レコード・プレーヤーの発見、そして復活
1990年前後を舞台にした、「『またね』」のシリーズのひとつです。
キミは今日も部屋の片付けをしてくれていた。
「いつもありがとう。大助かりだよ」
「あなたに任せておくと、片付けているのか散らかしているのか、分からないんだもの」
そんなことでよく今まで生きてこられたわね。
キミは言った。
部屋がきたなくても人は死なないって、証明したかったんだよ。
ボクはそう返すのがやっとだった。
そのうち、キミは日頃開けたことのないクローゼットに気づいた。
「あれ? まだこんなところにクローゼットが・・・隠してたでしょ」
「クローゼットをどうやって隠すんだよ」
「大きいものを置いておくとか」
「このクローゼットより大きいものって、何がある?」
「それもそっか。でもなんで気がつかなかったんだろうな」
「いつもいるあっちの部屋で精一杯だったんじゃないかな」
「どの口がそんなこと言えるのかしら・・・」
「ごめんなさい」
キミは興味を持った様子で、そのクローゼットを開けた。
「どうせエロ本とか、やばいビデオとかしまってあるんでしょ」
キミはニヤニヤしていた。
「それは残念だったな。そうしたものはボクの部屋にはないんだ」
「あなた、もしかしてトランク・ルームでも借りてるの?」
「トランク・ルームいっぱいのエロ本があるんだよ、ってなわけないだろ」
キミは相変わらずニヤニヤしていた。
「私がここに初めてくるまでに、頑張って処分したのね」
「・・・もうそれでいいよ」
「負けを認めたか」
「キミがエロ本を見たいだけじゃないのか」
「あら。私は印刷物や映像になんか興味ないわ。あなたにいろいろ教わっちゃったから」
またおかしな話題になりそうなので、ボクは話を逸らした。
「おい、ほこりっぽい気がするから、そろそろ閉めてくれよ」
「ちょっと」
「ん?」
「これ、何よ」
「ああ、見てのとおり、レコード・プレーヤーと、その仲間たちだよ」
「それは分かるわよ」
キミは少しだけ不機嫌になっているようだった。
「これこそ、なんでこんなところに隠してあるの? こんな大切なものを」
「隠してたわけじゃないよ。今使っているプレーヤーを手に入れる前に使っていたヤツなんだ。故障したわけじゃないから、気をつけてしまっておいたんだ。今の今まで忘れていたけれど」
「壊れてないのね」
「古いけど、大丈夫なはず。でも、時間が経っているから、今、動かしてみようか」
「是非、そうしましょ」
キミの意図が分かった。
クローゼットから出して、アンプとつなぐ。
スピーカーもつなぐ。
コンセントにプラグをつなぐ。
電源ON。
作動を確認。
「なんかかけてみよっか」
すぐそばにあったLP、YMOのコンピレーション・アルバム『x∞マルティプライズ』をターン・テーブルに載せる。
アームを上げる。
ターン・テーブルはちゃんと回る。
ゆっくり針をおろす。オートではなく、手動だ。
敢えてB面。1曲目は“テクノポリス”。
トキオッ。
「やったわ!」
「大丈夫だな」
「懐かしいわね」
「YMOでいちばんはじめに気に入った曲がこれだった。合間に入る細野さんのベースがやたらカッコいい。このLPも聴きまくったよ。けっこう擦れているだろ」
「へえ、“ライディーン”じゃなかったのね」
「今もときどき聴きたくなるから、すぐそばに置いてあったんだ」
「でもCDでももってるよね」
「LPで聴いた方がアナログ・シンセの音に芯がある気がする」
YMOについてはいろいろ語りたくなってしまう。それだけ思い入れがある世代なのだった。
「でもこれで、私の部屋でもレコードが聴けるのね」
「そっか、持っていけばいいね。あとで車で運ぼう」
ボクの愛車は中古のワゴンだった。なけなしのバイト代をはたいて、ローンを組んだ。
「嬉しいなあ」
「音質はいまいちで、ちょっと回転が速いかもしれないけど」
「いいのよ、そうしたことは。大切なのは、まずレコードが聴けるってこと。あとは二の次よ」
「なるほど、そうだな」
キミは本質を見失わない人だった。
「私のレコードは、今は実家に起きっぱなしだから、今度とってこなくちゃ。あんまりないから一人で持ってこられると思う」
「へえ。どんなのがあるんだ?」
「ボブ・マーリー」
「お、予想外のこたえだ」
「ユーミン、独身の頃のね。ブリジット・フォンテーヌ。マイルズ・デイヴィス。オフコース。聖子ちゃんのシングル盤、とか」
「同世代ならでは、というのもあるけど、不思議なライン・アップだよ」
「いろいろあって、いいでしょ」
「幅広いな」
「あなたほどじゃないけどね」
「じゃあ、運ぶときにボクのを何枚か持っていこう。ラヴェルとか、ジョイスとか、ナイアガラ・トライアングルとか」
「見事にばらばらのジャンルだわ」
「あ、トライアングルはヴォリュームIIの方だから」
「・・・これもほしいな」
キミはビル・エヴァンズの『ワルツ・フォー・デビイ』を手に取っている。
「仕方ないな。いいよ、持っていこう」
「フフ、ありがと」
冒頭のね、“マイ・フーリッシュ・ハート”で、ポール・モチアンがサーッて鳴らすシンバルの音をアナログで聴きたいの。
キミは言った。
そんなふうにキミがルンルン気分でいるのを見たのは久しぶりのことだった。
「クリーナーとか、スプレーとかって、まだ手に入るかな」
「うん。ボクは何軒か心当たりがあるし、どこかで買えるさ」
「さすがねえ。レコード関係のことだけは」
「『だけ』かよ」
「一緒に聴こうね」
「まあ、いいけど」
「あら。気乗りしないの?」
「君がヴォリュームをあげすぎて、お隣さんから怒られるのが心配なんだ」
「大丈夫だって」
「どうせアルコールが入って、暴走しようとするから、ボクは今度もブレーキ役だ」
「失礼な人。知ってたけど」
キミの頭はもう何を飲もうかということに興味を移していた。
「今回は、同じ黒ラベルでも、バラじゃなくてジョニー・ウォーカーにしようかな」
「あ、まさか」
「あなたが隠しておいたヤツなら、既に没収済みよ」
「・・・やっぱり」
ボクはアルコールに強いわけではないけれど、飲むときはそれなりにいいものを飲みたいので、ときどきストックしておくのだった。
「手間賃よ、手間賃」
ボクは渋い表情になっていたと思う。
そんな表情をしたところで、キミには勝てないのだけど。
それに、手間賃にしては安いかもしれない。ボクも一緒に飲むんだし。
「スコッチかぁ。しばらくぶりだなあ」
キミはバーボン派、ボクはどちらかといえばスコッチ派だった。
「ようし。おつまみは私に任せて」
「その言葉、忘れないでくれよ」
「もちろんよ」
キミはにこにこしていた。だったら忘れないでいてくれそうだ。
ボクはそう思った。
2曲目の“マルティプライズ”も終わって、3曲目の“シチズンズ・オブ・サイエンス”が始まっていた。
このまま独立させずに、どこかに組み込むかもしれません。