している。

「蝶子さん」

 お伺いを立てるように、もぐもぐしたままのフロンが問いかけてくる。

「スープ以外は持ち帰れます。外食が落ち着かないのなら持って帰りませんか?」

 落ち着かないわけじゃない。問題があるのは、周りの目じゃなく私の中のことだって分かってるのに……。

「ごめん、フロン。そうする……」

 いつも自由気ままのネコみたいなフロンだが、今日だけは頼もしく思えた。店員に「これ包んでくださぁい」と皿を指差し、スープだけは私の分もしっかり召し上がってくれた。さっさと2人分のお会計を済ませ、「行きましょうかー」とへにゃっと笑う。

 こんな私のルームメイトが、フロンで良かったなって思った……。

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