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act2☆スパッツ娘の持論

「蝶子さぁん、ただいまー……」


 気だるげな声に振り返ると、今にも瞼の閉じそうなルームメイトが扉の前に立っていた。


 その名は薪奈(まきな)フロン。尋ね返してしまいそうな名前だが、両親共に生粋の日本人。聞けばアメリカ在住で作曲家のお父さんが『フルオンミュージック』から取って命名したのだという。


 七月に入ってもなお、フロンは未だ帰宅部のまま。そのフロンが私より遅く帰ってくるなど珍しい事ではあったが、もっと珍しい事に、彼女はしょんぼりと肩を落としていたのだ。ポジティブなんだか何も考えてないんだか判別し難いフロンだけに少し心配にもなる。


 私はデスクチェアに背を預け、手にしていた台本を閉じてからうーんと背伸びをした。ふと窓の外を見ればどんよりとねずみ色の雲が広がっていた。


「どうしたの? 雨に降られたわけでもなさそうだけど」


「蝶子さぁん、聞いてくださぁーい」


 背を丸めたフロンがすばやいゾンビのようにドタドタとにじり寄ってくる。私はそれがちょっと不気味で一瞬椅子から立ち上がり逃げ出しそうになった。けれど光を失った死人のような目元の下にはへの字に曲げたかわいらしい唇が見える。うん、ゾンビではないようだ、うん。


 ま、まぁ、とにかく落ち着いて話を聞いてあげよう。私はデスクチェアをくるりと回して深く座り直した。


「何をそんなにしょげてるのよ。フロンらしくないじゃない。どうせ食べようとした物を落としたとか自販機に炭酸系がなかったとかでしょうけど……」


「うー、酷いですぅ。そんなんじゃないですよー……。まぁ、涼しい顔して台本読んでる蝶子さんは良かったんでしょうけどねー。ねぇ、そうでしょう? そうなんでしょう?」


「は? 良かった? 何の話よ」


 うなだれたゾンビが電池を入れ替えたロボットのように目を見開く。主語のない会話に首を傾げていた私はその変わりようにぎょっとして、責められるような事があっただろうかと脳みそをフル回転させた。


 ……が、そんなものは一つも思い当たらない……。


「なんなの? 私、なんか悪い事した?」


「返ってきてないという嘘は通用しませんよ? ちゃんと蝶子さんと同じ四組の子にも返ってきてたの見てたんですからね?」


「だから何の話し? 返ってきてるって何が……あっ」


 言い途中で思い出した。今日、期末テストが返ってきたのだ。油断すれば下位に分類してしまう私には耳が痛い現実……。終わったものは仕方ない。取ってしまった悪点は仕方ない。これが私の実力だもの。


 そう言い聞かせて、せっかく忘れていたのに……。


「蝶子さんはいいですよねぇ……。見るからに頭良さそうですしねぇ……。普段から勉強してるとこ見た事ないですけど、ほんとに頭いい人は勉強なんかしなくてもいい点取れるんでしょうしねぇ……」


「な、何言ってるのよ。勉強ならちゃんとあなたが寝てからやってるし、見た目見た目って言うけど私は中間テストであなたに勝った科目なんて一つもありゃしなかったのよ? 買い被らないでよね」


「へぇ? そうだったのですかぁ? 私は蝶子さんの中間の結果を一つも知らなかったですけど……」


 そりゃまぁ、あなたが寝てる間に必死こいて勉強してる私を知らないのだから分かるわけないでしょうよ。


 彼女のデスクの周りに散乱していた中間テストの採点は全て八十点以上。勉強もせずに音楽ばかり聴いてるフロンと違って、勉強しても平均に食らいつくのがやっとな私が平然と見せ合いっこ出来るわけがなかった。


 いつもいつもいつもそう。私は見た目で損をする。


 おっとり垂れ目のフロンとは真逆に、私は切れ長の釣り目。自分で言うのもなんだがスタイルはスレンダーで、だけど出るところはそこそこ出ている。身長も百六十二センチと標準サイズ。天使の輪が光るゆるふわな黒髪も、他人からは一目置かれる自慢の一つ。


 だが、それが『損」なのだ。


 容姿を褒められるのは嬉しい限りだけど、その分キープするのに一苦労する事を誰も知らない……。


 一件クールビューティーと思われがちな私の好物はカップラーメン。けれど入寮間もない頃、カップラーメンにお湯を注ごうとした私の耳に入ってきた「芹澤(せりざわ)さんが食べるわけじゃないよね? ルームメイトさんのとかでしょ。あんなクールっぽい人がカップラーメンなんて食べるわけないもん。まず小市民みたいな物は似合わないし』という会話……。


 それから私は給湯室でお湯を注げなくなった。大好きなカップラーメンを食べる時は給湯室で沸かしたお湯をタンブラーに入れて部屋に持ち帰る。もちろんフロンが部屋にいると閉じかけの瞼の奥からレーザービームを飛ばしてくるので落ち着いて食べれない。かといって談話室でずるずる啜るわけにもいかない。


 ゆえに私はこの容姿の為に、好物一つゆっくり堪能出来ずにいる。


 成績もそう。ただ冷静沈着に見えるというだけで、周りは勝手に頭がいいと思い込む。だが現実は平均以下。家だってなぜか上流家庭に思われがち。だがそれも大きな勘違い。


 フロンにさえ言っていないが、うちの両親は寂れたラブホテルを経営している。赤字とまではいかないものの、一家四人が慎ましく生活出来る程度の収入しかない。いわゆる中流家庭なのだ。


 このお嬢様高校に似つかわしくない私は、みんなのように当たり前のごとくお金持ちだと思われているので、必死でお嬢様を演じている。そして人並み以上に勉強して、なんとか平均をキープ出来るよう人一倍努めている。


 それをみんなは知らない。容姿一つの先入観に苦労している事を。スタイルも成績もお嬢様振る舞いも、全て全て全て取り繕ったメッキである事を。パーフェクトなクールビューティーでもなんでもない事を。


 だから、私は『損』をしている……。


「見てくださいよぉ。物理なんて八十二点、化学なんて七十八点ですよー? あぁ……これはもう退学するしかないですね。退学して勉強なんかしなくてもいい作曲家になるしか……」


 退学って……。たかが七十八点でそこまで落ち込むとは嫌味もいいとこね。でもそれを嫌味の『い』の字もなく天然で落ち込んでしまうのがこの子なんでしょうけど……。


 最低四十五点を採ってしまった私はどうすればいいのよーっ。


「よく言うわね。普段から勉強してないじゃない。なのにそれだけ採れるんだから少し勉強すれば百点なんて楽勝なんじゃないの? 怠ける事ばかり考えてないで、音楽と同じくらい勉強に打ち込めばいいのよ」


 ふっ、冷たく言ってやったわ。突き放されたと思って、少しは自立するでしょうね。こういう時だけ自分の釣り目が役に立つというのも皮肉な話だけど……。


 フロンはまたもしょんぼりと肩を落とした。真顔でも怒ってるのかと誤解される私が語気を強めればキツく叱られたと取られても仕方ない。のんびりマイペースのカタツムリさんにはちょうどいいくらいかしら、と思った矢先……。


「ふふっ……。蝶子さん、怒ってるお芝居ですかぁ? その手には乗りませんよ?」


「は、はぁ? 怒ってないけど……あ、いや、お芝居でもないけど……」


「どうなんですかどうなんですか? 私には分かるのですよ。蝶子さんがどんなにお芝居が上手い方でも、私は蝶子さんの嘘が見抜けるのです。隠してもごまかしても無駄ですよ? 本当は怒ってなどいないのでしょう? 冷たい事言えば私が勉強するとでも思って冷たい言い方をしたつもりなのでしょう?」


 そして、これもフロンの特殊技能の一つ。私がどんなに突き放しても、彼女は私の真相を見抜いてしまう。それは他の人には発動しない能力らしく、私が知る限り他の子に対してはむしろ鈍感なのだ。


 おかしい……。なるべく柔らかい言葉使いを心がけてる私が語気を強めれば誰もが不機嫌だと断定してくるのに。ううん、ただでさえ黙っているだけで怒っているのだと誤解されるのに。


 なぜフロンだけは見抜いてしまうのだろうか……。


「ほらほら、ツンケンごっこはやめにして、私とバカンスの計画でも立てましょうよぉ。高校生活初の夏休みですよー? パーッとパーッと海にでも繰り出してですねぇ……あぁ、蝶子さんとの、将来のお嫁さんとの一夏のアバンチュール……うふ、うふふ……」


 フロンは怪しげな笑みを浮かべながら制服のブラウスを脱ぎ始めた。なにやら妄想しているみたいだけど、徐々にくふくふと消えていく呟きに聴く耳も失せた。例え聴こえたとしても、フロンの考えている事は八割方理解出来ないのだから。


 変な子……。みんなが怒ってると勘違いする私が怒ったふりをしても通用しないなんて……。


 ツンケンごっこねぇ……。


「ねぇ、フロン。私って怖い顔よね?」


 制服を脱ぎ散らかし終わったフロンが振り返る。だぼだぼの半袖パーカーに五分丈のスパッツ。身なりもきちんとすれば申し分ない容姿だというのにもったいない。ばさりと床に脱ぎ捨てられてドーナツのように広がったスカートを拾い上げ、私はそれをハンガーに掛けてあげながらフロンを見つめた。


「なんですかぁ、唐突に。蝶子さんみたいな綺麗な人が怖いわけないじゃないですかぁ。誰かに言われたんですかぁ? 気にする事ないですよぉ」


「ううん。そうじゃなくて……。夏休みなんだけどね、秋の文化祭でやる舞台の練習があるから、多分ほとんど部活だと思うのよ。だからきっとあんまり遊べないと思うの」


「えぇー。酷いですぅ……。蝶子さんのいない海なんて、タコの代わりにイカすら入ってないタイ焼きのようなものですよぉ」


 それを言うならタコ焼きじゃ……?


「いいですよ、いいですよーだ。蝶子さんがバカンスしてくれないなら、私はパソコンさんとお話してるまでです。話しかけたって相手してあげないんですからねーだ」


「あなたがパソコンに釘付けなのはいつもの事じゃない。しょうがないでしょ、演劇部は文化祭と演劇コンクールくらいしか上演の場がないんだから。それに、一年ながら役も貰っちゃったし……」


「役? 役を貰えたのですか、蝶子さん。すごいじゃないですかぁ。さすが蝶子さんですぅ。蝶子さんならきっと舞台でも映えるんでしょうねぇ。楽しみだなぁ」


「楽しみ、ねぇ……」


 ただ純粋に喜んでくれているフロンに八つ当たりする事ではない、そう分かってはいるけどわざとらしいため息が洩れてしまう。フロンはそんな私を不思議そうに覗き込んでいた。帰宅部で、しかも機械相手の趣味なフロンが羨ましくも恨めしく思えてしまった。


 大好きな演劇……。中学とは違う、憧れの高校演劇ライフ。


 初めて演劇を好きだと思ったのは小学校の学芸会。勉強も運動も並み中の並みで特に取り柄のなかった私が唯一褒められたのがお芝居だった。お姫様に意地悪をする魔女の役なんて気乗りじゃなかったけど、終演後にみんなに褒められたのがすごく嬉しかった。やって良かったと思えた。


 だけど、それ以来お芝居に携わる度に悪役しか回って来なくなった。褒められるのは嬉しい。すごく嬉しい。主役よりもインパクトがあって目立っていたよと評価してもらえたのは嬉しい。だけど……。


 私だって、たまにはお姫様になってみたかった……。


「で、どんな役なのですか?」


「主役の三年の先輩を……詳しくは本番までのお楽しみって事にしとくけど、いい役じゃない事だけは確かだから期待しないで」


「へぇ、悪役ですかぁ……」


 いつもそう。中学で入った演劇部だっていつもいつも悪役ばかり回ってきた。私はきっと、演劇を続ける限りいい役など回ってこないのだ……。


「いい役貰えてよかったですねぇ」



「え? だから、悪役だって言ってるでしょ」


「ですから、悪役なんておいしいと言ってるんですよー」


 フロンは自分のデスクチェアに座ると、眠っている状態のパソコンの電源を入れてからこちらに向き直った。寄りかかった背もたれがギィッと音を立てた。


「持論ですが、悪いやつが出てくる物語というのはある意味悪役が主役だと思うのですよ。主役は悪役や敵対役がいないと引き立ちませんからねぇ。お話も始まらないでしょう? 私なら主役をいただくよりよっぽど嬉しいですよぉ。重役ですから」


「重役……?」


「はい。ちょっと違うかもしれませんが、例えば歌入りの曲。お上手なボーカルさんが歌えばヒットするでしょうけど、そのバックには作詞・作曲・編曲という素晴らしいものを作ってる影の立役者がいるのです。一見ボーカルさんだけが目立ちますが、本当に音楽が好きな人であればバックから好きになると思うのです。聴く人が聴けば、見る人が見れば、ってやつですよ。ふあーぁ……」


 大きなあくびを一つし、フロンはお気に入りのヘッドフォンを被った。それはお父さんからプレゼントされた大事な物らしく、散らかったデスクの上の本棚にいつもきちんと置かれている。教科書も洋服もぐちゃぐちゃに散らかすフロンだが、このヘッドフォンだけは常に定位置に保管されている。


 その持論とやらも、音楽家であるお父さんの影響だろうか……。


「とにかく、私は嫌なの。主役が欲しいとは言わないから、たまにはちょい役でもいいから善人を演じてみたいのよ。フロンには分からないでしょうけど」


 言い捨てて私もデスクに向かう。だけどフロンの耳には届いていないのか、彼女は一度も振り返らずにただいつものように眠たげな目でパソコンのキーボードを叩いていた。


 再び台本を手に取る。最後のページと背表紙に挟んだ配役表にもう一度目を通す。


 だけど、フロンの言葉はいまいちしっくりこなかった。


「ねぇ、フロン」


 返事はなかった。代わりに聴こえてきたのはキーボードを叩くカチャカチャという音と、ヘッドフォンからもれるサイケデリックな音楽だけ。


当作のヒロイン、薪奈フロンは斉藤なめたけ様考案のキャラクターです。

コメディ風味の百合作品を得意とする斉藤なめたけ様のページはこちら↓

https://mypage.syosetu.com/483210/

私のリスペクトする作家様のお1人なので、ぜひ一度覗きにいってみてくださいませ!

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