第2図録 ヴァレリエ連続殺害事件
泣き虫だったのよ、貴方は昔から。
だからおまじないをかけたの。泣かないように。私を失っても。
それが裏目に出たかどうかはわからないけれど、貴方は最近どうやら泣かなくなったわね。ちゃんと1人で立ててるみたいだった、少し寂しいけれど。
だって私たちは2人で1人。だから。―――ひとりで遠くへ行かないで。
私の存在価値すら、なくなってしまう。
そうしたのは、私だけど。
まず初めに述べておくと、ここに警察はいないし、そもそも殺人事件なんて起きるはずのない場所だったので、それを処理する人もいなかった。
殺人事件なんて起きるはずのない(・・・・・・・・・・・・・・・)、というのは、そういった感情が希薄だからだ。ミドリも言っていたけれど、植人間…ヴァレリエは基本的に感情に疎いし鈍い。だから衝動的な殺人も起きないし、殺人なんて大罪だと思っているからこそ、そんなものを起こすことに何の感情も抱かない。
事に感情を抱かなければ、行動は起こさない。
人間の心理学と同じであれば、だが。
だが、正しくそうであったようで。ヴァレリエは皆これを恐怖ととらえ、どうしていいかわからず、なんとかして陣頭指揮を執るのが年長者である研究者たちと教員で、大魔女は姿すら見せずにいた。
―――事件から数日後、大魔女からの声明文だけが発令された。
入学式と同じように行動に集められた生徒の大半と研究者、それと教員。ほぼ全てのこの楽園で暮らすものたちが集められていた。そして教壇に立った教頭先生が手紙を掲げ、声を上げた。
「これは理事長からの今回の事件へのお言葉である。みなお聞きなさい。異議があるものも、とりあえずはまずこれを聞いてから私のところへ来るように」
蝋で封をされた手紙を開封し、教頭先生が大きな声で読み上げる。
『諸君、子らよ。手紙で伝えることを赦してほしい。
私は今私なりに事態の収拾に努めている。しかし、私は私の子らが、私の子を傷つけ殺したとは思いたくはない。
もしこれで、終わるのならば良しとしよう。一貫性のないただの事柄だと。私も思うことにしよう。隣人が殺されたという衝撃があるかもしれないが、我々では数百年以上なかったことでも、人間社会では度々あることだ。
ただし、これがもし、続くようであれば、私は私の代理人として捜査に携わる人物を選定する。
もし、殺人を犯した者がここにいるならば、もうやめてくれないか。私が代理捜査人を立てる前に。
そして、諸君、子らよ。
健やかに、怯えず暮らせる毎日を私は作れるように努力することをここに誓う』
「以上である」
教頭先生が読み上げた手紙が仕舞われると、壇上を降りた教頭先生に生徒たちが群がった。
その手紙を争うようにしてみたがったのだ。
「その手紙は本当に理事長から?」
「ひみつのひとは本当にいらっしゃるの?」
「代理捜査人って…」
「お母様はやはり、私たちのことを…!」
等々と述べては教頭先生を圧迫していた。
それを遠くから眺めていたガリオンは、手紙にあった2つのことを気にかけていた。1つは事態の収拾に努めていること。理事長は表立って何か事態の収拾に努めている様子はない。ということは裏で何か工作をしているということを、生徒たちにもわかってほしいということなのだろうか。
2つ目は今後、もし連続殺人に発展したならば、理事長代理の捜査人を立てると明言したこと。
今は基本的に年長者たちが捜査に当たっている(それでも人間目線で見れば凄く杜撰な捜査ではあるが)が、彼ら以外の捜査人を指名すると明言したのだ。
その手段がまた手紙なのか、それとも姿を見せるのかまではまだわからないけれど。
ともあれ大魔女が事件解決に向けて動いていることは間違いなさそうだった。
それだけはちょっとガリオンも安堵した。さすがに楽園を創った本人として、管理者たる意識はあるのかと、なんとなくほっとしたところがあった。
ミドリや他の生徒たちもやっと落ち着きを取り戻していた。まだ殺されたヴァレリエの親友だった子たちは悲しみに暮れている子たちも多いけれど、それでも、立ち直りは人間よりは早かった。このあたりの切り替えの早さはやっぱり人間とは違うのだろう。
―――人間と、いえば。
あの大図書館に籠りっきりの人間たちはこの事件にも目もくれずひたすら同じだった。事件があったときも駆け寄ることもなく、事件からしばらくたってガリオンが落ち着きを取り戻してから、大図書館に足を踏み入れたら、やっぱり依然と同じ光景が広がっているだけだった。
何も、あそこだけが時が止まったように変わらなかった。
そして今日も、ガリオンはエーディヒ先生の実験に付き合っていた。付き合っていた理由の半分はあの記憶を取り戻したくて。
ガリオンはエーディヒ先生にかいつまんであの記憶、夢の話をしていた。
「…なるほどねぇ、明晰夢かそれとも過去夢かもしれないねぇ」
涙の少女、夢のこと違和感というか既視感。それらがあの魔力を使うときにも現れることも含めて少し話をした。
「その少女とやらがもし血縁者でなくても、君の“触媒”だった可能性は高いよね。もし本当に実在していたら、だけどね」
実在していたら。夢の中の人物。いやでも、ガリオンにはあれが夢だとは思えなかった。思えなかったからこそ、ここにきている。
「それで、エーディヒ先生。今日はちゃんと触媒とかの前に、「色」の話をしてくれるっていうから今日俺来たんですけど」
「あ」
すっかり忘れていたなこの野郎、とエーディヒ先生を脳内でガリオンは罵っておいて。
「ミルヒ先輩が青かったのはわかりました。俺が黄金色でスーパーレアってことは。そのあたりの説明してください。教師でしょ」
「そういうのは、そういう魔法力学の先生に頼みなよー。僕じゃ荷が重いー」
「あの時俺とミルヒ先輩の行動を見ていたのは先生なんですから、ちゃんと先生が教えてください。っていうか、これも俺に制御の仕方を教える一貫だと思って!」
「はぉーい」
心底めんどくさそうに研究室内にあった割と新しめのホワイトボードを持ってきて、そこにピラミッド型を書き出した。そこに線を引いて段々にする。そして、上から下へと線を隣にぴーっと引く。
「はい、これがまず魔力の色の分布図ね。ピラミッドの一番てっぺんのちっこいところが君。順番に銀色、赤色、紫色、青色、緑色、水色ってなっている」
で、逆に、と言いながらミルヒと書いた横に円を描き「銀10% 青70% 緑20%」と書いた分布図を示した。
「でこっちがミルヒ君の中にある魔力の分布。そう、君みたいに純粋まじりっけなしの魔力じゃない。いろんな色の魔力が入っている。ミルヒ君の場合は青が強いけど、銀もちょっとあるから、訓練次第で多彩なことができると思うよ」
そしてホワイトボードには以下のことも書かれた。
銀色100% 10年に約1人
赤色100% 5年に約1人
大魔女 おそらく黄金100%
繰魔女 銀色100%(ただし人間時は赤色100%)
堕魔女 赤色100%
と、書いてくれた。
「まあ理事長のはおそらく、ってところだけど。たぶん合ってると思うよ。三大魔女のほかの二人は文献から引っ張ってきただけだけど」
そしてこのホワイトボードにはガリオンの特徴である黄金色については書かれていない。
「―――先生、黄金色100%のは何年に1人の確率ですか?」
「―――大魔女以来、発見されたことがないといわれている確率かな」
それは最早魔術有史以来ということになる。神話級の大魔女と肩を並べるのが「黄金色100%」という魔力。それを持つ自分にガリオンは手を見て顔色を青くした。こんなものが扱えるのかという恐怖と、それを持つのにも関わらずまだ見つからない“少女”への憧憬を抱えたまま、“少女”への憧憬を強く持ち続けてしまっている自分に。
つまりは、大魔法使いなんてものになれる魅力よりも、少女に関する魔術についてへの興味とそして、もしかすると、この「黄金色100%」を使いこなすことができれば、少女のことが思い出せるかもしれないという魅力に取りつかれてしまった。
「ガリオン君、今何考えてるかあててあげようか」
「え…」
「例の夢の彼女のことでしょ。…勿体ないとは言わないけど、黄金色100%の自分の力、もしかしたら君自身が神話になるかもしれない可能性なんてこれっぽっちも考えてないよね?」
「あ…」
黄金色はレア。そう神話級であることは大魔女<TopSecret>が証明してくれている。彼女自身が神話級の生きる、ある種の化け物だから。…こんなことを言ったら、町の神父様には怒られるかもしれないけれど、神様に匹敵する存在だ。神話級ってそういうことだ。
「それで、自分の危険性と貴重性と特異性と素晴らしさは分かって貰えたかい?」
「はい」
これは本当だった。身に染みた言葉だった。
はぁ、とひとつため息ついてエーディヒ先生はホワイトボードに書かれていたものを全て消して、まるっと大きく円を描きそこの中心から線を一本外側に引いた。まるでその線が円をひっぱるように。
その隣に1つ目の円より小さな円を描いて、同じように線を一本外側に引いた。
「こっちの大きいのがガリオン君ね。で、まあ対比するのもまた悪いんだけど、こっちがミルヒ君」
とん、とホワイトボードをペンの裏で叩く。
「魔力っていうのは、取り出すものだっていうのは重々承知の上だと思う。ミルヒ君との模擬戦でよくわかったよね。で、君の場合、キャパが大きすぎて取り出そうとして引っ張ると、逆に引っ張られちゃう。たぶん、それがコントロールの聞かない原因だと僕は見てる」
普通はそんなに大きくないから、引っ張られるなんてないんだけどね。と、エーディヒ先生は苦笑いした。
これはまた触媒とやらの話になりそうだなぁと思い、ガリオンはとりあえず切り出してみた。
「実際問題、触媒は彼女以外で何とか…当面何とかってことはできないんですかね」
「…普通はできるよ。杖、魔道書、なんでもね。でもほら、今言ったでしょ。君のキャパシティに耐え切れるものって思い浮かばないんだよね。それこそ理事長なら知ってるかもしれないんだけど」
過去に同じ体質がいないからワクチンが作れない病気と一緒かと、ガリオンは無理やり納得した。人間の論理で考えるならそういうことになる。たぶん魔術もそういうことだ。
「あの、」
「ん?」
「理事長にコンタクトをとるって、本当にできないんですかね…」
最初は興味本位だった。でも今は違う。
この「黄金色100%」の魔力を有しているのはかの理事長だけなのだから。その件でコンタクトをとるというのは筋が通っているだろう。
「んー…まあ手紙なら答えてくれるかもしれないけど、あくまで可能性だよ?それでもやってみる?お世話係も僕分からないしなぁ…」
「お世話係…あ、グリーンズの遺言を継ぐ者!」
「そうそうそれそれ。って、なんで君が知ってるの」
そういえば、自分の力のことばかりですっかり忘れていた。ベルに教えられた理事長への近道。グリーンズの遺言を継ぐ者。
「先生は知らないんですね」
「うん。ちっとも。でも、ヒントなら知ってるよ」
「―――教えてください!」
あるのかよ!ヒント!と叫ぶのはやめて、一応品よく聞いておく。(あんまり目つきは品よくなかったかもしれない。つかみかかるのを我慢した程度だ)
「2年生に双子がいてね、ファナリィとフォリオ。姉のファナリィがグリーンズの末裔と仲がいいって噂。あくまで生徒の噂レベルだから信憑性はどうかと思うけど」
「わかりました。ファナリィ先輩ですね」
これは重要な手がかりだ。
今日はもう放課後で外も暗くなってきた。部活動もさすがに終えてるところが殆どだろう。明日、ファナリィ先輩を訪ねてみるのが一番手っ取り早いだろう。
今日は帰ることにして、明日早々に先輩の教室に尋ねに行ってみることにした。
―――次の日、早めに起きたガリオンは足早に2年生の教室を訪ねた。すると、案外あっさりと2年生の双子の姉の方、といえばあっさりと皆、「ああ、ファナリィね」と早番の部活の子たちが教えてくれた。どうやら彼女も早めに登校しているらしく、教室を教えてくれたため、在籍しているという2-1に向かう。
教室を開けると、座っているのはたった一人すみれ色の髪をした少女だった。たぶん彼女が、ファナリィ先輩だろう。
「すみません、貴方がファナリィ先輩ですか?」
一応様式美としてこう聞いておく。
すると彼女は無垢な少女のような顔をして、
「はい?わたくしに何かご用でしょうか?」
と、返してきた。例えば、どこかの箱入り令嬢のように。純真無垢は素なのか、仮面なのかはわからないが、それでも俺は直球に出るしかなかった。今、ここに人がいないこの時間のこのタイミングで。
「直球に聞きます。貴方がグリーンズの遺言を継ぐ者と親しいというのは本当ですか?」
「…ああ、あの噂ですわね。はい、そうですわ」
あっさり認めた。
「では、その当人は誰ですか?」
「んー、でもわたくしが紹介するよりも、もっと良い伝手を貴方はおもちだと思いますわ」
顎に手を当て、きょとんとこちらを見上げる彼女はとても上級生とは思えなかった。もしかすると俺より若いようにも見える。
しかし、今俺に言った言葉はなんだ?もっと良い伝手を俺が既に持っている、と彼女は言った。俺にそんな覚えはちらともないが。
「すみませんが、俺にそんな覚えは…」
そういうと、彼女はやっぱりちょっと小首を傾げてから、ひっそりと唇をガリオンの耳に寄せてきた。吐息がかかるほどに。
「ミドリくん、貴方のお友達でしょう?彼に聞いた方が早いわ。私もお友達から聞いたのだけど、彼は継いだ者じゃなくて、グリーンズそのものらしいから。本当かどうか、私はしらないけれど」
そう小さくいうと、彼女は元の位置に戻ってにっこりと笑った。ふふふと手を口に当てて、まるでお嬢様がちょっといたずらをしてしまったわ、とでも言わんばかりの風体で。
実際は超重要な話を聞いてしまったわけなのだけれど。
そこに乱入者がやってきたため、ここで話は中断する。
「あ、姉さん。―――誰その人」
「あら、フォリオ。こちらガリオンくん。ほら、有名じゃない、人間なのに、1年生でとってもヴァレリエに馴染んでくれているって」
「ああ…彼が」
同じすみれ色の髪の、でもちょっと天然パーマが入った男子がまるでお姫様を守る騎士のようにファナリィのそばに立つ。よっぽど姉が大事なんだろうな、まぁ双子だし。双子―――双子。
まるで頭にノイズがかかったように、その単語だけが頭を遮蔽する。聞いてはいけないと強く思うように。
気にしないと、強く思ってガリオンはちょっと手を挙げて、それじゃあ、と帰る素振りを見せた。
「じゃあ俺はこれで」
「ええ、是非またいらして。今度はあなたの想う何方かと」
「…え?」
ファナリィの言葉に思わず口が開いた。目も開いていたかもしれない。
その様子にファナリィはくすくすと笑う。
「だってさっきフォリオが来たとき、羨ましそうに見るんですもの。そういう風にしたい相手がいるのかと思って。例えば好きな人とか。人間ってそういう相手がいるものなのでしょう?」
この双子、いや姉は心臓に悪い。
それを殊の外知って、ガリオンは今度こそ踵を返すことにした。
「…もし本当にそんなことがあるとしたら、今度連れてきますよ」
「約束ですわよ」
そうして、この双子とは別れた。
フォリオと話す機会はなかったが、まあ彼から聞き出す情報も特になかったし、緊急で仲良くなる必要もないだろうと思った。何より、たぶんあれはガリオンを敵視している感じだった。たぶん姉を取られまいとしているのだろう。けなげなことだ。
あれ、でも。ヴァレリエに、そんな感情はあるのだろうか。姉弟愛というか、そういった感情の強さは。
―――このときもし、それにちゃんと引っかかっていれば、と思い返すことができていれば、と後でガリオンは後悔することになる。
ファナリィに聞いた驚くべき情報を元にHRの始まる自分の教室へ行った。既にミドリは自分の席に着席しており、ガリオンも習うようにして着席した。
ガリオンがミドリに話を切り出せたのは結局、HRが終わり、授業が滞りなく進行し、とうとう放課後になってからだった。しかもミドリからだった。
「どうしたの、今日なんか変…っぽかったけど」
「あーうん」
どう切り出すべきか、と悩んでいるうちにミドリがこっち、と指差した。
「何か話あるんでしょ。…まあ予想つくよ。こっち来て」
「悪い、気使わせた」
「いいよ。そういうのも友達ってものでしょ」
ちょっとだけ笑うミドリにつられてガリオンも笑う。ちょっとだけガリオンの胸のつかえがとれた気がした。
ミドリに連れていかれたのは、大図書館。
大図書館のホールを抜けて、見慣れたエレベーター前だった。
「ここって叡智のある大図書館だろ。あと理事長がいるって噂の…」
「そう噂の。でもそれ、本当だから」
「…え、じゃあ」
本当に、と聞き返そうかとしたが、その前にひらりとミドリはエレベーターに乗ってしまったため、慌ててガリオンは同じようにエレベーターに乗らざるを得なかった。
「理事長に会うにはね、特殊なキーが必要なんだ」
これ、と言って見せてくれたのは真鍮でできた豪奢なキー。それをエレベーターの下部に差し込んでぐるりと一周回すと、エレベーターが動き始めた。
エレベーターが上昇している間に、ミドリが話してくれた。
「察してると思うけど、ぼくがグリーンズ。遺言を受け継ぐとかじゃなく、生粋のグリーンズ、1代目とでもいえば分かりやすいかなぁ…要は古株ってことがわかればいいんだけどね」
「…なんで、話してくれる気になったんだ?」
ガリオンはそこが気になっていた。
ずっと隠そうと思えば彼は隠し続けられたはずだった。それこそガリオンが卒業するまで3年しかない。他のヴァレリエをだますよりはずっと簡単に隠すことができた。なのに、彼は今日簡単に教えてくれた。
「昼休みにね、ミルヒ先輩が教えてくれたんだよ。ガリオンがグリーンズの遺言を受け継ぐ者を介して、理事長にコンタクトを取りたがっているって。あ、ミルヒ先輩はグリーンズの遺言を受け継ぐ者の方なんだ。それでおしえてくれたわけ。…ガリオン、ぼくから君にも質問いいかな?」
「いいぜ、なんだ?」
「ガリオンはどうして理事長に会いたいの?」
最初は好奇心だった、そして今は違う。「黄金色100%」の己の力について知りたいのだということ。それを簡潔にミドリに伝えた。
「なるほどね、まあ…確かに「黄金色100%」は理事長しかいないから対処とかも理事長が一番知ってるかもね…。その判断は正しいかもしれない」
でも、とミドリは続けた。
「ぼくにできるのは、精々間を取り持つことと、直接話すことは多分できないから、手紙か…あとは通訳みたいなこと?をすることだけ。あー…でもどうだろう、あの人案外ガリオンのこと気に入ってるからなぁ…」
ミドリにしては珍しくがりがりと頭を書いてイライラとしたしぐさを見せた。珍しすぎて思わずガリオンは2度見してしまった。
「ぼくだって慌てもする…よ。だってぼく、ある意味理事長と同じくらい生きてるんだもん。色々経験もしてるし、でも逆に耐性がないことも一杯あるよ。ここは「楽園」だから」
それはガリオンもここに来てから凄く理解していた。外界とは隔絶された「楽園」。けれどもそれは閉鎖的であると同時に守られた空間であること。しかしそれを嫌とも思わない、しかしそれは洗脳ではない。歪な「楽園」。
「だから君には凄く興味があるんだ。たぶん、理事長も。だから…ちょっと色々心配もしてるよ」
珍しい苦笑いでミドリは俯いた。
そうこうしているうちにエレベーターはいつもの60階より上についたようで、ドアが開く。そこは60階とは違い広々とした明り取りの窓とステンドグラス、それと本がないのが特徴。それから大きな釜やいkつかの錬金術にも似た杖や魔術の道具が積み重なった場所があるのが特徴的だった。
まるで魔女の家、そういうのが近いかとガリオンは思った。
ただしちゃんと正面には大きな木の机があり、ちゃんと理事長室の体をなしていることがわかる。しかし、その机にある椅子は背を向けていた。たぶん、そこに座っているのが理事長だと思うのだが、とガリオンはごくりと唾をのんだ。
近づこうとして、ミドリに手で制された。ここで待てということだろう。ミドリは足早に理事長の椅子に近づく。跪いて、ひそひそと話をしているようだった。そうしていると、まるで小さな少女に語り掛けているように見えるが、本当のところどうなんだろうなんて、ガリオンが想像を膨らませていると、ミドリがすっと立った。
「ガリオン、理事長が直接お言葉を交わされるそうだよ」
「―――え」
待った。待って待った。待って待ってほしい。
ここまでずっと会えないと、言葉を交わすことすら絶対に無理だといわれてきたのに、いきなり言葉を交わす、しかも突然直接。
ガリオンの心の準備がままならないまま、ミドリに手招きされ、されるがままに理事長の机のちょっと前に立つ。机から5メートルくらい離れている。ちょっと遠くないか?とガリオンは思ったが、ミドリが指定しているのでそのままだ。
「理事長、いいえ、『ウェンデーリア』、どうぞ」
ミドリの言葉にくるりと椅子が回ったかと思うと、黒衣の少女がふわりと浮いた。豪奢なゴシックロリータな服、ヘッドトレスからは黒い黒子用に使われるような黒布が顔を覆い、顔が見えない。黒髪は滑らかで宙に浮いているせいもあって、すべらかさがなお一層際立っていた。
特徴的なのは、胸元の赤い大きな粒の水晶球と、両手首に巻かれた包帯。それらが何を意味するのかはガリオンにはわからなかった。
「すまない」
最初の、大魔女の言葉は謝罪だった。
とても可愛らしい、見た目通り少女の声だった。とても神話級の大魔女だとは思えなかった。
「すまない、君の前でもこの顔の黒衣だけは外せない。それでも良いならば、私は君に私の持てる全てで力を貸そう…君の相談ごとについて」
言葉には圧倒的な存在感があった。やっぱり理事長だ、あの入学式の時の声と同じだと思わせる何かがあった。声色が違っても、同じだと思わせる存在感、圧倒力。
「お願いします!俺はこの力を制御したい、そしてあの夢を思い出したいんです!」
「…いいだろう、ガリオン1年生」
そう言うと、理事長は宙に浮くことをやめ、すとんと椅子に座った。椅子に座るというか、あまりに華奢なために椅子に半分ほど埋もれるようになっているけれど。(それをちょっとだけ笑ってしまいそうになって、堪えたガリオンだった)
「そのかわりといってはなんだが、ひとつ頼まれごとをしてくれないか」
「頼まれごと、ですか」
理事長じきじきの頼まれごと、って何だろうと思っていたら、そういえば思い当たる節があった。
「もしかして、事件の件ですか」
「察しが良くて助かる。その件だ。君に理事長代理捜査人を頼みたい」
「待ってください、それは…」
それは、だって。
「それは、『次の殺人が起きた場合』に頼むって手紙で貴方が仰ったことじゃないですか!」
まだ次の殺人は起きていない。なのにこのタイミングで理事長代理捜査人を頼むとガリオンに言ってきた。まるで、それは未来を予言するかのように。
「じゃあ理事長は次もまた起きると…?」
「私は繰魔女ではないから、確実なことは言えないが…。それでも80%の確率で起こることは予測しているよ、ガリオン1年生。だから君に頼みたい」
少し悲しげに笑った。自分では確実性がないから、と。理事長でもできないことはあるんだなぁとなんだか人間みたいで、ちょっと親近感がわいた。でも。
「どうして、俺なんですか。グリーンズとか…そうだ、例えばミドリやミルヒ先輩とか有能な人はたくさん貴方の側近でいるじゃないですか」
「答えはひとつ。君はちゃんといろんな人の手を借りながら、私のところまでたどり着いた。元々の「黄金色100%」も利用したかもしれないし、人を利用したかもしれない。それでも私のところにたどり着くというのは容易ではないんだ。現に私にたどり着いた人間はこれまで1人もいないし、子らでも数人だ。君は奇跡を体現するのではなくて、奇跡を軌跡にすることができるのかもしれないね」
「黄金色100%」という奇跡だけに頼ったわけではなく、奇跡と自分の力を掛け合わせた自分の道「軌跡」を創ることができる者だと、大魔女は謳うように言った。
「それはきっと捜査に役立つ。権限も付与するし、能力を使うことも許可しよう。ああその前に、能力の使い方だったね…だけど、ちょっと間が悪かったようだ」
理事長の隣で黙ってやり取りを聞いていたミドリが手を胸に当てて、「アクセス」とつぶやき発光する。青色のぼんやりとした光に一瞬包まれたかと思うと、ミドリがため息をついた。
「理事長、ガリオン、第二の殺人が発生。場所は寮。どうやらガリオンの理事長代理捜査人が役立つ時間がすぐにやってきたようだよ」
「―――だ、そうだ。黄金色については、殺人事件が無事解決したら、その時指導に当たろう。またミドリを通じてここまでおいで、ガリオン1年生」
黒布越しでも、理事長がにやりと笑ったのがわかる。
「わかり、ました。理事長代理捜査人、拝命します」
「よし、行くがいい。職員や研究員らにも通達はしておく、邪魔はさせぬよ」
そのままガリオンは入ってきた時と同じように、エレベーターに乗って行った。
「ねぇウェンデーリア、繰魔女の方に連絡は…?」
ガリオンが行ってしまった後、ミドリは大魔女を昔懐かしい呼び方で呼び、険しい顔でまた青い光を放ちながら検索魔法を展開していた。そうしつつも、顔を黒布で覆ったままの大魔女と会話をしていた。
「まだだ。これだけかけても連絡が取れないとなると、今回は人間だな。魔女に生まれていないのならば、手助けしてはもらえないだろう…こちらだけで対処するしか方法がなくなってしまったな」
そう言うと、魔女は顔に掛けていた黒布を取った。目は真紅で白い肌。美しいビスクドールのような風貌だと誰もが称えるような顔立ちだった。
だが、彼女は今これを取るつもりはない。あとこの服も。今の彼女にとってこの服と黒布は喪服。1人目の犠牲者への弔いの服。そして2人目への。何人続くかわからない、けれど予想できた事件への喪服。
「的中してしまったな、繰魔女が生前言い残した予言は」
「そうだね。繰魔女は運命の魔女。あの人のは最早当たらないわけがないから仕方ないよ、むしろ外れたら逆に天変地異の前触れだと思ってぼくはどこかに避難するね」
「違いない…違いないが、」
それでも大魔女は悲しかった。何人看取っても悲しいものはかなしいが、こうして殺されるというのは存外悲しい。今も泣きたいのを必死に堪えている。魔女は言われているほど冷酷でも冷徹でもない。
だって神話でもあるように、神様は大魔女が寂しくないように種をくれたのだ。種から植人間が生まれ、家がいっぱいになるように。独りぼっちは寂しいから。
「まだレーレのことが恋しいんだね、“お母さん”」
「うるさい、ほっとけガキの癖に」
「はいはい。子供は大人しく“お母さん”の言うこと聞いて事件解決に向けて頑張るよ。ガリオンと一緒にね」
まるで母と子の会話のようだった。実際グリーンズとはそう、で。神話の神様からもらった種から初めて生まれたヴァレリエたちのこと。だからグリーンズは皆、大魔女を母と慕う。もうミドリの他にはいなくなってしまったけれど。
ミドリだけ魔法で時を止めてもらったのだった。やってもらったのは繰魔女だけれど。
それでも何年かに1回は学生を体験する。新鮮な楽しみがあるから。今回はガリオンという楽しみがあり、すごぶる楽しいとミドリは感じていた。
「それじゃあウェンデーリア、ぼくも行ってくるね。いつまでもここにいるとガリオンの手伝いできないし。食事とか決済の手伝いとかは、他の子たちにさせて」
「了解した。ガリオン1年生を手伝っておいで」
「うん」
ミドリも先ほどガリオンが乗ったようにエレベーターに乗る。降りていくエレベーターにもたれ掛りながら、魔法で強力にした感覚を研ぎ澄まし、叫び声の上がる方向へと耳を澄ましていた。
一足先に現場になっていた寮についていたガリオンは、1人目と同じように青白くなって死んでいる生徒を囲んでいる野次馬たちを発見した。とりあえず、教師たちがそれを阻止しようとしているようで、そこに潜り込む。
「あ、こら君、ここは学生の君たちは今は…!」
「俺、理事長代理捜査人になりました。たぶん、校内放送か何かで連絡きませんか?」
教師は慌てたようで、「ちょっと待ってくれ」とだけ、いい、魔力を手から放出させ、耳に当てた。たぶん、あれでなんか聞けるのかなー?とガリオンはちょっと羨ましそうに思った。自分にできないことをさらっとやってのけるのはやっぱりカッコいい。
「今、確認した。ガリオン・フェーバー、理事長代理捜査人として許可しよう、頼む」
「はい、通ります」
後ろの野次馬たちが一層騒がしくなる。たぶん今の会話が聞かれてしまったのだろう、明日からの学園生活が嫌だなぁと思いながら、現場に入る。
現場には苦しんで死んだと思われる女子学生の死体と、乱雑な部屋。どうやら同じ部屋に住んでいた子は他の職員に事情を聴かれている。
ガリオンの適当な人間的な観察眼で言わせてもらえば、とりあえずトリックは無い。刃物なし、争った形跡なしの自殺に似ている。だが、ここはどこだ?魔術学園だ、そんなものどうとでも魔術でごまかせる。
しかしガリオンにはその魔術の痕跡を調べる手段はない。…ここはミドリに頼むか?ミドリなら特例措置というか、そのあたりの都合も理事長につけてもらえそうだ。
だが、そこにふと声をかけられた。
「…何、してるの?」
「へ?」
野次馬の横から、本とクッションを片手に持ってベルがそこにいた。ベルが大図書館以外に居るということが珍しいというか、違和感を感じる。
「ベル?なんでここにいるんだ?」
「私の部屋、隣だもの。物を取りに戻ったりくらいはするわよ。で、帰ってみたら…」
「この有様ってわけか」
「で、そっちは何で…ってああ、なんか野次馬が言ってた理事長代理捜査人って奴ね」
なるほど。とベルに納得され、ガリオンはははは、と苦笑いをした。
「それで犯人は捕まえられそうなの、捜査人さん?」
「いや、人間的な捜査はできるけど、俺魔力の痕跡を追ったりとか、そういう細かい魔力のことちっともわからないから…」
「魔術の学校にいるのに?」
「…魔術の学校にいても、できないものはできないんだよ」
溜息まじりに皮肉たっぷりに言うと、ベルは本とクッションを床に置いて、つかつかと現場に入ってきた。
「私がやっても、それは大丈夫なのかしら?」
「―――え?」
「私が魔術捜査の方のフォローをしてあげるわ。そういうのって、大丈夫なのって聞いてるの」
思わずベルを上から下まで見てしまった。だらりとクッションに埋もれて本ばかり読んでいたベルとは思えない毅然とした態度。
そういえば、ベルはガリオンと同じ青い髪色だった。透き通るガラス細工のような青い特徴的な色。それがまるで今は、毅然とした態度とマッチして煌びやかに輝いて見えた。
「あ、ああ。理事長代理捜査人の随伴として許可する」
「良かった。じゃあ、始めるわ」
彼女は現場に仁王立ちし、手をぱんっと叩いた。そうすると銀色の波紋のようなものがふわりと現場を一瞬通過し、そして終わった。ぴりっと感電したみたいにガリオンにも一瞬波紋が通って行った。
「―――簡易的には一応反応ないわね。もうちょっと詳しく見たいところある?」
これで部屋全域に基本的な魔術は特にないことが分かった。ベルの魔術はありがたい。後欲を言えばいくつかある。
「ベル、この女生徒の子がどういう死因かまで特定はできるかい?魔術的な部分で構わないんだ」
「この子?あれ、まだ先生たちから聞いてないの?」
ガリオンは何か見落としがあるのかと、女生徒の死体に近づいた。
ベルは言った。
「その子の死因も、その前の1人目も死因は毒よ。広義では魔術に入るかもしれないけど、微妙なところね」
「毒殺?!」
そうか、だからこんな風にもがき苦しんでいたんだ。それを理解してちゃんと彼女を見てみると、理解できる節がいくつかある。不自然な服のよじれ、首のところの痣。
「犯人は男子か、少なくとも彼女よりは背が高い人物だな。たぶん、この痣、後ろからこう首をつかまれたときについた痣だろう。肩回りにも似たうっ血があるから、たぶんこのときに相当暴れたんだな」
「無理やり飲ませたってことね」
「たぶん。何かの飲物に、って感じじゃなさそうだ。そのあたりの裏は多分そこで先生と話をしてる同室の子からとれるんじゃないかな」
ただ少なくとも彼女よりは、といったが、俺の見立てでは連続殺人である以上、男性で確定だろう。それも割と背が高い。第1の殺人は男性だ。もし、そちらも無理やり飲ませたのだとしたら、相当腕力がいる。
「…ベル、ヴァレリエはみんな持ち上がり式で暮らしているけれど、全てが全て顔見知りってわけでもないよな?」
「そうね…年上、例えば研究員の人とかは知らない人が結構いるわ。基本的に同じ年に生まれた同じ年の子たち以外とはあまり関わりがないわね」
となると、同学年は犯人から除外していいかもしれない。犯人は顔見知りでない可能性が高い。顔見知りだったら無理やりなんてことせず、何かの飲物に混ぜて飲ませた方が手っ取り早いからだ。
「ベル、理事長はまだ…連続殺人が起こると予想してる。手伝ってもらえるか?」
「…乗りかかった船ね、いいわ手伝うわよ」
こうして第2の殺人事件が発生、死因からも連続殺人であることが分かった。
ガリオンはこれから理事長に言われるがまま、理事長代理捜査人として殺人事件に奔走する羽目になるのであった。
それも繰魔女の語る予言の運命だと、知らないまま。
双子もそれに踊らされていると、知らないまま。
―――数日後、またも殺人は起こった。
今度は寮ではなく、森だった。食堂近くのちょうどランチにピッタリなベンチなどが置いてある森林浴のしやすい場所。
そこで生徒が倒れているのがまず発見され、すぐに医療棟へ運ばれたが、すでに遅く当人は既に死亡していた。
発見されたのが授業中でサボり中の生徒によって発見されたため、ガリオンに話が入ってきたのが授業中だったが、理事長代理捜査人特権ということで授業は見逃してもらい、現場にすぐに向かった。
現場に到着すると、既に野次馬も何人かはいて(おそらく授業がない中等部の子たちだろう)、教師たちに止められていた。既に見知った教師たちがいたので、すぐに名前を告げて自分だけ通してもらおうとしたが、野次馬の中に見知った顔がいたので、足を止めた。
「…ん?ユーケント?」
「…ああ、ガリオンだっけ…」
珍しい、と正直にガリオンは思った。大図書館からめったに出てくることのないはずの人間のひとりがこんな野次馬のひとりとしているなんて。
一応片手に本はもっているようだったが、ユーケントは野次馬の中からやはり現場を覗き込もうとしていた。
「魔力、感じないね。ベルの言ってた通りだ」
「…お前もやっぱりそういう感知能力系に長けてるのか?」
なんで俺の周囲はこういう系統が強いんだよ、とちょっとゴチりながらも、ガリオンはそれも貴重な証拠なので、一応聞いておくことにした。
「ベルほど上手くないし、現場に入ってるわけじゃないからちゃんとはわからないけど、やっぱり魔力でどうこうしたって感じには思えないよ。所感だけどね。僕、医者目指してるから鑑識的なことは知見としては言えるかな…といっても、魔術的な医者、医療棟にいる医療チームみたいなのになりたいんだけど」
「…なるほど。参考にはなった」
ユーケントは医者になるためにここへ来たのか、と新しい情報に思わず、そっちの方を深く聞きたくなる。けれど、ガリオンは今捜査のためにここへきているのだと、思考を切り替えた。
「悪いユーケント、今からもしかして大図書館行くか?」
「行くけど、どうして?」
「行くなら、ついでにベル呼んできてくれ。補佐頼みたいんだ、ベルに」
ああ、とユーケントは頷いて、人込みから消えていった。どうやら頼みは聞いてくれるらしい。あまり話したことはないが意外と素直な性格なのかもしれない。
ベルが来るまで魔術的な観点からは何も見えてこないので、ガリオンができる範囲での人間的な観点での捜査をすることとなった。
今回殺されていたのは男子生徒、しかも今回は3年生。年齢にだんだんばらつきが出てきた。こうなると無差別殺人になってきて、教師や研究員も対象になるかもしれないことを視野に入れる必要がありそうだとガリオンは思った。
第一発見者の事情聴取は教師に任せておくとして、周囲には匂いもない。いや、もし匂いがするものがあったとしても、この森林の場所ではかき消されてしまうだろう。たぶん5分も持たずに匂いなんて森林の緑の香りでかき消される。
それに今までの殺人は室内だった。室内で匂いはしなかったから、それは除外される。
とりあえず周囲を一周してみて、拾得物がないか確認しようとガリオンは歩き始めた。
結果は拾得物なし。毒物のビンのかけらすらなかった。おそらくビンも持ち去られているのだろう。用意周到なことである。
普通ならその辺に捨ててあってもいいが、それほど証拠を残したくないか、あるいは何か他に理由があるか…その理由が見つからないのが一番困るのだけれど、とガリオンが思案していると、遠くの方から自分と同じ色の髪の色をした女生徒が走ってきた。
「ごめんなさい、遅くなったわね」
「いや、連続殺人を起こすバカがいるのが悪いんだ。ベル、また手伝いを頼めるか」
「そのつもりで呼んだんでしょ」
ちょっと呆れた風でベルは答えたが、割とやる気満々にも見えた。
ベルは見た目より捜査に協力的で頼めば何でも調べてくれている。ガリオンは、今のところベル以上のサポートはないと思っていた。ミドリには「のろけならぼく以外にお願いね」と先日釘を刺されたばかりだが。
「とりあえず周囲の魔力探査と、やっぱり被害者に魔力が使われていないかをチェックしてくれないか?…ないとは思うんだけどな」
「了解―――始めるわ」
銀色の波紋のような魔力が周囲を覆う。ガリオンはそれを身に感じながら、被害者の身辺を探った。持ち物に不審物はない。前回と同じく口から毒のサンプルは取って、研究チームの方で分析は進めてもらおう、とガリオンは思案した。
そうしている間に周囲の魔力探査は終わったようで、ベルが首を振った。
「周囲の魔力探査は結果ゼロ。やっぱり特にないわ」
「そうか。被害者を頼む」
「うん」
魔力を注入するように、小さな波紋が被害者の周囲を囲む。しかしそれは一瞬で終わった。
「駄目ね。やっぱり無い。魔力なんてちっとも使われてないわ。この人自身の魔力はまだ少し残っているけれど」
「…?どういうことだ?」
「殺されて時間がまだあまり経っていないからでしょうね、そういうときって人体に魔力がまだ残っているのよ。確か死後30分から1時間くらいだったかしら。医療チームに聞けばもっと詳しいことがわかると思うけれど、それくらいね」
今回の場合だと、殺されてから発見されるまで時間はそうかかっていないということになる。被害者が発見されたのが昼過ぎ、40分ほど前にガリオンが到着し、今ベルが確認したのだから。
「で、毒のサンプルはやっぱり口以外には見つからなかったの?」
ベルは進展を聞くが、逆に今度はガリオンが首を振る番だった。
「こっちも空振りだ。また口からサンプルを取るしかないだろう。仕方ないけどな…」
「あんまりやりたくないわよね」
魔力治癒が一般的で、死亡といえば老衰しかないここ「楽園」では解剖することもできず、血液から毒物のサンプルを抽出するなんて研究器具もない。
精々が口内に残った毒物を抽出することができるくらいである。
そういうところは人間の街の医者の機関を使ってほしいと切に思ったが、今まで殺人事件なんて起こりもしなかったところなんだから、仕方ないだろうと、ガリオンは思うしか今はできなかった。
被害者の口内サンプルを研究棟の研究チームに届けるために、ベルと連れ立って研究棟までの道のりを歩く。
ベルはガリオンよりかなり背が低いけれど、凛としていて真っ直ぐものを見るところがあるから、横で並んでこうして歩いていても小さい感じがあんまりしないなぁなんてことをガリオンは考えていた。
今はなぜか捜査のことなんて考えていたくなかった。隣にベルがいるのに、捜査のことなんて考えていられなかった。―――なぜだっけ?
「そういえば、ガリオン」
「―――ん?」
「ガリオンは大図書館にはこないの?皆、人間枠で入った人たちは大図書館の”全知”が見たいんでしょう?ガリオンは一度くらい読みたいって思わないの?」
「ああ、”全知”ね。とりあえず、今は忙しいし、いらないかな」
捜査もあるし、とガリオンは苦笑したが、ベルは納得がいってないようだった。
「どうして、ここでしか手に入らないもので、皆それを欲しがってここに来たがるのに」
「わかるんだけど、俺はそれより欲しいものがあるから」
「”全知”より欲しいもの…?」
夢の中の女の子、泣きじゃくっていたガリオンにずっと泣き笑いで、何かを言ってくれていた子。その子は何かを言って、たぶん、魔法をかけて、ガリオンと何かを終わらせた。
その魔法がもし”全知”とやらにあるんだったら、今すぐ大図書館で解除するけれど、なぜかそんな気はしないのだ。いや、あったとしても、解除方法はそこには無い気がするのだ。ガリオンには何故かそんなカンがあった。
あの”全知”はそんなものじゃない、と。
「だから、えっと、時間があるときに読みにいくよ。順番にさ」
「…ガリオンがそれで良いなら、いいけれど」
そう言いながら、ベルはまだ不服そうだった。ガリオンにはなぜベルが不服なのかがわからなかった。
ガリオンは研究棟の窓口で毒物に詳しい研究員を紹介してもらっていた。ベルもそれを待つ。
ガリオンは、死体の口内から採取した毒物から少しでも毒物の種類を割り出すことができれば、精製することができる魔法使い・魔女が限られるのではないかと考えていた。それには毒物に詳しい研究員チーム、ないしは研究員が必要だった。さすがにこれはガリオンやベルの手には余る。
そうこうしていると、研究棟から1人の白衣を着た人物が現れた。
「どうも、ガリオン君だね。理事長代理捜査人の。私がヴァルナだ、毒物はメインではないけれど、薬物系の担当をしている研究員のひとりだ。よろしく」
すっとした面立ちに髪をひとつで束ねたすらりとした女性だった。デキる女性の典型のような成りで、きっと研究所の紅一点みたいな感じなんだろうなとガリオンは感想を抱いた。
「ガリオン・フェーバーです。よろしくお願いします。先日分も研究棟には毒の口内サンプルが届いていると思うのですが」
「ああ、届いているよ。話は中でしよう。私の研究室はちょっと狭いけど、勘弁してね」
促されるままに研究棟に入り、ヴァルナと書かれたネームプレートの部屋に入る。
プレパラートやレポート、色々な器具のあるうちに、部屋の中の冷蔵庫の中からそれは取り出された。
「これが第2の殺人の時に送られてきた口内サンプル。1回目はサンプルも何もなかったから無し。で、君の持ってきたのは、今回の3回目のだね」
「はい、そうです」
ヴァルナは椅子に腰かけ、うーん、と首を傾げた。
「まあ毒を分析するのは構わないけど、ここだと血液分析もできないからね。そのあたり分かってて、それでも分析する?」
「はい。念のため、毒が一致しているかだけでも確かめたいですし」
万が一、毎回違う毒物で殺されているなんてことだったりすれば、対策も違ってくる。おそらく同じ毒物で殺されていることは、現場を見たものはわかるとは思うが…とガリオンは思う。
「わかった。私の方でこちらは分析しておこう。もし、万が一これからも起こるようだったら、都度私の方に送ってよこしてくれ。分析比較しよう。…本当はこんなこと起こってほしくはないけれどね」
「俺もです…」
「はい…」
3人とも神妙な面持ちになる。こんなこと「楽園」で起こってほしくはない。それは誰もが思ってることだった。出なければここは「楽園」なんかではない。「楽園」なんて名前で呼ばれやしないのだ。
ヴァルナに見送られ、研究棟を出て、2人は黙り込んでいた。
研究棟に来るときの話もできず、かといって捜査の話も今はしたい気分ではなかった。
「楽園」が崩壊しかかっている現実を目の当たりにしていることを、本当に思い知らされているようで、ガリオンはその最前線にいるはずなのに、何もわかっていなかったことをガツンと頭を打たれたように、分かってしまった。
「…何か話してよ」
「何かって」
「暗いんだもの。何か」
「じゃあ、ベルの知らないことでも話してやろうかな…」
話してとせがむから人間のことでも話してやろうかと思ったのだ、ガリオンは。ベルはヴァレリエだから人間の世界のことなんて本の中でしか知らないだろうし、実際に何が起きてるかなんてわからないだろうと。
「俺さ、戦災孤児なんだ…戦災孤児ってわかるか?」
「…う、うん。戦争で両親が死んじゃった人のことでしょ。あんまりヴァレリエにはわからない感覚だけど。私たちには、理事長が“お母様”だもの」
「そっか、そうだよな。それで、俺、ずっとひとり…で」
―――違う、ひとりじゃない。孤独ではなかった。手を繋いでくれる誰かがいた。小さくて、でも凛とした、自分の方が泣き虫で。
おかしいな、戸籍には一人っ子になっているはずなのに、どうして…。そんな記憶があるんだろう。知り合いの子かな…スラムにそんな手を繋いでくれるような子がいただろうか?
「…ガリオン?」
「いや、兎も角、1人で生きてきたんだ。スラムってのがあって戦災孤児が集まって暮らしていた、まあごみ溜めみたいなところ。こことは違う汚いところだけど」
「そう」
スラムという言葉を発したときに、少しベルの表情が陰った気がした。けれどガリオンは気が付かない。
ガリオンは言葉を続ける。
「えーっと、スラムで暮らしてる時に働いてたところがあって、そこの親方が結構優しくてさ。まあ、俺と何人かを拾い上げてくれたんだ。で、ちゃんと小等部と中等部のある学校くらいは行きながら働かせてくれたんだ。親方には感謝してるよ」
「…そうなの」
「あ、感謝してるといえば、エーディヒ先生に理事長に会うための方法を教えてもらったんだよな。っていうか、ベルのキーワードが一番手っ取り早かったんだけど」
「どういうこと?」
ガリオンは簡単にエーディヒからグリーンズの遺言を継ぐ者を探して、その人から理事長に紹介してもらうという方法がある、というやり方を教わったことを伝えた。
するとベルはくすりと笑った。
「なるほど。そうすると、私は最初に大きなヒントを与えていたことになるわね」
「そうそう。助かった、本当に」
そうやって明るい話題になり、大図書館の前まで来ると、ベルはここでいいと言った。
「でも、」
「いいの。今日は大図書館で本を読みながら寝ることに決めたから、ここでいいわ」
口ぶりからすると、どうやらそういうことをする日が良くあることのようだった。それならば、とガリオンはそこで別れ、自分は男子寮へと戻っていった。
2人がそうして3人目の捜査に奔走し、ガリオンが過去の記憶をベルに語っている間に次の殺人が計画されていることを予見することもできず。
事件はやはり“連続”していくこととなる。