罠の、罠
恵那の人食い猿人を退治するため現地に赴いた池鯉鮒衆。「仕掛けの天兵衛」の息子、善丸は過去のデータを調べ上げて罠を仕組んだ。囮は自らの母親。
計画は万全なはずであったが、一向に猿人は現れず、罠の仕掛けが知らぬ間に改造されていた。兵之助が犠牲となり、一同は肝を冷やす。
そして善丸は、囮である母親の無事を確認するため山小屋に恐る恐る近づいた。
「大丈夫だ…俺はしっかり見張ってた。この小屋に誰も出入りしていない、近づいてさえいないんだ…」
善丸はそっと扉を開けた。
「か、母さん…?」
姿が無い。返事も無い。
「母さん、母さん。心配ないよ、俺だよ、善丸。おおい、母さん」
静まり返ったまま。
「ねえ、母さん。母さんってば」
焦燥が善丸の声を大きくさせる。震えるように、上ずった声。
「おいっ、母さん、返事を、返事をしてくれっ。頼むよ」
仙太郎と雲二郎も駆けつけた。
「どうなってるんだ、おい善丸。母さんは?」
「いないよ、ねえ。いないんだよ母さんがっ」
善丸は動揺を隠せない。
仙太郎が小屋の隅を指さした。
「おい、あれっ。あれを見ろ」
行灯の明かりを近付けてみる。
床に大きな穴がぽっかりと空いている。床板ごと外され、穴はそのまま地中に続いている。
「この穴から…」
歯軋りする仙太郎。
善丸は目を真っ赤にして叫び出した。
「なぜだっ。なぜ罠を読まれたんだっ。誰か裏切り者がいるに違いないっ。誰だ、誰が俺の母さんを売ったんだっ」
雲二郎の襟を掴む。
「雲っ、お前か。お前が裏切ったのか」
次に仙太郎にまで食ってかかる。
「お前だなっ、俺が活躍すれば頭領の座が危ないと思ったんだろっ。てめえ…」
仙太郎は善丸の頬を張り飛ばした。
「取り乱すんじゃねえ、ばかやろうっ。目を覚ませっ。俺たちの絆がどれだけ強いか忘れたってのか。気が動転するのはわかるが、こんな時こそ冷静になれ。助かるものも助からなくなるっ」
善丸はその場に崩れ落ち、顔を伏せた。背中が、肩が震えている。仙太郎はその肩にそっと手を掛けた。
「怒りの矛先を向けるべきは俺たちじゃねえ、モノノケだ。泣くな善丸。泣くのはまだ早い、落ち着いて行動が肝要だ。今、手掛かりは、この穴。それだけだ」
ふと、小屋の外から嗚咽が聞こえてきた。
「んっ?」
長右衛門が、すでに黒焦げになった兵之助の亡骸に抱き付いている。
「すまねえ、すまねえ長の字…俺が確認もせずに縄を引っ張っちまったばっかりに…」
顔を真っ赤にして泣きじゃくる長右衛門に向かって仙太郎が叫んだ。
「弔いは後、だ。口を閉じねえか長右衛門。敵に俺たちの居場所を教えるようなもんだ。いいか、死んだ奴は泣いたって帰っちゃこねえ。うろたえてると、次はお前が死ぬ番だぞ。落ち着け、俺たちはもののけ狩りの戦士だ。必ず勝てる、勝って弔いにするんだ」
小屋を調べたが、床に空いた穴以外には全く変わった部分は無い。
「どう考えてもこの穴、だな。怪しいのは」
「…ようし」
仙太郎は手投げ弾を取り出した。手拭いを巻き付けて灯し油をたっぷりと染み込ませる。
「見てろ…」
「ちょっと、仙ちゃん。ちょっと待ってくれよ…」
善丸が慌てて仙太郎の手を掴む。
「待ってくれ、こんなの放り込んだら…もしかしたら、母さんが穴の中にいるかもしれないんだ。ダメだよ、こんなのダメだ」
「落ち着けって言っただろうが」
仙太郎がいらだった様子で善丸を睨んだ。
「よく見ろ」
行灯を穴の上にかざした。無造作に掘られた大きな穴。行灯の灯が揺れる。
「な?」
「…?」
いぶかる善丸。仙太郎は呆れたような口調。
「ったく…こういう時こそ冷静に、だ。いいか、底が見えるだろ、この穴は深くない。おそらく横穴からここに繋がってるんだ、この穴は小屋に侵入するために掘られたものだ、ヤツのねぐらがこの穴ってわけじゃない」
「あ、ああ…」
「そして、行灯の蝋燭が揺れる。…ってことは風が通ってる。つまり穴の先には出口がある。俺が猿人ならいつまでも穴の中にゃいねえぞ。手がかりを残したままじゃ危険だからな。おそらく、もうとっくに外に出てる」
「じゃあ、この手投げ弾は…?」
「呆れた野郎だ、まだ判らないのか。こいつは相手をぶっ飛ばすためのもんじゃねえ。穴を煙で充満させるんだ、ヤツがどこかに隠れているならいぶり出せるし、いないとしても穴の出口から煙が出る。俺たちが追うべき方向が判る」
「そ、そうか…」
一瞬、納得したように頷いた善丸。しかし、すぐにまた不安そうな表情に戻った。
「で、でも…もし、もし万が一、この近くに母さんがいたとしたら…」
少しの沈黙ののち、仙太郎は答えた。
「やむを得ない。容赦はしない、例外を認めない。それが俺たちの掟だ…」
善丸はぐっと唇を噛みしめ、深く頭を垂れた。「この道に足を踏み入れた以上、自身はもとより家族とて、畳の上で死ねるとは限らない」父の言葉がよぎった。
「そうさ…」
善丸は小さく呟いた。
「母さんも解ってくれるはず。今あいつを逃したら、また大勢の犠牲者が出る。是が非でも今、あいつを殺らなきゃいけないんだ…」
「さあ、やるぞ」
仙太郎が手投げ弾を穴に投じた。内部の傾斜にしたがって穴のなかをコロコロと転がり、火種が導火線を燃やし尽くした時、地下からズン、と衝撃が走った。
「よく見ろ、しっかり探せ」
「あっ、あそこだっ」
雲二郎が指さす先、西の方角の窪地からうっすらと煙が上がるのが見えた。
「行くぞっ」
仙太郎が歩み出す。
「気を付けろよ…また罠が仕掛けられているかも知れない。足元よく見て、慎重に、な」
一同は徐々に足を速めた。
「こ、この匂いは…?」
硝煙の匂いに紛れて腐敗臭が漂ってくる。傍を流れる小川の方向から。
「普通じゃない…やけに臭いな」
嗅覚を頼りに暗い森を歩く。腐敗臭が予感させる結果に怯えながら、自身の鼓動に押しつぶされそうになる。
「あっ」
藪の中、小川のほとりに薄明るい光を見つけた。
「誰か、誰かいるのか…?」
ゆっくりと近づくと、一人の浅黒い顔の男が身を屈めるようにして座り込んでいた。やけに耳が長く尖った男。うっすら周囲には妖気が感じられる。
「お前か、お前が…」
善丸が飛び出した。見ると男は、うっすらと光を放つ掌を、目の前に横たわる初老の女性にあてがっていた。
「か、母さん…」
確かに、その女性は善丸の母親。善丸と目が合うとにっこりとほほ笑んだ。
しかし、善丸は思わず気を失いそうになってよろめいた。
つづく




