真実、誤解、理解
刈屋城を襲った賊を斬り捨て任務を果たしたはずの池鯉鮒衆だったが、そう遠くない北の林でも「もののけ狩り」が行われていた。
冬ごもりで巣に身を隠す大ネズミ「旧鼠」を焼き討ちでいぶり出し次々に斬殺する姿を目に、雲二郎と善丸は疑問を仙太郎にぶつけた。
城内で手にかけた賊は妖怪ではなく人間、しかも隣接する重原藩の忍だったのではないか、と。
「確かに…」
仙太郎は、その精悍な顔に燃え盛る炎を映していた。
「あの賊は重原藩、川村恭三配下の忍」
「やっぱり…」
感づいてはいた。しかし仙太郎の口から実際に告げられ心がかきむしられる。
斬ったのは、人。モノノケではなかった。
炎をじっと見つめている仙太郎。
「重原藩はもともと刈屋藩から分かれて独立したことは知ってるな。近年勢力を伸ばしつつある重原藩は刈屋二万三千石に狙いをつけた」
「狙い?」
当時、地方各藩の財政はどこも逼迫していた。石高が大きくコメの質も高い刈屋藩は重原藩にとっては涎が出るほどに魅力的だったに違いない。
「見ただろう、刈屋藩の跡継ぎは病弱な子供がたった一人。重原藩の野心的な連中は刈屋藩の乗っ取りを画策した。嫡子が亡きものとなれば、お家の断絶は免れない。その動きを刈屋藩の草たちは嗅ぎ付けていた」
「そんなのは、当事者たちが勝手にやりあえばいいじゃないか。我らの妖怪退治とどういう関わりが…?」
「刈屋藩主・土井利以は賢い男。刈屋藩襲撃を表向きは、近年悪さが目立つ旧鼠の仕業に仕立て上げようとした。隣接藩どうしのいざこざは公儀隠密にバレたら双方切腹、お取り潰しになりかねん」
「俺たちに人殺しをさせて、自分たちは手を汚さないってか」
「いいや『生け捕り』といってあっただろう。重原藩からの刺客を捕えて弱みを握るのが利以の策だった。そうすれば重原藩も大人しくなるだろうし、逆にそれをネタにゆすろうとしていたのかも知れん。だがそこまでは我々は関知しない」
「…」
雲二郎は拳を握り、足を震わせていた。
「バカな…俺は、俺はそんな汚い政治の泥仕合に巻き込まれて…知らない間に、人を。人間を斬り殺したっていうのか。あの首、切り落とした首が俺をじっと見ていた…」
「やむを得まい」
仙太郎は冷静な表情を変えない。
「生け捕りにはし損ねたが、雲の仕事は見事だった。天晴と言おう」
「でも仙太郎さん」
善丸が噛みついた。
「今日の仕事、妖怪退治でも何でもないじゃないですか…薄汚い人間どうしの私利私欲の道具になり下がるなんて…こんな事のために大事な仲間を二人も」
仙太郎は眉間に皺を寄せ、忌々しそうに唾を吐き捨てた。
「あいつらが死んだのはドジを踏んだからだ。仕事の内容如何とは関係ない、混同するな。第一、お前のお父っつあんが立案した計画は完璧だったんだ。些細な不注意が命になると心得て気を引き締めよ」
雲二郎は声を荒げた。
「違うっ。俺たちが言ってるのはそこじゃない。大義は何なんだ、っていうんだよ兄貴。妖怪退治だなんて言って結局政治の手先の暗殺者じゃないか。そんな仕事、同じ人間を血に染める仕事に何の大義があるんだ。誇り高き一族のすることじゃねえよ」
「ガキは黙ってろ。頭領は俺だ」
仙太郎は雲二郎をキッと睨んだ。一歩も引かない雲二郎。
「いや、俺だって跡取りだ。兄貴だけじゃない」
「それなら頭を冷やせ、よく考えろ。綺麗事だけでこの世を渡っていけるとでも思ってるのか。いいか、この仕事で池鯉鮒には刈屋藩から二千両が入る」
「ああ?」
「それに毎年穀物を荒らし、時には家畜や人さえ襲う旧鼠を根絶やしに出来るいい機会にもなった」
林を焼き尽くした炎がようやく鎮まってきた。
あとには旧鼠の死骸が作る山が築かれていた。その臭いに思わず吐き気を催さずにいられない。
「間違ってるっ」
雲二郎が怒鳴る。
「間違ってるよ兄貴。カネのためか? 俺たちはいつからカネの亡者に成り下がったんだ。それにあの旧鼠たち、何の罪科も無い連中じゃないか。皆殺しなんて…人外と言ってもただ日々を暮らしてるだけの連中だ。むしろ人間の方が我儘でタチが悪い」
「雲…」
眉間に皺を寄せる仙太郎。
雲二郎はさらに強い口調で言葉を浴びせた。
「政治屋の野望の隙間でカネ儲け、一方で罪のない人外を女子供問わずに虐殺か。理想は何処に行った?」
「ガキめ」
仙太郎は、その大きな右手で雲二郎の頬を強く張った。
「うっ」
斬れた唇から血の混じる唾液を飛ばしながら倒れ込む。
仙太郎は、雲二郎の髪の毛を掴んで引き起こし顔を近付けた。
「お前に何がわかる? 俺が血みどろの修行を重ねてる間に、長崎で書生気取りだった坊ちゃんに何がわかる? だいたいお前が学問とやらをするために一体どれだけのカネが掛かったか知ってるのか?」
「が、学問だって必要さ。これからの時代…」
食い下がる雲二郎、声を荒げる仙太郎。
「学問でメシが食えるかっ。両親を早くに亡くして、俺が一体どれだけ辛い思いを重ねてメシの種こさえてきたか解るか? いや、俺が食うためじゃねえんだ、池鯉鮒衆約五十余名とその家族の食い扶持だよ」
「そ、それは…」
「親父もお袋も死んで、誰も助けちゃくれなかった。一族を乗っ取ろうとするヤツさえいた。弱みに乗じて縄張りを荒らす連中も。そんな中、一族のため俺は幼かろうが、もののけ狩りの前線に立ったさ。ああ、怖くて怖くて小便ちびったよ」
雲二郎の襟元をぐっと掴む。隣の善丸にも強い視線をくれた。
「一族が生き延びるため、俺は涙さえ殺してひたすら戦ってきた。はびこる妖怪がいかに恐ろしいか、お前らも目の当たりにしてわかっただろ。おれは七つの時からそれをやってるんだよ。生きるために、な」
仙太郎は叫びながら、目に涙を溜めていた。
「それに…俺たち一族だけの話じゃねえ。妖怪たちは今どうやら徒党を組んで人間たちに襲いかかろうとしている。わかるだろ不穏な空気が。誰が守る? 俺たち以外に誰が」
雲二郎の襟元を握る手がフッと緩んだ。
「俺たちがこの世界を、妖怪たちから守るんだよ」
力なく座り込んだ雲二郎。善丸も圧倒されてただ聞き入っている。
仙太郎はゆっくりとため息をついて雲二郎の傍らに腰を下ろした。
「なあ、雲。俺たちじゃなきゃ守れない、わかるだろ。そのための、この刀。弓矢、手裏剣も。一体どうやって手に入れるってんだ。誰かに買って貰えるのか? 俺たちがひもじい思いをしながら、強くあることが出来るか?」
「そ、それは…」
雲二郎はうつむいた。その肩に仙太郎が手を掛ける。
「お前の言う通りだ。妖怪よりもタチの悪い腐った人間どもが大勢いる。刈屋藩も重原藩もその手合い。んなことは判ってるさ。俺たちが関わろうが関わるまいが、あいつらは騙し合って争い合っていずれ自滅する。ゴミみたいな連中さ」
コクリと頷く雲二郎。
仙太郎は少し、表情を緩めた。
「そんな連中にカネを持たせておく必要なんか無いか。俺たちがそのカネを頂戴して正しいことのために使ってやればいい。大事の前の小事ってやつだ」
「…確かに…そうかもしれない」
「そして、人外は全て抹殺しなきゃならん。妖の力を持つものはいずれやがて、その牙を人間に向ける。共存? そんなのはまやかしの理屈さ。親父、そしてお袋のことを思い出せ…」
「ああ、忘れちゃいない」
―仙太郎七歳、雲二郎四歳。暑かった夏―
汚い身なりの男が池鯉鮒衆の本殿を訪れた。彼は「幻怪の生き残り」と名乗り、本殿に所蔵されるという波動の石を探しすためにやって来たという。その石はかつて幻怪が手にして使った、圧倒的な力を有する石だ、と。
古い蔵書をあたると、どうやら男の言うことは真実らしい。本殿の地下深くに埋められたというその石を探し始めた池鯉鮒衆。男は池鯉鮒に居座った。
「幻怪、と名乗るが…あやつ」
彼が本当に、かつて妖怪たちを退けたという幻怪ならばその石を使いこなせる。だが仙太郎と雲二郎の父にして当時の頭領・厳柊は見抜いた。
「お前…その匂い」
体から発する妖気は明らかに闇の種族。黒河童の手先として暗躍していた「化け狸」が獲り付いていた。
「人外め、成敗してやる」
斬りかかった厳柊。巧みにかわした化け狸は男の身体を抜け出ると、あろうことか厳柊の妻―仙太郎と雲二郎の母―おミツに憑依した。
「卑怯なっ」
慌てふためく厳柊の前で、憑依されたおミツは暴れ、取り押さえようとした池鯉鮒の若衆たちを次々に殺害。業を煮やした厳柊が意を決して斬りかかったが、刃を振り下ろす一瞬、ふと垣間見えたおミツの微笑みに躊躇した。
「ミツ…」
次の瞬間、厳柊は血にまみれた。化け狸が憑依したおミツが厳柊を刺していた。
「か、母さん…」
狂気に変貌した母が、父を殺す。そんな姿を目前に茫然自失の兄弟は、次に自分たちが標的になったと気付いた。
「ガキめ、喰ってやる…」
襲ってくる母親。仙太郎は涙を殺して立ち向かった。
「人外…許すまじ」
体の小ささを利して懐に飛び込むや腹を蹴り倒し、ただひたすら、がむしゃらに叩きのめした。身内であろうが誰であろうが、油断したら自分が殺られる。仙太郎は幼いながらに悟った。
「ええい、ええいっ。くたばれ、くたばれ人外」
遂に母親おミツから抜け出した化け狸は、ほどなく池鯉鮒衆によって殺害され、見せしめにしばらく門前に吊るされた。その惨さに、その後は二度と本殿が襲われるようなことは無かったが、めった打ちにされたおミツは脳髄を痛めて半身不随の廃人同様になってしまった。
「あれは…俺たちの原点だ」
仙太郎の頬を涙が伝う。
化け狸の襲来から三年、ほとんど会話もままならぬまま、母おミツは息を引き取った。
「人外、抹殺すべし。なんだ」
仙太郎はひたすら妖怪退治の虜になり、血の滲むような修行に明け暮れた。そして亡き父・厳柊に代わって頭領代行を務めてきた。
「ああ。原点だ」
雲二郎は母親の看病をしきれぬままに逝かせたことを悔やみ、修行と称して長崎に赴き蘭学、蘭方医学を学んだ。
「なあ、雲」
優しく、しかし厳しい顔は、あの頃と変わっていない。そう思えた。
「俺は…間違ってるか?」
「いいや、兄さん…」
雲二郎も、目を潤ませていた。
「俺たちは、あの出来事を乗り越えたんだ…俺たち兄弟は」
「ああ、俺たちは兄弟だ。何があろうと、これからもっと辛いことがあろうと、俺たちは手を取り合っていく…この絆が、俺たちの拠り所なんだ…」
林の火はもう消えかかっていた。
冷たい風が粉雪を乗せて吹き込んでくる。でも、兄弟の心は少しだけ、温かさを感じていた。
つづく




