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もののけ狩り  作者: 蝦夷 漫筆
人喰い猿の山:恵那
18/42

仕掛けは上々

 恵那・岩村藩からの依頼を受け、近頃山に出没するという謎の妖怪・人食い猿の調査と討伐に乗り出した池鯉鮒ちりゅう衆。

 早速現地に赴き情報収集を行い、翌日には作戦を決行することとなった。


 西の空はすっかり茜色。

 城の北東に位置する水晶山の中腹に彼らはいた。

 「しかし善丸…よりによっておっかさんを囮にするなんて」

 仙太郎が案ずるが、善丸は笑って答えた。

 「なあに、ちょいと山で一時のんびりしてもらうだけだから。造作も無いこと」

 「しかし危険を伴うのは事実だ…」

 善丸は自信あり気に言う。

 「俺の計画にぬかりは無い。猿だか猿人だか知らんが、とにかく敵の出現はほぼ黄昏時に限定してる。だいたいが山道に迷って山小屋にいるとこを襲われてるからな」

 目の前の古びた小屋は普段猟師たちが実際に使っているもの。

 「まさに、ああいう小屋、だ。そして狙われやすいのは女。まあ、俺のお袋だからちょいと年増なんだが…そして火を焚いてる時、だ」

 周辺に設置した捕獲網の上に枯れ葉をばら撒くようにしてカムフラージュする。木の上には灯し油と火種の装置。網に掛かった獲物を丸焼きにする仕掛けだ。

 「妖怪って言ったって所詮サルの類だ。冬に備えてエサを漁る内に人間の味を覚えちまった、ってとこだろ。火と人間の匂いにつられてやってくるはずだ」

 網に続いて鳴子をあちこちに、小屋を取り巻くように足元に罠を仕掛けては蝶番の動作を確認する。

 「よし、準備万端っ」

 「こっちもぬかりはありませんっ」

 少し離れた崖の上から仲間の長右衛門が手を振っている。枯れ木に紛れて設置されたのは、罠に連動して自動発射される弓矢。

 「善さん、こっちも出来たぜ」

 もう一人の仲間、兵之助が、大きな落とし穴を作り終え梯子を上がってきた。

 善丸自身が各種の仕掛けを一つ一つ、再度確認してまわる。絶好のチャンスゆえ、仕掛けの動作不良は許されない。


 「さあ、あとは…」

 山小屋の中を覗き込む。

 「母さん…」

 「あら、もう準備はいいのかい、善丸。この竈で鍋を使ってウサギを煮ればいいわけだね、あたしゃ」

 「ああ、そうだよ母さん」

 随分白髪が増えたようだ。目じりのシワも。

 (三年ぶりだもんな…)

 姿は老いても、落ち着いた優しい口調と、心を温めてくれるような笑顔は、善丸が幼かった頃と全く変わっていない。

 「ご…ごめんね、母さん。こんな役を」

 「謝る必要なんてないんだよ、善丸。こんな役は他の人になんか頼めないでしょうに。私が適任だよ。力になれて嬉しいんだよ」

 「ひょっとすればここに妖怪が来る…いやいや、俺たちがちゃんと退治するんだけどさ…」

 笑い飛ばす母。

 「ふっ、自信もちなよ、善。まあ、あたしゃね、もののけ狩りの旦那に嫁いだ時からこんな目に遭うことにゃ馴れてるよ。それより善、いいかい。父さんが喜ぶようないい仕事をしな」

 割烹着に袖を通し、用意された根菜を板の上に広げトン、トンと慣れた手つきでさばいてゆく善丸の母。

 「あんたを信用しなくって一体誰を信用するってんだい。あたしゃあんたの母さんだ。だから怖くなんか無いんだよ」


 あとは敵が罠にかかるのを待つだけ。

 振り返って母の笑顔をもう一度見た善丸はいそいそと、一同が待つ崖下に降りて大きな岩の陰に身を隠した。

 

 「来る…ぞ」

 仙太郎が小さく呟いた。

 「うん、間違いない」

 雲二郎も感じた。まるで背中の皮の一枚下に、冷たい布をピッタリとあてがわれたような感覚。

 「だが、何処だ…何処から来るんだ」

 気配はすれど姿は見えず、足音も聞こえない。もうすぐ冬だというのに額にはうっすら汗が滲む。

 雲間から差す月光が木々の葉を通り抜けて空気中を漂う小さな虫たちを照らし出す。遠くからはかすかに野犬の遠吠え。

 「どこだ…まだか…」

 互いの吐息が、自分の鼓動がやたら大きく感じられる。

 もう陽が沈む。あるいは今日は現れないのか?

 善丸が呟く。

 「いや、明日からは大雨が続く。だから来る、今日必ず来るはずだ」

 一同、固唾を呑んで周囲に注意を巡らせる。


 「あッ」

 長右衛門が指差す。

 崖の中腹あたりを何者かが走るのが見えた。ほんの一瞬だけ、月明かりが逆立った体毛を映し出した。

 「ヤツだ、間違いないっ」

 はやる気持ちを抑え、縄を持つ手に力を込める。鳴子が音を起てたらすぐに引き上げる、そうすれば敵の身動きを封じることが出来るはず。

 「来い…」

 胸が高鳴る。

 「……」

 身じろぎもせず。

 「……ん?」

 一向に変化が無い。辺りを見回してみる。そよそよと風が吹き抜け、森の下草が擦れあう音が聞こえるだけ。

 「小屋は…」

 窓から漏れ出す揺れる行灯の灯りも、立ち上る煙もさっきと何も変わっていない。

 「おかしいな…」

 一同は首を上げ、顔を見合わせた。

 「どうなってるんだ…」

 時間だけが過ぎてゆく。すでに戌の刻、もうすっかり日も落ちた。

 静まり返った無音がいっそう焦燥を掻き立てる。山小屋から漂ってくる鍋の香ばしい匂いは、いつしか焦げ臭いものに変わっていった。

 

 「お、おい…こ、これ…」

 兵之助が真っ青な顔で立ち上がった。

 「見ろよ…これ」

 手には縄を持っているが、その一端は断ち切られていた。

 「こっち、鳴子に繋がってた方なのに…切られてる…」

 「何だとっ」

 仙太郎が駆けつけた。

 「なんてこった、他はどうなんだ、おい」

 長右衛門に合図を送る。縄を引いて捕獲網が正しく作動するのか、試しに縄を引っ張ってみる。

 「えっ、あれっ」

 網はピクリとも動かない。

 「そんなっ」

 代わりに、木の枝に設置してあった弓矢が作動した。しかも狙う先は捕獲網ではなく、待機する池鯉鮒衆だった。

 「うああっ」

 兵之助が膝を射貫かれた。ガクッと崩れ落ちる。そのまま前につんのめって倒れた先には捕獲網が。

 「ひ、ひいいいっ」

 どうやら知らぬ間に仕掛けが改造されていたようだ。予期せぬ場所に設置し直されていた網にぐるぐる巻きにされ高い枝にぶら下げられた兵之助、身動きが取れない。

 「助けて、助けて…」

 無慈悲にも噴きつけられた大量の灯し油。本来、敵を退治するために設置された火炎放射器が作動した。連動する仕組みを繋ぐ縄が結び替えられていた、としか思えない。

 「やめて、やめてええっ」

 仕掛けの連鎖は止まらない。一瞬で兵之助は猛火に包まれた。助けようにも網が括り付けられた枝が高すぎて届かない。

 「ぐあっ、あぐっ、うぐあああっ」

 激しく燃える炎が、網を吊り下げる縄までも焼き切って落下する頃には、すでに兵之助は顔の判別すら出来ないほどに真っ黒い炭の塊に変わり果てていた。

 

 「おのれっ」

 飛び出そうとする雲二郎を、仙太郎が制した。

 「慌てるなっ。下手に動くと罠にはまるぞっ。相手の思うツボだ…」

 仙太郎は自分自身に言い聞かせているようでもあった。一つゆっくりと深呼吸し、善丸に目配せをした。山小屋の様子をうかがうように、と。

 「十分に注意しろよ…」

 善丸は山小屋に走った。

 大急ぎで、しかし一歩一歩慎重に。

 「母さん…」


挿絵(By みてみん)


 扉の前まで来たが、中からは物音一つ聞こえない。行灯の灯は相変わらず、ゆらゆらと揺らめいている。すっかり空焚きの鍋が焦げ付く匂いが鼻を突く。

 「大丈夫だ…だって、俺はずっとこの小屋を見てたんだ。誰も出入りはしていないし、変わった様子は何一つ無かったんだ…」

 おそるおそる、扉を開けた。

 「か、母さん?」


 つづく

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