命のやり取り
帰郷して早々に八橋村の妖怪「馬憑き」討伐に帯同した雲二郎は、村につくなり地元の農民が変異した馬の化け物に襲われた。
危機一髪、兄の仙太郎に救われたが、まだ戦いは終わっていなかった。
おびただしい数の馬憑きたちが襲ってきていた。
「人外め」
仙太郎の目が鋭く光った。
鞘に収まったばかりの刀が再び鮮やかに舞う。一匹、二匹、次々に身体を斬り裂かれて悶える化け物たち。
「すげえや…」
その美しさに目を奪われて立ち尽くす雲二郎に向かって仙太郎が叫んだ。
「ほら、雲。お前もボーッとせずに戦え、さあ」
「あ、あっ」
思わず懐刀を拾い上げて構える雲二郎。仙太郎が眉をひそめた。
「なんだそりゃ。そんな道具じゃ相手になんねえだろ」
仙太郎は刀をポーンと投げてよこした。
「さあ、それを使え」
「え、えっ」
「道場じゃ俺とタメ張る腕前だっただろ、お前」
「そ、そんなことは…それに刀無しで兄さんは?」
「俺なら心配するな」
仙太郎は袂から鎖鎌を取り出した。
ぐっと低く身構えると、襲い掛かってくる馬憑きの長い足に向かって鎖分銅を投じて絡め取った。
「な?」
フッと笑った仙太郎。動きを封じた敵に向かって一気に駆け寄り首を刈った。
「次々に出てきやがるぞ、化け物め」
どうやらこの村のほとんどが馬憑きに冒されているようだ。仙太郎の部下たちも数の多さに手こずっている。
「よ、ようし…」
初めての実戦。また手が震えだした。
思ったよりも真剣はずっと重い。
「俺もやらなきゃ…やらなきゃいけないんだ」
命のやり取りの現場に、いる。
刀の重みは、まるで命そのものの重みのように感じられた。
「刀…これが刀というものか」
鈍く光る刃の縞、その曲線はどこかせせら笑っているようにも見える。
相手が人外とは言え、これまでたくさんの命をこれが断ち切ってきたという事実が、この単なる殺戮の道具にサディスティックな微笑みを伴う生命をもたらしているとでも云うのか。
「斬る…。斬る、か」
斬るとは、殺害すること。
だが人は、この芸術品でもある「刀」による殺害を、単なる「殺す」との間に一線を引いている。まるで神聖な儀式でもあるかのように語り、振舞う。そこでは一般的な善悪の感覚さえ超越している。
「怖い…怖いよ。けど、もう今までの僕とは違う」
雲二郎はギュッと柄を握り締めた。
「もう子供じゃない。誇り高き尾張柳生の血を引く忍の男なんだっ」
カッと目を見開くと、眼前に迫り来る馬憑きの巨体。
「危ないぞっ、雲っ」
遠巻きに見ていた仙太郎が思わず叫んだ。
身体を仰け反らすようにした馬憑きの大きな蹄が、力強く雲二郎の頭部を打ち砕かんと振り下ろされる。
「はあっ」
ぐいと屈めた雲二郎の身体は、馬憑きの蹄に空を切らせた。
「そこっ」
よじれた馬憑きの脇腹に向かって身体ごと刀を押し付ける。
「うっ」
ずぶり、と鈍い音。
続いて、グシャッと硬い手応え。馬憑きの太いあばら骨を砕く振動が直に手に伝わってきた。なおも刀身を押し込む。
さらに深い位置で、弾力のある柔らかいものを引き伸ばすようにしながら、ひとまとめに断ち切る感触。
「こ、これが…」
真っ赤なシャワーが雲二郎に降り注いだ。
振りぬいた剣先がプルプルと震えている。
「これが…斬る、ということか…」
目の前には、腹を切り裂かれた馬憑き。
汚らしく内臓を撒き散らして七転八倒、血の泡を噴出させながら息絶えた。
「あっ」
やがて憑き物が黒煙と共に融解して蒸散するとともに、亡骸はみすぼらしい風体の中年女に戻った。
「こ…これはっ」
元は罪無き農民だったのであろう。
切り裂かれたその遺骸を目の当たりに雲二郎は、斬る行為に達成感、さらに爽快感すら感じてしまった自分への罪悪感でいっぱいになった。
雲二郎は茫然と立ち尽くしていた。
「油断するなっ、雲っ」
仙太郎の怒号が聞こえてきた。
「でも、でも兄さん…」
「死ぬぞっ、ここは戦場だっ」
雲二郎の背後にはすでに別の馬憑きが忍び寄っていた。
振り向いた雲二郎、その首筋に今まさに噛み付かんと迫る賎しく汚れた大きな馬の口。
「ええいっ」
仙太郎がすかさず鎖分銅を投げ放った。馬憑きの上顎にぐるぐると鎖が巻きつく。
「ぐうあああっ」
「何っ」
なんと、馬憑きは鋭い歯で鎖を噛み切り、雲二郎に背後から組み付いて倒してしまった。
「ぐふふふ」
息が詰まるような獣の臭いを漂わせながら噛み付こうと迫る。雲二郎のうなじは粘り気のある唾液でベトベトに。
「うう、ううっ」
振り返ろうにも馬憑きの巨体に背後から押しつぶされそうで動きが取れない。全身がガクガクと震えだした。
「怖い、怖いよう。死にたくないよう」
顔を地面に押し付けられ、視界もままならない。聴覚も馬憑きの唸り声で遮られてしまった。
これが死か。
こうやって人は死ぬのか。
見えない、聞こえない中で、自分の鼓動だけがやけに大きく感じられる。
「あっ、あっ…」
もう諦めかけた、その時。
遠くから、シュルシュルと空気を切り裂いて近づく音が聞こえた。
「人外、抹殺すべし」
仙太郎が放った手裏剣は、雲二郎の耳元で大きな破裂音とともに馬憑きの首筋をとらえた。
「ぶふうっ、ぐふうっ」
毒が塗られた手裏剣を頚動脈にまともに突き立てて痙攣しながらもなお、雲二郎を離そうとしない馬憑き。
「た、助けて、助けてっ」
泣き叫ぶ雲二郎。
仙太郎が駆け寄った。
「言ったろ。ここは戦場だ、って」
左手で馬憑きのたてがみをむんずと掴むと仙太郎は、右手の鎌でその首をざっくりと切り取ってみせた。
「そして、こいつらはもう人間なんかじゃ無え。邪悪な妖怪になっちまったんだ」
切り落とされてゴロリと転がった馬憑きの首は憑き物が取れ、気の良さげな青年の生首に戻った。恨めしそうな表情でこっちをみているように、雲二郎には思えた。
「戦場に情けは命取りだ」
仙太郎は眉一つ動かさずに言ってのけ、部下に命じて村全体に火を放った。
「もう一つ、大事なこと」
仙太郎は呟きながら弓矢を構えた。
「掟がすべて」
ギリギリまで張り詰められた弦から放たれた矢は力強く飛び、雲二郎が乗ってきた栗毛色の愛馬の脳髄を貫通した。
「えっ、そんな。あいつは普通の馬…」
「いいや、あれも馬憑きに噛まれただろう。その時に混入した血がじきに体内で増殖して化け物に変わる」
ビクン、ビクン、と数回身体を仰け反らせると馬は、口や鼻から真っ黒い霧のような妖気を噴出しながらブルブルと震え、やがて倒れこんで絶命した。
「人外なるもの、全て抹殺すべし。これが我らの掟だ」
つづく