闇夜の侵入者
刈屋藩からの依頼により、ネズミの妖怪・旧鼠の襲来を阻止する任務に就いた池鯉鮒衆。
忍草・天兵衛の入念な調査に基づいて上空から飛来する敵を天守屋根で待ち受ける仙太郎と雲二郎。
しかし、堀から侵入する敵に対して設置した捕り縄が作動しないという痛恨のミスにより二人の仲間が命を落とし、善丸は窮地に立たされた。
天守の仙太郎と雲二郎も異変に気付いた。うっすら積もった雪明りを赤々と上がる火が穢しているように思えた。
「だがこっちにも敵が来る…」
仙太郎は天守の屋根から四方を見渡すと、早口でまくし立てた。
「ここはお前に任せるぞ、雲。一人で出来るはずだ。俺は下の敵を何とかする。いいか、手順どおりだ。それで間違いない」
カムフラージュ用に被っていた布の四つ角を両手首と両足首に結びつけ、屋根の上から颯爽と跳んだ。まるでムササビのように、火の手があがる櫓まで一気に滑空してゆく。
「に、兄さん…」
仙太郎は櫓の屋根に降りるや疾風の如く駆け、石垣を登ろうとする敵に手裏剣を雨あられの如く浴びせて血だるまにした上で堀に沈め、火矢を放つ敵に向かって刀を抜いて襲い掛かる。
「すげえな…さすが兄さん」
感心してばかりもいられない。
上空を吹く風に混じって、少し甲高い風切り音が流れてきた。
「ん?」
北の上空、虫とも鳥ともつかない飛来物が二つ。
「あ、あれかっ?」
近づくにつれてその姿が露わに。大凧に身を括り付けた真っ黒な忍者装束。
「し、忍かっ?」
暗視眼鏡をつけているようだ。敵は二匹とも雲二郎の存在に気付き、合図しあっている。
「逃げようってんだな」
雲二郎は急いで捕獲網の発射筒に手を掛けた。
「そうはさせん」
点火。
激しい火花を散らして打ち出された捕獲網はパッと空に広がり、その塗りつけられた粘着液で敵の動きを封じる。
「ふががっ」
背負った凧ごと、あっというまに網に包まれた敵は反撃の手を封じられたまま屋根に宙ぶらりん。一匹捕獲成功。
「さてもう一発」
だが一瞬巻き起こった突風は雲二郎に味方しなかった。
「あっ」
発射された捕獲網が風に流され、飛来する敵の足元をかすめただけだった。
「おのれっ」
ならば、と手裏剣を投じようとする雲二郎。
察した敵は大凧から飛び出し、鈎付きの足袋で天守屋根に着地。すぐさま雲二郎に襲い掛かる。
「たあっ」
投じた手裏剣は敵の刀身によって弾き飛ばされた。粉雪が東へ西へと気まぐれな風に流れを変える暗闇の中で両者が睨みあう。
「ふっ」
雲二郎が刀を抜きながら飛び込んだ。
その瞬間、敵の放った煙幕弾が視界を遮った。
「うっ、ううっ」
かすかに見える。白煙の中、手持ちのかぎ縄を屋根瓦に引っ掛けて飛び降りる敵。
「ぬっ、出来るヤツ」
煙幕が晴れ上がった後にはすでに縄は断ち切られていた。
目も眩む高さの天守屋根から身を乗り出して見下ろすと、五層目の廻縁に断端が引っ掛かっているのが見える。
「あそこから…ちくしょうっ。よりによって天守閣に侵入されたかっ」
一人屋根に残された雲二郎の表情に焦燥が伺える。
「こりゃ失態だ、追わなきゃ…高いな、ここ」
吹きすさぶ風はまるで、真っ逆さまに転落することを誘っているように思えた。加えてうっすら積もった雪が足元を不安定にさせる。
「しかし、汚名を雪がずにはいられない」
雪の付いた手で自分の顔を二度ほどぴしゃりと張った雲二郎。
「やるっ」
間近で見ると意外なほどに巨大な鯱に縄を括りつけ、しっかりと握って屋根からそっとぶら下がる。
「うあ、ああうっ」
折から吹き付ける横風に、宙を揺蕩う蜘蛛のごとくふわり、ふわりと身が定まらない。
「それにしても何処から侵入したんだ?」
扉はすべて閉じられている。
「ネズミ野郎のくせに、仕事にぬかりのない敵だな…」
感心している暇は無い。こうしている間にも敵は城内を自由に動き回っているのだから。
「ええいっ」
捕り縄を高欄の飾り柱に向かって投げた。巻き付いたところをたぐり寄せるようにして窓に取り付く。
「やむを得まい」
坪錐と苦無を使って窓をこじ開け、城内へ。
戸を閉めれば、外の吹雪も侵入者たちが巻き起こした喧騒もウソのように静寂が支配する。すっかり灯りも消えた暗闇の天守内をゆっくりと歩く。
「どこに消えた…ネズミ野郎」
次第に目が慣れてきた。
「ここは五層目、だな」
最上階。昼間に見たら豪勢な装飾に圧倒されるに違いない。それにしても城内はあまりに広大。敵がどこに潜むのか、そう簡単には知り得ない。
「侵入者は見たところ五尺四寸ほどだったな。早足で歩幅は二尺と七寸、か。中肉中背で筋肉質…この床板なら軋みは一寸二分ってとこか」
そっと床に耳を押し当てる。
目を閉じて集中し、些細な音も拾い上げる。聴覚の情報は視覚に再構成され、事前に頭に叩き込んでおいた城内見取り図に照らし合わせる。
「んっ」
雲二郎の眉がピクリと動いた。
「二つ下の階に何かいる…東、東の回廊に」
不審な足音。
ゆっくりと階段を下りる。蚊の羽音ほどの床板の軋みさえ許さぬ忍び足。
「さあ、どこだ。ネズミさんよ」
覆面をそっと下ろした雲二郎は人差し指を軽く舐め、低く下げた。外から侵入した敵の持ち込んだ僅かな冷気の流れを床スレスレに感知する。
「南へ向かってる…ん、城主ご子息の寝屋かっ」
再び忍び足。幾つもの直角に曲がりくねった廊下を滑るように走る。
「子供を狙うとは。ネズミ野郎っ」
城主嫡子の部屋の目の前まで辿り着いた時。
「もうすぐ…ん、あっ」
怒号と悲鳴が聞こえてきた。
「ろ、狼藉者っ…てやっ、うあっ。ぐふうっ」
もはや忍び足では間に合わない。
「ネズミめっ」
雲二郎は全力で駆け、部屋の扉を勢いよく開け放った。
すでに嫡子の守衛と思しき侍たちが侵入者と戦っていた。しかし素早い身のこなしの侵入者は攻撃をかいくぐるようにして寝台に横たわる幼子――刈屋藩の嫡子――の目の前まで迫った。
「ひいっ、ひやああっ」
耳に痛いほどの幼子の鳴き声。
「非道なっ」
雲二郎が飛び出した。篭目の手裏剣を投げつけると、侵入者は振りむきざまに刀身で弾き飛ばす。
「まだまだ」
雲二郎が飛び込む。振り下ろされる刀をかわして喉元に鋭い蹴りを食らわせた。
さらに追い詰めようと距離を縮める雲二郎。侵入者は猛然と向かってくる。
「えいっ」
雲二郎はぐっと腰を下ろし、小さな動作で手裏剣を放つ。
侵入者は一瞬早く飛び上がってかわしていた。
「お前なんかに興味はない」
雲二郎には目もくれず、再び嫡子に襲い掛かる侵入者。
振り上げた切っ先の風圧が幼子の前髪をサッとなびかせたその時、雲二郎が投げた鎖分銅が敵の脚を絡め取って横倒しにした。
「坊ちゃん、大丈夫かっ」
雲二郎は嫡子に駆け寄った。
「う、うん…」
幼子は顔を上げながら再び悲鳴を上げた。
「う、ひいいっ」
その見開いた目は雲二郎の背後を射るように。
「来るかっ」
背後に乱れる空気の渦を感じた雲二郎は、振り向きながら刀を一閃。
「ぐ…」
飛びかかろうとしていた侵入者は断末魔の叫びを上げることを許されぬままに、首を斬り落とされた。
「生け捕りに、と言われていたが…」
真っ赤な返り血の噴水が降り注ぐ。
「殺っちまったか」
目の前にゴロリと落ちた生首に睨まれた幼子は泣き声を止め、そのまま気を失ってしまった。
つづく




