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もののけ狩り  作者: 蝦夷 漫筆
悪路神の火を消せ:伊勢
14/42

屍鬼、襲来

 伊勢・猪草ヶ淵の怪異、悪路神の火は実在した。

 あまりに悲しく人生を閉じた、耕平こうへいという男の怨念は自身を凶悪な屍鬼に変えた。

 通りすがる人間を川に引きずりこんで食らい、その者も屍鬼に帰ることで大きな勢力を形成するに至った「悪路神」こと耕平たちに池鯉鮒衆ちりゅうしゅうが戦いを挑む。


 次々に出現する屍鬼が口から吐き出す黒い粘液は、相手にまとわりつき最後には血管内にまで侵入して内部まで侵す。

 防水布で粘液攻撃をかわしながら仙太郎は早速飛び出した。

 「さあ、やるぞ。もののけ狩りだ」

 粘液を吐くだけでなく屍鬼たちは殺害した人間の腸でこしらえた長いムチを使って攻撃してくる。

 「だが鈍いっ」

 岩から岩へ、颯爽と飛び移りながら飛んでくるムチを切断する仙太郎。

 「屍鬼とて、中枢を破壊すれば」

 近づきざまに刀を一振り。屍鬼の頭部を粉砕。さらに油袋、火種を投げつける。

 「灰になれっ」

 敵は悶えながら焼かれてゆく。他の池鯉鮒衆面々も気勢を上げる。


 「俺も…」

 雲二郎が岩場を蹴り上げた。

 目の前に屍鬼が立ちはだかり、ムチを投げつけてくる。

 「落ち着け、俺。落ち着け…」

 まるでスローモーションのように、ムチの軌道が見えた。身体をひねるようにしてやり過ごしつつ、そのムチを左手で掴んでぐいと引っ張った。

 「ようし」

 よろめいた屍鬼に一気に近づき、右手に持った刀で斬りつける。もちろん狙いは頭部。

 「悪いな、お前らの居場所はここじゃない」

 一匹片付けた安心感からか、急に汗が滲み出した。

 「ふう…」

 気付くと足元が震えている。一瞬の油断でヤツらの餌になるという恐怖のためか、妖怪とは言えその命を奪う罪の意識か、あるいは闘争本能が表出した武者震いか。


 「うああっ」

 熟考の余地など、もちろん無い。

 気を許した隙に、屍鬼が投げたムチが右足首に巻き付いていた。

 「しまったっ」

 解きほぐそうと手を伸ばす。だが慌てれば慌てるほど手がもたつく。

 「ぐあっ」

 ムチごと強い力で引っ張られ、雲二郎は空中に放り出された。一気にぐるぐると天地が回り、自分がどこにいるのか、どんな態勢なのか見失った。

 「あわ、あわわ」

 重力に従って落ちる先に地面は無く、柔らかいぬかるみ。泥飛沫を上げて雲二郎の身体の右半分が埋まった。

 「沈む、沈むっ」

 もがけばもがくほど、まるで吸い込まれるように沈んでゆく。

 屍鬼がニヤニヤしながら近づいてくる。まるで、身動きを封じられた虫を食らうために近づく蜘蛛のよう。

 口から土色のよだれを垂らしながらびくびくと顔を痙攣させる屍鬼が、もはや目の前に迫ったとき、何とか足に巻きつくムチを刀で断ち切ることに成功した。

 「雲さんっ」

 仲間の一人、平次が互いを結ぶ縄を引っ張ってくれた。だがぬかるみの粘度が高いため、過ぎには引き上げてもらえない。

 両手を挙げて襲ってきた屍鬼の左腕を、雲二郎が振り回す刀が切り落とした。

 「えっ」

 しかしすでに死せる妖怪はその程度では怯まない。薄ら笑いを浮かべながら屍鬼は右手を雲二郎の首に伸ばしていた。まるで飢えた獣が久しぶりの餌を目の前に興奮しているかのよう。

 「ひいいっ」

 生温かく、それでいて芯から凍りつくような寒い感触が伝わる。ねっとりとした表面の粘液が首筋にまとわりつく。

 「く、くそっ」

 抵抗するが力では敵わない。万力のような力で首を締め上げてくる。屍鬼の、ところどころ剥き出しの骨がギシギシと軋む音が聞こえる。

 「野郎っ」

 刀を突き立てた。

 屍鬼の胸のあたりからどす黒い泥のような液体が飛び散る。

 それでも全く引き下がる気配は無く、さらに顔を近づけてくる屍鬼。大きく開いた口には蛆虫が湧いている。むせ返るほどの死臭が漂う。

 「食われるぞ、雲二郎。とにかく逃げろ、振り切れっ」

 仙太郎の声が聞こえてきた。だが刀は屍鬼の軋む肋骨に挟まって外れない。ぐいと首を伸ばした屍鬼は遂に目の前に。

 「手を離してっ、刀を離してっ」

 必死に縄を引っ張る平次の声。

 雲二郎は諦めて刀を持つ手を開いた。腰の縄がぐっと身体を持ち上げぬかるみから脱出。

 「ふう…助かった。ありがとう、平次…」

 雲二郎は難を逃れて岩場に座り込んだ。

 しかし束の間の油断も許されない。屍鬼は獲物を諦めることなく雲二郎を追って岩場に這い上がろうと迫ってきた。

 「う、うああっ」

 驚いた雲二郎は、眼前に再び迫る恐怖に駆られてか、思わず縄を強く引いてしまった。

 「ああっ」

 予期せぬ縄の緊張。同じ縄の一端に身体をくくりつけた平次がバランスを崩しぬかるみに転落してしまった。

 「へ、平次っ」

 今度は雲二郎が草履の裏のフックを岩場に引っ掛けて平次を引き上げようとする。


挿絵(By みてみん)


しかし遅かった。平次が落ちた目の前には、狂気に目を見開いた屍鬼が一匹。

 「いひひひひっ」

 一瞬だった。平次は頭をむんずと掴まれて首筋にかぶりつかれてしまった。見る見る血の気が失せてゆく。

 「平次いいっ」

 叫びはもう、届かない。

 二、三度ブルブルと痙攣したのち、平次は全身を黒く変色させて白目を剥いた。

 「お、俺が縄を引っ張っちまったばっかりに…」

 雲二郎は平次と自らを繋ぐ縄を引っ張り始めた。

 「く、雲っ。ダメだ、そいつはもう死んでる、止めるんだ」

 仙太郎の言葉も聞こえないほど動転しているのか、すでに息の絶えた平次の亡骸を手繰り寄せ抱き上げ、介抱しようとする。

 「平次、聞こえるか平次。おいっ、大丈夫か。目を開けてくれ…」

 すでに屍と化したはずの平次が、目を開いた。真っ赤に光る目を。

 「ぐひひひひっ」

 土色の手を伸ばし雲二郎に掴みかかる。頭から齧り付こうと首を伸ばしてくる。

 「へ、平次っ。俺だ、雲二郎だ。すまん、すなまい、許してくれっ」

 「ぐばはああっ」

 全く聞こえていない。もはや平次は平次では無い。記憶や仲間意識より「飢え」が勝る。

 「ぐあっ、あっ、ぐあっ」

 口を開けて突き出し、明らかに食いつこうとしている。

 雲二郎はどうしてもまだ信じられない。

 「思い出せ、俺だよ。雲だ」

 ついさっきまで自分を助けようとしていた仲間、平次が屍鬼になってしまったなんて。

 「思い出してくれっ、平次っ」

 両肩を掴んで揺り動かが、思いは届かない。屍鬼と化した平次はますます荒ぶるばかり。

 「ちくしょうっ」

 雲二郎は叫びながら平次の腹を蹴飛ばしてぬかるみに叩き落とした。だがすぐさま立ち上がって近寄ってくる。

 「頼む…頼むよ…思い出してくれよ…」

 諦めきれない雲二郎を見かねて仙太郎が叫んだ。

 「雲っ。そいつはもう平次じゃない、化け物だ。お前の悔恨という心の隙は命取り。非情になれっ」

 「で、でも…兄さん」

 時間は待たない。狂気の笑みを浮かべる「かつて平次とよばれた屍」が再び迫ってくる。

 「ぶはあああっ」

 口から黒い粘液を噴きかけてきた。咄嗟に防水布で避ける。

 「雲二郎っ、これをっ」

 刀を失った雲二郎に、仙太郎が自分の愛刀を投げてよこした。

 「はいっ」

 受け取る雲二郎の目には涙。

 「許せ、平次。成仏してくれ…」

 目の前に迫った平次の頭上から、思いっきり刀を振り下ろす。脳天が砕かれる一瞬、平次はかつての穏やかな顔を取り戻したかのように見えた。じっと雲二郎を見ている、そんな気がした。

 「うあああっ」

 体液を撒き散らして平次は崩れ落ち、やがてぬかるみの中に沈んでいった。

 「うっ、ううっ…」

 うつむいて肩を震わす雲二郎を、仙太郎が声を張り上げて一喝した。

 「何をメソメソしてやがるっ。まだ戦いの途中だぞ、目を覚ませっ。縄を早く切れ、雲。死んだヤツに用は無いんだっ」

 岩場を軽々と飛び移って雲助の傍らにやって来た仙太郎は、迷いなく縄を断ち切った。


 「いいか雲、お前はその刀を持ってろ。俺から離れるな」

 仙太郎は懐から鎖鎌を取り出した。

 「さあ、行くぞ」

 二人は同時に飛び上がり、屍鬼の群がるど真ん中に着地した。次々に襲ってくる敵を相手に二人は互いの背を背に無心に戦った。

 「そうだ、いいぞ」

 雲二郎の頬を伝う涙もいつしか渇き、その目は狩人の輝きを放ち始めていた。

 「そうだ、やれば出来るじゃねえか雲二郎」

 「あ、ああ。けど俺が戦う意味は、狩ることじゃない。仲間を守ること、だ」

 「ふっ、まあいい。理屈なんてどっちにも転ぶもんだ。どっちにしろ、これが俺たちの仕事だ。いいか」

 仙太郎の巧みな鎖鎌。雲二郎も剣術にかけては兄に劣らないどころか、それを上回るセンスの持ち主。

 「さあ、少しずつ見えてきた、だろ?」

 嫌気がさすほどに湿地帯に溢れかえっていた屍鬼たちも半数以上が消え去った。


 つづく


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