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もののけ狩り  作者: 蝦夷 漫筆
雲二郎の帰郷
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兄と弟

 銘木、東濃桧とのうひのきの香しさが秋の風に乗って爽やかに感じられる。


 組み上げられた梁は美しい幾何学模様を描き、陽光を映す真新しい瓦が波打って連なる。いずれも、まるで連帯する一族の絆を象徴しているかのようだ。

 「もうすぐ完成だ」

 東海道、三十九番目の宿・池鯉鮒から少し離れた、文字通りあちこちに存在する池に囲まれるようにして、尾張裏柳生一門・池鯉鮒衆ちりゅうしゅうの新たな本殿が作られている最中。

 「外は白壁になる予定だ。美しいものになるぞ」

 自慢げに語るのは仙太郎せんたろう

 池鯉鮒衆とは、妖怪退治を専門とするしのびの組織。頻発する妖怪がらみの怪事件、難事件には庶民から高貴な者までその被害に手を焼いていたこの時代。

 通常の捕り方では太刀打ちできない人外に立ち向かうエキスパートとして池鯉鮒衆は密かに絶大なる支持を集めていた。


 「年が明けたら尾張裏柳生一門の創立百周年だからな。ああ、こっちに来てみろ」

 仙太郎は弟・雲二郎を手招きした。

 「あれが新しい道場だ」

 金箔を貼った破風に堂々と掲げられた尾張裏柳生の家紋が、すぐ側にゆったりと広がる洲原池すはらいけの水面に映って揺れていた。

 「行ってみるか」


 新しい道場は一足早く完成しており、すでに修行に勤しむ忍の者たちが出入りしていた。

 「ひと汗流すか?」

 仙太郎がニヤリとしながら雲二郎を見た。

 「悪くない」

 頷く雲二郎。

 長旅の疲れも馬憑き退治の初陣の興奮で吹き飛んだ様子。久しぶりの兄との手合わせに心が躍る。

 足袋を脱ぎ、まだピカピカの床を踏みしめて軽くステップを踏む。

 新築とは言え、幼い頃から人生の時間の大半を過ごしてきた道場という場所は、やはり自分の故郷なんだと実感させられる。


 仙太郎はおろしたての竹刀をポーンと投げてよこした。

 「旅の疲れ、なんて言い訳は通用しないぞ」

 微笑む兄に、微笑みで返す。

 「負けなければ言い訳なんかする必要ないさ」

 竹刀の柄をぐいと握る。


 挿絵(By みてみん)


 「さあ兄さん、こっちから仕掛けるよっ」

 雲二郎が先に飛び出した。

 「さあっ」

 身を屈め潜り込む様に兄の懐へ。竹刀の先がびゅんと唸る。

 「ほう、いい動きだ」

 竹刀の先を軽く合わせて軌道を逸らし、サッと飛び上がった仙太郎。空中でクルリと体を捻って雲二郎の背後をとる。

 「はあっ」

 横一文字に空気を裂く仙太郎の竹刀。

 「ふんっ」

 屈めた膝をバネのように伸ばして雲二郎が跳躍した。

 「見切ってるよ、兄さん」

 右から左への仕掛けが仙太郎の得意パターンなのは昔から。そしてその際に右脇に隙が出来ることも雲二郎は覚えていた。

 「そこっ。今だあっ」

 素早く右に回りこんで突きを放つ。

 「えっ」

 まるで壁に当たったように跳ね返された。

 仙太郎の蹴り脚は雲二郎の動きを予想していたかのよう。

 「先の、さらにその先を読まねば」

 「くっ」

 雲二郎は思わず態勢を崩し、よろめいた。

 「たあっ」

 その隙を逃さずに迫る仙太郎の素早い突き。

 「くっ…逃げられないっ」

 雲二郎は敢えて、その場に倒れ込んだ。

 人間は倒れそうになると反射的に身体を起こそうとする。仙太郎はそこを狙っていたが、雲二郎の意外な動きに竹刀は空を切った。

 「ええいっ」

 下から仙太郎を強く蹴り上げる。

 「むんっ」

 ひょいと飛び退いて避けた仙太郎。しかしわずかに狼狽した顔で、ぐっと奥歯を噛みしめた。

 「ちっ、自ら地に伏せるなど…無様だ」

 臥する雲二郎に竹刀を振り下ろす。

 身を転がしながら雲二郎がかわす。右へ、左へ必死に逃げる。

 業を煮やした仙太郎は「ええい」と雲二郎を爪先で蹴り上げた。

 「ぐうっ」

 慌てて立ち上がって中段に構えた雲二郎。

 「ほう…」

 仙太郎も感心するほどに見事な、教科書通りのフォーム。


 「だがな…」

 仙太郎が距離を詰めた。竹刀を大きく右から振りかぶる。

 ならば、と雲二郎は左に軸をずらし「打ち落とし」を狙う。

 「えっ」

 雲二郎は目を疑った。

 仙太郎が、竹刀を突如手から離して放り投げたのが見えた。

 「そんなっ」

 一回転しながらフワリと宙を舞う竹刀に目を奪われた。

 仙太郎はその一瞬で素早く左に回りこんでいた。

 「型の美しさすなわち強さ、に非ず」


挿絵(By みてみん)


 まるでスローモーション。一旦投げられた竹刀をキャッチした仙太郎は、雲二郎を左から袈裟懸けに斬りつける。

 「しまった…」

 左脚に重心を移動させていた雲二郎、急に態勢を変えることは出来ない。

 耳元で竹刀が唸った。

 「うああっ」

 首筋はギリギリで避けたものの、見事に肩口に竹刀を当てられた。


 「…雲。これが真剣勝負なら、あと一寸でお前の首は胴体と切り離されるとこだったぞ」

 ニヤニヤ笑う仙太郎、鼻息も荒く攻撃の手を休めない。

 「ちくしょうっ」

 立ち上がった雲二郎に向かって真っ直ぐ、喉元への突き。

 「さあ、ほら」

 よろめきながら逃げるのに精一杯の雲二郎。

 だんだん息が上がってきた。

 「くっそう…」

 「ん、どうしたお坊ちゃん」

 仙太郎は容赦なく迫る。左から、右から、自在に。

 その鋭さは竹刀と言えども雲二郎の胴衣を破って千切ってしまうほど。

 

 「さあ、そろそろ」

 追い詰められた雲助。

 「はあっ」

 正眼から思いっきり踏み込んできた仙太郎。

 その視線が急に乱れた。

 「な、なにっ」

 千切れた胴衣の一片が、仙太郎の踏み込んだ足元を滑らせた。

 「あっ」

 雲二郎の目には、自らの竹刀の進むべき軌道がポッと明るく照らされて見えたような気がした。

 「あっ」

 「ま、まさかっ」

 ゆっくりと倒れてゆく仙太郎。彼の竹刀は雲二郎の咄嗟の一撃で大きく跳ね上がり、くるくると宙を舞い落ちた。

 雲二郎は反射的に立ち上がった。

 「あ、あ…ん?」

 無意識に、身体が勝手に動いていた。

 雲二郎は、ふと目の前に横たわる仙太郎を見下ろしてハッとした。

 「い、今だあっ」

 上段から竹刀を振り下ろす。

 しかし、一瞬の躊躇が仙太郎に逆転の機会を与えてしまっていた。

 わずかに早く、仙太郎は寝転がったまま身体をよじって雲二郎の足を豪快に払った。

 「ああっ」

 文字通り足を掬われドシンと大きな音を立てて倒れた雲二郎の手を、仙太郎が蹴りつけ、竹刀を奪った。

 「勝負あり、だ」

 立ち上がりざま、竹刀の先端は、横たわったまま茫然とする雲二郎の喉元に突きたてられた。

 「ぐうっ、ぐへ、ぐへえっ」

 容赦ない一撃に反吐を吐き上げる雲二郎。

 見下ろす仙太郎。肩で息をしながら、しけが揺れている。

 

 「雲…お前は強い。その腕は天性のものだ…だが実戦となれば経験がものを言う。理屈や型じゃない」

 喉を打たれて咳き込んでいる雲二郎の手を引き起こす仙太郎。

 「そしてお前にはもう一つ、非情さが足りん。戦場で情けは命取りだ」

 「あ、ああ。兄さん…」

 ふう、とため息をつく弟に肩を貸し、流れる汗を拭ってやる仙太郎の表情は、昔から変わらぬ優しい兄のそれ。

 「お前の剣には天賦の才がある。修行次第でこれからどんどん強くなるぞ」

 「ああ…兄さんが言うなら間違いない、な。俺も頑張るよ」


 二人は笑いあいながら、雲二郎の帰郷を祝う宴が行われる本殿へ向かった。


 つづく


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