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8話 天井とボール

佐田が指差した先、海咲の進行方向の先には天井に引っかかったバスケットボールがあった。


「なんであんなもの……はっ!?まさか海咲がしようとしてることって!あんた!もしかして海咲に教えたの!?」


英美は声を張り上げて佐田に掴みかかった。


「ちょ、苦しいって。俺はただ聞かれたから答えただけだよ」

「夏川先生どうなった?。ちょ、どうしたのハニー」


倉庫から戻ってきた剣谷は、佐田の襟首に掴みかかっている英美の姿に驚いた。


「こいつ、海咲に教えたのよ。例のおまじない」

「おまじないって…」

「瀬那美川高校伝統の恋のまじないよ」

「恋のまじないって、まさか体育館の天井に引っかかったボールを相手にぶつけると二人の気持ちが通じ合うっていうあの伝説の」

「そう。効力も不明で実践したという人の話も聞かない。しかしその伝承は絶えることなく瀬那美川高校の生徒に代々伝わってきた七不思議のひとつ。その名も、『ドキドキッ!天井に潜む恋の弾丸、夕暮れ時の綱渡りスパーキンッ』」

「じゃあ海咲ちゃんはそのためにボールを」


海咲は鉄骨の上に座り体勢を整えて息と気持ちを落ち着かせていた。


「んしょっと。ふぅ、危ない危ない。気をつけないと」


その間に夏川も鉄骨にまでたどり着き、随分と海咲の近くまで来ていた。


「海咲、だいじょぶか?」

「はい、だいじょうぶです。ちょっと手が滑っただけです」

「すぐそっちにいくからな…っておい、なんで離れてくんだよ」

「もう少しなんです。もう少し――」


海咲を捕らえるべく前進する夏川。しかしながら、逃げる意志はなくても自分の目的の為に前進を止めない海咲。二人の距離は徐々には詰まっているが、まだ手の届く範囲まではいかない。


「待てって、動くな」

「嫌です。私、あのボールを取るまでは戻りません」

「なに言ってんだよ。ボールがなんだっていうんだ。いいから戻るぞ」

「嫌です!」

「嫌じゃない!落ちたら怪我じゃ済まないぞ!」

「だって、先生に嫌われっぱなしなのは嫌なんだもん!」


涙まじりの叫びが体育館を揺らした。海咲の普段の穏やかでおしとやかな優等生のイメージとは似つかわしくない、まるでワガママを言う子供のような振る舞い。その原因が自分にあることを告げられて夏川も動きが止まった。


「海咲…」

「私、先生のこと好きです。大好きです!先生が私のことなんとも思ってなくても私は好きなんです!最初は全然わかってなかったけど、先生と一緒にお昼を食べなくなってわかったんです。それで今まで通りの毎日に戻っただけなのに、それで今までは楽しく過ごせてたはずなのに、寂しくて、切なくて、苦しくて、毎日が空っぽなんです。あれからも毎日、二人分のお弁当作ってたんです。今日はもしかしたらなんて、期待してるわけでもないのに、そんなことないってわかってるのに。それでも、気づくと二人分あるんです。私、このままじゃ嫌です。私まだ自分の気持ち伝えられてない。先生の気持ちも聞けてない。はっきりしないままただ避けられてるだけなんて嫌です。だから確かめたいんです」


普段はおとなしい少女の精一杯の本心。純粋無垢な想いが固まってできた汚れひとつないまばゆい白球、その真正面からのド直球ど真ん中どストレート。海咲の渾身の一球は夏川の心のミットに深く刺さった。自分を想い、自分の為に危険を冒してまで気持ちを伝えようとしてくれている健気な少女の姿、言葉に夏川も自分の気持ちを偽らない覚悟を決めた。


「………俺もさ…あれから――」

「だから私いきます!」

「えっ、いや俺の話聞けよ!ってか止まれっておい」


ハッピーエンドに繋がったであろう愛と感動に包まれた夏川のターンを待たずして海咲は再び前を目指す。両手を支えに体を持ち上げながらお尻を一歩一歩確実に進める。


「もう少し、もう少しなんです」

「もうちょとで追いつけそうなのに。あいつ、トロそうに見えて運動神経いいのか?」

「やっとついた。あとはこれを夏川先生にぶつけるだけ。…んっ、あれ…取れない」


海咲はボールの場所までたどり着くことはできたが、ボールは鋭角に組まれた鉄骨の隙間に思いのほか強くハマっており、足場が悪いことも相まって腕の力だけで引っ張ってもビクともしなかった。


「ん~~~っ!全然抜けない…」


そうしている間にやっと夏川が海咲に手の届く所まで追いついた。


「海咲。はぁ、やっと追いついた。おまえなぁ、散々心配かけやがっ――」

「ん~~~~~~~しょ!!」


夏川が声を掛けたその瞬間、海咲はボールを引き抜くことに成功した。しかし、細い鉄骨の上で強い力を振るった反動は大きく、バランスを崩してそのまま後ろに倒れこむ。


「えっ…」

「あ…」


なす術のない危機に心臓が一度大きく鼓動を鳴らしたのを感じた、次の瞬間にはもう自分の体がどちらを向いているのかわからなくなっていた。


「落ちるっ」

「海咲ちゃん!」

「きゃあ!」


皆が硬直し目を伏せる一瞬、夏川は動いていた。考えるよりも早く、天井から落ちてゆく海咲に向かって飛び込んでいた。


「ぬあっっ!!」


体育館にボールの跳ねる軽快な音が響く。耳を覆いたくなるような鈍い音は聞こえてこない。皆が恐る恐る目を開けて見上げると、海咲の手は夏川の右の手にしっかりと掴まれており、夏川の左の手は体育館の釣り照明を掴んでいた。 ギシギシと金属の軋む音で鳴く照明は、その蔦こそ細いものの2人の体を支えるに十分な強度を要していたようだ。しかし、いくら照明が2人を支えられるからといって夏川が2人分の体重を腕一本で支え続けることはまた別の話だ。


「く……うぁ…」

「あ…せんせい」

「大丈夫だ…、心配すんな」


とは言うものの、夏川の顔は苦痛に歪んでいた。


(やべぇな…長くはもたねぇぞ)


「先生、私……わたし……」


目に涙を浮かべる海咲に、夏川は歯を食いしばりながらできる精一杯の笑みを浮かべた。


「だいじょうぶだ。もう…絶対離さないからな」


下ではようやく皆が気を取り戻し、状況の打開に動き出す。


「なにか!マットとかないの?!」

「やべぇって、これマジやべぇって」

「このままだと……そうだ!」


皆が混乱も冷めぬままの中で、剣谷は何かを閃き倉庫へ駆けていく。


「心配すんな。絶対助かるからな。落ち着いてじっとしてろよ」


照明にぶら下がる夏川の腕はとっくに限界を超えている。しかしそれでも、大事な人を守る為という一心だけで悲鳴をあげている腕に無理を強いていた。


(とはいっても、とてもじゃないが上にはあがれない、どうすりゃいいんだ。くそっ…もう……腕が…)


意地と根性をどれだけ積んでも限界の時は徐々に迫ってきていた。落ちるのならばせめて海咲だけでも守らなければ、そんな一か八かの諦めに思考が変わりつつあった。


(もう、ダメだっ!)


耐えに耐え、もはや身体が自分の意思とは無関係に照明を掴む手を緩めようとしたその時、体育館のそこかしこから重いモーター音がなる。


「ぉ?さがっ…てる?」


二人のぶら下がっているライトも含め、体育館すべての釣り照明が床に向かって下がっていく。

2人の窮地を打開したのは剣谷であった。


「よかった、やっぱり合ってた。さっきバスケットゴールのスイッチ入れたときに見たのを思い出したんだよね。体育館の照明ってメンテするときのために昇降するようになってるんだ」


ゆっくりと床へ近づく夏川と海咲。夏川は安堵しつつ、諦めかけていた手を尽きかけた気力のみで締め付け、海咲の足が地に着くその時を待つ。下では英美が海咲を迎えようとしていた。


「海咲~~!海咲~~!」

「英美ちゃ~~~ん!お~~い!」


海咲に手を振る英美、それに応えて海咲も手を振り返す。その行動は大きな揺れとなってとうに限界を超えている夏川の腕を襲う。


「おまっ手振るな、そんなに揺らされたらっあっ…もうだめ」

「え?」

「あ……」


海咲の起こした揺れに耐え切れず夏川の手は照明から離れてしまう。その結果は当然、2人揃っての落下であった。


「きゃああああああああ!!」


海咲の悲鳴がこだまする。一瞬の出来事に下で見ていた皆は動くことも声を上げることもできなかった。しかし幸い、高度はもう随分と下がっていたため、そこまでの大事ではなさそうに見えた。


「いたたたたた……」

「海咲!だいじょうぶ?!」

「うん、平気……あれ?先生は?」

「先生は、その~…」


英美は海咲のお尻あたりを指差す。


「え?きゃあああ、先生!」

「あ…あ…あ……もう……ダメ」


女子高生の尻に敷かれた男、全力で海咲を守り抜いた夏川好樹の勇姿である。満身創痍に安堵も重なってか、彼の意識はそこで途切れた。

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