人外、死すべし
仙太郎に憑依したおとら狐は逃亡、追いかけた雲二郎は不乗森は妖狐の襲撃を受ける。現れた助っ人は妖の男、かつて伊勢の戦いで天兵衛と善丸の窮地を救った謎の波動使いであった。その男の助力もあって戦いに目覚めた雲二郎は見事妖弧を蹴散らす。
しかしすでに兄・仙太郎は絶命していた。
妖の男は、おとら狐が憑依先を替え未だ生きているという。
胸騒ぎを覚えた雲二郎は全力で駆け、池鯉鮒の屋敷に舞い戻った。
「あっ、あああっ」
屋敷は、すでに地獄絵図と化していた。
「なんだ、なんだこれはっ」
切り裂かれた仲間たちの無数の骸の上で、生きたまま内臓をえぐられた者たちが哀れに呻く声があちこちから聞こえてくる。
「むごい…むごすぎる」
あちこちを切り裂かれながらも生き延びている善丸が駆け寄った。
「雲っ、信じられないことだが…」
指差す先には、刀を振り回しながら高らかな笑い声を上げる血塗れの女。
「お洋…」
仙太郎に憑依したおとら狐がお洋に襲い掛かた際、体内に侵入していたらしい。
「兄貴が憑依され意識が乗っ取られた時に、お洋を守っていた結界が解けたのか…」
美しかった黒髪は勇ましく逆立ち、血塗れになった口から飛び出した長い舌で、鋭い爪をペロペロと舐めている。
「お洋っ」
雲二郎の目の前で、変わり果てたお洋は若衆の一人を爪でズタズタに切り裂いて肉片を口に運ぶ。
「いひひ。お洋って誰だい? この身体はもうあたしのモノ。あたしはトラ。おトラだよ」
善丸は雲二郎に囁いた。
「おトラは、約二百三十年前、設楽ヶ原の合戦で鉄砲の流れ弾に当たって死んだ娘だ。確か、祝言を挙げたばかりのおトラの無念が妖弧に取り憑き、以来人間の肉を漁ってきた妖怪」
「よく知ってるじゃないか」
妖怪化したお洋、いやおトラの血走った目が笑っている。
「そしてあたしはもっと強い力を手に入れる…」
「何っ?」
「あばよ」
おとら狐は、爪を畳に突き刺して持ち上げ、雲二郎に投げつけた。
「うっ」
不意を衝かれ畳の下敷きになった雲二郎。次々に畳を投げつけられ身動きが取れない。
「なんて力だ…」
駆けつけた若衆たちの力を借りて抜け出た雲二郎は、剥がされた畳の下の床に隠し通路の入り口が開いていることに気付いた。
「ここから逃げたか」
飛び込んだ雲二郎。善丸も脚を引きずりながら後を追う。
「真っ暗だ…一体なんの通路だ」
灯りすら無い。冷たい石の階段を奥へ、奥へ。少しずつ暗闇に目が馴れてくる。幾分広い踊り場を通り抜け、さらに奥へ。
「一体どこまで続くんだ、この地下道」
急に、風が吹き込んできた。冷たく湿った風が渦を巻いている。
「あっ」
石造りの大広間、おとら狐は奥にある厳重な鉛の扉の錠前を外そうとしていた。
そっと背後から忍び寄る雲二郎と善丸。
「んっ」
おとら狐はが気付いた。サッと身を屈めて背後へ。素早い動きに善丸が捕まった。
「うあっ」
善丸をガッチリと羽交い絞めにしたおとら狐が叫ぶ。
「開けろっ、さあ。この扉を開けろっ」
「ちょ、ちょっと待て…」
雲二郎がゆっくり近づく。
「この扉を見るのは俺もはじめてなんだ。鍵を持ってるわけじゃない」
「ウソをつくなっ。本家のお前が知らぬはずがない。さあ、鍵をよこせ、今すぐよこさないとこの男は…」
「待て、とにかく待て。本当に知らないんだ」
「とぼけるなっ。ここに例の石が隠されてることは知ってる。先日、天兵衛ってヤツが持ち出して粉々にしたのはニセモノだってこともな」
「え、ええっ」
天兵衛が自爆し破壊した「波動の石」がダミーだったとは。
「と、とにかく待て…本当に、本当に俺は知らないんだ。善丸を離せ」
「いや、離さない」
善丸の首筋に爪の先端を押し付けるおとら狐。
「早く扉をっ」
パッ、と眩しい光が地下室を照らした。目を開けていられないほどの強い光。
「ふぐあはっ」
おとら狐は吹き飛ばされ、地下室は炎に包まれた。
「うああっ」
善丸の着物にも引火した。慌てて駆け寄ってきたのは、妖の男。
「もっと加減するべきだったかな」
サッと手をかざすと、まるで火を吸い込むかのように炎が消えていった。
「さあ、これを塗っておくといい」
妖の男は、蘆薈の葉と膏薬を善丸に手渡した。
「すぐに治るはずだ」
「あんた…あの時の。一体誰なんだ、あんた」
「幻之助、だ。まあ、名前なんて何でもいいんだが」
一方、光の波動に吹き飛ばされ、炎に全身を焼かれたおとら狐はフラフラと雲二郎に近づいていった。
「うう、ううう」
唸り声とともに近づくおとら狐。
血走った目、逆立つ髪、ただれた肌…しかし、お洋の面影をが残っている。いや、雲二郎がお洋の面影を探していたのかも知れない。
「お洋…俺だ、雲だ。雲二郎だ」
「ぐあ、あああ」
光に焼かれ、歯さえ抜け落ちようとしている。
「くも、くもちゃん…」
そのか細い声を聞いて、雲二郎は思わず駆け寄った。両手を広げて抱き寄せた。
「いひひひ」
甘かった。雲二郎の首筋にお洋、否、おとら狐が噛み付いた。皮膚を破った牙を深く奥に射し込み血脈を探る。
「しまった」
痛み、そして浮遊感。
まるで身体中の血が逆流するように全身が痺れて熱い。あちこちがブルブルと震え出した。
「これが憑依というものか…」
自分が自分でなくなってゆく。そして抜け殻になりつつあるお洋も朽ちはじめた。眼球が落ち、鼻や耳が溶けてゆく。バサバサと落ちる毛髪が血糊に汚れた着物にまとわりつく。
「ぐう、ぐうう」
歯さえ次々に抜け落ちる中、言葉を発した。
「雲ちゃん、あたしを殺して…」
すでに眼球の落ちた目から涙がこぼれ、皮膚の融解した頬を伝う。
「殺して…」
雲二郎は奥歯を噛み締め、呟いた。
「ああ」
鎌を振り上げる。
「ずっと、想ってた。今でも、これからも」
「ありがとう…」
雲二郎は目を閉じた。瞼の裏には、美しかったお洋が浮かんでいた。
「掟だ。人外、死すべし」
勢いよく、鎌は振り下ろされた。
「お洋…」
「そして」
雲二郎は身体の中心にある熱く光るものをたぎらせ、一気に漲らせた。あたかも血管の中で血が踊るよう。
首の噛み傷から噴き上げた血に混じって真っ黒い波動の塊が見える。
「おとら狐。あの妖気がおとら狐の実態だ」
次の憑依先を求めるように宙を漂う妖気。
「もう終わりだ。死ね」
幻之助が掌をかざした。強い光が、漂う妖気を木っ端微塵に粉砕した。
「ヤツは消滅した。おとら狐は死んだ」
幻之助は、ふうとため息をついた。
「やっと終わった…なあ、雲二郎さんよ」
雲二郎は、鋭い目で幻之助を睨んでいる。
「幻之助、お前の狙いは何だ、あの石か…」
「違う。俺は悪しきモノノケたちから世を救うため、お前たちの力に」
「所詮はお前も人外じゃないか」
「そ、それは…」
「消えろ。人外はこの世に不要」
にじり寄る雲二郎。幻之助は後ずさりした。
「しかし、お前たちでは闇のモノノケには勝てんぞ…」
「思い上がるな。兄者の言った通り、もうお前らに散々振り回されんぞ人間は。お前たちが滅びぬ限り、人間は枕を高くして眠れない。兄貴がいかに正しかったか、今悟ったさ」
「落ち着け雲二郎。俺たちが力を合わせれば…」
「いや、ここはお前たちのいる世界じゃない」
雲二郎はサッと手裏剣を取り出して構えた。幻之助も咄嗟に手を前にかざした。
「ふっ」
雲二郎が鼻で笑う。
「結局そうやってお前らは妖術を使わずにいられない。その得体の知れない力が何時人間に矛先を向けないとも限らぬ」
「俺は妖怪とは違う。力を正しく使えば…」
「詭弁め」
雲二郎はサッと網を投じた。波動封じの「蜘蛛の糸」は幻之助にを覆うように被さり、その効力によって掌の光の波動を消し去った。
「我らは妖の技などには頼らぬ。知識と技術、鍛錬と科学でこの世を守る。それが池鯉鮒衆だ」
幻之助は後ずさりしながら雲二郎に呼び掛ける
「だが…それほどの力量があるなら、お前と俺、共に力を合わせれば」
雲二郎は黙って首を横に振った。
幻之助はため息をつきながら頷き、やがて立ち去って行った。
その背中に雲二郎が言葉をぶつけた。
「次にあったときは命をもらう。覚悟しておけ」
―一ヶ月後―
ボロボロに崩れた新殿もほぼ修復され使用可能な状態になっていた。
「やっと掘っ立て小屋の仮住まいから抜け出る」
「新築は寝心地いいんだろうな」
「ちっ、寝る事なんぞ考える前に修行だろうが」
「そうは言うが、見ろよあの立派な風呂場。今から楽しみだ…」
「シーッ、さあ、いらっしゃったぞ。頭領だ」
新殿前の広場には、池鯉鮒衆全員が集められていた。
やっと、新しい本殿の落成式。そして第五代目頭領の就任式。
「やっとここまで辿り着いた。これまでの悲しみを深く心に刻み、誓え。人外すべて抹殺すべし」
ズラリと整列した一同の前、高らかに声を上げた新しい頭領、雲二郎。
「亡き兄の遺志を継ぐべくその文字を一つもらった。今後は雲仙と名乗らせてもらう。俺は五代目池鯉鮒衆頭領、柳生雲仙」
絹の羽織、伝統の家紋。バッサリ落とされた前髪、立派な深い月代。
あの貧弱だった雲二郎はもはやいない。ここにいるのは、冷酷無比なモノノケの狩人、雲仙。
そんな中、質素な出で立ちでひっそり門を出ようとする男がいた。
雲仙が駆け寄る。
「善ちゃん…どうしても行くのか」
「ああ。俺は両親の弔いをしなきゃならん、それに…俺の考えはちょっとお前とは違う」
「そうか…これ以上引き止めても無駄か」
ゆっくりと善丸は頷いた。
「殺し合い、憎しみ合い。俺は多くを失ったが、他に道があったんじゃないか。だが戦いから逃げるわけじゃない。あの幻之助って男を頼って新たな道を探す。そしてこの世に貢献したい」
「ちっ…相変わらず頑固な。ならば、いずれ俺とお前が剣を交える日が来るかも知れんぞ」
「どうかな、しかし俺は争わないやり方を学びたいんだ。あばよ、くもじろ…いや、雲仙さんよ。俺も、親父の名をもらって今日から『天善』と名乗ることにしたよ」
「恵那の天善。悪くないな…まあせいぜい頑張れ」
「頑張るさ。どっちが正しいか、いずれ判る日が来る」
父母の、僅かばかりの遺骨を抱いた善丸あらため天善は、ひとり門を出、振り返ることなく北へ向かって歩く。
その背中を雲仙はいつまでも見つめていた。
ますます冷たい風が池鯉鮒を吹き抜ける。
それはまるで、一切の悲しみと記憶を瞳の奥にしまいこんだまま、ひたすら戦いの日々を過ごして行く事になる雲仙の未来を暗示しているようだった。
「人外、死すべし」
雲仙も、天善も、幻之助でさえ、屋敷の地下に眠る波動の石が、やがて世界の運命を左右する六つの秘宝「願いの破片」の一つだとは気付いていなかった。
完




