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act5☆誰も知らない町

 車窓に貼り付くフロンの腕時計が、午前9時を示している。

「見てください、蝶子さぁん。あのサーファーのお姉さん、とってもナイスバディですよぉ。いいですねぇ、夏の海って感じですねぇ。蝶子さんも……うぷっ」

 無視しようかとも思ったが、一斉に向けられた乗客の支線に慌て、私はとっさにフロンの顔を窓に押しつけた。もがきつつ目で訴えるフロンに私も目で訴える。黙りなさい、と。

 結局、私は部活を休んだ。退部の決意すら固まってはいないが、フロンの提案で気分転換してから考えてもいいか、ということで電車に揺られている。

「次で降りますよぉ。久しぶりの地元だなぁ」

 車内アナウンスが『次は空の宮中央、空の宮中央』と響いた。車窓からは高いビルが増えていくのが見えた。フロンはわくわくと目を輝かせている。

 普通はそうか、みんな地元に帰るのが嬉しいのだ。地元にあまり帰りたいと思わない私が異例なのだ。家族には会いたくても、特に地元に愛着はない。

 お母さんに会うのはなし、という約束で、私はフロンの地元へ連れられてきた。扉が開くと、都会独特のもあんとした夏の空気が纏わり付く。日差しに目を細めていると、「貸してあげます」と、フロンが麦わら帽子をかぶせてくれた。

「ちょっとぉ、めちゃめちゃ人多いじゃない……」

 改札の向こうに見える駅構内は、家族連れやら学生やら、ついでにカップルやらがわらわらとひしめき合っていた。思わずうんざりとため息が漏れる。こんな人混みで気分転換になるのか、と……。

「任せてください。ちゃんとデートプランは考えてありますからぁ。『涼しいとこ行こうか』なんてラブホに連れ込んだりもしませんよぉ」

 頼もしいようなそうでないような発言。とりあえず拳で上腕にパンチを食らわす。フロンは「ぎゃっ」と大げさに腕を摩った。

 多くの人たちは、駅ビルや隣接する商業施設に吸い込まれていく。私は半歩前を歩くフロンに無言でついて行った。フロンはさすが地元民らしく、キョロキョロする素振りもなくひょうひょうと目的地を目指している。お揃いの洗剤のにおいがする。

 しかし、暑い……。

 15分も歩いている。駅に聳え立つビル群から離れるにつれ、人混みは大分落ち着いたものの、目についたカフェというカフェは満席。この蒸し暑さの中、外に並んでいる人すらいる。アンビリーバブルだ。

「ねぇフロン、私も休憩したいんだけど……空いてそうなお店ないの?」

「疲れちゃいましたかぁ? もうすぐなんですけどねぇ……」

 フロンが心配そうに振り返る。私は額から流れる汗を拭おうと、一度帽子を取った。そういえばフロンはほとんど汗をかいていない。奇行種は暑くないのだろうか?

 今朝の天気予報では、最高気温が32度を超えるとのことだった。すでに30度近くはあるだろう。熱中症にも脱水症にもなりそうだ。さらした前腕がじりじりする。

「着きましたよぉ、蝶子さぁん。どうですか? 奇麗でしょう?」

 立ち止まったのは川辺だった。フロンは土手を見下ろしている。確かに雑踏ではない。ビルの影すらないものの、ごみごみしていない分、いくらか涼しい気もする。

「もしかして、川辺で涼みましょうとか言わないわよね? こんな日照りの中で」

「えー? いやですかぁ? 意外と涼しいものですよぉ。ほら、こっちです」

「ちょ、ちょっとっ」

 フロンは身の丈程の土手からひらりと降りた。ネコのようだった。戸惑う私の手を取り、「さん、はいっ」と降りるよう促す。私はフレアスカートの裾を押さえ、しぶしぶ飛び降りた。

 川岸に近付くにつれ、足元は芝生から小石が多くなってくる。何も知らずミュールで来てしまった私の足取りは、スニーカーのフロンと違ってぎこちない。砂利がミュールに入り込んで痛い……。

「飲み物を買ってきます。蝶子さんはお茶系でいいですよねー」

 座らされたのは、本流から枝分かれした小川に設けられたウッドデッキ。誰もいない。水面は私の膝丈までしかない。流れが緩やかなため、小さな子供が川遊びできるよう作られたのだろう。土手に植えられた大きな桜の陰でとても涼しかった。

「いいわよ。あなただって疲れたでしょ?」

「全く大丈夫です。お嫁さんが疲れているのに黙って座る私ではありませんよー」

 言ってフロンは軽やかにかかとを返した。自堕落な寮生活では見たこともない機敏な動き。幼い頃から遊びに来ていたのだろうか。小さなフロンが、だらしなくランドセルの金具をパカパカさせている姿を想像して笑みがこぼれた。

 すぐに戻ってきたフロンは、私にジャスミンティーと駄菓子屋でよく見かけた当たりくじ付きミニカップラーメンを差し出してきた。お湯も注がれている。とんこつの香りがした。

「ありがとう。近くに駄菓子屋さんがあるの?」

「はい。とっても古いお店なんですが、私が小さい頃から全然変わらないお婆さんが1人でやっていまして。今も昔も90歳くらいに見えます」

「ふふっ、なにそれ。妖怪じゃあるまいし」

 本当ですよーと訴えるフロンに割箸をもらい、私はミニカップラーメンを3口でたいらげた。満足げに見守っていたフロンも醤油味をすする。堂々とカップラーメンを食したのは何ヶ月ぶりか……。

 ウッドデッキに腰掛けたまま、2人並んで小川に足を浸す。食べっぱなしにしているラーメンの器を重ね、割箸と共にビニール袋へ入れる。脱ぎ捨てたまま丸まっている靴下をスニーカーの口へ押し込むと、「ありがとうございます」と抱きついてこようとしたので突っぱねた。

「うぅ、ひどいですぅ。誰もいないんだから、ちょっとくらいいいじゃないですかぁ」

「ダメ」

「蝶子さんのケチぃ」

 本気でいじけるフロン。足をバタつかせるので、私のスカートにしぶきが飛んだ。もう一度「ダメ」と叱ると、フロンはなにやら怪しげな笑みを浮かべだした。

「何笑ってるのよ、気持ち悪い」

「気持ち悪いとは失礼ですねぇ。私は蝶子さんが嬉しそうだったから嬉しくなっただけですよぉ」

「は? 私は嬉しがってなんかないわよ」

「またまたぁ」

 こりずにすり寄ってくるので、すかさず顔面を片手で押し戻す。「ぐぶっ」という、なんとも女子高生らしからぬ声がまたおかしい。

 フロンはいじけついでか、いつものように背を丸めて寝転がった。だぼだぼのTシャツから、白い背中が覗いている。お構いなしな態度に呆れるが、やっぱり私の手は癖のように裾を直してあげていた。

「蝶子さん」

 ゴロリと寝返って、フロンが私を見上げた。

「何?」

「お昼は餃子のおいしい中華屋さんに行きましょう。そこの回鍋肉定食がオススメです」

「……いいわね、たまには」

 誰も知らないこの町。似合わないものを食べていようが、誰にも何も思われない。息苦しい思いはしなくていい。

「良かった。きっと蝶子さんも気に入ってくれるはずですよ」

 フロンは安心したのか、大きなあくびをひとつして目を閉じた。そういえばこの子は寝不足だったのだ。寝顔につられて私もあくびをひとつした。

「ありがと、フロン……」

 フロンだけが、私を自然態でいさせてくれる。私も裸足のまま、バッグを枕にウッドデッキに転がった。

 少しの間、私たちは小川と木陰の心地よさに寝入っていた。

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