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1話 ~実習生と学級委員~

 騒がしく廊下を駆ける音が響く。勢いよく教室に飛び込んできたのはここ、瀬那美川高校でも噂には人一倍耳が早い、自称『走る校内速報』秋園英美(あきぞの えみ)だ。


「みんな!大ニュース!大ニュース!英美ちゃんの緊急速報!今日から始まる教育実習、うちのクラスにも先生来るんだって~!しかもその先生、ちょ~~イケメンなんだって!いま職員室の前を通ったときに先生達が話してるの聞いちゃった!」


 彼女の号外に一同、一度は振り向き興味を示しながらも特別にそれが一丸として話題の中心になることはなく、クラスはすぐに元のガヤにかえった。

その中でひとり、彼女の喧騒さとは裏腹に落ち着いた可愛らしい声で挨拶をかける眼鏡の少女。クラス委員の春風海咲(はるかぜ みさき)である。


「おはよう、英美ちゃん」

「おっはよ~、海咲」

「今日も元気だね」

「あたぼーよぅ。青春は待ってはくれないのよ。ぼぅっとしてたらひと夏の高校時代が終わってしまうわ。この二度と返らぬスリル・ショック・サスペンスな日々をやぶからスティックにエンジョイしなくてどうするの」

「まだ夏じゃないしサスペンスもよくわかんないけど。私は平和に過ごせたらそれでいいかなって」


 秋園英美は決して馬鹿ではない。むしろ成績で言うならばそこそこの上位に位置する。しかし彼女の頭脳は、意味を無視して響きのいい単語を並べることに全力を注いで常に空回りしている。その結果としてわけのわからないことを口走ってはいるけれど重ねて言う、決して馬鹿ではない。

 対して春風海咲は、絵に描いたような優等生だ。眼鏡をかけ、趣味は読書。成績は学内で5本の指に入る。全てにおいて地味で質素ながらも、その希薄さを持って余りある生まれ持った優美さがあり、それらのギャップがより彼女を引き立てている。そんな不思議な魅惑さに隠れファンも多いとかなんとか。


「で、どうなのよ?イケメンの実習生、あんたが一番楽しみにしてるんじゃないの?」

「どうして?あたしは別に・・・」

「またまた謙遜しちゃって、この卵泥棒め」

「た、卵泥棒??」

「そうよ、教師の卵たる教育実習生の恋心を余すことなく華麗に奪い去っていく恋のおしゃれ 泥棒!神風怪盗ここねもん20面相3世め」

「なんか、いろいろ混ざって大変なことになってるけど…」

「あんたは中学の頃から毎年毎年、教育実習生がくるたびに先生を独り占めして」

「そんなことしてないよ」


 意味不明な会話に困り笑顔を見せていた海咲は表情を少しだけ本気の焦り顏に変えて否定する。


「だまらっしゃい!海咲のクラスに配属された実習生は十中八九、海咲につきっきりよ」

「それは私が学級委員だからいつも手伝いを頼まれてみんなより先生と一緒にいる時間が少し長いだけで独り占めしてるつもりなんて・・・」

「海咲もしかして、それが狙いで毎年学級委員やってるんじゃないの?」


 顔を覗く英美の鋭く意地悪なジト目に海咲は先程よりも焦りを強める。


「違うよ、あたしは別にそんなつもりじゃないのに気づいたらいつも学級委員になってて…」


 そう、海咲は自ら進んで学級委員になっているわけではない。時には担任の、時にはクラスメイトの推薦によって、結局のところいつも学級委員になってしまっているのである。当人も当人で頼られるとそれを拒むことができずに押し切られてしまう。いつからそうだったかは覚えていないけれど、そんな経験を重ねていくことによって望まずも委員長キャラの称号が染み付いてしまっているのである。そんな彼女の称号に最も貢献しているのが英美なのだが、今ばかりは自分の功績を棚に上げて海咲に言い寄る。


「この際だから言っておくわ!海咲、あんたは教育実習期間における皆の楽しみを奪っているのよ!」

「えぇ!」

「海咲は真面目だから気づいてないのかも知れないけど、教育実習には現場体験とは別にもうひとつ、隠された目的があるのよ」

「隠された…目的?」

「そう。むしろそっちが本命といっても過言ではないわ。すべての教育実習生はそれを遂行するために学校にくるのよ。そしてその闇のヴェールに包み隠された真の目的とは・・・」

「真の、目的とは・・・」

「その目的とは・・・・」

「目的とは・・・・」


 真剣な眼差しで睨み合う2人、教室全土に緊迫した空気が張る。

ツバを飲む音が響き、自分の心臓の鼓動がクラス全体に響いているかのようだ。

英美がゆっくりと息を吸う、一瞬溜めて、皆が待ちわびるその答えを高らかに叫ぶ。




「女子高生にちやほやされる!」




「………はい?」


 理解不能な解答に海咲は思わずすっとんきょうな返事を漏らす。

周囲の生徒はというと納得したかのように皆が皆、首を縦に振っている。その中で海咲だけが理解し難いという顔である。


「これはなにも教師側に限ったことではないわ、私たち生徒も教育実習生という甘美な響きに幻想を抱いてみんなで先生をちやほやしたいのよ。それをあんたは、そ知らぬ顔で独り占めして…これはもう独占禁止法違反よ!」

「はぁ…」


 海咲には英美が何を言っているのかさっぱり理解できないでいた。にも関わらず周囲のこの団結感である。状況を把握できていないのが自分だけということを察している分、ただただ困惑するしかなかった。


「海咲、あんたは学級委員だからって世話焼きすぎなのよ。せっかく成人男子が高校生に囲まれて過ごす貴重な機会なのに、あんたひとりにうつつをぬかしてる間に実習期間は終了、あんたはというと期待させるだけさせといて実はなんとも思ってませんでしたって、それで通じると思ってるの?都合が悪くなったらポイなの?そりゃあんまりってもんだわさ。あんたとんでもない悪女よ、あ・く・じょ!」

「私が…悪女?」

「そう、自覚がない分、さらにたちが悪いわ」

「そんな私、そんなつもりじゃ…自分の気づかないうちにみんなに迷惑かけてたなんて」


 自分の悪癖を真正面から指摘されてショックを受ける海咲。そんな彼女の動揺を和らげるのは長年付き添ってきたクラスメイトの英美であった。英美は混乱する海咲の頭を優しく包み込み、柔らかな声でなだめる。


「だいじょうぶよ海咲、そんなに落ち込まないで。なにも海咲ひとりが悪いわけじゃないの。海咲の有り余るかわいさとか、海咲の過保護すぎる優しさとか、海咲がねっからの学級委員気質だからとか、そういうたくさんの外的要因が重なって今の状況を作り出しているの。だから自分を責めないで、ね?」

「全部、内的要因に思えたのは私の気のせいかな」

「例えそうだったとしても心配しなくていいわ。なにがあってもあたしだけはあんたの味方だから。別にね、あたしはあんたが先生を独り占めにしようと羽交い絞めにしようと構わないの。ただ少し心配なのよ。海咲、高校生にもなって恋のひとつも知らないでしょ?この先、あたしの目が届かなくなったときに、うぶなあんたがどこの馬の骨ともわからん不届き者にもてあそばれでもしたらと思うとお母さん心配で心配で・・・。だからこの際、教師だろうが教育実習生だろうがなんでもいいわ!わたしの監督のあるうちに恋愛しなさい!」

「英美ちゃん言ってることが最初と違ってるよ。それに私、恋ってしようと思ってするもんじゃないと思うの。よくはわからないけど、そういうのって気持ちと気持ちが惹かれあって自然と生まれるものだと思うの」

「ふ~ん」

「ふぇ!なにそのすごくどうでもよさそうな返事。私、変なこといった?」


 ぬくもり溢れる海咲の青春賛歌に、間髪入れずに腑抜けた顔で無関心に無機質で無愛想な唸りを返した英美、三文小説を皮肉を込めて読み聞かせられたような気分に陥っていた。売り皮肉に買い皮肉を返すようジト目でいやらしい口調で言葉を返す。


「べっつに~~。であんたはその誰かの気持ちとやらに気づいたことはあるのかね」

「気づくも何も、私、今までそういう機会とかないから。ほら私ってそんなにかわいくもないし、大人しくて目立たないし。私のこと好きになってくれる人なんて」

「あんたそれ嫌味でいってんの?」

「え!私やっぱり変なこといってるの?」


 お遊びの嫌味を天然の悪意なき嫌味で返されて英美はもはやあきれ返るしかなかった。


「はぁ~、これだから天然育ちの無農薬娘は。あんた、この瀬那美川高校の校内ランキングじゃ常にトップ3をキープしてるのよ?」

「校内…ランキング?」

「そう、いつどこで誰がどうやって集計したかもわからないがその数値は誰もが納得する内容をお届けする謎の女生徒人気ランキング。あんたは入学してからただの一度も名前が載らなかったことはないわ。実際、あんたの隠れファンもたくさんいるし、写真も…ほら」


 英美は懐から、いつ撮られたかもわからない海咲の写真を複数枚取り出し、広げてみせる。


「数多くでまわってるんだから」

「えぇ!なにそれ。てか英美ちゃんもなんで持ってるの?」

「はぁ…あんたってほんと疎いわよね~」

「えっと、写真について詳しく聞きたいのだけれど…」


 英美は海咲の疑問には一切触れず、広げた写真を再び懐に仕舞いながら話を続ける。


「男子の視線とか気になったことないの?」

「えと、それよりも写真…」

「どうなのよ?」

「ううん、全然」

「ほんっっっとに男を意識したことないのね。なに?もしかしてあんた、実は男より女が好きだとか」

「えぇ!そそそそんなことっ」

「なに焦ってんの。もしかして図星?!はっ!まさか!このあたし狙いとか!!」

「違う、違うってば~」

「隠すな隠すなー!あたしも愛してるぞ、海咲」

「も~、からかうのもいい加減にしてよぉ」

「別にからかってなんてないわよ?あんたの気持ちは嬉しいし、あたしも恋愛に性別とか気にしないほうだし。でも…ごめんね。その思いには答えられないわ。あたしの中で海咲は2番目だから」

「それじゃあ一番は誰なんだい?」


 どこからともなく会話に割り込む声、そちらを見ると1人の男子生徒が教室の入り口に片手を付いてポーズを決めていた。


「それは、もちろん」


 英美は歌劇の花形のように華麗なステップで声の主に寄り添う。


「ダーリンに決まってるじゃな~い!」

「オウマイスィートハニー!」

「ダーリン」

「ハニー」


「ダーリーン」


「ハニーーー」


「ダーリーーン!」


「ハニーーーーーー!」



「ダーリーーーーーーン!!!!」



「ハニーーーーーーー!!!!!」



 英美の恋劇のお相手は剣谷研吾、冗談ではなく正真正銘、英美の王子様だ。もはや瀬那美川高校の名物のひとつといっても言いほどに暑苦しい光景は、生徒たちにとっては見慣れたものであり、あえて今更気にする者はいなかった。もちろん、海咲も例外ではない。


「おはよう、剣谷君」

「おはよう、海咲ちゃん。二人でなに話してたの?」

「あのねあのね、海咲がね、あたしのこと好きなんだって~」


 先ほどと変わって甘える猫のように喋る英美。普段のキャラも相まって、それがふざけて行っていることなのか、はたまた本気なのかは不明であるし、周囲もさほどそれに興味はない。ただただ鬱陶しいの一言に尽きる。


「だから違うって。う~ぅ、なんでそうなるの」

「どうするダーリン?あたしが海咲にとられちゃったら」

「はは、困ったな」

「ダーリン、本気で心配してない!いいの~?あたしが海咲に迫られても。海咲かわいいからころっといっちゃうかもよ?」

「だからそんなことしないってー」

「心配ないよ、信じてるから。どんなことがあってもハニーは絶対に僕を選んでくれるって」

「ああん、ダーリーン」

「ハニー」

「ダーリン」

「ハニー」


「ダーリーン」


「ハニーーー」


「ダ~リ~~~ン」


「ハニーーー」



「ダ~~~リ~~~~~~~ン!!!」



「ハニーーーーーーーーーーーー!!!!」


(以下略)



 もはや周囲など見えていない、二人だけの世界である。そんな2人のお花畑を打ち砕くように、騒がしく廊下を駆ける音がなる。勢いよく教室に飛び込んできたのはここ、瀬那美川高校で皆からこよなくウザがられている、究極のK・Y・O(空気・読めない・男)こと佐田京であった。


「みんな~大ニュース大ニュース、今日から始まる教育実習、うちのクラスにも先生来るんだって~!

しかもそのひと、ちょ~美人なんだって!いま職員室の前通ったときに先生達が話してるの聞いちゃったんだぜ!」



 彼の号外に教室は一瞬静まり返るが、その話題を拾うものはひとりもいなかった。


「あれ・・・みんな無反応?」

「残念だったわね、佐田。その話ならとうの昔に終わったわ。この5分出遅れタイムリー馬鹿!さすがKYグランプリ王者、ってあれ?あたしが聞いたのはイケメンって話だけど。あんた、他のクラスと間違ってんじゃないの?」

「え~~~!!絶対女の先生だって!間違いないって!いてっ!」


 佐田の頭に走る軽くも硬い衝撃、振り向くと担任の真木先生が名簿の角を手で鳴らしながら立っていた。


「なんだよも〜〜っ!あ、真木まき先生」

「ほら、なに騒いでるの。もう時間過ぎてるわよ?」


 クラスを代表して怒られる。実に彼らしい役回りだ。他の生徒も各々着席する。普段なら何のことなく静まり返るところだが、真木先生の後ろに控える男性が目に入り、各所からヒソヒソと声が漏れている。


「ほら、やっぱり男じゃない。どうやらこの勝負、あたしの勝ちみたいね」


 英美はヒソめた声で佐田に勝利宣言を出す。


「絶対美人の先生だって聞いたんだけどなぁ」


 空気読めない佐田は周囲を気にせず通常の音量の声で返事を返してきた。


「はいはい静かに、ホームルームはじめるわよ。えっとそれじゃあ先に紹介しとこうかしらね。こちら、今日から教育実習にきた夏川先生。とりあえず自己紹介してもらおうかな」

「はい」


 背は高く、りんと整った顔立ち、軽く流した髪はオシャレと爽やかさの両方を兼ね備えている。 背筋を伸ばして正して堂々としているものの、隠しきれていない緊張と新しめのスーツがギャップとなって少し可愛くも見える。


「えー、今日からこの瀬那美川高校に教育実習生としてきました、夏川好樹です。真木先生に御指導頂いて、担当の国語を受け持つとほかに、このクラスの授業外活動も担当します。みんなには迷惑かけることもあると思うけど一緒に楽しく学んでいきたです。短い間だけどよろしくお願いします」

「そういうことで、授業以外にもうちのクラスの担任補佐としてホームルームや生徒指導をやってもらうわ。教育実習生っていっても先生は先生だからね。みんなちゃんと言うこと聞くように。夏川先生、わたしのいないときに困ったことがあれば学級委員の春風に聞くといいわ。春風」

「はい」


 教室の窓際、最後尾の席。名前を呼ばれてすっと立ち上がったひとりの女子生徒に夏川は目を奪われた。教室の窓際最後尾の席。窓越しの陽射しに照らされた彼女の姿は、彼の目にまるで天使のように映った。


「学級委員の春風海咲です。これからよろしくお願いします。学校やクラスのことでわからないことがあればなんでも聞いてくださいね」


 夏川は、風になびいた髪をやさしく左手ですくいなおし、耳元に押さえながらこちらに微笑みかける春風の思わず見とれてしまい、目を離すことができなかった。

6月も終わりに近づき、包み込むようなぬくもりをくれていた陽だまりも徐々に肌を突き刺す日差しへと姿を変える夏の入り口を前にして、季節外れの春一番が夏川の胸を吹き抜けた。

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