池鯉鮒衆、恵那へ
まだ冠雪には少し早いというものの森の下草は霜を下ろしている。吹き抜ける風が顔に痛い。
長く険しい道を、白い息を吐きながら歩く。
「あの山か、城があるのは」
上気した顔からうっすら湯気を立ち上らせる仙太郎。
水筒の水を口に含みながら善丸が地図を広げた。
「いや、まだだよ。さっき通り過ぎたのが飯高観音、あれは天瀑山」
「なあ、善ちゃん」
しきりに首をひねっているのは雲二郎。
「ほんとに早道なの? これ」
池鯉鮒衆、もののけ狩りの一行が本殿を出発してから半日、険しい山道が続く。
善丸は自身あり気だ。
「もちろんだって。中山道なんか通ったらこの倍はかかるよ」
腰を下ろして休もうとする雲二郎を尻目に善丸が歩き出す。
「さあ、もうすぐ大岩が見える。そしたら右に広がる杉林を抜けて尾根伝いに歩けば城が見えるはずだ…もっとも、別名を『霧ヶ城』なんて言うくらいだから大抵霞んでてよく見えないんだけどね」
美濃国、恵那の岩村藩から「人を襲って食らう」という猿人妖怪の被害が続出する、とのことで退治の依頼を受けた池鯉鮒衆。
現地に赴いたのは、仙太郎と雲二郎の兄弟に加えて善丸。さらに善丸の幼馴染で槍の名手、長右衛門と、六尺を超える体格の力自慢、兵之助の五人。
「長の字も久しぶりだろ、故郷は」
振り返って微笑む善丸。
「俺も三年ぶりだ」
岩村藩が治める恵那は善丸の故郷。もっとも、五歳のときから父・天兵衛について池鯉鮒に住み込みとなったから記憶はまばらだが。
「親父も来れたらよかったんだが…山越えするにはまだ脚の傷が気になるみたいだし、何より今は刈屋のヤマに掛かりっきりだから。まあ仕方ないね」
木の枝を杖代わりに歩く仙太郎が善丸の肩を叩いた。
「なあ、天さんはそのヤマ片付けたら楽隠居するって言ってたぞ。歳も歳だから、あとは善丸に任せるってな」
「そりゃいい」
雲二郎も善丸の顔を見た。
「じゃあさ、天兵衛さんじきにここに戻って暮らすことになるわけだね。ところでおふくろさんは元気なのかい? 善ちゃん」
「知るわけないだろ。俺はずっと池鯉鮒で修行してるんだからさ。人の話くらい聞いとけよ、言ったろさっき。三年ぶりだ、って」
たしなめる様な口調、しかし嬉しそうな善丸。もののけ狩りなんて物騒な生業だが、まだ十五。母との再会に心躍らぬはずがない。
思い出したように仙太郎が言った。
「そうだ、善丸と長右衛門は今回の仕事が片付いたら二、三日こっちに残ってゆっくりしていくといい。たまには休息も必要だからな。三年分の親孝行しっかりしてやれ」
目の前に岩村城がくっきりと見えてきた。
「おお、今日は霧も無い。いい眺めだ…こりゃ吉兆だな」
五人はさっそく話を訊くために登城した。
「それが…しっかりと姿を見た者はおらんのです」
色褪せた裃をまとった初老の役人は困り顔。
「ここらは山がちゆえ、昔からそれぞれ山神さまがおいでだ。時にゃ山上童子さまが里に下りて他愛も無いイタズラをなさることも以前からあったんじゃが…人を食らうなど…」
もてなしに、と出された栗きんとんを雲二郎が早速頬張る。
「美味いなあ、こりゃ大したもんだ」
「左様で御座いましょう…特別に川上屋に作らせたものですから味に間違いは無かろうか、と」
「こら、大事な話の途中じゃないか」
仙太郎が制すと「しまった」という顔の雲二郎が口をつぐんだ。もちろん栗きんとんを頬張る口の動きはそのままだったが。
あらためて尋ねる仙太郎。
「つまり、山神童子が人を食らっている、と?」
「ええ、おそらく。多くの民がすでに犠牲になっております。山に入ることを躊躇う者も多く、このままでは安心して寝られませんのです」
「そりゃ獣か何かの仕業じゃねえのかい?」
「犠牲者の中には腕のいいマタギもおりました…獣なら彼らに倒せないはずは無い。それに明らかに刃物で切り刻まれた亡骸もあったと云いますから獣などでは決して・・・」
「山神童子が、ねえ…」
「大きな猿のような風体だった、というのが唯一の手掛りです」
「他に何か情報は無いのかい?」
「ええ、何せ見た者は全て食われて生きておらんもので…ある陰陽師は山を切り開いて人間たちが荒らしたことに対する警告だ、と。他の陰陽師は闇の妖怪がやって来て山を乗っ取ったのだ、とか…食い物を人間に奪われた猿が妖怪に転生したと言う者も…」
一同は顔を見合わせた。
「正体が判らんとなると…出たとこ勝負しか無いか」
「ちょっと危険すぎるな」
「どうせ獣か何かに決まってるさ」
「いや、油断しちゃいかんぞ」
しばらく独りブツブツ呟いていた善丸が、大声を上げた。
「よしっ、罠だっ」
「罠?」
善丸はニヤッと笑って役人に尋ねた。
「今までの事件簿、あるか。まずはそっからだ」
「ほう、何か妙案か、善丸」
仙太郎もニヤリと笑った。
「善丸は頭が切れる。ああ、天さんが安心して隠居出来るように、いい案を期待してるぞ」
「さあ、下調べだ。なあ役人さん、いろいろ道具も借りるぞ、その分は経費ってことで頼む」
一同は藩の記録が記された書物を納める蔵に向かった。
つづく




