ベリークルシミマス 祓い屋さんのクリスマスパニック
――12月22日 12時31分 日本国某高校教室内
じんぐっべっ、じんぐっべっ、すっずっがぬぁる!!
12月を20日ほど過ぎると街は赤、緑、茶に支配される。
つい最近日本に上陸したカボチャとゾンビのパーティの余韻など吹き飛ばすかのように、髭面の目に優しくない色彩をしたジーさんが我が物顔で闊歩し始め、男女のカップルはその場限りの契りを結ぶべく走り回っていた。
師走というより精走とでも名付けたらいいんじゃないかな。
いや、それは男だけで女は物が欲しいんだから、欲走とかか?
そして、その余波は我が聖域、教室内でも繰り広げられていた。
「あの、田中君……今日、放課後に話が……あるんだけどいいかな……」
昼休み、金がなく空腹に耐えるために顔面から机に抱擁している俺の真横で女子生徒が男子生徒にお願いをしていた。
どうやら、俺が完璧に眠っていると思っているらしい。
残念、空腹すぎると眠られないのデス。
しかし、それに気が付いていない男の方も、話の内容に予想が付いた上でまんざらではないらしく、「え? あ、うん」とか言葉に詰まっている。
もう、お前たちの会話の感じで答えわかるじゃん。
いいじゃん、とっとと乳繰り合えよ。
「俺、起きてるんですけど。田中君(ハード)」
「げぇ! 起きてたの?」
そういって、田中某と女はどこか場所を変えてしまった。
あれだ、暗い夜道でKFCでも投げつけられろ。
そして、投げつけられたそのチキンはください(ファミチキ、Lチキ、揚げ鶏等でも可)。
「伝君、怖い目で人睨むのやめなよ。
あ、お菓子食べる?」
俺は2人を――俺なりに――温かい目で見送っていたはずなのだが……
失礼なことを言い放った女の声の方へ視線を送る。
美しい赤みがかった茶色のストレートヘア。
白磁の如くシミ一つない肌理の細かい、皮脂や死細胞など存在しないかのような肌。
その美しい顔皮の上のパーツの全ては完璧な位置に配置されている。
特に白い高級絹の上に墨を落としたかのように真っ黒い瞳が印象的だ。
さらにスタイルもまた高校生とは思えない体形である。
至って標準的な超級美少女だ。
「失敬な。俺は、『愛を語るのにここよりいい場所があるんじゃねぇかな死ね』
という優しいアドヴァイスをだな……」
俺は、抗弁を垂れつつ、差し出されたポッキーを2本ほどつまんだ。
偽物にはない本物の気品が喉を通っていく。
空腹を満たすには足りないが。
「隠し切れない嫉妬があふれてるよ伝君……」
そういって、女は目元を押さえるふりをする。
肩が震えている辺り、笑っているのだろう。
女の名前は、美作 美弥。
このクラスの委員長で面倒見がよく、周囲から好かれていた。
よっぽど自分の娘に自信がなければ「美」という文字を重ねられないだろう。
そして、その名前に決して負けない美貌を持っていた。
当然のようにモテる。
俺が記憶している限り――幼稚園からの付き合いなのでそのころから――絶賛モテ期だ。
人間人生にモテ期は三度来るというが、この女は一度しか来ないであろう。
「ところでさ、クリスマス……暇、かな?」
美弥は、その大きな目をさらに大きく開く。
うるうるとした瞳に、わずかに紅潮した頬。
これで落ちない男はいない。
これを素でやっているのだから、この女、恐ろしいものだ。
ちなみに、これは女も落とせる。
根っからの人たらしだ。
まぁ、そんなに悪い性格ではない――むしろいい方だからこそ、男女問わず好かれるわけだが。
そして、何度勘違いしそうになったかわからないが、その段階はとうに過ぎていた。
俺は、目の前で手をパタパタとやる。
「お前には恭太がいるだろうが」
城國 恭太もまた、俺の幼馴染である。
昔は3人でよく遊んだものだ。
捨て子だった俺が拾われた寺がやっている幼稚園に2人が入園してから、小中高とずっと一緒である。
顔も頭も中の上くらいの至って平凡な男だが、いつの間にか2人はくっついていた。
俺、はぶられ!?
そうはいっても2人のことは嫌いじゃない。
たぶん、一番喜んだのも俺だという自信がある。
とはいえ、それは俺が2人のことをよく知っているからであった。
付き合っていることをみんなに話すという2人――の暴挙――を必死になって止めたことは一生忘れられない思い出である。
あれ、下手したら死人出てたからね。
「恭太が、伝君も誘おうって。私もそう思ってたから安心して」
そういって、美弥がクラスの端の方にいた恭太に視線を送った。
恭太が笑って手を振り返す。
この2人は本気で俺のことを誘ってくれているのだろう。
悪意も善意もない。
ただ一緒にいたいと思ってくれているのだ。
ちなみにだが、伝というのは俺のあだ名だ。
鞍馬 久伝で伝と呼ばれている。
「悪いな、今年もバイトなんだよ」
「え~今年も? 毎年、この時期バイトじゃん。休めないの?」
「……」
別に2人に遠慮して、ではない。
毎年毎年、忙しいのだ。この時期は。
そりゃ休みたい! 2人と一緒にクリスマスを過ごしたい!!
俺は、じっと美弥を見つめた。
そして、ポッキーを3本摘まんで、口を開いた。
「悪いな」
◆◆◆
祓い屋。
西洋では悪魔祓いとも呼ばれる職業が存在する。
いわゆる、悪魔、妖怪、幽霊なんていう理の外に住まう住人を滅するのが仕事だ。
そして、俺はその祓い屋の1人である。
捨て子だった俺を拾った寺の住職の手伝いをさせられ――もとい、しているうちに祓い師になっていた。
そして、今回の仕事は毎年の恒例行事だ。
年末が近づくと、亡霊や妖、そして悪魔どもが日本全土で暴れるのである。
かつては『陰陽師』と呼ばれる公務員がその祓いを担っていたのだが、戦後のアメリカ占領の折、解散させられて以来、こういった国を挙げてやるべき作業は俺たちのような野良の祓い師にお鉢が回ってくるようになっていた。
今回、俺は東京23区内の妖怪退治を担うことになっている。
――同日 22時31分 東京都練馬区某牛丼チェーン
「毎年、毎年良くも飽きずに参加するわね。
クリスマスなのに予定ないのかしら? 先輩」
俺はネギが大量に乗った牛丼をかっ込んでいた。
それを、女――佐久莱 咲耶は、美しい濡れ羽色の髪のロングヘアーを揺らして楽しそうに眺めながら呟いた。
血管が透けるほどに白い肌。
すうっと通った鼻梁に形良い唇。
長い睫とずっと見ていられるような美しい目。
どこか東欧風の――エルフを思わせるような――顔立ちの女は、その顔貌に似合わず、お新香を口に放り込んでわりわりとした。
確か二つ下の15歳だったはずだが、その顔つきのせいか俺と同い年くらいに見える。
この女もまた、祓い屋だ。代々続く陰陽師の家系である。
今回のバイトの相棒だ。
「余計なお世話だ」
そうつぶやいてから空いた丼に、紅ショウガをよそった。
正直ここの紅ショウガは好きじゃないのだが、こうしないと牛丼を食べた気がしないので仕方ない。
熱いお茶を飲んでいた咲耶は、なぜか奇妙な物を見るように目を丸くさせる。
「なんだよ」
「相変わらず、致死量よ。その紅ショウガの量は」
「好きなんだから仕方ないだろ。
つか、俺年上だぞ、敬語使え、敬語」
「使ってるわよ、先輩どの」
「敬称に敬称重ねても尊敬語にはなんねぇよ」
一度訓練という名の手合わせでボコボコにして以来、先輩とはいうようになったのだが、依然としてタメ口だ。
そんな訳の分からない思い出にため息をついてから、紅ショウガをつまみ食べる。
「俺は予定を断ってここに来てる。別にさみしい身空じゃない」
俺の言葉に、咲耶はなぜか異常に反応した。
椅子からずり落ちそうになっている。
「女……?」
「あん? あぁ、女だな」
「えっと誘ったの? 誘われたの?」
「誘われた」
「そそそ、そんなふしだらな女はやめた方がいいわよ。
先輩、そういうの鈍そうだから、アドバイスしたげるわ」
こんな寒い時期にそんなに冷や汗をかいたら風邪をひいてしまうのではないだろうか。
「はあ? そいつは彼氏いるぞ。
というか、その彼氏と3人でって誘われたんだ」
咲耶は、その言葉になぜかホッとしている。
そして、顔を曇らせた。
「それって一人よりさみしいんじゃ……」
「……うっせぇ。そういうお前はどうなんだよ」
「私は……あるわよ」
「ふーん」
俺は、みそ汁を飲みながら咲耶を眺めた。
「まぁ、そうだろうな。可愛いし」
「へっ?」
咲耶が箸を取り落とす。
「いやいや、私は……そういうのは……まだ……」
と、俺のスマホ――中古の奴だ――が震える。
「っと、奴さんが来たみたいだぜ」
「え、ちょっと待ってよ……」
「なんだよ、奢らねぇぞ」
「そんなんじゃないわよ! なんだったら奢ってあげようか?」
俺の足がピタリと止まった。
それを、強固な意思で動かす。
「バカにするない! なんだったら奢ってやろうか?」
「え? あー、うん。ありがと」
咲耶はなぜか妙に嬉しそうな恥ずかしそうな顔をして、テトテトと外へ行ってしまった。
あれ? 断る流れじゃないの?
俺は目の前の二枚の請求書を手にとってそう思った。
◆◆◆
東京23区、特に今俺がいる都心に近い場所では、人がいない場所はない。
ほぼ、25メートルプールくらいの広さがあれば、少なくとも1人は見ず知らずの他人がいる。
ところが今晩はそうならない。
俺がかけた人払いの法のせいで、俺達がいる場所は秘術――魔術や魔法、もしくはその類――を知らない者がその場所を避けているせいだ。
その上、咲耶のかけた影の術のせいで、俺達は他人からは、注視しなければ認識できない。
しかし、俺達を認識しているモノがいる。
その場にいるのは、俺と咲耶、そして、見ず知らずの人外。
全身に一本も毛がない、猿のような化け物と俺達は対峙していた。
数は7。恐ろしく長い爪が両手に生えている。
対峙する場所は、何てことのないどこにでもある路地だ。
「なあ、1個聞いていいか?」
「何よ? 数なら半分よ!
それ以上やれっていうなら、お金もらうわよ!
すぐ手を抜こうとするんだから!」
「いや、つか、そもなんで俺の場所を手伝ってくれてるんだ?
兄貴とか親父とやってる方が安全だろ?」
俺がこの仕事を一人で始めた理由は、師匠であり、育ての親がぎっくり腰で動けなくなったせいだ。
最初は師匠の友人の息子で有り咲耶の兄が手伝いで来てくれた。
二度目以降は、ずっと咲耶が手伝いに来てくれている。
なぜか今、ふと気になった。
しかし、俺の質問に咲耶は答えなかった。
それよりも、無毛猿の攻撃に応えたからだ。
弾丸のごとく飛び込んだ無毛猿を飛んで避けた咲耶を目の端に捕らえながら、俺はズボンの腰後部分に差していた匕首を引き抜く。
そして、鞘を右手で逆手に持ち、刃を順手で左手に持つと、飛び込んできた二匹の猿に備えた。
そして、俺の準備を阻止するかのように飛び込んできた猿を一刀の元で叩き切る。
真っ二つ。臓腑を撒き散らしながら吹き飛んだ猿を見送りつつ、もう一匹の頭部に鞘を叩きつけた。
骨の砕ける感触と共に地面に伏せた猿の腹部を、ワークブーツの靴底で踏み潰す。
ローンウルフ製の独特の重みと硬さのあるソールは易々と背骨まで踏み砕いた。
咲耶の方もまた、二匹目を火術で炭に変えている。
「か、勘違いしないでよね!
別に先輩が心配だからじゃないわよ!
ただ、先輩とやる方が私の取り分が増えるからよ」
いや、なんで怒るんだよ。
俺の疑問を余所に、咲耶が呪を唱える。
突風、それと共に目に見えない刃が無毛猿の体を切り刻んだ。
ギェェェェと、気色の悪い叫び声。
俺は、耳に飛び込むその声を右から左に流すと猿の集団に飛び込む。
右から振るわれた爪を靴裏で受け、そのまま距離を開けるように蹴り飛ばす。
そして、左手側から飛び込んだ猿には匕首を振るった。
頭が首から離れる。どす黒い赤みの液体がかかるが気にしてはいられない。
足元で俺の咽に向かって飛びかかろうと足に力を撓めている。
それが弾ける前に爪先を叩き込む。
サッカーボール代わりに吹き飛び、その先で他の一匹にぶち当たって弾けた。
同時に、咲耶が残りを燃やし尽くす。
「お疲れさん」
「ぬう、また先輩の方が多い……」
多い、というのは倒した数だろうか。
別にどうでもいい。
「それにしても、なんでこの時期に多いんだろうな。
化け物共は」
「さぁ、サンタクロースの上陸阻止だったりして」
――そうか。手を抜けばクリスマス終了のお知らせの配布ができるな。
「――そうか。手を抜けばクリスマス終了のお知らせの配布ができるな」
「何か悪い顔をしたとは思ったけど……酷いこというわね」
咲耶は呆れたようにクスッと笑う。
あれ、声に出てたか。
「言ってみただけだ。親友たちがクリスマスを楽しみにしてるからな」
「あら、意外と優しいのね」
「それに……」
「ん?」
「プレゼントなんてもらったことないからな。サンタは昔っからいない派だ」
と、俺のスマホが何かを伝えるべく震えた。
「先輩、何か大きいのが近くにいるみたいよ。
地図の上だと……公園みたい。
陰陽寮が人払いをしてくれてるらしいから早く行きましょ」
陰陽寮とは、祓い屋を取りまとめる団体だ。
「……近くにKFCがあるな……カップルごと潰されないかな」
「いや、何に期待してんのよ。
そんなことあったらバイト代消し飛ぶわよ?」
「そうだな。最悪、スタッフと建物だけでも助けるか」
クリスマスに働くスタッフには尋常ならざる親近感があるからな。
「いや、だからそうなる前に何とかしようよ……」
◆◆◆
俺が駆けつけると、暴風雨がそこにだけあったかのようだった。
公園内は水浸しで、木々が根元から引っこ抜かれている。
そして、その中心にはドデカい池があった。
「どこかしら……」
咲耶がキョロキョロとしている。
俺は、その足元を指差した。
「おい、それカミツキガメだぞ。噛まれるなよ」
「え?」
咲耶が、怪訝な顔で足元の岩から避ける。
「水の中か……?」
俺は、視線を池に送った。池は浮いた藻や月影をその表面でゆらゆらと揺らしている。
「沈んでるのかしら?」
「沈んでるならいいけど……」
と、水面が大きく沈んだ。
そして、水面が大きく盛り上がる。
いや、水面と思った部分が盛り上がるのと同時に巨大な人の形状をとった。
「スライムだ!!」
叫ぶ。俺と咲耶が離れる様に飛び退くとその間に巨人となったスライムの右手が叩きつけられた。
地面が弾け、石や砂が散弾の如く俺達に降り注ぐ。
俺が必死で避けた泥塊を、咲耶は風の壁で妨げたらしい。
俺の方にかなりとんできたのだが、わざとじゃないよな?
「先輩! しゃがんで!!」
風壁が弾けて、今度は風弾と化して巨人に襲いかかる。
俺達を襲った腕が文字通り水飛沫を上げて吹き飛んだ。
スライムは痛みでもあるかのように天を仰ぎ、咆哮代わりに水泡が体中から吹き上がる。
「先輩も遊んでないで!」
「へいへいよっ!」
巨人の腕が生える。それを、叩きつける前に匕首で斬り飛ばした。
スライムはいくら切っても死なない。再生するからだ。
では、どうやって倒すのか。
それは単純明快、再生できなくなるまで切り刻むのだ。
なくなった右手を庇うように、殴りつけてきた左手を斬り飛ばす。
その流れで俺は印を切った。
そして、眼前に二本指を立てて呪を唱える。
「おんゆくらえぬらますらみはかばたり」
地中から、炎を纏ったネズミが一匹。
渇鼠炎だ。通称、爆弾ネズミ。
こいつは、俺の言うことなんて聞く脳味噌など持っていない。
現れると同時にスライムを敵と認識。
次の瞬間には赤い線を曳いてスライムの右肩口に突っ込んでいった。
カッと光が膨らみ、それから音と熱が周囲を満たす。
その勢いのまま足元へ抜けようとしたが、鞭の様に左腕が振るわれた。
空中へ逃れる、とそれを追うように右手が掴みかかってきた。
「先輩! 掴んで!!」
咲耶の足元から木の根が伸びてくる。
俺はそれを迷わず掴んだ。
木の根が俺を咲耶の方へ引っ張り、スライムの右手から逃れられる。
「ぐぺっ。土食った」
口の中の異物を吐き出す。
「先輩、何か復活早くない?」
「あれだ。水場が近いからな」
先ほどよりも池の水が幾分か減った……気がする。
このまま切り刻むのならば、あの水がなくなるまで切り刻む必要があるようだ。
「スライムを水場に追いやるとは、陰陽寮の奴らのセンスは相変わらず最高だな」
「陰陽寮の奴らめ、役立たず! 絶対文句言ってやる!!」
スライムを切り刻むのは現時点でできないわけではないが、やるだけ無駄な解決手段だ。
スライムを殺す手段は、もう一つある。
内部にある核の破壊だ。
俺は、印を切りつつ、目に法力を集中させる。
スライムの体のどこに、コアがあるのか。
当然、それは胴体のど真ん中だった。
そして、周囲をスライム特有の粘性で覆われている。
「先輩、離れて!!」
咲耶は叫ぶ。そして、俺の返事など待ったりしない。
法力の高まりを感じた俺はそこを飛び退く。
それと同時に燃え盛る砲弾がスライムの胴体にぶち込まれた。
スライムはその巨体をくの字に折ると、バランスを崩した。
「やった??」
咲耶は、自らでフラグを立てやがった。
コアはまだ健在である。
「咲耶!」
スライムは、バランスを崩しつつ、その手元に倒れていた木を持ち上げる。
そして、邪魔立てするな、と咲耶に放り投げた。
俺は瞬時に息を吐き出し、速歩法を行う。
肉体強化を行う呼吸の一種で、瞬発力を爆発的に引き上げたのだ。
一歩でマックススピードに乗るが、精神はさらにその先。
咲耶に必死に手を伸ばす。
反対の手ではポケットから呪符を握り出した。
「クイナ、ユクナ、ワクナ。くろう、ほうろう、ろろう」
左手の指先が咲耶に触れる。咲耶がさらに指を伸ばした。
ギリギリ指が絡む。
俺はそれを力任せに引っ張り胸に抱くと横っ飛びでその場から回避しつつ、符を発動させた。
周囲の空気が固まり壁を生成した。
ゴウンと、水の中で鐘の音を聞いたかのような音が響く。
投げられた木と壁がぶつかったのだ。
そして、樹木は樹皮をまき散らしながら明後日の方向へ飛んでいく。
「立てるか?」
俺は胸の中で咲耶に声をかける。
どんな時でも目はつぶるな、という、唯一俺が教えたことだけは守っていたらしく目を見開いている。
というか、瞳孔も開き切っているが……
「だだだ大丈夫!! ありがと!!」
俺の中でもばたばたと暴れだしたかと思うと、もがきながらそこを出ていく。
「先輩、そのえっと……」
咲耶がこちらに居直ってもじもじと始めた。
が、巨人は待ってなどくれない。
二本目の木を持ち上げている。
「話は後だ!! 来るぞ!!」
巨人がサイドスロー気味に木を投げつけてきた。
俺は、今度はそれに突っ込む。
木の下をかいくぐり、それを見越していた巨人の拳を風の術で吹き飛ばした。
そして、さらに肉薄。
胴部分の水壁を切り刻み、削ぎ落す。
が、決定打がない。水壁が厚すぎるのだ。
と、思考の迷いがわずかな隙を生んだ。
右脚を巨人が掴む。
――しまった。
俺は、その指を斬り落とそうと匕首を振るったが、わずかに遅かった。
突如、地面の方向に身体が加速した。
叩き付けられる、俺は身体を衝撃に備えさせる。
と、その方向が、急に上の方向に代わった。
「まさか――」
――空中にいる。
その速度が第二宇宙速度じゃないことを祈りつつ、視線を地面に落とした。
ぐんぐんと、地表が遠ざかる。
まずいな……と俺はもう一度空を見上げた。
そして、奇妙なものが目についた。
「……ソリ!?」
俺は、それに手を伸ばす。
と、それに乗っていた男が声をかけてきた。
「ほっほーこんなところで人に会うのは初めてじゃな」
白い髪の毛に、白く長い髭。服の色は赤じゃなくて、なんとも食欲がわかない色だ。
「誰だ……というか……サンタなのか? あんた」
「そうじゃよ。ワシがサンタクロースじゃよ」
「……えっと……初めまして」
「初めまして。行儀のよい子じゃな。
普通は空飛んどるじじいなんぞに声などかけんもんじゃがな」
「こんな高高度に飛んでるじじいに声をかけられる子供は、行儀どころかねじがいかれてる」
「そういう考えもできるかの。まぁ、飛んでる君に言われたくはないがのぉ。
ところで君は空高くで何をしとるんじゃ?」
「粘性生物に放り投げられた」
「ほっほっほー。地面でそんなことが? ふむ、わけわからん」
「祓い屋だからな。超常現象が商売相手なんだよ。
ちなみに、いまやってるのはあんた方の国発祥の化け物だ」
「ほお、君は魔祓師か。若いのに立派じゃの」
「まぁ、そんなもんだ。あんたこそ何してんだ? プレゼント配布か?」
「ふむ、プレゼント? そんなもの配りはせんよ」
「サンタなのにか?」
「サンタだからじゃよ。子供に物を渡すのは親の愛じゃ。
否定はせんが……まあ、違うものを配っとる。
ワシが配るのは、夢じゃ。特に子供にな」
「俺の所に一度もプレゼント来ないとは思ってたが、まさか配ってすらなかったとわ……」
「そうじゃな。しかし、面白かったじゃろ? 夢があったじゃろ?」
「来ないガキからしたら悪夢みたいなもんだ」
「それはすまんの。どうにも、物的欲求が強い世界になってしまっておるからのお」
相変わらず飄々としているが、その声のトーンはわずかに落ちた。
「ソリを曳くトナカイなんじゃがの、悪魔の血を引いとる。
退治するか?」
サンタクロースは、どこか寂しそうにつぶやいた。
トナカイの方は主人が動き出すのをじっと待っている。
「興味ない。金にはならないし、トナカイスープの味にも興味ない。
あんたが俺に夢見せてくれなかったおかげで立派に物的欲求の強いガキに育っちまったよ」
俺は笑う。
「それに今日は、俺の友達がパーティ楽しんでるんだ。
サンタの悲報を聞かせるのは少し気まずい」
俺は、口端を引っ張り上げてみせる。
サンタクロースもまた、眉毛をひそめて笑った。
「さようか、それは助かるよ。別にわしは死なんけどな」
「ところでよ、このトナカイはどうやって走ってるんだ?」
「重力操作じゃが……」
やっぱりか。俺は、地上を見下ろした。
「あそこにでかい人形のいる池があるはずなんだが……」
「ほほう、あれか。気持ち悪いのお」
「あそこまで俺を吹っ飛ばしてくれないか? 重力操作なら下へも打てるだろ?」
「ふむ、構わんが……別にあれがいなくなるまでここにいればよいではないか。
無理して倒す必要があるのか?」
「言っただろ、あれは金の種だ。それに……後輩がいるんだ」
「そうか、ルドルフや。聞いておったか?」
「はい、我が主」
トナカイが振り返ったかと思うと恐ろしく心地の良い声でそう言った。
「あ、喋るんだ」
「喋るし、すべて聞いていた。
もう一つくらいお前が失礼なことをのたまわったら、その腹に私の蹄を突き立てようと思っていたよ」
「そいつは、よかった。トナカイスープを作る言い訳ができたかもな」
「ほざけ」
猶予などなかった。ルドルフがそう言った瞬間に身体が地面に引っ張られた。
ぐんぐん速度が上がる。
先ほどの倍以上の速度で地面がどんどんと近づく。
おいおい、これちゃんと狙ってんのか?
しかし、気が付くと軌道は完全に巨人型スライムの腹だ。
俺は、即座に九字の印を切った。
「臨兵闘者皆陣烈在前」
体重×スピード×魔力=破壊力
バシャンと肩口の水壁に突っ込んだ瞬間には、腰の水壁から飛び出していた。
俺はそのわずかな瞬間に、核を握り取っていた。
そして、地面につくと転がって勢いを殺す。
つか、考え無しにやってみたけど、轢かれたヒキガエルよろしくぺっちゃんこになっててもおかしくなかったな。
スライムがコアを取り戻そうと俺に手を伸ばしてきた。
俺はその鼻先でコアを握りつぶして見せると、動きが止まった。
「先輩! 大丈夫なの?」
「安心しろ、生きてるよ」
咲耶が俺の方へ走り寄ってくる。と、頭上からボトリと何かが落ちてきた。
それは粘性のあるスライムの水壁だ。
そして、そのほとんどが咲耶の頭に直撃した。
「きゃー!! 気持ち悪い!! やだ~これ! 先輩助けて!!!」
◆◆◆
俺は、近くのコンビニの自販機から買ってきたココアを、公園のベンチに座っていた咲耶に手渡す。
辺り一帯の妖魔の反応はなくなったらしく、仕事が終わったので咲耶の迎えを待っているのだ。
「ありがと……」
「ん」
俺は、コーンポタージュのふたを開けて一口飲む。
「そういや、上でサンタに会った」
「はぁ? 夢でも見たんじゃ……あ」
急に咲耶は優しい、そしてどこか物悲しい顔をする。
「そう、えっと……よかったわね。うん、サンタっているのよ、先輩」
「おい、なんか勘違いしてないか?」
「いいの、先輩、いいのよ。そんなことより、寒くない?」
咲耶はそういって空を見上げた。
その黒い髪の毛に雪が舞い落ちる。
「雪か……道理で」
俺の言葉に、咲耶は頭に雪が付いていることに気が付いたらしい。
咲耶は軽く頭を振った。
その艶やかなハリのある髪の毛一本一本に神性が宿っているように美しい。
しかし、どこか気に入らないようだ。
カバンから櫛を取り出して、俺に渡す。
「えっと、髪を梳いてくれない?」
「なんでだよ。自分でやりゃあいいじゃないか」
「寒くて手が動かないのよ」
ったく。俺は言われたとおりに髪を梳き始めた。
いろいろと注文が多いが、まぁ適当にこなしてやる。
「にしても、ホワイトクリスマスになるとはな」
いつの間にか、雪が本格的に降り始めていた。
俺たちは、木陰に移動する。
「そうね。あ、先輩、メリークリスマス」
「おお、メリークリスマス」
「えっと、髪を梳いてくれたお礼、そう、お礼なんだけど……」
そういって、カバンから何かを取り出した。
「えっと、先輩、サンタからプレゼントもらったことないみたいで可哀そうだし、
お礼代わりに、これあげるわ。
もう、たまたまちょうど偶然、持ってたのよ」
俺は手渡されたそれを見るとからし色のマフラーだ。
「これ手編み……?」
「そ、そうよ」
「たまたま?」
「そうなの、今日他の人に上げようと思ってたけど、先輩にあげる」
「いや、そいつに渡せよ」
「いいの、いいからもらってよ!!」
「あ、ああ……わかった」
俺は、それを首に巻いた。
あったかい。
「悪いな」
「うん」
咲耶は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「おい、寒いのか?」
「え? いやべつ――」
そこまで言って咲耶の動きがぴたりと止まる。
そして、何かを異常な勢いで思考しているらしく、目がキョロキョロと動いた。
「寒い! そうよ! 私は今凄い寒い!! 先輩! お風呂かして!!」
「はぁ?」
「先輩の家近いじゃないの。いいじゃない! 貸しなさいよ!!」
「いや、もうすぐお前の迎え来るだろ?
それで帰った方がいいだろ。着るものもないし」
「……先輩の……着る。先輩のパジャマ着る!!」
「いやいやいや、なんでパジャマなんだよ! つか――」
俺が咲耶に反論しようとしたとき、遠くの空に光る点が見えた。
そして驚く間もなくこちらに近づいてくる。
それはヘリコプターであった。
俺があっけに取られていると、そこから何かが飛び出した。
それはみるみる大きくなっていく。
「咲耶ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!」
「あ、お兄ちゃん」
お兄ちゃんこと、佐久莱 佐吉は日本でも有数の陰陽師だ。
ヘリからパラシュート無しで下降するのは陰陽師の能力として関係あるのかはわからないが、日本の要人を幾人も顧客に持つほどである。
「咲耶! 大丈夫だったか? 怪我してないか? え? なんでこんなぬるぬるなの!? 何された! どんなプレイしやがった!! この淫獣がぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
そして、世界で五本の指が入るほどのシスコンだ。
「うるさいよ、お兄ちゃん。気持ち悪いし。
これはさっきスライム倒したからだよ」
「スライム!? 久伝!! スライムで何しやがった!」
「いや、佐吉さん、スライムにはしましたが、こいつには何もしてませんぜ」
「何も!? しなかった! だと!!??
なんでだ! こんなかわいい妹を前に――」
何かを言おうとした佐吉の腹部に咲耶の見事なボディブローが突き刺さる。
と、ちょうどヘリが公園に着陸した。
中から、白髪を総髪にし、小さな眼鏡を付けた男がパイロット席から降りてきた。
執事の比津寺さんだ。
エンジンが付くものなら原付から飛行機まで乗りこなすらしい。
ちなみに料理の腕前も超一流だ。特にコーンポタージュがうまい。
「咲耶お嬢様、お待たせいたしました」
「爺、早すぎよ」
咲耶がブスっと口をとがらせる。
早く来た方が風呂に入れていいだろうに。
「佐吉様が急げ急げと言いますので、これでも急いでゆっくり来たのですよ」
そういって、俺に向かってにこりと笑った。
「とてもお似合いですよ、そのマフラー。
お嬢様も渡せてよかったですね」
「は? これ他の奴に……? ん?」
俺は頭を捻る。
そして、咲耶の顔が赤になったり青くなったり。
早く風呂に入ったほうがいいだろうな。
と、それを比津寺が楽しそうに笑う。
「えぇ、そうですよ。ははは」
この家はよくわからんな。
「本当にいいのか? もらっても」
「いいって。それより爺。早く帰りましょ」
咲耶がヘリに乗り込むと、比津寺が佐吉を軽々と――180センチの筋肉質の男なのだが――ヘリに放り込んだ。
「じゃぁ、またね。先輩」
「風呂入れよ! 歯磨けよ! 風邪ひくなよ!」
ヘリが行くのを見届けてから俺もその場を後にした。
◆◆◆
クリスマスだというのに学校は休みにならない。
サンタクロース、奴は本当に夢を配っているのか?
俺は、机の角に設置したボックスティッシュからティッシュを一枚取り出し鼻をかんだ。
そして、カバンかけのフックに引っ掛けたビニールに放り込む。
「伝君、風邪?」
心配そうに美弥が覗き込んでくる。
「すごい顔赤いよ? 休んだ方がいいよ」
「ダメだ。金が無駄になる」
「そう言われると……でも身体が資本でしょ?」
「本当にダメな時くらいわかるから大丈夫だ」
「いや、他の人に移したり……」
「なるほど、美弥、とりあえずこの辺の奴らにこのマスクを配ってくれ」
「いや、そういう問題じゃないんだけどなぁ」
美弥はため息をついた。
「そういえば、クリスマスは楽しかったか?」
「うん、恭太のパパとママと、私の家のパパとママでご飯食べに行ったの」
カップルというよりもただの家族ぐるみの食事会だな。
色気のない奴らだ。
「ところでさ。伝君、それ」
そういって俺のマフラーを指さした。
「もらった」
「そっかー似合ってるよ。伝君にとっても」
「そうか。まぁ、なんにせよあったかい」
俺は、そういってまた鼻をかんだ。