サトリを追い込め
池鯉鮒衆が討伐を試みる猿人・覚は思った以上の難敵。心を読む能力のせいですべての攻撃がかわされる。
兵之助、長右衛門が犠牲になり、善丸は戦闘不能に追い込まれた。そして雲二郎も窮地に。
覚がとどめの一撃を食らわそうと近づいてくる。
「うひひひ…『無』になろうとしたって無駄だよ…」
「たああっ」
力を振り絞って斬りつけた。
「やけくそになっても何も解決はしないぞ」
だが雲二郎の剣術の天賦の才は、覚の予想を上回っていた。
美しい軌道を描く切っ先は、想像以上の速さで覚の脳天めがけて吸い込まれてゆく。
「ほう、筋はいい、な…」
一瞬だけ覚を真顔にさせたものの、踏み切る以前に行動が予測されて攻撃は功を奏さない。
覚は自らの脳天に向かってくる切っ先に左手の爪を合わせた。カンという甲高い音とともに刀は弾き飛ばされた。
「うっ」
同時に伸びる右手の爪。雲二郎の顔が引きつった。
「ええいっ」
渾身の力で覚が爪を振り下ろした。しかし、雲二郎の予想外の身のこなしの速さに爪先は急所をわずかに逸れて雲二郎の脇腹を切り裂いた。
「ぐはああっ」
飛び散る鮮血のシャワーが、霜の下りた森の木々を赤く染めた。
「ぐう…」
枯れ葉を大きく舞い上げながら、雲二郎はもんどりうって倒れた。眼前に覚。
「うひひひ…お前、今思ったろ。『ああ、死ぬんだ』って、な」
見事に心を読まれている。雲二郎は死を覚悟していた。
「さあ、さあさあっ」
一陣の風が森の中を駆け抜けた。
覚に向かって一直線、猛然と突き進むのは仙太郎。
「覚悟しろ、サル」
「ん、お前…ん? なんだ? なんだお前っ」
にわかに覚が狼狽している。向かってくる仙太郎の顔をうかがうように目をしかめる。
「な、なんなんだっ」
勢いを緩めない仙太郎が刀を突き出した。
覚は慌てた表情で身をかがめて避け、同時に爪を振りかざして反撃を試みる。だが仙太郎は落ち葉を蹴り上げていた。封じられた視界。
「ちっ…ん? なんだ、読めない…読めないっ」
覚がうろたえる。
「なんでだ、心が読めないっ」
落ち葉の舞に紛れて近づいた仙太郎が正面から突く。覚の肩口に突き刺さった。
「ぐうっ」
覚は爪をひっかけて刺さった刀を抜くや、思いっきり飛び退いて距離を取った。
「ううむ…ううむ…うう…?」
震えている覚。その目が泳いでいる。
「なぜだ、なぜ読めないんだ、お前の心が…」
「教えてやらねえよ」
仙太郎は容赦なく突進、力強く、そして無駄のない動きで次々と攻撃を仕掛ける。もはや後退する以外になす術のない覚。
「どうした、サルっ」
「ひっ、ひいっ」
逃げ惑う覚を追い詰めて、大きく袈裟斬り。必死にかわした覚はカウンターを狙って爪の一撃を食らわそうと腕を伸ばす。
両者が相手の攻撃を読みきった、そう思った。
「もらった」
「もらった」
二人は同時に呟いた。
「ぐあああっ」
叫び声をあげて倒れたのは覚の方だった。
心の読み合いを制した仙太郎が、覚の腕が伸びたところを下から斬り上げ、見事に切断した。
「ううっ、うううっ」
失った腕の付け根を押さえ転げまわる覚。
ドクドクと流れる血が、落ち葉をますます赤く染め上げてゆく。その様子を見下ろしながら仙太郎がゆっくり近づく。
「怖いか…怖いか覚」
「う、ううっ、俺が、俺が心を読まれるなんて…」
おびえた目で、闇雲に爪を振り回すだけの覚、仙太郎はその腹を思いっきり蹴飛ばした。
「ぐげああっ」
仰向けに倒れた覚の上に跨った仙太郎。
「お前の負けだ、サル」
力いっぱい、覚の腹を突き刺す。刀を抜いてはまた突き刺す。
「なあ覚…読めるか、俺の心が」
身体中を痙攣させながら、覚は答えた。
「よ、読める。俺に『死ね』と…」
「その通りだ。さあ死ね」
吐きつけるように言い放った仙太郎が、両手いっぱいに力を込めて覚のはらわたをえぐりながら掻き回した。ビクンと二度、大きく身をのけ反らせて痙攣した覚はほどなく絶命した。
「ふう…」
仙太郎は、どっと汗を流して座り込んだ。
善丸もやっと意識を取り戻し、雲二郎が寄り添う。
「ところで兄さん…どうやってあいつに心を読ませなかったの?」
「ああ、人間は思考を止められないもんだ。座禅を組んだって無心なんてものはそう簡単に出来るもんじゃねえ、だろ?」
「うん。考えちゃいけない、と思えば思うほど…」
「だから俺は、逆になんでもかんでも思いつくままに考えた。戦い以外のことを、な」
「えっ?」
雲二郎と善丸は首をひねる。ニヤリと笑う仙太郎。
「何でもいいんだ。昨日の夕飯、朝見た景色、お洋の襦袢の色はなんだったっけ、雲の字が小さい頃に粗相した記憶。てんでバラバラさ、他にゃ鮭の産卵時期とか、シマウマの鳴き声とか…とにかく途切れることなく何かを考え続けたのさ」
「へえ…でも、そんな事考えてて戦えるの?」
「いいか、何のために毎日厳しい修行してると思ってるんだ。俺たちにとって戦いとは呼吸をするのと同じ。いちいち考えなくったって身体が動く。呼吸するのにいちいち考えるヤツはいないだろ? 歩くたびに、あれ、どっちの脚から動かすんだっけ、って悩むやつはいないだろ」
「あ、そうか…」
「考えるんじゃない。状況に応じて反射的に動くことが出来るように毎日厳しい修練を積んできた。だから他事を考えていても身体が勝手に動いて戦った、そういうことだ」
雲二郎と善丸は頷いた。
「俺たちも、もっとしっかり修行しなくちゃ、な…」
「無心、とか無我、なんてのは、案外そこに本質があるのかも知れねえな…」
「覚を倒して、悟りを知る…か」
「えっ……」
すっかり夜半の恵那。
漏れ入る秋の月明りの中で仙太郎と雲二郎、そして善丸の三人は、命を落とした三名の亡骸を丁重に荼毘に付し、しばらく手を合わせたのち、ゆっくりと山を下りた。
つづく




