阿鼻叫喚
飛び散った大量の血は雨のように丘の近くにいた人に降りかかり、血を浴びさせた。
それと同じくして血がかかった人達は発狂し、恐怖だけが俺が立っているところまで伝染してきていた。
「頭が地面に転がってるぞーー!」
「血がかかった! 誰か拭いてくれえええ!」
「あいつ殺された男の後ろに一瞬で移動したぞ!」
「私たちも殺される! 早く逃げないと……」
人々が押し合い、俺の後ろにある車へと走っていく様はまさに世紀末のようだった。それは醜く、見るに耐えないものだった。
中学生の頃に俺は教科書で読んだことがある。かつて世界には恐怖政治なる政治の種類があったということを。権力者が自らを反対する者を投獄や殺戮などの暴力的な方法で弾圧し、強引に権利を握るという政治。
俺はその言葉を逃げ惑う人々を見て思い出した。
もし、奴らが恐怖で俺達をコントロールしようとするならどうするだろうか?
殺すだろう、なりふり構わず反対するものは徹底的に。
なぜ俺がこれまでに自分を冷静に保てていたのかは分からなかった。だが、こういう時こそ心を落ち着かせて行動することが一番大事だと誰かに言われたことは覚えている。
俺はまたもや泣きそうになっていた零子さんを強引にしゃがませた。
「死にたくないならこのままじっとしてて下さい! 周りに流されたら命はないです!」
そう言って俺達は頭を隠してしゃがみこんだ。そして、波が去るまで待った。
「頼む。撃たないでくれよ」
俺は目をつむって願った。
そう願った瞬間、ガスマスクの男は言った。
「今ここに残った者。どんなかたちでもだ。合格! 今ここから逃げようとした者。残念ながら不合格だ。王のために働くにも値しないカス共が」
その言葉は周りにいたガスマスクの兵士たちが持っていた銃の引き金を引くためのきっかけになった。
銃声、弾丸が体に打ち込まれる生々しい音、撃たれた人達が倒れる音。全ての音は一瞬の内に平地に鳴り響き、消えていった。
殺し終わったのだ。逃げようとした人全員を。
「まったくどの血も濁ってて、美味しそうじゃないな」
丘の上に何もなかったように奴は死体をじっくり見回しながら立っていた。
「まったくこれだから素人はダメなんだよな」
俺達は銃声が止んだことを確認すると、その場に立ち上がった。
周りには数え切れないほど多くの死体と大量の血が芝を覆いかぶさっていた。
俺は吐いた。芝に思いっきり。止めようと試みたが、下に滴る血を見るたびに吐き気は繰り返し襲ってきた。
俺は何人の死体をこの目で見なきゃいけないんだ。今日の朝、目の前で人が死ぬのを見た。そして、また大量の死体が俺の周りには転がっている。
まったくなんだってこんな最悪な一日を過ごさなきゃならない。
見上げるとここに立っていたのは銃が発砲される前の半分以下の人数になっているように思えた。
「今の時点で生きている人は本当に勇気のある優秀な人材だ。ここで無駄死にしてもらいたくはない。だから決して君たちの足元にいる連中みたいな行動はするなよ」
ガスマスクの男は死体を蹴りながら言った。
「何が目的なんだ? これから俺達をどうする?」
一人の男性がガスマスクの男に聞いた。
「これから君たちには辛く、厳しい労働が待っているだろう。死にたいと思うほどな。だから今夜くらいは家に戻って休むがいい。そして、考えるのだ。自分がどれだけ罪深かったかを。そして、謝るのだ。今まで傷つけてきた人達に」
そう言うと後ろにあった車にはエンジンがかかった。低く、重いエンジン音。その音の一刻みが俺の心を押しつぶすように響いていた。
「私の手下が君たちの家へと送ってくれるだろう。殺したりなどしない。気軽に家への旅路を楽しんでくれたまえ」
この時点で逃げようと思うものは一人もいなかったはずだ。
俺達が無力であったから、逃げる気力なんて残っていなかったから、死ぬのが怖かったからである。
絶対に殺すと誓ったはずなのに俺の心には死にたくないと思う気持ちのほうが上回っていた。
そして、俺達はただあの男に言われるがままに車の方を向き、足を動かし始める。奴隷のようにゆっくりと、ゆっくりと。
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