侵入者を捕えよ
強い風に乗る雪のつぶてが、顔を打ちつける。
「今年は暖かいと思ってたが…」
池鯉鮒衆の面々は、息も詰まりそうな冷えた風に逆らうように身体を斜めにしながら連なって歩く。
「ちゃんと冬には降るもんだな」
深く被った笠の下、善丸の声も風の唸りにかき消されそうだ。先導する仙太郎の口髭にも雪がこびりついている。
「ボヤくな雲。もう目と鼻の先だ」
彼らの足元は狸革で裏打ちされた防寒靴。雪を噛む音が幾重にも重なって奏でるリズムは次第にテンポを速めた。
「さあ、あの川。逢妻川のほとりだ」
舞う雪の中にそびえる刈屋城。
池鯉鮒の本拠地から真っ直ぐ西へ、さほどの距離ではないが悪天候の道のりは遠く感じられた。
「そう言えば、天さん大丈夫かい?」
思い出したように尋ねた雲助。もともと今回の案件は忍草の天兵衛が時間をかけて調査と下準備をした大仕事だった。
「恵那の一件があったもんで…」
天兵衛の息子・善丸が答えた。
「まあな、今日はちょうど母さんの三七日忌だし…」
「身体でも壊してなきゃいいんだが」
「見たところは元気そうなんだけどな、どうも気が乗らないって感じだな」
今回の依頼主は刈屋藩群奉行の鳴瀬利政。
城内に出没する大きなネズミの妖怪・旧鼠が最近凶暴化して被害が甚大であるということで、その殲滅が池鯉鮒衆の任務。
「ネズミ退治…か。猫にでもやらせとけって話か」
苦笑いする雲二郎と善丸。
振り返って仙太郎が二人に釘を刺した。
「お前ら、たかがネズミと侮るなよ。身の丈は五尺をゆうに超えるし、化けて人間のナリをしてることもあるそうだ。油断は禁物」
旧鼠が時に巨大化することは以前より知られていた。しかし人間に化ける、なんて話は初耳だ。
「旧鼠、人を噛む。か…」
一行が刈屋城の門前に辿り着いたのは夕刻。仙太郎が取り急ぎ藩主の土井利以に挨拶を済ませる間、さっそく天兵衛に言われた通りに仕込みを始めた。
「この寒空に屋根の上、か…ちと滅入るな」
かぎ縄を天守閣の上に投じてよじ登る雲二郎。見上げる善丸もしかめっ面。
「屋根ならまだいい方じゃねえか、雲。俺なんかお堀に潜って待機だっての」
「そりゃ凍えるな…」
「なあ、だいたいネズミなんて水を嫌うんじゃなかったのかい。親父もついに耄碌したか…」
空気樽を背負い、浮かない顔でお堀に飛び込もうと身構える善丸。
滑り止め付きの革手袋で縄を握って上りながら、雲二郎が手を振る。
「心配すんな善丸。天さんの調べにゃ間違いは無い。とにかく今夜半までの辛抱さ、敵が現れたらひと暴れして体を温めようじゃねえか」
今期は稲作が不良のため各地で食糧難が懸念されている。本格化した冬をどう乗り切るかが各藩の悩みどころ。だが刈屋城下は石高二万三千を誇り、比較的恵まれている。
「ネズミの化け物も、腹が減って困るってことか…それにしても妖気を感じないな」
白く染まった街が闇に沈んでゆくのを屋根から見下ろす雲二郎。寒さを紛らすように独り言。
「まあ、しっかりネズミ退治してやるぜ。しかし今回に限って『生け捕りにしろ』だなんてどういう風の吹き回しかいな…あれほど人外抹殺って…」
「なにを独りでごちゃごちゃ言ってやがる」
颯爽と縄を上がってきたのは仙太郎。
「さっさと準備するぞ」
凍りついた屋根瓦は磨かれた氷の板のよう。鈎爪のついた足袋に履き替えた仙太郎と雲二郎は捕獲網の点検をする。
「堀を泳いで三匹来る、だがこいつらは囮。本隊は上空から五匹、俺たち二人で食い止めるぞ、いいな雲助」
仙太郎は手際よく網を発射筒に充填しながら、上空に指をかざした。
「北から来るはずだが、風でおそらく東に流される」
方角を定め、立派な鯱の横に隠れるように発射筒を設置した。
「天さんの調べにぬかりはない、いつもそうさ。さあ、あと四半刻ここで待つ」
屋根瓦を模した柄に染め上げられたカムフラージュ布にそれぞれすっぽりと包まった仙太郎と雲二郎。
風に雪が舞う今夜は、身を隠すのに丁度いい。
「こっちも準備万端。早く来てくれよ、風邪ひいちまうぜ」
善丸は、同じく堀で待機する二人に目配せ。濁った堀の水の中でも合図が出来るようにそれぞれ腰縄が結んである。
「来た。来たぞっ」
外堀の南角で待機する京介から、二度腰縄を引っ張る合図。善丸は西の宗吉に同じく縄を二度強く引き合図を送った。
「ようし、十分ひきよせて…」
堀の中には編みこまれた捕り縄が縦横に張り巡らせてある。
「ほう…さすが親父。予想どおり三匹来る」
善丸が潜水用の覆面の下でほくそ笑んだ。
捕り縄はそれぞれ太い縄にを束ねられて大手門の屋根に括りつけてある。手元の留め金を外せば掛かった獲物はぐるぐる巻きにされて吊るされる寸法だ。
「ネズミども、何にも知らずに…」
水中を揺らめく影が三つ、いよいよ捕り縄の上までやってきた。
善丸は合図用の腰縄を三回続けて強く引いた。「準備よし」の合図。
京介と宗吉から返事が返ってくる。彼らも臨戦態勢。
「それっ」
善丸は堀の底に埋められた縄の一端を切り離した。
「んがっ」
突如目の前に水底から出現した捕り縄。水中を漂っていた敵三匹が慌てふためく様子が見えた。善丸は腰縄を強く長く一回だけ引いた。「作戦実行」の合図。
「あばよ」
京介と宗吉が吊り縄の留め金を外した。
「ちょろいもんだ」
大手門に吊るされた錘の重力に強く引き上げられながら、敵を包囲する縄が折りたたまれるように丸まってゆく。
…はずだった。
「なにっ」
宗吉が慌てている。西翼の吊り縄が作動しない。
「何やってんだっ」
叫ぶ善丸を尻目に敵たちは絡まる縄を刀で断ち切り、するすると水中を泳いで堀の縁、城内に向かって泳ぎはじめた。
「しまった」
善丸は急いで浮上。西の吊り縄まで泳いで確認すると、縄が大手門の屋根の縁に凍りついて固まってしまっていた。ロウを塗り忘れたか、縄を張る角度がまずかったか。
「こうなったら」
善丸は再び水中へ。背中に括りつけた銛を取り出した。
「力づくでも阻止してやる」
狙いを定めて発射装置の留め具を外すと銛は、気泡の軌跡を真っ直ぐ残して水中を進んだ。
「ぐああっ」
命中。一匹目。
背に銛を突き立てたまま、堀を赤く染めながら沈んでいった。水中の視界が閉ざされてゆく。
「うう、見えねえじゃねえか」
善丸はただちに浮上、見回すと西側の石垣をよじ登る一匹に気付いた。
「ちくしょうっ、あいつ」
かぎ縄を石垣の上にそびえる櫓に器用に引っ掛け、するするとよじ登ってゆく。
「待てえっ」
宗吉が後を追って石垣を登る。
追いついて敵の右足をがっしりと掴んだ。
「ふんっ」
敵は背負った刀を抜き、振り下ろした。
「ぐあああっ」
宗吉の伸ばした右腕が無残に切断された。噴水のように散る鮮血の中、ちぎれた腕は堀の中に落ちていった。
「ぐうっ、ぐううっ」
顔面蒼白になりながら、残った左腕で縄にしがみつく宗吉に向かって敵は刀をもう一振り。宗吉の首筋に深く斬りこんだ。
頚動脈を断ち切られた宗吉はあっという間に生気を失い、目を剥いたまま落下した。
「ゆ、許さんっ」
善丸が敵を追おうとした時、南方角が急に明るくなったのに気付いた。
「えっ」
櫓から火の手が上がっている。
すでに城内に乗り込まれてしまったようだ
「ちっ、京介が食い止めるんじゃなかったのかっ」
櫓を燃やす猛火に照らされて、堀の水面にゆらゆらと浮かぶ土佐エ門がひとつ。
「んっ」
それは背中に何本もの矢を突き立てられた京介の亡骸だった。
「しくじったな…」
つづく




