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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その男は魔剣使い 少女と共にダンジョンを駆け抜ける

◆1◆

男は、ようやく目的地であるダンジョンにたどり着く。 

目の前には、ダンジョンの入り口でよく見る光景が広がっていた。 道具屋にアイテム鑑定屋、両替商、軽食を売る屋台。 残念ながら、ここに集まっている商人は真っ当な商売人には見えない。 すきあらば料金を吹っ掛けてやろうと待ち構えている人間ばかりのようだ。

そして集まってくる冒険者相手に、一時いっときの快楽を売る女たちがそでをひいている。 


客たちは冒険者と言えば聞こえはいいが、盗賊やゴロツキ一歩手前の食いっぱぐれ者の集まりに見える。 いや、そういう人間はまだいい方かもしれない。 連中の中には逃亡中のお尋ね者や、賞金首しょうきんくびが紛れ込んでいる事もあるらしい。


しかし、たった今到着したばかりの男は、そのたぐいあらくれ者には見えなかった。

目つきが鋭いながらも、顔自体は整っている。多少、薄汚れて見えるが長旅のせいだろう。

軽装の革鎧を身にまとい荷物を入れた袋を背負っている。

物腰はベテランの剣士のように見えた。 しかし商売道具である筈の肝心の得物えものは身に付けていない。


「ほら。 新しい客が来た。 今度こそ可愛がってもらいな。 タダ飯ばっか食ってんじゃないよ」 歳をとった女の声がする。


男は何故か気になって声の方を振り向いた。 老婆ろうばに背中を押されながら年若い女がおずおずとこちらを見ている。

娼婦しょうふの客引きか。 彼は思った。

大人びて見えるように派手目の化粧で歳をごまかしているが、本当は少女と言える年齢だろう。 中くらいの長さの黒色の髪に黒い瞳。切れ長の目に 長いまつ毛。 

少女は美しかった。 しかし年が若いせいか背は低く、この地方の一般的な女と比べるとせ気味だ。


荒くれ者の男たちの欲望にすぐ応える為だろう、服は安物で薄く脱ぎやすそうなものを羽織はおっているだけだ。

東の方の国から奴隷として買われたのかもしれない。 娼婦しょうふとしてはまだ新人のように見える。 振る舞いがぎこちない。

男も東方の国の血が混じっている。 そのせいか、黒髪で黒い瞳の彼女をはかなげで好ましいと感じた。


いや、そう感じるのは、あのひとに似ているからか。 男は思う。 その娼婦の少女は、男が大切に思っていた女に雰囲気がどことなく似ていた。


気にはなったものの、今は時間の余裕がない。

早いうちにこのダンジョンの最下層まで行って目的を達成したい。 下手な感傷にひたっているヒマは無い筈だ。 そう考える。


男は「女はいらん」と、娼婦しょうふ達の元締もとじめと思われる老婆に告げ、ダンジョンの入り口へと急ごうとする。


バシッと大きな音が背後から聞こえた。 振り返ると少女は老婆に顔を殴られ、姿勢をくずし地面に手をついている。


「少しは客の気をひく努力しろっての! 一体何人逃せば気がすむんだい? このタダ飯喰らい! 今日も客のないのはお前だけじゃないか」 少女はほおを思いっきり殴られたのだろう。 手で顔を押さえうつむいている。 泣いているのだろうか。


少女が 痛みを感じているのは本当だろうが、老婆が殴ったのはワザとだろう。 男の同情心を引いて女を買わせる魂胆こんたんだ。

しかし彼が老婆の魂胆を見抜いても、客にならなければ少女がもっと酷い目に会うという事実は変わらない。 あれほど美しいのに客がまだついていないのは、よほど吹っ掛けているのだろうが。


無視しようとしたがやはり大事だったひとに似た少女が、苦しむのを見るのはつらすぎた。

男はふところに手を入れると、袋から金貨を五枚ほど取り出し老婆の方へ投げる。


「殴るのはよせ…その子は俺が引き取る。 それで足りるだろう」


老婆は慌てて金貨を拾う。 男が放ってきた金貨は帝国発行のノルトステア金貨で、この辺で出回っている粗悪なサラマテル金貨と比べると純度も高く価値も大きい。 それが五枚だ。 元締めとしては今夜だけの客を探していたつもりで、少女自体を売る気は無かった。 しかし男が払った金額は、少女を使いつぶして死んでしまう前に得られる額を大幅に超えている。 老婆は文句を言うつもりは無かった。


「お目が高い。 この子は一番の器量好しで床上手とこじょうずです。 可愛がってやってください」と男に向かって言うと、老婆は、先ほどとはうって変わった優しい言葉を少女にかけ、軽く背中を押した。


少女は、まだ何が起こったのか良く分からない様子で、上目づかいに男を見る。

常にそうやって、他人の機嫌を伺って生きてきたのだろう。 老婆に急かされて彼女はようやく男に挨拶をした。


「エミと申します。 よろしくお願い致します」 なんとか、それだけ言うと不安そうに男を見る。


「ダイチ・ブライトナーだ」 男はぶっきら棒に名乗った。

こうして彼女は男のものとなった。



◆2◆

ブライトナーは、追加で数枚の銀貨を老婆に渡すと、エミの為にまともな服を用意させる。

旅に耐えられる丈夫で地味な服。 それが彼の注文だった。


老婆は、手持ちの服を見繕みつくろう為に姿を消す。


女を買ったものの扱いをどうしたものか。 ブライトナーはエミの不安げな顔を眺めながら考えた。

一人で待たせておくのも気になる。 ダンジョンに連れて行くしかなさそうだ。

男は考えを決めると、少女の方に向き直る。

「これから、お前は俺と一緒にダンジョンの中を歩く。 準備しろ」


「ここのダンジョンでございますか? しかし、私は…」 彼女の職業は娼婦であって、魔法も使えなければ剣もつかえない。 モンスターと会ったら喰われるだけだ。


「お前の仕事は後で考えることにする。 取り敢えず今は、ついて来さえすれば問題ない」


仕事を後で考えるって…私、娼婦なんです。 彼女は悲しくなった。

荷物運びでも、させるつもりだろうか。 非力な彼女はそちらの方も自信は無かったが、持ち主の機嫌を損ねたくは無い。 選択肢は無いのだ。 やってみるしかないだろう。


「ブライトナー様。 誠に申し訳ございませんが、身の回りのものを取ってきてよろしいでしょうか?」 大したものは持っていないが、両親の形見の品を大事に仕舞ってある。

これからずっとこの主人のお供をするのだ。 あの品だけはとってこないと。


彼女は、おずおずと前にある森を指し示した。 彼女たち娼婦が、客の相手をするために使っている小屋が森の中にある。 そこに母の形見かたみの指輪と、父の形見のまもがたなが置いてあった。


「構わない。 しかし早くしろ」


ブライトナーは、エミの口調に少し違和感を感じていた。 彼女の話し方には品があり、娼婦のしゃべりとは思えない。 

何か訳ありってことなんだろう。 彼はそう考えた。

許可をもらったエミは、慌てて品物を取りに戻ろうと小屋に向かおうとするが、冒険者の一人に前をふさがれる。 大男だ。 彼女はびっくりして大男の顔を見上げるが、ブライトナーに引っ張られ彼の後ろに隠れた。


大男は話しかけて来る。

「あんたここらで見かけない顔だな。 新入りに忠告してやるが、こんなとこで大金を見せびらかすのは不用心だぜ」


 この大男は冒険者と言っても、ごろつきに近い方の”冒険者”だろう。 使い古したチェインメイルを着て質の悪そうな剣をびている。ブライトナーの方をニヤニヤとして見ながら、値踏みするようにエミの方をチラチラ見る。 仲間らしき冒険者が男の背後から加わって来た。


まあ、こうなるか。 ブライトナーは思った。 俺が不用心だったのは同意だ。

さっき、エミを買う時に、こいつらにとっての大金を見せてしまった。  ごろつき共が、いちゃもんをつけてくるのは自然な反応と言える。


「そうだな。 忠告感謝する」 礼を言ってエミと一緒にその場を去ろうとするが、勿論そうはならなかった。


「金なんて持ち慣れていないんだろ? 俺が預かってやるよ」 男と仲間たちは抜刀し剣を向けてくる。


「ほら、金よこせよ。 ついでに女もな。 お前が最後の女をとってしまったから俺たちが遊べない。 責任を取ってもらう」


ブライトナーは傭兵の出身だった。 相手の武力が上で、負け戦が予想されるなら戦略的撤退をすることは当然の事。 相手が格上なら無茶な闘いを仕掛けることも無い。 それが基本原則だ。


…もしこいつらが傭兵だとしたら、と彼は考えた。 …無能もいいとこだ。 格上相手に無茶な闘いを仕掛けている。


ブライトナーは、呪文のように言葉をつぶやく。 「ギルアデールの黒剣こっけん、いでよ」


何も持っていなかった彼の右手に剣のつからしきものが最初に現れ、次の瞬間、漆黒しっこくやいばを持った剣が出現する。

その黒剣からは、羽虫の羽音のようなブーンという音が小さく聞こえる。

両手に握り、構えた。


「俺も忠告させてもらおう。 こちらを攻撃すれば全て殺す」


ごろつき達は、相手の手の中に突然現れた黒剣の出現に驚く。

しかし最初に声をかけてきた男は気を取り直し 「そんなものは子供だましだ。 死ね!」 と斬りかかってくる。


ブライトナーは、黒剣を男の剣と打ち合わせた。 すると、ごろつきの剣は、まるで始めから存在しなかったように安々と両断される。 紙が切られるように。


黒剣を素早く構え直すと、無防備となったごろつきの身体に斬撃ざんげきを加える。 肩から腹にかけて真っ二つに割く。

ゴトっと男の上半身が地面に転がり、吹き出した血が噴水のように吹き出し地面にたまった。


その光景を見た仲間の二人のうち一人は驚きのあまり凍りつき、もう一人は逃走を図る。

ブライトナーは、逃げようとした男に追いすがり背中から切りかかる。 黒剣はチェーンメイルを紙のように切り裂き、中の肉体をゼリーを切るように何の抵抗もなく切り分ける。


最後の一人は恐慌きょうこうをきたし、がむしゃらに切り込んできた。 ブライトナーは敵の刃を避け態勢を整えると斬撃ざんげきを繰り出す。 敵の首がごとりと音を立てて地面に転がる。

恨みをかった人間を残しておくとロクなことが無い、出来るときに全て始末するというのが彼が決めたルールだ。 そのルールで今まで生き残ってきた。


ごろつき達の、バラバラになった肉体から濃厚のうこうな血の匂いが周囲にただよう。


エミは恐怖に震えていた。 私はなんという人に買われてしまったのだろう。 なんと残忍な人なんだろう。 私はどういう扱いを受けるのだろう。 考えるのも恐ろしかった。


周囲に、他の冒険者達が集まってくる。  荒くれ者の集まりだけあって、喧嘩がこじれて人が死ぬのは慣れっこだ。 しかし、今回の惨状には彼らも怯む。 


「うわっ。 こりゃひでえや」 「あいつ、ヤバいな。 どこのギルドだ」 「はぐれ者だろ。 見たことが無い」


群衆はブライトナーに近寄ろうとはしないが、そこかしこでささやき声が聞こえる。

ブライトナーは黒剣を一振りし血を払うと剣を背中に背負い、呆然ぼうぜんとしているエミの肩を叩くと小屋の方に向かった。


◆3◆

老婆が持ってきた服をエミに渡すと、少女は自分の小屋に戻り着替えてきた。 身の回りの品を入れた袋を背中に背負い実用的で丈夫な服に着替えたその姿は、商人の手伝いのように見える。


「なかなかいいぞ。 よく似合っている」 ブライトナーは笑いながら言う。

エミはどきりとする。 魅力的な笑顔なのだ。 無表情で近寄り難かった男は、笑うと雰囲気が変わって優しそうに見える。 先ほどの残虐ざんぎゃくな戦闘が嘘のようだ。


なんで私なんかを、わざわざお金を出して買ったのだろう?  放っておいても女の方から押しかけてきそうな男前なのに。 


「行くぞ」 男は 声をかけダンジョンの入り口に向かって歩き出す。


三人のゴロツキをあっという間に肉片に変えたブライトナーの冷酷さは、周りの冒険者も知るところとなり、彼の行く手をさえぎろうとする者はいない。


男の足は早い。 エミは追いつくのに必死になりながら、いったいこの人は私をどうするつもりなのだろうと考える。


私は男の人を慰めること位しか出来そうにない。 あんまり上手くないけど。 彼女は思う。

あのひとは優しいだろうか。 痛いのも怖いのも嫌だ。


ブライトナーはダンジョンの入り口に着くと、振り返ってエミを待つ。 彼女が追いつくと「俺が先頭に立って歩く。 絶対に離れるな。 いいか?  死にたくなければ必ず守れ」 と告げる。


「はい」とエミは答える。 彼女はちょっと嬉しかった。 他人が自分のことをここまで気にかけてくれたのは久しぶりだ。 買った女にすぐ死なれるのが嫌なだけかもしれないけど。 彼女は思ったが、それでも気遣ってくれるのは嬉しい。 もしかすると、このお方、ブライトナー様はそんなに怖い人じゃないのかもしれない。


「あの。 荷物をお持ちしましょうか?」  エミが言うと、男はぶっきら棒に答えた。

「余計な事はしなくていい」

不機嫌そうな声を聞き、やっぱり優しくは無さそうだ、 と思う。


二人はダンジョンの入り口近くの天井や側面を補強した、粗末な木製の支えを通り抜ける。

ブライトナーは、中に入ると灯りの呪文を唱えた。 周囲10メートル程度が白い魔法の光に照らされる。


彼はエミを振り返ると「しばらくはモンスターは出ないと思う。 しかし用心だけはしておけ」と言った。


ここのダンジョンは地下の十階層まである。 エミは客の男たちから大まかな事は聞いていた。

最下層の十階はこのダンジョンのあるじとも言える何者かがが守っている。 まだそこまで達した冒険者はいない。 どんな猛者もさでも9階層までで帰ってくる。


このお方は、今日はどこまで行くつもりなのだろう。 足手まといの私を連れながらでは、そう深くはもぐれない筈だ。


しばらく歩くと下の層に向かう細い通路があった。ブライトナーとエミは注意深く下の階層に向かう。

二階層も何も出てこない。 三階層も同様だ。 エミは不思議だった。 聞いた話と違うのだ。 モンスターとの遭遇率そうぐうりつが低すぎる。 二階層、三階層から大怪我をして運び出される冒険者を何人も見てきた。 それに三階層ともなれば並の冒険者ならパーティを組んで本気で戦わないと生きて帰れない筈なのに。


モンスターが出てこないのは、このお方、ブライトナー様が何かしたせいだ。 魔法でも使ってるのだろうか。


「疲れたか?」 声をかけられた。 正直言うと、少し足が痛い。 緊張のせいかのども渇いた。

「いいえ」 と答える。 こんなところで手間がかかる女と思われたくない。


「無理をするな」 と言うとブライトナーは、背中から荷物を入れた袋を降ろし何か取り出した。


「少し休もう。 水と、あとこれは菓子の一種だ。 疲れがとれる」

 

彼女は筒に入れられた水を受け取り、加えて見たことも無い、銀色の紙のようなものに包まれた菓子をもらう。

彼女の主人は包み紙を破り、不思議な黒い板状の菓子を取り出すと口に入れた。

エミも真似をして、もらった菓子を食べてみた。


「甘い」 甘くてかすかに苦味を感じる。 美味しい。 こんな食べ物は今まで食べたことが無い。 腹が減っていた彼女は残りもあっと言う間に平らげた。


「エミは美味そうに食べるな。 それは俺の世界の食い物だ」 ジッと見ていたブライトナーが、唐突にエミに話しかける。


「世界? 世界と申しますと?」 まるで世界が沢山あるように聞こえる。 世界は一つに決まっているのに。

ブライトナーは、また黙ってしまった。


エミは不適切な質問をしてしまったらしい事に気付く。 しょぱなから持ち主の機嫌きげんを損ねてどうする気なの、私。

慌てて話題を変える。


「ブライトナー様。 今日はどの階層までもぐられるおつもりで?」


「最後まで行くつもりだ」


「最後までと申しますと十階層ですか? え? む、無理です! いえ、ブライトナー様が弱いとかじゃなくて! そんなつもりではなくてっ!!」


…これでは、あなたが弱いから諦めろって言ってるように聞こえる。 なんで私はいつもこうなんだろう。 でもご主人は知らないんだ。 最下層を生きて帰った人間はまだいない事を。 教えてあげないと。


ブライトナーは、慌てて付け加えようとするエミを遮ると言った。 苦笑いをしながら。


「大丈夫だ。 お前の言いたいことは分かるし、気分を害してもいない。 ここの難易度は知っている。 それと最下層まで行ってもお前に怪我をさせることは無い。 保証しよう」


男は少し逡巡したが、付け加えた。

「俺は,ある目的があってダンジョン巡りをしている。 金や財宝が目当てでは無い。 いきなりで面食らっているかも知れないがつきあえ」


ブライトナーは腰を上げた。

「もういいだろう。 行くぞ」 エミが立ち上がるのを待つと先に立って歩き始めた。



◆4◆

「そろそろ敵がいてくる。 周りに注意しろ」 四階層への通路を見つけたブライトナーはエミに注意を与えた。


「はい」 エミは緊張する。 素人ながら、周囲のどんな変化も見落とさないように注意しながら通路を歩いた。

しかし、危険は彼女の予想より分かりやすい形で来た。


前方で魔法の光も届かない闇の中、大勢の人間の叫び声が聞こえ始める。

どうやらモンスターと交戦中らしい。

ブライトナーは、他のパーティの戦っている場所を避けようと迂回うかい出来ないか周りを見るが、残念ながらそこを通るしかなさそうだ。

獲物えものを横取りされるのではないかと疑われても面倒なので、出来れば避けたかったのだが止む終えまい。


二人は声のする場所に向かう。


近づくにつれて、大声で交わされている会話の内容が聞き取れるようになった。


「無理だ。 逃げろ。 俺が残る」


「すまん。 恩にきるぜ」


「いやだ。 あんたが残るなら私も残る」


「駄目だ。 お前は行けっ!」


「そうだ。 逃げるが勝ちだ。 このままでは全員死ぬぞ!」


「あんたたちなんて、勝手に逃げればいい。 卑怯者!」


「そうさせてもらう。 恨みっこなしだぜ」


どうやら苦戦しているようだ。 というより全滅間近か。

ご苦労な話だ。 まだ四階層なのに。 ブライトナーは思った。 よっぽどの初心者がよく調べる事もなく、ノコノコここまで進んできたか。

助けてやる義理はない。 不注意で実力不足の冒険者が淘汰とうたされるだけの話だ。


前から一群の男たちが、こちらに向かってくる。

ほとんどが負傷している。 何人かは仲間に肩をかつがれ必死に逃げてくる。


「あんたらも逃げろ! この階層ではあり得ねえ筈なのにケルベロスが大量にいた」 一人がブライトナーたちの前で止まり警告する。男の鎧は裂けており、顔からは血が出ている。


「仲間の夫婦が食い止めてるが、もうたないだろう。 命がおしけりゃすぐ逃げろ。 じゃあな」 それだけ言うと仲間の後を追って走り去る。


ケルベロスだと? まさか!? ブライトナーは愕然がくぜんとする。

俺の探しているダンジョンがケルベロスに守られている筈はない。 管轄かんかつが違うはずだ。

ここがケルベロスが沸く場所なら、…もしそうなら、…そうなら


…俺はまたもや間違えたのか…バカな! そんなことが。


「離れるなっ」エミに声をかけると、男が逃げてきた方向に駆け出す。 確かめないと。 今すぐにだ。


「ブライトナー様、 待ってくださいっ! 置いていかないでくださいっ」 突然走り出すブライトナーに慌てて、後を追うエミ。


…戦いの場所につく。


三つ首を持つ犬の姿の、異界の化け物ケルベロスが十体、そこに居た。

前には20代に見える男女が戦っている。 男は右手をズタズタに噛み砕かれ、立つのがやっとのようだ。

女は光り輝く剣を構え、化け物をにらみつけている。 しかし、彼女も脚と腹から血を垂らしていてつらそうだ。

女の剣は魔法剣のようだ。 しかしAクラスの魔獣であるケルベロスに立ち向かうには、明らかに力不足。


ブライトナーには、しかし、戦う冒険者のことなど気にかける余裕は無かった。

彼は、十匹の犬の化け物をじっと凝視している。


…ケルベロスに間違いない。 もしここが探している場所なら、こいつらはいない筈。

またもや俺は間違った訳だ。 このダンジョンは目的のものでは無い。 こいつはとんだお笑いぐさだ。


今度こそ、今度こそ、正しいダンジョンを見つけた筈なのに。


呆然ぼうぜんとしているブライトナーの手が突然に握られる。 ようやく追いついてきたエミだ。

彼女の目は、絶望的な戦いを続ける冒険者の夫婦連れに向けられている。

手をギュッと握られて、男はエミを見る。


「助けてあげ……」 最後の方はよく聞こえない。 声は次第に小さくなりブライトナーの耳には届かない。


”助けてあげてください。 あなたはそんなに強いのに”


エミはそう言おうとしていた。

彼女の両親は冒険者だった。 彼女を連れた旅の途中、両親はモンスターに惨殺されたのだ。 最後までエミを守って殺されていった自分の両親の姿が、今戦っている 冒険者にかさなっていた。


ブライトナーは、死なせてしまった大切な女の面影おもかげを、手を握ってきたエミに見た。

遺言ゆいごんを思い出す。


”今までありがとう。 これからは私だけでなく他の人達もまもってあげて。

あなたは強いのだから。 それであなたも救われる”


君は死んでもまだ、それを俺に言うのか。 この少女の口を借りて。

男は皮肉げに微笑ほほえむ。 よかろう。 それが君の願いならば。


「下がっていろ。 敵を殲滅せんめつする」 エミに告げた。


「ギルアデールの白剣びゃっけん。 ロン=ドートの盾。 力を貸せ」

ブライトナーの前の空間が、グニャリと歪んだ。 その歪みが二つの 丸い盾のようなものに変化して空中に浮かぶ。 右手には真っ白な刃を持つ剣が、実体化した。


そのまま、襲われている冒険者の前に突っ込む。

進路を塞ぐ一匹のケルベロスに対し、白剣を一閃。 犬の化け物は突然の乱入者に気がつきブライトナーに躍り掛かったが、剣の一閃を受けると沢山の小さな光の粒に分かれ輝く雲となり崩壊ほうかいした。 存在が一瞬で消え失せる。


「あなたは、一体何者…あり得ない」 魔法剣を持って戦っていた女が、驚き問うた。

ケルベロスを一瞬で葬り去る戦士なんて、彼女の人生で今まで見たことが無かった。


「助けてやる。 後ろに下がれ。 早くしろ!」

九匹のケルベロスの群れが、それぞれが持つ三つの頭をブライトナーに向けた。

頭の一つが炎を、二つ目が電撃を、三つ目の頭が光の束を吐く。


空中に漂っていた二つの半透明の丸い盾、ロン=ドートの盾が一瞬で巨大化し、全ての攻撃を受け止める。


「こちらの番だっ!」 ブライトナーは白剣を横なぐりに払う。 前の空間が歪み、九匹のケルベロスを飲み込んだ。 耐えきれず、犬の化け物たちは光の粒となって崩壊する。


「助かった…」 夫婦連れの夫と思われる男は、限界だったのだろう。 床にペタンと座り込む。

「大丈夫ですか?」 エミが慌てて男の元に駆け寄った。



◆5◆

エミが夫婦の冒険者の手当をし、何とか移動出来るようになるまでブライトナーは待った。

夫婦の冒険者の礼の言葉をうるさそうに流しながら、その場を立ち去る。


この場所は、俺の探していたダンジョンでは無かった。 戻るしかないか。

しかし…もしかすると。

彼は後ろを振り返り唐突にエミに尋ねる。


「お前は、今居る世界が好きか?」


「えっ」 当然の問いについていけず、エミは目を白黒させる。


ブライトナーは、ゆっくり尋ねた。

「お前は、今まで幸せだったか?」


幸せな訳がない。 場末ばすえ娼婦しょうふに何を聞くのだろう。 両親が化け物に殺されて、気がついたら娼館しょうかんで働かされていた。

客も無く、お腹が空いて眠れない夜もある。 殴られる時もある。

エミは少し腹が立った。 幸せの筈がないでしょう!  しかし感情を抑え丁寧ていねいに言う。


「…幸せではありませんでした」


「そうか。 分かった」 ブライトナーは言った。


「十階層まで急ぐぞ」


五階層、六階層、七階層。 モンスターは沢山()いた。 しかしブライトナーは黒剣、白剣を使い分け圧倒的な戦闘力で化け物を圧倒する。ケルベロスどころではなく、ミノタウルス、サイクロプス、果ては翼を持った悪魔のような魔人も男の前に文字通り塵となって消えた。


素人であるエミにも分かった。 今戦っている私のご主人、ブライトナー様の強さは常人のレベルを遥かに超えている。 もしかしたら、伝説のドラゴンも一人で屠れるかも知れない。 なんでこんな強いお方が私なんかを買ったのだろう。 一体何の為に戦っているのだろう。


八階層に降りる通路の前で、しばし休む。


ブライトナーは、傷一つ身体にはつけていない。 そもそも敵の攻撃が届いた事は一度も無い。

しかし、男は消耗して疲れているように見えた。


「ブライトナー様。 大丈夫ですか? ご無理なさらずに。 私が言うのは差し出がましい話ですが、一旦地上にお戻りになっては如何でしょう?」 エミは主人の顔に浮かんだ汗を拭きながら言う。


「大丈夫だ。 心配させて済まない」 エミは一瞬、主人の顔に寂しそうな表情がのぞいた気がした。


「お前に見せたいものがある。 もう少しだ」


八階層、九階層。 相変わらずブライトナーの強さは圧倒的だ。 だが今はエミにも分かる。

もう男の体力は限界に近い。 剣を振るうのが苦しそうだ。

あんな人間離れした剣技を、こんなに何回も使ってるのだ。 身体に無理がきているのだろう。


「ようやく…着いた。 この先だ」 ブライトナーは最後の十階層に降りる通路の前で言う。


「ブライトナー様、お苦しそうです。 戻りましょう」


「何。 …あと一回だけだ。 …問題無い」 息が苦しそうだ。

最下層近辺で休むのは得策ではない。 警護のモンスターが大量にいてしまう。


「いくぞ。 今度の敵はかなり強い。 俺の側から絶対離れるな」


「次はダンジョンの主なのですよね」 ブライトナーの強さを疑う訳では無いが、今まで倒した者がいない筈の敵なのだ。


「そうだ。 このダンジョンの管理者。 SSSクラスの魔物…ここのモンスターの配置セットだと恐らくダークドラゴンだろう」



◆6◆

「まあまあか。 結構楽しめたぞ」 ダンジョンの主、ダークドラゴンが言う。

ブライトナーは苦戦していた。 あれほど圧倒的な強さを誇っていた黒剣も白剣もドラゴンにはじかれる。

鉄壁の守りを提供していた空中に浮かぶロン=ドートの盾は、ドラゴンブレスの攻撃を受け消滅していた。


「ギルアデールの双剣、黒剣と白剣か。 それにロン=ドートの盾。 大したものだ。 我以外なら勝てたろうに」

「我は破壊不能の属性持ちだ。 物理攻撃も魔法攻撃も効かぬ。 残念だったな」 ドラゴンは憐れむように言った。


ブライトナーは、苦しそうだ。 剣を持っていた右手はもう動かない。

伝説級の剣や盾を長時間使っていたせいで、生命力を極度に消耗してしまっていた。


しかし苦しい息の中、男はこう言った。

「奥の手をまだ出してない。 試させてもらうぞ」

ブライトナーは黒剣を左手に持ち替え、自分の右肩を剣でつらぬいた。 黒剣は男の右肩を肉塊に変える。

多量の血が地面にしたたり落ちる。


まだ動く左手でエミをそばによせて抱く。 そしてかすかかに笑う。 「最後の手段を使う。 俺にしがみついていろ」


「血を代償にささげる! タージオンの門、出でよ」 エミを抱きながら血だらけで頭上を向き,大声で吠える。

ブライトナーとエミを中心にして、床に巨大な魔法陣が現れ、回転を始めた。


「タージオンの門だと!  盟約めいやく違反だ。 この世界でそれを使うなっ!」 ドラゴンは叫び、慌てて防御の魔法を展開しようとした。 だがもう遅い。


ブライトナーは命じる。 「門よ開け。 接続せよ」 


ブライトナー達の周りを僅かに残し、取り囲むように外側の空間が変化する。 遠く離れた別の場所に空間がつながったのだ。 


そう。 太陽の中心核、すなわち巨大な核融合かくゆうごう反応炉はんのうろの中心部に。


質量=エネルギー変換で生成された純粋な光を多量に受け、ドラゴンは、瞬時に形を失った。


10マイクロ秒の後に、空間は元に戻る。

エミは自分を抱きしめていた主人の左腕が急に緩まるのを感じた。 見ると、ずるずるとブライトナーは床に崩れ落ち始めている。


「ご主人! ブライトナー様!」 エミは泣きながらブライトナーに肩を貸す。


「…大丈夫だ。 俺は常人より頑丈だ。 血もすぐ止まる」

男は安心させるように、女に話しかけ、ドラゴンがいなくなった空間をにらんだ。


「エミ。 それより、あそこを見ろ」 ドラゴンが居なくなり部屋の反対側が見渡せるようになっている。 ブライトナーはエミに部屋の向こうを指差した。

壁に、天井までの高さがある大きな扉が見える。


「このダンジョンは、関所のようなものなんだ。 最後の門番であるドラゴンがいなくなったので、向こう側にいける」


男は微笑ほほえんだ。


「さあ行こう。 お前に見せたいものがある」

エミはブライトナーに肩を貸しながら、扉に向かい歩き始めた。



◆7◆

大きな扉の前に立つと、二人は一緒にそこを押す。

エミは怪我けがをしているブライトナーを気遣い、思いっきり力を出して扉を押した。


扉はきしみながらゆっくりと開いた。 さわやかな風が吹き込んでくる。


「えっ」


ここは地下深くにあるダンジョンの10階層なのだ。 エミは扉の先は別の部屋に続いている…と思い込んでいた。 「まさか…こんな…」

エミは、開いた扉の向こうに出てみた。


目の前に見えるのは、青空だった。 青空の下には広大な畑がある。 植えられているのは恐らく大麦だろう。 風に穂がそよそよとなびいている。 大麦の畑は地平線の向こうまでずっと繋がっていた。


太陽が眩しい。 見上げたエミは驚きのあまり固まってしまった。

大きな太陽と、小さな太陽。 太陽が二つある。


「驚いたか? ここのダンジョンの最下層には転移装置がある。 最後のダークドラゴンは、その装置の守護者という訳だ。 俺は無理やり使わせてもらったがな」


ブライトナーは、エミの背後から声をかける。


「この世界は、お前の居た世界より豊かだ。 しかも開拓地なので人が足りない。 女は特に。 真っ当な働き場所もすぐ見つかるだろう。 なんなら結婚相手を探せ。 働きもので真面目な男も多いだろう」


男はまだ動く左手を、女の肩にかけた。

「もうすぐ、移民の審査官しんさかんが現れる。 俺の名前を言うといい。 多少は扱いが違う筈だ」


ブライトナーは扉に歩み去った。

「ご主人様は、行かないのですか?」 このお方と離れるのは嫌だ、エミは自分の感情に気がつき驚く。


綺麗きれいな場所では生きられない虫も居るってことだ。 やり残した事もある」


それに、と男は付け加える。

「俺はもうお前の主人ではない」


扉が透明になり消えかけている。

「達者でな」

ブライトナーが向こう側に行くと扉は消え去った。


「ブライトナー様っ! 待ってくださいっ! 私はあなたと…」 エミは叫んだ。


ブライトナー様。 優しい場所に連れてきてくれて、ありがとうございます。 でも、でも…私はあなたと一緒に居たかった。

…これは私の望んだ結末じゃない…です。


彼女は、涙がほおを伝わるのも構わず、ブライトナーが消えた場所をずっと眺めていた。



◆8◆

エミが異世界に行ってから6年が過ぎた。

ブライトナーは苦労の末、目的のダンジョンをようやく見つけ、探索たんさくに向かう。


ダンジョンの難易度はエキストラ。 もはや難易度の格付け自体が意味を持たず、攻略した人間どころか訪れた者もいない場所だった。

配置されたモンスターに見覚えはなく、名前も分からない。

分かった事は、人外の強さを持つブライトナーでさえ苦戦する強さだと言うこと。


中層までは何とか探索できたものの重傷を負い、低層まで逃げ帰った。


「なんてことだ。 ようやく目的の場所を見つけたと言うのに」


俺一人では無理なのか。 せめて信頼できる回復役がいれば。

ブライトナーは思ったが、この世界では回復魔法の使い手は貴重だった。 ましてや、彼のような怪しげな人間を手伝ってくれる人間なぞ。


「ブライトナー様。 お久しぶりでございます」


女の声に振り向く。

「お、お前は…」


随分ずいぶんとお探し致しました。 お会い出来て嬉しいです。 さあ治療させてください」

白い柔らかい光が男を包む。 貴重な回復の魔法が効力を発揮し傷がふさがっていく。


この女は、エミだ。 俺が異世界に送ったエミに違いない。 

しかし別れた時の少女では、もう無い。 


男は思う。

美しいのは相変あいかわらずだ。 漆黒しっこくの髪に切れ長の目も。 しかし、背が伸び均整のとれた姿と、上品な立ち振る舞いは成熟した女性のものだ。 明るい笑顔がまぶしい。

…まるで、あのひとと姉妹のように似ている。


「何でお前がここに居る?」


「ブライトナー様にまたお会いしたくて。 元の場所に戻る手段を必死で探しました。 ただ足手まといは嫌だったので。 向こうの世界で回復役の勉強をさせてもらって」


エミはにっこりと微笑んだ。

「有能ないやし手をやといませんか? 買い取りでもいいですよ!」


「…馬鹿な真似をしたな」


「いいんです。 利口に生きようとは思っていません」


これが私の望んだ結末。 いや私の物語は、これから始まるんだ。

エミは、ブライトナーと再会出来た自分の幸運に感謝した。 そして今この時が、生涯の中で一番幸せな時間だと感じていた。


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