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もののけ狩り  作者: 蝦夷 漫筆
悪路神の火を消せ:伊勢
13/42

猪草ヶ淵、悲しき伝承

 被害が続出する伊勢・田丸城下は猪草いぐさヶ淵の怪異現象「悪路神あくろじんの火」の調査のため、池鯉鮒衆ちりゅうしゅう忍草スパイ天兵衛てんべえと十五になる息子・善丸ぜんまるは現地に赴いた。

 妖気に溢れた巨大な山蛭やまびるたちを、密かに開発中の「波動封じ」の粉で撃退した二人は川の中に入っての調査を決行するに至った。


 「さあ、入るぞ。川に」

 「は、はい…」

 不安そうな顔の善丸。それを払拭するように、自信ありげな笑顔の天兵衛は背負った大きな袋を開けた。鎖帷子くさりかたびらに覆われた潜水服。背中には空気樽。

 「これがあれば、半刻くらいは呼吸が持つ」

 二人は水面を波立たせないよう、そっと川に足を踏み入れた。奥へ、奥へと進む。そろそろ足がつかない深さになってきた。

 「潜るぞ」

 目で合図。二人はゆっくりと頭まで川中に沈めた。

 「深いな…ん、あの方角に強い妖気」

 忍たちの間で交わされる手話で意思疎通しながらさらに深部へ。もはや日の光は届かない。天兵衛はガラス容器に入った行灯で先を照らす。

 どんどん身体が冷えてくる。水圧も随分高くなってきた。

 「う、うぐ…」

 だが、身体を締め付けてくるようなこの感覚は、単に水圧によるものでは無いさそうだ。灯りさえ届かない最深部から、なにやら呻き声が聞こえてくる。

 「声…あれが妖怪の声なのか?」

 さらに深部へを身体を沈めてゆく。身震いするような苦し気な声がどんどん大きくなる。

 「マズいな…」

 赤みがかった光が点滅するのが幾つも見えた。かなり強い妖気が迫ってきているのを感じた。

 「危険すぎる。二人だけでは太刀打ちできん。上がるぞ善丸」

 水中は相手のテリトリー。わざわざ敵の土俵に乗る愚は冒さない。だいいち彼ら草の任務は戦闘ではなく調査なのだから。

 「まずは敵を知るのが肝要」

 二人は猪草ヶ淵を後にして、依頼主である田丸城主を通じて現地の寺へ案内してもらった。蔵の中、積み重なった人別帳を片っ端から調べてゆく。


 「これだ…これが最初の事件」

 天兵衛が指さしたのは古びた帳面の、とあるページ。天明年間の記録。

 「百二十年前だ。伊勢の商人、耕平こうへいという男が猪草ヶ淵の、あの丸太橋から身投げした。その後にわかに付近で怪死が相次いでる」

 「身投げが発端?」

 「そううことになる」


 天兵衛は記録に目を通しながら苦々しい顔をした。

 「ひでえ話だ。見てみろ、当時の陰陽師がこの件を詳しく記してる。耕平って男は、悪徳高利貸しにまんまと騙されて店ごと家屋敷まで召し上げられ、ついに最愛の妻まで奪われた、と」

 「ああ…昔っからこの手の話があるってことか」

 「違いねえ。そして、生後間もない赤子を抱きかかえたまま、耕平は方々歩き回って助けを求めたが…ついに」

 天兵衛は思わず目を伏せた。

 「うああ…」

 激しい飢えの苦しみの中で正気を失った耕平は、あろうことか抱きかかえた赤子を食らい始めたという。


挿絵(By みてみん)


 ふと正気に戻り、愛する我が子の無残な姿を目にした耕平は、己の犯した罪に耐えかねて身を投げたと記されていた。

 「ひ、ひでえ…」

 二人はしばし黙祷を捧げた。


 天兵衛は続きに目を通した。

 「水中に漂う怨みと悔恨の情は強い闇の波動となって、黒河童族たちを惹きつけた…」

 「黒河童族?」

 「ああ、河童には二種類いる。例の地下水脈の一団と、あちこちに潜伏して人を食らう暗黒の妖怪となった奴ら、つまり黒河童だ。そいつらが河童特有の高度な知性で瀕死の耕平に波動の力を与え…」

 「妖怪として甦った、と」

 「そうだ。だが耕平の負の力はあまりにも強く、その黒河童たちでさえ近寄れないほどになったそうだ。耕平は街に戻り、自分を追い込んだ高利貸しに復讐を遂げ、その後も怒りと怨念は鎮まることなく暴れ続け、遂に陰陽師たちが退治に乗り出したそうだ」

 陰陽師といえば世に知られたモノノケ退治の先達。

 「しかし名のある陰陽師ですら、暗黒の力を手に入れた耕平には手を焼いたらしい。やっとの思いで猪草ヶ淵まで追い返し、周囲に結界を張って出てこれないように封じ込めるので精いっぱいだった、とあるからな」


 耕平の深い怨念は癒されぬままどんどん増幅し、淵に近づいた者を襲って水中に引きずり込んで食らっては虚しさを癒そうとした。食われた者も暗黒波動を浴びることで耕平同様の屍鬼となり、その数は増え、やがて一大妖怪勢力となった。

 「ねずみ講のように増殖した彼らは天候不良の日には、滑る丸太橋に近づく者を食らおうと水面に近づいて妖しく光る目を晒す。悪路神の火、と呼ばれるのがそれだ…」

 善丸はゴクリと唾を呑み込んだ。

 「お、恐ろしい…」

 「ああ、恐ろしい敵だ。だが我らの使命はこれを滅すること。人外すべて抹殺、が掟の池鯉鮒衆だからな。お前ならどう攻める?」

 父親ではない、師としての目。善丸は目を閉じ腕を組んで熟考する。まるで元服の試験のようだ、と感じながら。

 「まず、ヤツらは屍鬼だから…」

 目を開けた善丸がハッキリとした口調で答えた。

 「肉体は朽ちている。つまりすでに死んでいるのだから動きはそう速くないはず。しかし通常の攻撃では駆除できない」

 目を閉じて頷く天兵衛を横目で見ながら善丸が続ける。

 「で、神経系統の中枢である頭を狙って粉砕する。あるいは敵は水棲妖怪の特性を身につけてるはずだから、熱とか焼くとか、そういう属性の攻撃を仕掛けるのが良い」

 「ほう、しかし相当な数だぞ?」

 「ええ。しかし本来屍鬼系の妖怪は肉体の腐敗によって意志や思考力の程度はかなり低いはず、強力な怨念の波動で全体を誘導している大将格、つまり耕平を狙い撃ちにすれば事は早いのでは?」

 「いい出来だ、善丸」

 天兵衛はにっこりと笑った。

 「敵を知ることで戦術が見えてくる。あとは具体的な準備をせねば。予定では本隊の到着は明後日だ、早速取り掛かろう」

 二人は伊勢の街へと急いだ。


 「雨…いい頃合、だな」

 天兵衛と善丸は現地入りした二日後の夜。仙太郎、雲二郎を含む地鯉鮒衆の「もののけ狩り」本隊は予定通りに到着した。

 「この雨が呼び寄せるんだよ、悪路神の火を。そして俺たちが、狩る」

 仙太郎は周囲の妖気を注意深く探っているようだ。雲二郎は挨拶代わりに善丸と拳を合わせる。

 「善丸、すごいな。これだけの情報を調べあげるとは。さすが蛙の子は蛙」

 「いや、ほとんど親父の仕事さ。俺はまだ見習いってとこだ。しかし俺もちったあ仕事のキモが見えてきた、と思ってはいる」

 少しばかり鼻を高くする善丸、それをからかう雲二郎。近辺の見取り図とにらめっこしながら、横目で仙太郎。

 「さあさあ、お前たちも喋ってないで準備に取り掛かれよ」

 腰に荒縄を巻きつけてゆく。履き替える草履は、裏側に金属製の鈎状の突起が幾つか括り付けられてある。

 「さすがは天さんだ。たった三日でこれだけの仕込みをやってのけるとは…」

 「褒めてもらう類のものじゃあ無えですよ、仙太郎さま。これが俺たち親子の仕事ですから」

 一礼して天兵衛は、全員の様子を見て周る。

 「縄はしっかり腰に巻きつけておいてくれ。川に引き込まれないように互いに支え合うんだ。川だけじゃないぞ、この辺一帯とにかくぬかるんでる。ほらほら、そんな締め方じゃいかん」

 一人ひとり、腰縄から草履まで確認して周る。

 「ぬかるみは妖気に富んでる。用心しろよ、おそらく足を取られたら底なし沼のように引きずり込まれるぞ」

 「ひいっ、そいつは恐ろしいな…」

 「心配するな。あらかじめ縄の端っこは大岩、そして橋にくくりつけてある。誰かが引きずり込まれそうになったら、皆しっかり草履の鈎を岩場に引っ掛けて踏ん張るんだぞ」

 ピクリ、と眉を動かした仙太郎が手を挙げた。

 「そろそろ来るぞ。いいな皆、天さんたちがいい仕事してくれた。次は俺たちの番だ。ぬかりなく、狩るぞ」


 冷たい雨が降りしきる。ゆっくりと、ゆっくりと川はその表面を黒く変え、渦を巻き始めた。

 「来る…」

 赤い光、橙の光がぼんやりと浮かび上がっては消え、渦はどんどん激しくなる。水面には殺気立つほどに荒々しく飛沫があちこちから噴き出し始めた。

 「あ、あれか…気味が悪いったら無えな」

 崩壊した肉体もそのままに、川からゆっくりと上がってくる屍鬼たち。思わず覆面で鼻と口を覆いたくなるほどの死臭が辺りを支配する。

 「気をつけろ、川ばかりに気を取られるなっ」

 川に気を取られていると、足元のぬかるみの中からも屍鬼たちが這い出てきた。

 仙太郎の警告にも関わらず、すでに犠牲者が出てしまった。

 「逃げろ、早くっ」

 足元を掴まれた一人の地鯉鮒衆の若者はぬかるみの中に倒された。

屍鬼がその薄汚れた口から噴き出した泥のような粘液に全身を包まれ、どうやら身動きが出来ない様子。

 「う、うああっ」

 封じられたのは体の動きだけではないようだ。


挿絵(By みてみん)


 粘液はやがて彼の鼻腔や口の中にまで侵入してネバネバとこびりつき、呼吸が出来ない状態に。

 「う、うう、う…」

 顔面は土色に。最後には血管の中にまで入りこんでいるようだ。

 その無残な体を、屍鬼はズルズルとぬかるみに引き込もうとしている。

 「あいつまで屍鬼にされちまう…」

 仙太郎は唇を噛みながら、変わり果てた仲間に向けて手裏剣を放った。狙い通り、頭部を直撃した手裏剣は頭蓋骨まで粉々に粉砕した。

 それでもなお屍鬼は身体に食らいついたまま離そうとしない。

 「縄を切れっ。無念だがやむを得ぬ」

 一蓮托生で皆がぬかるみに引きずり込まれるのは避けなければならない。

 ついさっきまでそこにいた仲間は、頭を砕かれ、互いに繋がる縄を断ち切られ屍鬼に食われながら沈んでいった。

 「いいか」

 仙太郎が一同を見回した。眉間に皺を寄せながら。

 「油断したら、誰もがああなる。生きるか死ぬかの瀬戸際に、俺たちはいるんだ」

 一同は神妙な顔で深く頷いた。

 「よし、あの化け物ども全員、倒すぞ。さっきの気味の悪い粘液は防水布でかわせるはずだ、いいな」

 「はいっ」

 

 悪路神の火、と称される屍鬼たちと池鯉鮒衆・もののけ狩りとの戦いが始まった。


 つづく

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