第4図録 さよならの魔法は終わり、
涙で霞んだ空に手を差し伸べてくれたのは、いつも兄さんだった。
あの頃はずっと兄さんって読んでいて、兄さん兄さんって付きまとっていた。
今はもう違うけど、ガリオンガリオンって呼んでいるから、似ているのだろうかとふと思った。
大魔女に相談したら、それはきっと声が届く範囲に彼がいるからだよと教えてくれた。
そうだ、前はこんなに名前を呼ぶことはなかった。彼が入学してくる前は。
私も変わっていくのかもしれない、こんな風に。
―――たぶん、良い風に。
目覚めたとき、ガリオンはだるい気分で一杯で、逆にベルはすっきりとした目覚めのようだった。どうやらガリオンの力を目いっぱい吸収し、それを毒の分解に当てていたようで、魔力ってそんな使い方もできるんだなぁと思いつつも、同じ部屋で寝ることに抵抗はなく。2人は数日間、医療チーム率いる医療棟の一角にご厄介になることになった。
男女2人部屋なんて…!と人間なら言うかもしれないが、まあここは「ヴァレリエと魔女の楽園」のため、色めいた話を娯楽程度に騒がれることはあっても、付け加えることに、2人が双子だと言えば、みな納得して「双子であれば当然」だと特に抵抗なく受け入れられた。そんな特異な環境で2人はゆっくりと、特にベルは毒を解毒することができた。
そうしている間に、フォリオが見舞いに来てくれた。もちろん、双子の姉のファナリィと連れ立って。
大きな花束を持って見舞いに来てくれたのはフォリオとファナリィの双子。病室に入るな否や、フォリオが大きく腰を曲げ、謝り倒した。
「本当にすまなかった、そして有難う。感謝のしようがない」
ファナリィが気を利かせて花束を活けてくると言って病室を出ている間、フォリオは備えつけの椅子に座って、しゅんとした顔でガリオンに謝り続けた。
「本当ならあそこで昏睡状態なんかにならず、俺が生還して、犯人の顔をお前に伝えてやることができるようにする算段だったんだ。なのに不意を突かれた挙句、毒を分解しきれずに昏睡状態まで成り下がって…聞けば、死ぬ間際までだったらしいと。あの時、ガリオンとベルがいなければ、俺は死んでいたかと思うと未だに恐ろしい」
「そう思うならそこまで無茶な囮作戦しないでくれよ…」
ガリオンがそう言うと、フォリオは首を振った。
「いや、俺は最初からあいつ…ケイオスが怪しいと思っていたんだ。だから囮になりたかった」
「…え?」
「学年は違うが、何度か男子寮で見かけた。が、あいつが俺たちを見る目はまるで実験動物を見るような目だった。…気持ち悪いとは思っていたんだが、人間なんてそんなものだと思って割り切っていたんだが」
しかしフォリオはガリオンと出会い、どうやらケイオスだけがああいう雰囲気である異常性に気づき、怪しいと判断したらしい。
「さすがに寮内を探すことはできないし、現行犯が一番だと思ってあんなことをしたんだが…さすがに軽率だったな」
「そうですね、机上の空論でしたね。できればそのあたりの話を早く俺たちにも伝えてもらえたらよかったです」
「本当にすまない。姉さん以外は基本的に信用できないんだ。だが、今回のことで、ガリオン、ベル、お前たちのことは信用してもいいと思っている」
それだけ言って照れくさくなったのか、「姉さんが遅い、探してくる」と言って、病室を出ていってしまった。
「本当にそうね」
ベルがくすりと笑う。
「何が?」
「机上の空論、って奴。今なら本当にそうでしょ?」
だってそうだろう。
もう犯人は捕まって、ここでガリオンたちはまだ休んでいなくてはいけないけれど、この絶対安静期間さえ終われば、すぐに理事長代理捜査人としてケイオスの取り調べをして、彼の動機や裏付けを取りたいところだった。
本当なら今のうちに彼の所有する毒物を取り上げて、分析を研究チームにお願いしたいところだったが…まだ絶対安静のうちだからと、医療チームに止められていてそれはできない。
そんなことをファナリィとフォリオにぼやいていたら、ファナリィが代わりにやってくれると申し出てくれた。
曰く『うちの弟を殺しかけてくれた毒物ですもの。絶対に取り上げて、研究チームの元へ届けて見せますわ』と怒りをあらわにしながら、奮起していた。
花瓶も壊しかねない勢いでちょっと怖くて、姉の弟への愛情はやっぱり重くて。下手をしたら弟から姉への愛情より重いのではないかとガリオンがひっそり思ったほどだった。
そんな病棟での日々があって数日後―――。
医療チームから絶対安静を解かれた体で、寮に向かっている。正直、今はすぐに寝たいが、ベルに早めにことを済ませたいと言われてすごすごとそれに従っている形だった。あれ、こっちが理事長代理捜査人じゃなかったかなぁとガリオンは思いつつ、逆らえないのは昔からだったかもしれないとちょっと笑ってしまった。
だるい体を引きずってケイオスが今収容されている寮に行く。
大魔女にもベルの延命の処置の件で礼が言いたかったのだけれど、一先ずケイオスの件を片付け、その報告がてらでいいだろうということでベルと話がついたので、2人は寮への道を歩いている。
「ベル、これからはこんな無遠慮なコントロールするなよ。ほんっとーに今だるいんだからな。いくら黄金色100%が無尽蔵に近い魔力量だとしても、お前、さっきのは取りすぎ。俺枯れるだろ」
「魔力が枯渇した例はないわ。それに、どうせ明日になれば復活するわよ。大丈夫、長く離れていたって触媒の、その感覚は忘れないわ」
「…そこは、まあ頼りにしてるけど」
ガリオンはちょっと照れくさくなりながら、そっぽを向いた。どうしても触媒として力を使うときは手を繋ぐとか、体のどこかに接していなければならないというのがあって、幼い頃ならいざ知らず、今のベルに触れるのはたとえ双子であっても多少なりとは抵抗があるもので。
「手、でいい?」
「え?」
「力使うときは、手でいいかって。照れくさいじゃん、なんかいちいちやり取りするの」
ガリオンからこういうことを聞くのもかなり照れくさいものがあったのだが、恥を忍んで、かなり頑張って聞いてみたというのがガリオンの本音ではあった。ベルはそれに気づいてはいたものの、くすりと笑って手を取って言った。
「手でいいわよ。昔からそうだったでしょ」
「…そうだった、かもな」
そうだったな、とガリオンは思いだした。いつもあの頃は2人手を繋いでいたから。
触媒として使うときも遠慮することはなくて、手を繋いだまま。だから魔法なんて手を使うのと一緒で、便利なものだったのだ。あの頃は。
そうこうしているうちに寮につき、見張りが付いた部屋についてしまった。つまり、ケイオスが囚われている部屋に。
ベルとしては半分殺されかけたこともありつつも、割とあの部屋にずっといたこともあって信じられないことも半分あってか、ちょっと怯えていた風にも見えた。まあ無理もないか、とガリオンは思いつつも、勢いよく、寮のドアを開け、中にいるケイオスを見た。
とりあえず驚くほど冷静なケイオスを見ることはできた。彼はいたって普通に椅子に座って本を読んでいたからだ。
ガリオンはもうひとつの椅子をベルに渡して、更にもうひとつの椅子を持ってきて自分も座ってケイオスを見た。
ケイオスはこちらを見ることはしなかったが、特に何もすることはなく、話すこともなかった。
「とりあえず確認もかねて、事情聴取っていうのを一応しておきたいんだけど良いですかね、ケイオス先輩?」
「……」
断れないことをわかっているのか、とりあえず手元の本からは目線を外したケイオスに、話を聞く気にはなったかなとガリオンは思い、ガリオンは言葉を発した。
「貴方のことは怪しいと思っていました。特に毒薬がヴァレリエが作ったものじゃないという分析結果が出ている以上、貴方が一番怪しいと思っていました」
ぱらり、そう言ってガリオンは事件のことを纏めていたメモ帳を開く。そして、えーとと呟きながら、化学式の書かれたメモを千切って見せる。
「これが、貴方の持ってきた毒物の化学式ですよね。俺たちの友達に頼んで研究チームに分析してもらいました。研究チームによると、これはヴァレリエ用の毒ではなく、人間用の毒をヴァレリエ用に作り替えたもの…らしいですね?」
ざっくりといえばそういうことらしい。小難しいことはガリオンにはわからなかったが、研究チームは人間用の毒を何倍にも強め、更にヴァレリエ用に毒に耐性があっても効くように作られているそうだった。
「ケイオス先輩…?」
「そうだよ。…それは私が、私のいた研究所から持ち込んだものだ」
「研究所?」
「ああそうだ。お前も人間枠で入ってきたからわかるだろ。人間の街には魔術に関する研究所が数多ある。魔術学校の卒業生の何割かはそこに就職する」
そういえばそんな話を聞いたこともあった、とガリオンは思いだした。あまりにも自分から遠い話だったので、忘れがちだったが、人間の街にはそんなものもあったのだ。毒物に限らずありとあらゆる魔術に関することについて突き抜けた人材たちが集められ、研究し、ゆくゆくは大魔術師や大魔女へと遂げるか、論文などを発表して、世界から脚光を浴びるか、そんな世界の話だった。
魔術理論などが優秀な生徒たちがそこに就職するなんてことも風の噂で聞いた。
「もちろん、私個人が作ったものだが…実験したくなったのだ」
「実験だと…?」
この連続殺人自体が実験…?
首を傾げたが、そこからケイオスは滔々と語り始めた。
「そう、これこそが実験。いやぁ5件目までは順調だったよ。ヴァレリエは人間には手が出しにくいところに住んでいるからね、こうした制度…人間が入っても良いという大魔女直々の枠が出たのは良いきっかけだった。年齢を詐称してまでも入った価値はあったね。まあ、君たちによって6件目、フォリオと言ったかね、彼は阻止されてしまったが…彼以外はデータが取れた。毒物とそれに耐性のあるヴァレリエ用の毒物が、どれほど効果をもたらすのか。結果としては上々で5分間で効いてくれた。机上の予測では耐性があるが故に、3分で絶命すると思っていたのだけれどね、いやヴァレリエも進化をするのか、ほぼほぼの生徒が5分持つとは。やはり、実験を進めてよかった」
「…実験ね」
反吐が出る、と隣で小さくベルが言った。
それが聞こえたのか、ケイオスはにやりと笑ってベルの方を向く。びくっとベルは怯えた表情をした。さすがに真正面からみられるのは、まだ怖いらしい。
「君については悪いことをしたね、てっきりヴァレリエかと思っていたからね。優秀な…そうグリーンズの遺言を継ぐ者だと思ってかかっていたものだから、つい」
「なるほど。確かにベルは大魔女とも面識がある。グリーンズの遺言を継ぐ者だと思ったんだな。それで実験対象に加えたわけか」
「そうとも!…まあ君は人間で、毒が効きすぎてしまったわけだけれど。それについてはすまなかったね、すぐ殺してしまうところだった」
ゾッとしない話だ。こいつはじわじわ殺すことを楽しんでいる。
「…それって結局殺しても構わないって話でしょ」
ベルがそう話の水を向けると、ああ、とケイオスが言った。
「もちろん。顔を見られた時点で私の実験は台無しだ。後少なくとも4人、いや10人はサンプルを取ってから、研究所に戻りたかったからね」
「気色悪」
ベルが席を立って外に出る。
ガリオンも外に出たかったが後ひとつだけと思い、ケイオスに向き直る。
「ひとつお聞きしても?」
「何かね」
「研究所が貴方にそうしろと言ったのですか?それとも今回のは貴方の独断ですか?」
「…基本的には私の独断だが、この研究自体は研究所全体で行っている。ヴァレリエは未知の生命として私の研究所では取り扱われているからな。潜入を試みた人間が過去にもいたが、人間枠がなかった頃は悉く大魔女の結界にはじかれたそうだ」
「なるほど。お話ありがとうございます」
どうやら相当腐った研究所が人里にあるらしい。研究所なんて雲の上の存在だったガリオンには情報が入ってこなかったが、これからは気にした方がいいのかもしれない。他にもヴァレリエを対象とした研究所なんてものがありそうだ。大魔女が結界で阻害しても、こうして人間枠で入り込まれたらたまったものではない。対策は何かしら必要そうだ。これも大魔女に相談する必要はあるなと、ガリオンは思った。
これでおおよそ事情聴取と呼べるものはできた。ガリオンもこれ以上、彼の狂気に触れる気はなかった。これ以上は、理事長、大魔女の領分だ。裁量をどうするか、などは。
「俺たちはこれで失礼する、ケイオス先輩。いや、もうもしかするとケイオス先輩にはならないのかもしれないけど…」
「そうかもしれないね。では」
ケイオスは顔色を何ひとつ変えることもなく、また本を開きだした。ドアの向こうに見えたのはただの殺人鬼だったとしても、人間で、同じ生き物だと思いたくなかった。少なくともここにいるヴァレリエの方がよっぽどまともな生き物としての体をなしているような気がしていた。
寮を出て、大図書館へ向かう。
理事長に事件の全貌を伝えるためだ。おそらくミドリや他の手段を使って最早全貌は知っていそうだが、それでも一応理事長代理捜査人としての責務があるとガリオンは自負していたので、念のためと思い、大図書館へ向かった。
いつものエレベーターホールへ向かうと、ミルヒが立っていた。
「ミルヒ先輩、何でここに?」
「今日は、ここでキーを貸す約束を理事長にお願いされているんだ。はい、理事長室へのキーだよ」
はい、と渡されたのはミドリのと意匠は違うが豪奢なキー。それをガリオンが受け取る。
「終わるまで、本でも読んで待ってるから、気にしないでゆっくり理事長と話してきて。色々あるんでしょ、捜査のこととか、君たち2人の話とか」
「…知ってるん、ですか」
知ってるのか、と尋ねたのは、捜査じゃなくて、2人のこと、の方だった。
「少しだけね。理事長から聞かされた程度」
「そうですか…」
じゃあ、と手を振って、エレベーターにベルと乗り込む。そしてキーを階数のボタンの下にある鍵穴に入れて回す。そうすると、エレベーターはぐんぐんと上へと上がった。
「…そういえば、ベルはこの鍵持ってないのか?」
「どうして?」
「ベルも大魔女に会うんだろ。そしたらこの鍵がいるんじゃないのか?」
「ああ、そういうこと。私が会うときはいつも向こうからやってくるの。私が自主的に行ったことは一度もないわ」
なるほど、と思った。確かにあの大魔女は神出鬼没のようだし、そうであるならば鍵は必要ない。あの大魔女の気まぐれに合わせているだけならば、鍵はいらない。
「初めて会ったのは、ここにきてすぐ。そうね、『さよならの魔法』を使って私がひとりぼっちになったんだなあって思って空を見上げていたら、あの大魔女がそばにいたのよ」
「そっか…」
大魔女はやはり愛していた。ヴァレリエだけでなく、この学び舎にいる全てを。ベルもガリオンも、全てを。ベルの話を聞きながら、それをガリオンはやっと理解したような、そんな気がした。
「だからね、私は言ったの。『さよならの魔法』を使ったのって。双子の兄に使ったの。黄金色100%の兄に使ってしまったのと。そしたら、頭をなでてこう言ってくれたわ。『私はそれよりずっと会えない、遠い遠い絶対に会えない恋を未だにしているから、君の方がましに決まっている』って」
ベルは怒りながら言った。
「失礼よね。私がもう会えないって泣いてるのに、私の方が会えないんだぞ!って主張してくるのよ、ひどくない?!それで、さらに言うのよ。『それにいずれお前は会うよ、必ずその双子の兄とやらに』って。真っ向から『さよならの魔法』すらも否定されたの。本当にあの時は泣いていいんだか、怒っていいんだかわからなかったわ!」
「なるほど。それは確かに」
大魔女も言い方ってものがあるだろうに、そう来たか。
きっと知っていたのかもしれない、ガリオンがこの学園にやってくることを。けれどベルには言わずにいた。言えば、ベルはこの学園を飛び出していただろうから。
そうすればおそらく本当に一生会えずにいただろう。そこだけは大魔女に感謝しなくては。
そうこうしているうちに、エレベーターが理事長室に着く。エレベーターのドアが開き、豪奢な机と椅子が見えた。
「ご苦労だった、ガリオン1年生、ベル1年生」
「いやね、ベル1年生なんて呼び方しないじゃない。ベルでいいわ、大魔女<TopSecret>」
今回は最初から黒布はついているものの、椅子が正面を向き、大魔女はにっこりと笑っているようだった。たぶん。
ベルはつかつかと机の真ん前に立って、まるで対等な関係にあるかのように話をしていた。大分、親しげに見えるのだが、本当に偶々会うだけの関係なのだろうかと思ってしまう。実は結構仲良しなのではないだろうかと。
「ガリオン1年生、事の次第はほぼほぼ聞いているが、君の率直な意見も聞いておきたい。君からも簡単に聞かせてもらえるかな?」
「分かりました。俺の意見ということで良いのなら」
大魔女はふ、と笑って、もっと近くに、と手招きした。それに応じて机の傍まで寄ると一層大魔女が小さく見える…ベルより小さく、中等部か下手をすると小等部高学年の子のようなサイズ感である。本人には絶対言えないが。
ただ威厳が彼女を大きく見せている気がする。それ相応の威厳があることも確かだった。
「彼は外部…人間枠を利用しての毒物持ち込み、さらにそれは繰魔女による予言書によって予言されていた『災い』として記述があった人物でした。また以前からこちらに侵入しサンプルとしてヴァレリエ狩りを試みようとしていた研究所の人間でもあったらしいです。本人は少なくともそう供述してます。研究所に対してもちょっと警戒はしておいた方が良いと思いますね。そういったヴァレリエを実験対象としている研究所が他にもある可能性はあります」
「なるほど、繰魔女の予言書の記述があったか…。しかし研究所の回しものだったとは、私も観察眼が落ちたかな。そんな風には見えなかったが、確かに人間枠前まではそう言った不審者はよくいたよ」
ひとつ頷いて、大魔女が先を促す。ガリオンはそれに答えて続きを話した。
「また、これを機に人間枠は俺たち人間には大変喜ばしい制度でもありますが、これは一度入学時の審査などに何かしらのテストなど、設ける必要が出てきたかもしれません」
「ふむ。そこまで突き止めるとは、私が指名しただけあったな、ガリオン1年生」
「いえ…でも、人間枠自体は良いものだと思いますし、ただ審査は必要というのは、是非考慮していただきたいです。また、彼の処遇にも」
ふむ、とそこで大魔女は黙った、ちょっと黙り込んだのち、ため息をついて、手を振り、宙から杖を取り出し、ふわりと宙にケイオスの宣誓書と履歴書だろうか?それらを浮かせたまま、杖をもって腕を組みなおす。
「私は一時とはいえ、ここに在学したいとし子を処罰したくはない…ない、が。彼は殺しすぎた。私の孫とも子供ともいえるヴァレリエたちを。それはそれ相応の処罰を与えねばなるまい。ひとまずは、この学園からの退学措置、まずはそれでよいだろう」
「…はい」
ガリオンもそれが妥当だろうと思っていた。それに何より、この方はいとし子と呼ぶ、学園の中の存在を殺したり刑に処したりはしないだろうと思ってもいた。
「また、ガリオン1年生の提案だが、それは私の方で検討させてもらおう。数年かかるとは思うが、やはり、人間枠はこうした良い結果ももたらしてくれている。どう、審査するかという部分について検討が必要だ。それはやはり人間の見方が必要でね、それらは在学中の人間たちに手伝ってもらうことにしよう」
「はい、それが良いかと思います」
きっとユーケントやマリィが手伝いを申し出てくれるだろうとガリオンは期待していた。あの2人なら理事長に言われたのであれば、手伝い位してくれるだろう。特にマリィは大魔女になるのが夢でもあるのだし。
「…ところで、」
「はい?」
それまで腕を組み、神妙な顔をしていた大魔女が(黒布を顔にかぶせているので正確なところは分からないが)、ふふふっと笑って、ひょいと机の上に立ち上がった。ついでに宙に浮いていたケイオスの宣誓書と履歴書も消し、杖を消す。
「本来ならば、この時点をもって事件解決。理事長代理操作人も終了。私が君に「黄金色100%」の扱い方を教えるという話だったな」
「…そういえばそうでしたね」
ガリオンはすっかり忘れていた。「黄金色100%」の力はもうすっかりベルによって制御することができ、2人でいれば何も問題はなくなってしまった。つまり、大魔女に指導を受ける必要もなくなってしまったのだ。
「まだその指導は必要かな?」
「いえ、必要ありません。ベルが傍にいてくれますから」
きっぱりとガリオンは言った。
「なんだ、つまらん。…ベル、一緒にいることに決めたのだな」
ちょっとふてくされた声で、話はベルに向けられる。
「うん、そう。2人で決めたの。2人で、昔みたいにはいかないかもしれない。やっぱりどっか違うかもしれない。だけど、一緒にいることは諦めないでいようって」
「そうか。ベルがそう決めたのなら、私からは何も言うことはないよ」
その声は安堵の声だった。そして、次の瞬間、ガリオンにとって大魔女は驚くべきことをする。
「ここまでガリオン1年生の前ではとったことがなかったな、この黒布を。あまり見て気持ちのいいものではないと思うのだが、見せようか。私の顔を」
「…え、いいんですか?」
さすがに顔は永久に見られないものだと思っていた。頑なに黒布で隠しているところを見ると何かあるのかと勘ぐってもいたし、それ相応に理由があるなら深く突っ込むまいと思ってもいた。
だからここであっさりと取ってくれるとは思っていなかったのだ。
「実はミドリから聞いていてね。私のことに興味があると。だが、この顔はあまり見ていて気持ちの良いものではないのか、人間からは大抵迫害されていたものだったし、今回は喪服のつもりもあったから外すつもりはなかった。もう喪に服すのも良いだろう。君には見せよう」
ヘッドトレスからプチプチと黒布を外す。すると、そこから見えた顔は白い。目は胸元の赤い大きな粒の水晶球と同じ色の赤。まるで高級なビスクドールのような美しい顔だった。
「これが恐れられる大魔女<TopSecret>だ、ガリオン1年生」
「……」
言葉にならなかった。美しい、確かにこの人が作ったのならここは楽園と言ってもおかしくないだろうと思う。
「何見とれてるのよ」
「え、いや…見とれているわけじゃ」
嘘だった。完全に見とれていた。ベルにはばれているけれど、大魔女は首を傾げ、少女のようにくすりと微笑んでいた。
「仲が良くて本当によかったな。一時はどうなることかと思ったからなぁ…そうだ、そなた等、今後どうするかは決めたか?」
机から降りて、また椅子に座りなおした大魔女はにやにやと笑んだまま、2人に問うた。思わずガリオンはベルと顔を見合わせる。
「どう…とは」
「ここに残るのか、人間の街に戻るか?それとも別の道もあるぞ、旅に出る、とかな」
ガリオンははっとなった。盲点だった。この力を制御できるようになった以上、ここにいる必然性もなければ、逆に必要性もない。どこにでもいける。2人でなら。ここにでも、どこへでも。
そんなことまだ、2人では考えていなかった。でもガリオンはできればやりたいことがひとつあった。
「もし、もし…許されるなら、あとベルもいいなら…。学園を出て、繰魔女を探しに行かせてもらいたいです」
「繰魔女を?」
なぜ、とベルも大魔女も首を傾げた。
「今、おそらく繰魔女は人間のはず…予想ですけど。違いますか?」
「あ、ああ。おそらくそうだと私も思っているよ。だが、それがどうして君が彼女を探しに行くことにつながる?」
「繰魔女を探している人がいるんです、先輩に。合わせてあげたいですし、それに…どっちかというと、それはついでなんです」
ガリオンが気にしているのはマリィのことだった。繰魔女を探して学園に入った彼女。そして今回捜査に協力してくれた数少ない人間。友好的な彼女に報いてあげるのはこれしかないと思っていた。
でもそれは建前で、2人で探したい場所があった。
「たぶん、もう焼けて無いと思うんですけど、探したいんです。『さよならの魔法』を使ったあの丘を」
「…あ」
ベルが隣で呟く。白い花の舞い散るあの丘。戦争があって、孤児になってしまったガリオンたちの住まいの近くにあったから、もうなくなってしまったと思うけれど、おぼろげな記憶を頼りに探してみたい。
スラムの近くにあったから、もしかすると戦火が広がってもう無い可能性の方がずっと高い。けれど探してみたい。もう記憶も殆ど戻ったし、探そうと思って探せないことはないだろう。魔力で探すという手段もあることだし。
「ふむ、私は構わないが…退学するということになるが。構わないかな?」
「はい。ベルも、いいか?」
「うん、もちろん一緒に行くわ」
話は決まった。大魔女は少し落胆した顔を見せたが、それは一瞬だけで、2人の門出を歓迎するかのように、笑ってくれた。
「―――本来ならば、ここでは宣誓書通りお互いの記憶を消して退学してもらうのだが…特例措置だ。ここで消したところで、お前たちは再び出会うだろうからな」
そう宣誓書にはあった通り、人間は宣誓書にあるとおりこの学園を出ていくときには記憶を一切消さなくてはならない。前にベルに説明してもらった通り、好きになった人、出会った人を全て忘れてしまう。でも、そんなものじゃ、もうこの絆は切れやしない。
それを大魔女も分かっていた。
「日程は2人で決めるがよいだろう。また知らせておくれ。そうだな、そのためには…これをやろうか」
金色の色をした豪奢なキーがガリオンに渡される。
「ここへのキーだ。今来たときに使ったものは、ミルヒのものだろう?あれはミルヒのだから返して、今度からここへ来るときはこれを使え。これを使えば、私はお前が来たことが直ぐわかるよ」
「は、はい」
「もし、旅先で何かあって私の手助けが必要になったら、これに魔力をこめるように。そうすれば私がすぐに駆けつけよう。世界の裏側にいてもすぐに、飛んで行ける。これは私の黄金魔力で作ったキーだから、君の黄金と相性がいい。そんなこともできるから、絶対に無くさないように」
「はいっ!」
大魔女からこんなプレゼントがもらえるとは思っていなかった、とガリオンは思わずぎゅうとキーを握りしめる。その肩をぽんとベルが慰めるように一つ叩いた。大体こういうときはガリオンは感激でいっぱいなのは昔からなのだと、ベルには分かっていたから。
「―――主らに旅の幸いがあるように」
大魔女の祝福を一身に受けて、ガリオンもベルも笑っていた。屈託なく、まるで昔に戻ったように。
その日からガリオンは旅路への準備で大忙しだった。
荷造りからいろいろなお世話になった人への挨拶回り、特にミドリには薄情者だの罵倒を凄く受けた。…最初の印象から一番変わったのは彼かもしれない。
ベルの方も同じようで、特にベルはここに滞在していた期間が長かったからか、色んなところへ挨拶回りに行ったり、必要なものを揃えたりと忙しくしているみたいだった。
話しかける暇もないみたいで、すれ違いの日々を送っている。ただ夕食だけは一緒にとろうとだけ約束していて、周りからはフォリオとファナリィの双子と同じくらい、いつも一緒にいる双子という感じがすると言われるようになってしまった。
ガリオンは拶回りをしているときにファナリィにも言われていた。『まるでわたくしたちみたいですわね』と。うれしいような恥ずかしいような微妙な気分だったと、ガリオンは思っている。
ガリオンは花が散り切った夏迫る頃に学園を出ていくことを決め、理事長にもそれを伝えた。
もっと長くいてほしいという声を色んなところから聞いたが、それらに応えていたら、いつまでたっても出発できない気がしたので、それらを振り切る形で出発することにしたのだった。
―――出発の日
ベルは小さなリュックサックと斜め掛けの薬ポーチを下げていた。ガリオンは大き目な斜め掛けのバッグをひとつと、ベルトに短剣がひとつ。戦うことがあったとしても魔法があるから必要はないとは思うけれど、野宿などで必要になるかもしれないと思っての装備だった。
見送りにはミドリやマリィとミルヒ、それからファナリィとフォリオ、エーディヒ先生も来てくれていた。生憎大魔女は姿を現す気はないのか、見送りには現れなかった。
滅多に図書館から出てくることのないマリィがぎゅうとガリオンとベルの手を握って言う。
「あんたたちがちゃんと繰魔女の情報持って帰ってくるのを待ってるから。絶対、1年半以内に!じゃないと私、卒業しちゃうんだから!」
実は口々に言われたのが、1年以内に1度は帰ってくること。という約束。ひとつは卒業前にもう一度会いたいという人たちがいたことと、定期的に顔を見せてほしいという人たちがいたこと。
マリィが言い終わると次はミドリがぶすっとした顔で、ベルに向かって言った。
「頼むから無茶なことだけはしないように見張っててね。…双子だから分かってると思うけど、結構無茶しいなところあるでしょ」
「うん、わかってる。そのあたりも含めて、制御しておく」
「頼んだよ。もうぼくは彼の制御をするのはこりごり。大魔女だけで手一杯だからさ」
ミドリの後に最後に別れを告げに言いに来たのは、フォリオとファナリィだった。
珍しくフォリオから言葉を発した。
「本当に2人には助かった…改めて礼を言わせてくれ。俺も姉さんも本当に感謝している」
「2人が遠くに行ってしまうのは本当に辛いけれど、いつでもここへ帰って来てくれていいのよ。“お母様”もそう仰っているんでしょう?」
2人は、特にファナリィはやっぱり帰って来てほしいようだった。ガリオンはそれに、ええ、まあ、と答える。
「そうですね、理事長からはいつでも帰って来ていいと。もうヴァレリエ関係なしに家族のようなものだからと言われています。俺たち戦災孤児で親はとうにいないし」
「でしょう…?こんなに急いで成長することないのに…」
「それでもやりたいことなので、すみません」
苦笑いでそう返すと、ファナリィは「もう」とちょっと怒った風でガリオンを見た。
「男の子ってみんなそうね。これと決めたら梃子でも動かないんだから。ベルちゃん、ちゃんと見ててあげるのよ」
「はい、ファナリィ先輩」
なんだか実感のこもった言い方だったのは、フォリオで体感済みだったからだろうか。
さて別れの言葉も終わり、旅立つかと2人が背を向けようとしたとき、後ろに強大な魔力を感じ、2人は振り返った。
ふわりと宙に浮く黒衣の少女。もうその顔には黒布はない。ビスクドールのような顔が美しく微笑んでいた。
「2人の門出に、祝福を―――」
言祝がれた言葉にちりんと音が鳴って、手元がぽうっと黄金色で明るくなる。
「道中の無事を祈った魔法…というかおまじないのようなものだ。繰魔女は今生は人間だ。見分けるのは相当困難だろう。それでも赤色100%の魔力を持った人間は、そうはおらぬ。早う見つけて、戻っておいで…我がいとし子よ」
周囲が大魔女の出現にびっくりしている間に、2人はその言葉を受け取って、しっかりと踏みしめた。学園への出口を。
こうしてガリオンはやっとの思いで入学した魔法学園だった私立イリシウム魔法学園をわずか3カ月で退学し、双子の妹と共に旅に出ることとなる。
それでも後悔はなかった。なにひとつ。手に入れたいものは全て手に入れることはできたし、この先にどんな困難が待っていても隣にベルがいるならば何でもできるし、何でもできる気がしていたからだ。
「なぁベル、どの街から探す?」
「そうねぇとりあえず、人の多そうなところが良いかしら?それとも魔術学園の多いところ?」
「学園都市か…そっちから探してみるか」
―――理事長室にて
「いっちゃったね、ウェンデーリア。さみしい?」
ミドリと大魔女…本名:ウェンデーリアが歓談していた。ミルヒたちグリーンズを継ぐ者と言われている、世話係たちは全て下がらせた。ミドリとウェンデーリアだけの秘密の話がしたくてこうして2人で、紅茶を傾けている。
「さみしいさ。さみしくないわけがあるか。私が拾ったのだ、ベルは」
「そうだったね」
「…レーレがいればさみしくはないのに」
「“母さん”はいつまでたってもそればっかり」
神話では神と大魔女はまるで犬猿の仲のようにも描かれることの多いが、神と大魔女は恋仲だと言ったら、何人が驚くだろうとミドリは思う。しかも現在進行形だ。
レーレという名の神は、あろうことか超遠距離恋愛中で更に絶賛放置中である。これはもう擁護の仕様がない。神の方が悪いに決まっている。いくら大図書館とミドリたちヴァレリエを与えたからといっても。
まあレーレからすれば、子はかすがいのつもりなのかもしれないが。
ミドリからすれば、はた迷惑な夫婦にも見える。
まあそれはミドリがグリーンズだからかもしれないが。
それにしたって、ここまで放置されると当の本人でなくても機嫌は悪くなるものだろう。そのあたり、繰魔女や堕魔女はどう思っているんだろう、などとミドリは考える。
「それで、当の神様からご連絡は?」
「…あるわけないだろう」
「だよね。聞いたぼくがばかだった」
ここ数百年あったためしがないのに、ここで聞いたミドリは地雷を踏んだかなと思った。
「ついでだミドリ。酒に付き合え」
やっぱり地雷を踏んでいたようで、今夜はとことん大魔女の惚気話にでも付き合わされそうである。ついでに、彼ら双子の話にも。
まあ双子の話だったらいくらか真面目に聞いてあげようかなと思いながら、ミドリは指定された酒をいそいそと準備するのだった。
―――同刻、人里近くの森にて
退学処分になったケイオスは知識はあれど、記憶を消され、森を抜け、街に戻り、研究所にレポートを届けるつもりだった。と言っても、事件の記憶も消されたせいで大図書館の所感くらいしか書けることはなかったのだが。
事件の記憶も消せば最早戻ってくることもないだろうと大魔女が判断し、退学処分のみで放逐という結果になり、彼はこうして森を抜けているわけであったが、その姿を捉えているひとつの影があった。
大魔女とは似て非なる緋色のローブの魔女が、宙で赤い火の玉を手の上で転がして、それをくるくるとまるでバスケットボールを指で回すかのように回していた。
「あれが楽園で最初に連続殺人事件なんてものを起こしたバカねー…ふーん」
こともなげにそう独り言を言うと、呪文もなしにその火の球が動き出し、ケイオスの背後を襲った。そして音もなく一瞬で彼を白い焔で包み、消した。
けし炭もなく、残りカスもなく。森を焦がすこともなく、ケイオスだけを燃やしつくした。一介の魔女にできる芸当ではないが、それを彼女はやってのけ、そして、こともなげに宙を舞って、その場を離れた。
「―――大魔女<TopSecret>も甘いんだから」