第1図録 私立樒(イリシウム)学園
第1図録 私立樒学園
少年はさよならをした。
さよならは、記憶に無い。
結末がどうなってもさよならをしたくなかったのに、彼は彼の意図しないところでさよならをした。
泣きわめく彼に笑ってさよならを告げたのは、彼女だった。
白い素肌が綺麗だといつも言ってくれるのはいつも彼女だったけれど、いつも彼は同じことを思っていて。
「―――これで本当のさようならにしよう」
彼女が言う、手が届かない。
仕方が無い。これは彼の記憶だ。もはや終わってしまった話し。
少年にあった昔の話。それを繰り返し少年は見る。
ごめんね、と泣き笑いの彼女が目に痛い。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
手が届けば涙を拭って、笑顔にすることもできるだろうに。
彼には出来ない。これは過去だから。いや、彼には出来なかった。
そういう…魔法をかけられているから。
目を覚ますと、小さな魔法の夢は去っていた。
いつも見るとおりのまま、彼女のことは影でしか見えなくて、言葉も鮮明でない。
最後の言葉だけ、少し覚えている程度。
これが魔法なんだなと思うことはあっても、どんな魔法をかけられていたのかすら判らない。
でも、その魔法がどんなものかを知りたくて少年はこの道を志した。
少年が夢から覚め、落ち着いたところで、今日の準備をするために宿のベッド脇に置いてあるバッグの中を探った。中にある書類に明記してあるのは「学園入学に置ける申請書、及び宣誓書」と「イリシウム学園概要」の2種類。
少年は今日宿を出てこのイリシウム学園に入学する事になっている。そのための書類だ。
―――本当ならば都市部で有名な魔法学校に入学したかったところだけれど、と胸のうちで嘲笑う。
自分に魔法の実力がないのは判っていた。それでもやりたかった。だから最後の縁のように、魔法教育機関に詳しい教員が紹介してくれたイリシウム学園に縋った。
森深くにある近年まで閉ざされた全寮制の私立学校、元々『人間不可』と言われていたらしい。
人間がいなければ、誰がいるのかと良く幼年学校などで話題になったものだ。
それが近年解禁され、教育機関と提携の元、一部の人間の魔法使い志望の学生に門徒を開くというではないか。
興味本位の人間もいれるとかなりの人数が学園には入学したがったらしい。当時は、大賑わいだったと教員が教えてくれた。
それでもイリシウム学園は私立ということもあって、一定の人間しか入学させてくれなかったらしい。しかも当初から「宣誓書」を書かせて。
それらにしっかりと自分の名前と所々の確認事項が書かれていることを確認して、少年は宿を出た。
少年は森から最寄りの宿を取ったのだが、それでも森に入るまで一時間歩き通し。バスも何も公共の交通機関はナシ。
森の入り口から学園と思わしき塔が見えるまでさらに二時間。塔が近くなり、門にたどり着くまで更に二時間。
朝出たはずの宿は遠く、時刻は昼になっていた。
確か始業式は昼過ぎ開始のはずと、書類を確認したが、確かに十四時開始とある。確かにこれでは朝早く出たとしても昼近く着になる。それこそ空でも飛べなければ。
門のところで腕章をつけた生徒に呼び止められ、少年は振返った。
「そこの新入生、君名前は?」
「あ、えと…俺、ガリオン。ガリオン・フェーバー」
「ガリオン…ガリオン、はい。名簿に名前を確認したよ。よろしく、僕は3年のミルヒ」
ミルヒと名乗った先輩は、イリシウム学園特有の薄緑色のブレザーを折り目正しく着ていた。
ミルヒに従って、パンフレットのようなものを貰い、門から見て一番手前にある講堂へと誘導されるままに入る。
そこには同じように私服を着た新入生らしき人物はなく、ほぼミルヒと同じ薄緑色を基調とした制服を着た男女がひしめきあっていた。
ここは元閉塞的な学園、つまりエスカレーター式でもあった。ガリオン以外の制服を着た者達はエスカレーター式で入学する者達ということだ。人間が殆どいないということにもなる。
元々ここが『人間不可』だった理由、それはここが植人間…一般的にはヴェル・ヴェレリエとか、略してヴェレリエとか言う、植物から産まれた人間でないけれど、見た目と中身がほぼ人間のための学園だからだ。
見た目や中身がほぼ人間だからといっても、人間とは全く違う生まれで、感情や感覚も人間とは異なる。それゆえ、ここは閉鎖的であった。そうあらざるを得なかった、という見方をしている研究者もいるらしい。
なんにせよ、ここではガリオンの方が異物で、植人間たる彼らの方が普通。郷に行っては豪に従えと昔の人は言ったけれど、まさにその通りだと思う。
ガリオンは身を小さくしながら言われるがままに椅子に座り、入学式が始まるのを待った。周りを観察してもみたけれど、右を向けども左を向けども人間の顔。どう見ても植人間という、人間ではない生き物のようには見えない。
それでもガリオンはここに来る前に散々注意された。見た目に騙されるな、見た目は殆ど同じでも彼らの考え方や感じ方は人間とは全然違うのだと。
ガリオンにはまだよく判らないけれど、やっぱり人間そっくりだと思った。そうこうしているうちに式がはじまり、理事長の言葉とやらがはじまった。
何故か周囲がざわつきはじめる。理事長の言葉って、幼年学校でいうところの校長先生の言葉と同じで眠くなるような長い口上と変な理屈とを引っ付けたような、つまらない話しじゃなかったかとガリオンは首を傾げたが、直ぐにガリオンはさらに首を傾げるはめになった。
いままで講堂の台の上には何もなかったのに、いきなり準備委員の人だろうか?黒幕を持ってきては、横長に伸ばし始めた。まるで講堂の台を見せまいとするかのように。入学式で講堂の台に立つ人を見せまいとするパフォーマンスなんてないだろう、とガリオンが目を見開いていると、ざわつきがおさまりはじめる。声が、聞こえはじめたのだった。
声はどうやらあの黒幕の向こう、台の上から聞こえているようだった。式の進行どおりだとすると、話しをしているのは理事長だ。
「聞こえているかい、子等よ。また人間諸君、入学おめでとう」
子等?
「理事長の言葉なんて面倒だろうから、短くいこう。きっとこのあとのパーティーの方がお楽しみだろうから。教師諸君には今年も歓迎会は盛大にと頼んでおいた。人間諸君にも楽しめるように趣向を凝らしたつもりだ。植人間だ、人間だと差別なく楽しんで、そして交流して欲しい。この学園での3年間が実り多きものであるように、まずは1日目から楽しく」
黒幕のせいで聴き取りづらいけれど女性の声だと、ガリオンは判断した。そしておそらく老齢ではないと。
「子等よ、人間諸君。どうか、この大魔女の庇護の元、楽しい学園生活を」
その言葉を締めくくりに、立ち去ったのか黒幕は外され、元の講堂の台のみが残され、式はそのまま静かに進んでいった。
ただその一瞬だけがざわめき、何故か新入生一同の感心を買っていたようだった。
ガリオンが気にしていたのは理事長の言葉にあった”人間諸君”。諸君というからには自分以外の人間もいるということらしい。ぱっと見、彼の周囲には見られないがおそらく新入生にも上級生にもいるのだろう。少しほっとした。孤立無援よりは少しでも同じ人間が居た方がいい。
それからガリオンが心に引っかかっていたのは最後の言葉のひとつ、”大魔女”という言葉。彼女は自分のことを理事長ではなく、大魔女と表した。
大魔女、魔法使いが目指すべきトップのひとり。本名不明、通称すら不明、人間には神話級の話としてしか伝わっていないネーミング。しかしながら、強大な力を持ち、時間も地形も操り神と対話し、世界を創る1柱ですらあったらしいとされる、神話の神様にも近い魔女。
その大魔女様がここの理事長だとしたら、人間に伝わるあの神話が正しかった事になる。
『魔女と神は契約をし、神は魔女に種と大図書館を与えた…』とか言う古い神話だ。あまりガリオンには馴染みが無くて、詳細まで覚えていなかったが、確かその種から植人間が生まれ、植人間が産まれたことで魔女は住処に植人間が溢れ、寂しくなくなった…とかだった気がする、と思い返す。
まるでこの学園はそのままだ。ただそれがさらに溢れかえり、学園と化した、それだけで。
そうやってガリオンが夢想にふけっている間に式は終わり、講堂からは人が消えていく。見るからに人間であるガリオンに自ら近づく者はなく、ただひとりだけガリオンに声をかけた猛者がいた。
「大丈夫、人間さん…?」
「…へ?」
声をかけられた事で、ガリオンがふと辺りを振り返ると殆どの人は出口へ向かっていた。慌ててガリオンも席を立つ。
「大丈夫だ。あ、ええっと…」
ガリオンは、声をかけてくれた植人間にお礼を言おうとして名前を知らないことに気がついた。制服を着ているから植人間の男子であることは判るのだけれど。
「ぼく?ぼく、水鳥、ちょっと珍しい名前だけど、よろしく」
水鳥のような白い手に、湖を思わせる水色の髪、名前はちょっと不思議な音だけど確かに彼は水鳥のようだった。
「俺はガリオン。人間さんはやめてくれないか、人間が珍しいのは判るけど」
「そうだね、ごめん。ぼくのことはミドリでいいよ」
そんな会話をしているうちに、講堂を閉めるという声が聞こえてきて、慌てて2人して講堂から出た。
少しだぼついた制服を直しながらミドリが講堂から右手、小高い丘になっている方を指す。ちょっとしたテントと机、それから人だかりがあった。多分新入生の倍以上はいる。
「あそこ、人間いるよ?いく?」
人間がいる、と言われてガリオンは気がついた。皆どこかへ向かっていたことにやっと気がついたのだった。
「もしかしてさっきパーティーとか歓迎会とか言ってた、」
「そう。上級生がいるから、人間も…えーっと多分新入生は知らないけど、10人ちょっとはいるんじゃないかな。いく?」
ほわほわとまるで足元が浮いているような体で、彼は丘の向こうを指して言った。やっぱり水鳥みたいだとガリオンは思う。
「いくいく!ていうか、お前優しいな!」
人間はここでは珍しいはずだから、孤独だろうとある意味思い込んでいたのだけれど、ガリオンは大魔女の言葉を少しは信じてみようかと思った。
『植人間だ、人間だと差別なく楽しんで、そして交流して欲しい』
多分ここでは植人間だ、人間だとあまり気にしないのかもしれない。むしろ気にしているのは人間だけなのかもしれない。
そう思って、ガリオンは気持ちを切り替えることにした。人間の友達ももちろん必要だ。けれどここは殆どが植人間、だから。
「お前は俺の友達第1号だな!ありがとう、ミドリ、一緒に歓迎会楽しもうぜ!」
本心からそう思って声をかけた。なのに、目を見開かれた。
「……人間は植人間、苦手なのかと思った」
返ってきたのはガリオンにはよくわからない答えだった。
「なんで?声かけてくれたのお前じゃん」
さっきまでほわほわ浮いていたような足元がちょっと落ちたように、うつむきがちになってミドリは言った。
「さっきの君は枯れそうな鬼灯みたいだったから。いまは向日葵みたいだ、違う植物みたい。違う生き物だよ、ぼく。いいの?人間は人間で群れたいんじゃないの?」
「人間の友達も欲しいけど、お前とも友達になりたいよ。それじゃあダメか?」
すぱっと言い切ったガリオンにミドリはちょっと赤くなった。それこそ鬼灯のように。そして震える手をゆっくり伸ばして、ガリオンの手を掴んだ。
「ぼくでいいなら…いいよ。でもぼく人間の感情はちょっとよく判らないから、違ったら教えて。ヴェレリエはそういう生き物なんだ」
「ヴェレリエ?」
「植人間のこと。ぼくらはあんまり自分のことを植人間って言わないんだ。人間だって、自分のことを人間ってあんまり言わないのと同じ。ぼくらはよくヴェレリエっていう」
なるほど、とガリオンは言いながら、ミドリのちょっと小さな手を握った。そして二人揃って丘まで歩く。
近くまで来るとテーブルには豪勢なオードブルと飲み物が沢山。ガリオンにとっては色もカラフルで見た事の無いものもたくさんあった。
殆どの学生と思わしき人は制服を着ていたけれど、その中の何人が人間の上級生かは判らない。私服は2人くらいみかけたけれど、話しかける隙をガリオンは見つけられなかった。ちょこまかとしたミドリと一緒にオードブルをとり、ミドリに中身を聞きながら飲み物をとる。
殆どの学生はガリオンに優しかった。ミドリにはあまり話しかけなかったけれど、ガリオンにはみんな興味津々でミドリが側にいるせいで、植人間が苦手と思われずに済んだようだった。
丘からは大きな塔とそれから円形の広そうな円卓場が見える。会議室だろうか?とガリオンが眺めていると、上級生の一人が言った。
「あれが何だか知らずに入学したのかい?」
「はい、あれはなんですか?会議室?」
「いや…―――」
「大魔女が住まう、僕ら以外の神からの唯一の下賜、全知の大図書館だよ」
入学式から1週間、ガリオンは特に問題もなくクラスにとけ込んでいた。
あれほど心配してた植人間とのやり取りも特に問題なく、しいて言えば恋愛ごとが大好きで人間の恋愛ゴシップの話を凄く求められたり、どんな恋愛小説が流行っているのか聞かれたりする程度。
あとは大きな違いとしてガリオンがちょっと驚いたこととして、「恋愛感情」というものが基本的にないということだった。
男女の差というものは体格やら見た目にはあるものの、例えば人間にあるホルモンだったり、こういった青春期にありがちな男女の機微なども特に無く、脳内分泌が無いという事は感情も無く、男女間の友情も普通にある。ただ男女の恋愛が全くない。学園の運営上問題は全く起こらず、例えば普通の高校でありがちな男女トラブルや3角関係もあるわけがなく、爛れた恋とかもない。
逆になさ過ぎて刺激に飢えるところは少しあるものの、元々あまり感情が激しい種ではないのか、書物で楽しむ程度ですんでしまう。
人間で男子のガリオンにも女子たちが普通に群がり、普通に話しをし、くっついたりお昼を一緒に食べたりなんて行為が普通であり、逆もまたある。そんなことが普通にあるだなんて、きっとハーレム願望のある人間はこの光景をうらやましがるんだろうなとガリオンは思った。
さて、1週間が過ぎて、ガリオンの耳に入ったのは、ちょっとしたこの学園の噂だった。
この学園は幼等部から大学部まで、そして永久就職先は研究所か学園の教師だ。生涯をここで過ごすことができるように学園が設計されている。そして、それらを設計したのはここを設立した理事長と最初の学生と言われる六人のメンバーだったという。
まあまずは六人のメンバーの方はおいておいて。理事長=大魔女であることは初日の先輩の言葉からも確実だった。なのに。
誰一人として理事長の顔を見た事は無いという。生徒は誰も。
流石に教師陣全員や研究員、大学部まで聞いてまわったわけではないから確実なことは言えないが、少なくとも高等部に今在籍している100人ちょっとは見た事が無いらしい。
確かに大事な式典の1つにもあんな黒幕まで用いて顔を、というか全身を隠してまで出るとは言えない出方をしているんだから、よほどのことだろう。ちなみにあの黒幕を持っていた生徒にも聞いて回ったが、見えないように魔法をかけられていたらしい。入念なことである。
ここまでくるとガリオンには好奇心がわき上がってきた。大魔女と誰も呼ばない理事長とは、一体どんな人物なのか。
声だけ聞けば若い女性のように聞こえるが、相手は魔女だ。どんな細工をしていてもおかしくはない。
学校の色んな建物の位置を把握する意味半分、好奇心半分で、ガリオンは大魔女が居るという大図書館へと向かった。
大図書館は講堂から左手。校舎の後ろ手にあり、塔と広そうな円形のホールで成り立っているようだった。
その中のどこに大魔女がいるのかは知らないが、まずは大図書館にと、足を踏み入れた瞬間、ちょうど出てきた影とぶつかってしまった。
「…きゃ、」
「わ、悪い…!」
薄緑色の制服、高等部だ。女子の声にびっくりしたガリオンは慌てて声のする方に手を伸ばした。
「悪い、前を見ていなかった。大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です。…大図書館にはあまり見ない顔ですね。人間の皆さん割とここに篭っている方多いのに」
じい、と顔を見られて、ガリオンは少し仰け反る。ガリオンより頭1つ分小さい彼女はボブカットの髪を揺らして笑った。
「でも大図書館を活用してくださるのはきっと”ひみつのひと”も大歓迎です」
「”ひみつのひと”?」
「あ、人間ですものね。判らないか…ええと、理事長のことですよ」
そういう呼称もあったのか、とガリオンは納得する。大魔女にはいくつか呼び方があるようで、理事長と呼ぶ人が多いけれど、人によって色々あるらしいということだけはクラスメイトからは聞いた。
この少女は”ひみつのひと”と呼ぶらしい。
「何で”ひみつのひと”なのか、君は知っているか?」
「ええと、理事長のことを調べてるんですか…?」
ガリオンが大魔女のことを調べていることを匂わせると一気に少女の声色が怪訝そうなものになった。
「やめてください」
否定された。
「何故」
「”ひみつのひと”は大事な人です。私たちヴェレリエの…”御母様”です。無粋な詮索はやめてください」
また新しい呼称だ。”御母様”。確かに、彼らにとっては種から人間のようなヴェレリエとして育て見守ってくれた母と近いものがあるのかもしれない。
質問を変えてみたら、この警戒心は溶けるだろうかと、ガリオンは思考を巡らせた。
「じゃあ、何故、ああも入学式などで執拗に姿を隠すのか、君は理由を知っているか?俺はただ何故、そうまでして隠れているかを知りたいだけなんだ」
「……それは、」
はじめて彼女が言葉を濁した。
多分この様子じゃ知らないんだろう。ただ、”ひみつのひと”を守りたい一心だったに違いない。
「じゃあ最後にひとつだけ。君は”ひみつのひと”を見た事があるの?」
「…ないわ」
「そっか」
やはり、高等部に見た者はいない。
それは正しかったようだった。
彼女が大図書館から去って行くのを見てから、大図書館の扉を開ける。
―――そこはまるで昔見たキネマの世界だった。一面の本、本、本。
分厚そうな装飾の多い本、魔術書のようなケツアルコアトルが背表紙に描かれた本、小さな文庫本が無数に数えきれず。
首が痛くなる程見上げる上まで積まれた本と、整理された本棚がちぐはぐで、ここに図書委員というものはいないのかと追求したくもなる。
これは確かに全知が揃っていると言われても過言ではないかもしれない。最近人間が開発した蒸気機関の本まである。こんな森奥では必要すらないのに。
ありとあらゆる知恵、叡智、それが集結しているような錯覚を受けた。
これが神の全知としたら即物的だけれど、大図書館だと言われたらうなずいてしまう。
ホールのようなそこを抜けると塔部分にたどり着いたのか、白銀の螺旋階段にたどり着く。
「まさか、これを登って塔の最上階まで行けってのか…?」
流石に30階分もゆうにありそうな階段を登って行くのはちょっと、と遠慮しそうになったが、その直ぐ側にちんまりと同じような白銀で出来た格子状の古めかしいエレベーターと思わしきものがあった。
たぶん、これならば塔の上まで上がれるだろう。
格子をゆっくり空けて、たくさんあるボタンのうち、60と書かれたボタンを押す。どうやら塔は予想の倍はあったらしい。
ボタンを押すと格子が自動で締まり、ぐんぐんと上へと登って行く。生憎、ガリオンには登って行く感覚はなかった。ガリオンは不思議に思いつつも、これもきっと魔術で作動しているのだと思い、エレベーターが指定された階へと到着するのを待った。
がこん、と止まる時だけ音がして、エレベーターがちょっと軋んで止まる。格子が空くと同時に、凄まじい光りにそこは包まれていて、ガリオンは目が開けられずにいた。目が慣れて、目が開けられてやっと、そこが空中庭園であったことに気がついたのだった。
周囲を囲むのは本棚。空には光りを取り込むためのガラス窓がはめ込まれていて、これで目がやられそうになったのかとガリオンは納得する。
でも、そこにガリオンの期待した人物はいなかった。…理事長と呼ばれ、”ひみつのひと”と呼ばれ、”御母様”と呼ばれた人は。
大きなクッションやソファー、まるで読む人のコトを考えたような豪奢なそれらをふんだんに使った空中庭園。庭園というからには花々も咲き誇り、けれど本の邪魔はしない。どういう育て方をしているのかちょっと気にはなったが、そういえばここは植人間の住まう場所。そういうことは得意なのかもしれないと、無理矢理結論づけた。
その積み上げられたクッションの側で何かが動いた。もぞりと、動物が何かが動くように。
ガリオンがおそるおそるクッションに手をかけ、そこを見ると、そこにいたのは、ガリオンと同じ茶褐色の色をした髪を持つ女の子だった。
手には分厚い本、胸元にも本、本に埋もれるように、いや、クッションと本に埋もれるようにして彼女は本を読んでいたようだった。
「…何、してるの」
「本読んでるのよ」
彼女は仕方がなさそうに本を持って、クッションを払って立ち上がると薄緑色の制服を着崩したままガリオンに向かった。
「ここに来たってことは、全知が欲しいんでしょう?世界の全てが最初から読みたいなら、右の棚から順番」
彼女はガリオンに丁寧に棚を教えてくれようとしたようだった。ガリオンはあっけにとられて、そうじゃない、というのを躊躇ってしまった。
躊躇っているうちに彼女は元の位置に戻るとクッションを良さげな位置に戻して、寝転がり込む。本はかなり重いはずなのに、それでも彼女は本を手に持って読み始めていた。
「あのさ、」
「何?」
「君は、ここにいるっていう大魔女を見た事がある?」
彼女は少し本から顔を上げて、ガリオンを見た。
「―――あるわよ、私、大魔女<TopSecret>に魔法をかけてもらったのだもの」
大魔女<TopSecret>
その呼び方は始めて聞いたと彼女にガリオンが言うと、「そうかもね」とあっけなく彼女は言った。
彼女は語りたがり屋なのか、そこから語り始めた。
「大魔女<TopSecret>っていうのは、このヴェレリエと魔女の楽園を築いた魔女の事。たまに大魔女<TopSecret>のことを”ひみつのひと”っていう子がいるけど、あれはたぶんこの呼び方から来ているのね、きっと。昔は名前で呼んでいたヴェレリエもいたそうだけれど、今はどうかしら」
彼女は俺に興味を持ってくれたのか、本を完全に下ろして話してくれた。
「私はベル。あなた、新入生のガリオンね、話題になっているから顔だけは知っているわ」
「そうなんだ。俺は別に特別なことはしていないんだけどな」
「人間は珍しいもの。仕方ないわ。―――ところで、大魔女<TopSecret>に会いたいの?」
その瞬間、やはり他の生徒と同じように彼女、ベルの目が剣呑になった。
「会いたいというか、何であそこまで隠すのか気になってるんだよ。だってここは、君の、ベルの言葉を借りるなら”ヴェレリエと魔女の楽園”なんだろ?隠れる必要なんてないじゃないか」
そう、ここは楽園だ。少なくとも彼女らにとっては。
魔術を学び、応用して生活をし、死ぬまで友人達と語り合い、最後まで看取られ死んでいく。
全てが完璧、全てが揃った場所だ。多分、昔の人が宗教とかで語った天国とかに近いかもしれない。
「…人間がいるからよ」
少し諮詢した後に、彼女はぽつりと呟くように言った。
「あなただって知っているでしょう。人間だって神話くらい伝わっているでしょう、大魔女と神の契約の話」
「あんまり俺、幼年学校ってちゃんと通ってなくて、朧げなんだけど。…確か魔女と神が契約をして魔女は大図書館とヴェレリエの種を貰って、」
「―――神は魔女に人と種から産まれた種族外との生き物との関わりを禁じた」
そうだ、とガリオンは思い出した。
契約はただ単に魔女に大図書館と種を下賜されただけではなかった。
契約はちゃんと奪って行くものもあった。それが、魔女にとっては、人間とヴェレリエ以外との関わりの禁止。
ベルは嘲笑するように言った。
「わかった?人間が学園に入ってくるようになってから、大魔女<TopSecret>は人前に姿を現さなくなったわ。人間に関わってはいけないもの。それはつまり、あなた達が表面上は歓迎されていても、大魔女<TopSecret>に心酔しているような学生や研究者たちからは疎まれているという事よ。それから、入学前の宣誓書」
「宣誓書?…そういえば、そんなのも入学前に書かされたような、」
入学案内と一緒に一式書かされた宣誓書。確かここで勉強したことは記憶していられるが、ここで見た全て、感じた全ては奪われるということについて、同意するという宣誓書だったはずだ。
ガリオンはそのときもう学園に入れれば何でもやってやるという、半ばやけくそのような気持ちだったため内容に適当にしか目を通さず殴り書きのように宣誓してしまったけれど、それは。
「つまり、友人も忘れ、…そうね、人間だものね、好きになった人も忘れるわ。知識だけが残るように宣誓書は魔法がかけられている。だからここで大魔女<TopSecret>を見たとしても、視覚情報としての彼女は消えるわ。見た、としての情報は残るかもしれないけど、どれほどかしらね」
仮に、なんらかのハプニングで大魔女に会えたとしても、宣誓書の魔法がある限り、大魔女のことは高校が終われば忘れる。それ以前に、大魔女は人間と関わることができない。
ガリオンがここ数日費やしていた大魔女の捜索はほぼ100%ムダ、ということが解っただけになってしまったということがわかっただけだった。
ガリオンはため息をつき、打開策などないことを知った。そしてそんなガリオンをベルが本を持たずに見ていることに気づかずに、ガリオンは背を向けて乗ってきた古びたエレベーターに乗ろうと足を踏み出した。
「―――グリーンズを知っているかしら?」
「緑男?」
確か噂話としてガリオンの耳にも入ってきた話だ。グリーンズ、大魔女が神から下賜された種から初めて生まれた生命として傍にいた6人の子ら。もういない大魔女の子たち。
「なら、グリーンズの遺言を継ぐものたちについての話を聞いたことはあるのかしら?」
「…いや」
グリーンズの遺言?グリーンズは確かにもう死んでいるという話は確かに噂話の中で聞いたことはあった。ガリオンの周囲にはそうした噂話はとてもよく回ってきた。
否定したガリオンにベルは少し笑って答えた。まるで、ガリオンの答えがわかっていたかのように。
「グリーンズの遺言を継ぐ者は、大魔女<TopSecret>の今の仕える者よ。今のヴェレリエは大体30000代目だから、まあ途切れてるかもしれないけれど、もし現存していれば、まだ大魔女<TopSecret>に仕えているかもしれないわ」
まだ望みはあると言ってくれているようだった。事実その通りなのかもしれないけれど。
少ないとはいえ、この学園の中から探し出せれば、大魔女につながる。
はじめは興味本位で探していたはずの大魔女は、いつしかガリオンにとって探してみなくてはならない存在になっていた。魔術を志すものとして大魔女にあってみたいという探求心が優っていた。
「…まあ、グリーンズの遺言を継ぐ者なんて、たぶんそのことを黙っているだろうから簡単には見つからないと思うわ」
「それでも何もしないよりいいよ。ありがとう、情報感謝するよ。さっそく探してみる!」
そういってガリオンは来たときと同じように古びたエレベーターに乗って、塔から降りて行った。
それを見てベルは本を開くこともなく、ただ一言つぶやいた。
「……バカ」
その言葉は誰に向けられた言葉だったのか。
とはいえ、ガリオンにグリーンズの遺言を探す時間はなかった。
なぜならば何せ、魔法学園ならではの行事が始まってしまったからである。
それは、魔法適性試験。
入学時にも一応筆記ではあったものの、今回あるのは実技試験だ。
おそらくエスカレーター式で上がってきたヴェレリエの皆は少なからず適正はあって、多分俺だけがこれに不安を凄く抱えている。
俺は魔法適性がほとんどない。特に実技、これに関して、そもそもこれによってここまできてしまった、という理由があるからだ。
筆記は兎も角、実技で都市部の全部の魔法学校からは面談すらさせてもらえず、ここへ逃げるようにして入学させてもらった。宣誓書もやけくそのように書いた。入れるならもうどこだってよかったからだった。
魔法使いを名乗れるようになれるのなら、どこでも。
だけど、実技は…。
そんな風に青ざめていたのを見ていたのか、後ろからくいっと裾を引っ張られる感覚で、はっと後ろを振り返った。案の定居たのはミドリだった。
背から裾を引っ張るなんて、背の低い奴のやることだ。ミドリくらいしかいないと思っていた。…あれ、この感覚、何かに似てる気がする。けれど思い出せない。
「ガリオン?どうしたの、実技、いくんでしょ」
「あ…ああ、いくよ。でも、俺実は実技自信ないんだ」
同じクラスだったけれど、今までいろんなクラスメイトに囲まれていた俺はあまりミドリと話していない。
あの入学式の一件以来である。
「…できないと、嫌?実技」
「嫌っていうか、魔法使いになるのに、最初からできないんじゃかっこ付かないし、それにここでも爪弾きにされるのは嫌だろ」
「…人間はここだと誰でも爪弾きだよ」
「…そーゆーんじゃなくてさ」
ちょっとやっぱりこの学校の感覚は違うとガリオンは思った。いや、もしかするとミドリの感覚が違うのかもしれないが。
「意識、集中して。大丈夫だよ、ちゃんとガリオンの中に魔力はある…から」
「うん…」
「駄目でも、誰も怒らないよ。…ちゃんと教えてくれる。人間だからどう教えていいか、戸惑う先生多いかもしれないけど、皆優しいでしょ。人と違って僕ら、元は植物だから、あんまり怒るとか、分からないしね」
最後の言葉はちょっと自分たちに向けた言葉だったけれど、全体的にはガリオンに向けた応援だった。
ガリオンはミドリの言葉に後押しされるように、2人で指定されていた場所である校庭へ向かう。殆どのクラスメイトは揃っていて、担任の教師、フレイライ先生もすでに待っていた。
「遅いよ、そこ2人」
「…ごめんなさい」
「す、すみません!」
とりあえず2人揃って謝り、試験の概要がフレイライ先生の口から告げられた。
校庭の真ん中には円形の魔法陣、その更に真ん中に小さな手のひらサイズの石ころひとつ。特に石には特別な模様もなにもなく、その辺に落ちていそうな石だった。
「えーと、高等部新1年生の皆には一応実技テストを受けてもらう。慣習だから、一応ね。やり方はシンプル。円陣の外側から力を込めて石を動かせばいい。石を動かした距離で魔法力を測るから。説明は以上だけど、質問は?」
一応、ガリオンは手を上げた。すぐさまフレイライ先生がガリオンを指す。
「ええと、武器とか道具の使用は…ない、ですよね…?」
「もちろんなし。…そういえばガリオンは高等部からの人間だったね。それじゃちょっと力の出し方を補足しようか。他のメンバーは暇だろうけど、ちょっと待ってやってね」
そう言って、フレイライ先生は手にしていた名簿、おそらく測定した値を書き込むものを閉じて、校庭にそれを置き、手を胸に当てた。
そしてじっとすること数秒、そこから赤い焔のようなものを出す。
「これが純粋な私の魔力。あんまり純粋すぎるものを出すことはないけど、まあこういう方法もある。これを投げるとか…ね」
「…なるほど、で、これの出し方は?」
ガリオンはつまりそこが聴きたい。そんな抽象的に見せられたところで、「ね、簡単でしょ?」というわけにはいかないのだ。
「『イメージ力』って分かるかなぁ、魔力を形にする力なんだけど。どっちかというと芸術系の子だと分かりやすいけど、ガリオンはあんまりそういうタイプに見えないんだよね」
「『イメージ力』ですか…」
確かにどちらかというと文系の頭だから『イメージ力』とは程遠い。
例えば、綺麗な剣をイメージしろと言われたらとても難しい。しかもそれを自分から取り出すイメージだとしたらもっと難しい。理屈は分かるが、イメージができない。
「…うーん、と」
悩み始めたガリオンに、フレイライ先生はひとつ出して見せた焔を自分の中にしまい、ガリオンに近づいてきた。
「じゃあガリオン、君は自分の中にある魔力を感じることはできるかな?」
「…感じること」
脈とかと同じ感じだろうか、魔力波と一般的に言うアレとか。
いや、魔力波は世界を漂う精霊と同じで世界にあるものだ。自分の中にあるものじゃない。
「先生、分かりません」
「…そこからか。じゃあ、荒療治だけど。しょうがないなぁ…誰か、うーん」
先生は先ほど校庭に落した名簿を拾い上げると名前をなぞるようにして誰かを探していた。何かをさせたがっているようだった。
「あ、いたいた。ミドリ、ちょっと助けてあげてくれないかな」
「…はい?あ、そういえば…そうですね、うん、そうだ。僕ならできるかも」
「でしょう」
ガリオンには良く分らないが、フレイライ先生とミドリの間では話は決まったようだった。
ミドリはフレイライ先生との話が終わるとガリオンの傍まで来て、ガリオンを円陣の前まで引っ張ってきた。
「な、何するんだミドリ」
「えっと、僕がガリオンの魔力を取りだすことを誘導…手伝うから、そこまでやったらガリオンはあの石ころに意識を集中してね。でないと魔力の大きさによっては僕もガリオンもどうなるか分からないから」
「…え?!」
急遽言われた言葉にガリオンがついていけずにいる中で、ガリオンの後ろに立つミドリがガリオンの背中に指を当てながら詠唱を始めた。
「≪震えた心 歪んだ螺旋 正す夢 紡いだ蔦 顕現する白銀階段≫」
そうして、ガリオンの目が見開かれるようにガリオンの心臓部分というか、腹の辺りが熱くなった。そしてそこから黄金色の光があふれ出る。
「ガリオン、これが君の魔力!!ちょっと制御できないの?!これじゃあ、ガリオンも僕も吹き飛ばされちゃう…!石ころどころの騒ぎじゃない…!」
背中越しにミドリが騒いでいるけれどガリオンの耳には届いていなかった。ガリオンはその黄金色に見入られつつ、そしてガリオンの目の色がいつしか左目のみ黄金色になっていた。
そしてただ手を前へ。左手を前へ。
伸ばすだけ、ただそれだけで。
円陣の中が、全て円形にくりぬかれたかのように、吹っ飛んだ―――。
ガリオンは教員室で1人立たされていた。もちろん、先の魔法適性試験における暴走の一件についてである。
フレイライ先生は流石に驚いていたようで全ての魔法適性試験を終了後ガリオンをここへ呼び出し、数十分ガリオンに質問をし続けている。
「ほんっとうに、アレははじめて?子供の頃から一度も発現なし?」
「…はあ。覚えている限りは」
ガリオンの身に起きたことは、ガリオンには覚えていなかったし、それ以前にあったかと言われたとしても知る由もなかった。
あれだけの魔力を抱え、暴走をするような子は、普通は子供の頃に一度くらいは同程度、あるいはそれ以上の暴走をしていて当然だ、というフレイライ先生の考え方は魔法教師としては一般的だった。ただ、ガリオンが一般的でないだけだった。
本件についてずっとガリオンの後ろで聞いているだけだったミドリが、ここで初めて口をはさんだ。
「…先生」
「ミドリ、別にお前には聞くことはないぞ。もう戻って、」
「…あれ、本当にはじめてだよ。僕と共鳴して、僕が取り出したのが初めての魔力だ。誰も触れたことがない。ガリオン自身も。なんなら理事長に宣誓してもいい、よ」
ミドリは淡々と言ったけれど、それはガリオンが入学時に書いたようにそれは神様に宣誓するのとほぼ似たようなことだった。
それをさすがにフレイライ先生も無下に扱うことはできなかったのか、うーん、とひとつ考えてから、ミドリの頭をひとつ撫でた。
「わかった。一考しよう。私がお前にガリオンの力を引き出せと言ったのだしね」
「…はい」
その時に見せた柔らかな笑みはやっぱり先生も女性なんだなと思わせる笑みで、怒られ詰問されているはずのガリオンもちょっとほっこりしたのは先生には秘密だった。
ミドリはその言葉を聞き、教員室をあとにした。おそらくそれでガリオンにはもう特に何もないと思ったのだろう、ぽん、とひとつ手でガリオンの腕を軽く叩いて出ていった。
「さて、ガリオン」
フレイライ先生が改めてガリオンに向きなおった。
「やはり、あれは危険ではある。しかし焚き付けたのも私だ。ミドリにも責任の一端はあると、自分で言っているのもあるしね。そこで、観察処分とする」
「…観察処分」
なんだか監獄みたいな言い方だな、とガリオンは思った。
「ひとまず今日は寮に帰っていいよ。ただ、ちょっと訓練スケジュールを組んでもらう。授業とは別にあの力を制御してもらうための。それが観察処分、というやつになるかな。あとはもう、あの力がどんなものか次第になるから、訓練次第になってくると思う。これはもうはやってみるしかないね」
つまり、今の授業スケジュール+訓練スケジュール。宿題もあるのにきつくなるのか、とガリオンはため息をつく。
でもこの力がもし夜中、寮の中でいきなり発動するようなことがあったら怖い、という気持ちもあって、ガリオンは深く頷いた。
「その心意気はよし。訓練スケジュールは先生と決めてもらうことにしよう。先生は…そうだなぁ…」
そこで一旦、フレイライ先生は酷く迷ったようだった。
教員室を見渡して、色々な教師の顔を見て惑う。
「…人間のコントロールの仕方なんて教えたことのある先生が少なくてね。悪いね」
「あ、いえ…」
そうだった、ここはそういう学校だった。と、ガリオンは思い出す。
見渡した教員室の中で一風変わった人を見つけ、フレイライ先生はその人を呼び止めた。緑色の髪色をした、丸いメガネをした人だった。
「エーディヒ先生、ちょっとお願いが」
エーディヒというらしいその先生はその緑色の髪を三つに別々に結っていて、それをたなびかせながら、こちらへきた。
「はい、なんですか」
声は割と低く男性だった。あまり背は高くないので女性かもしれないと思っていたガリオンは声を聞いて少しびっくりしていた。
「この子、彼、人間なんだけど、魔力はかなりあるんだけれど、コントロールが全くできないんだよ。貴方、人間に教えることもできるでしょう。教えてあげてくれないかな。授業とは別に」
「…それは僕の実験台になるってことですかね」
実験台という物騒な言葉が飛び出して、ガリオンが目をひんむきそうになった。自分はコントロールの訓練をするという話をしていたはずでは?!と。
「まあそうかな」
フレイライ先生はさも当然かのようにそう言った。
「では預かりましょうかね」
エーディヒ先生も当然のように言って、ガリオンの腕をがっしりとつかんだ。そのままずるずると引きずるように教員室を連れ出され、ガリオンの頭の中には昔聞いた童謡のドナドナが流れていた。
ガリオンがつれてこられたのは少し埃が積もった本が積まれた研究室のような場所だった。少し広いがあの図書館に比べたらここは非常に狭く見える。本のせいもあるだろうが、このエーディヒ先生がとても背が高いせいもあると思った。
「まあとりあえず座って。適当に椅子があるから、適当に」
「はあ」
丸椅子が確かに適当に置かれている。丸椅子には本が積まれたものもあるし、埃が積まれたものもある。何もないものをとりあえず選んで、ガリオンは座った。
「何もとって食おうって話じゃないよ。僕は昔から魔力の研究をしているんだ。できれば人の魔力の研究をしたいと良く理事長に手紙を出してはいたんだけれど、中々人間はここへは来ないだろう?」
確かにここはヴェレリエのための学校だ。人間はここ最近、しかもごく少数しか入学しない。
「確かに人間はいませんけど、先生の研究に手伝う人はいなかったんですか?」
「…ここに来る人間は大抵あの大図書館が目当てだから、皆無碍にされちゃったよ」
「大図書館が目当て?」
ガリオンには分からなかった。そう言えば、あの大図書館の中で会ったベルという少女もそんなことを言っていた気がする。―――全知がほしいのだろう、と。
「“全知がほしくて”、この学園にいるのだろう、と言われたことはあります」
「うん、そう。大図書館には全知がある。だから大体の人間は全知が欲しくてこの学園に来て、全知を求めて大図書館にこもってることが多いよ。だから、ヴェレリエの皆と楽しく学園生活を送っているのなんて、そう…君くらいだよ」
そういって和やかにエーディヒ先生は笑った。
面喰ったガリオンは黙り込んだ。そんなことは考えてなかった。探し物はあったし、魔力だって使えるようにはなりたかった。だって魔法使いにはなりたかったからだ。
でも全知なんて、全てを識るなんてこと、たいそうなことを考えてこの学園に入学したわけではなかった。
「あの、」
「うん?」
「俺みたいな人間がここに入学したのは間違っていたんでしょうか?」
全知を求めていない、俺が。
そう続けようとしたガリオンだったが、それはエーディヒ先生によって遮られた。
「いや、君みたいのがいい。理事長はたぶん一番君を歓迎しているよ」
「…え」
理事長…ひいては大魔女<TopSecret>がガリオンを一番歓迎している?
エーディヒ先生はちょっとさっきよりもニヒルに笑った。
「僕は教職について日が浅いからお会いしたことはないけれど、手紙でのやりとりは何度かさせてもらっているから、それでの感触になるけれど。理事長は優しい人だ。学園を愛しておられるし、ヴェレリエを愛しておられる。そしてそこで過ごす学生諸君を愛している。もちろん、学生諸君というからには人間である君も含んで全てね」
敬意を持って語ってくれたエーディヒ先生の目は輝いていた。決して大魔女<TopSecret>への畏怖はなく、例えるなら曾祖母などに尊敬の念を込めるような言い方で。
「だから、君は誇りを持って学園生活を楽しみ、入学できたことを幸せだと思った方がいい。もちろん、ちゃんと勉強はするべきだけどね。あと、僕の研究を手伝うついでに魔力のコントロールの訓練も」
「はいっ」
ガリオンに否はなかった。彼の言葉は心に響いた。
彼の言葉から聞こえる大魔女<TopSecret>はまた他とは違う響きだった。優しく尊敬でき、学園を愛する、まるで大樹のような…。
それはガリオンが考える大魔女<TopSecret>像をまた変えるものだった…。
エーディヒ先生と次の魔力のコントロールの訓練と研究の手伝いの日程を決めてから、ガリオンはグリーンズの遺言を継ぐものたちという曖昧な、それでいて唯一の大魔女へと繋がる手掛かりを探し始めた。
さし当たってはクラスメイトにでも聞きたいところではあるが、クラスメイトに探している理由でも尋ねられたら、倦厭されかねない。結局のところガリオンは大魔女に逢いたいのだから。ガリオンがしたいのはこの学園を退学になることでも、クラスメイトから村八分にされることでもない。
教職員も多分反応はクラスメイトと同じだろう。
であれば、植人間以外のもの…つまりは人間。少ないと聞いていたが、少ない人間で、自分以外はここにいるはずだった。
ここ―――つまりは、全知のある場所、大図書館。
こんな短時間で足を再度運ぶことになるとはガリオンは思っていなかったが、また同じように入口から入り、白銀の螺旋階段を左に見てエレベーターに乗る。
60階まで直通できるエレベーターで、60階に到着すると何人かが椅子やらソファーやらに座って本を横に積み上げて読んでいた。
おそらく、このメンバーが人間。ガリオン以外の人間に相違なかった。
そのソファーの後ろにまたもクッションが積み上げられ、埋まるようにしていた影があった。もしやと思ってガリオンは声をかけた。
「…ベル?」
「―――?その声は、ガリオン?」
ベルの名に違わず鈴の鳴るような声で、埋もれたクッションから身を出し、ベルは立ちあがった。ガリオンより背は低いのに、ガリオンの背を追い越しかねないほど本を積み上げていた。
「この前割と手酷く追い返した感じになったから、もう来ないと思ったのに。なぁに、もうグリーンズの遺言を継ぐものを見つけたの?」
「いや、それはまだ。そこの3人は…人間でいいのかな?」
まさに本の虫と言っていい3人。ソファー、床、椅子と場所は違えど黙々と本を読んでいるということだけは共通事項だった。
「ええそうね、私はヴァレリエだけど。他はみんな人間。1年生は私と貴方と…あと、床にいる彼ね」
床に何も敷かずにただ積み上げた本を消化するようにして読み漁っている姿はまるで、食い入るようという言葉が本当に正しかった。その少年の目が一瞬こちらを向く。濃い紫色の目が印象的だった。後はちょっと珍しい右側のもみあげのところの小さな一つくくりの髪。少年だから可愛らしく見えるけれど、東方の文化のような模様の紐で一つくくりにされていた。
顔を元に戻して、声だけが返ってきた。
「ユーケント。君と同じ1年、慣れ合うつもりはないから」
「あ、俺はガリオン。宜しく…」
って、よろしくされたくないんだよな、とひとりで心の中で思いながら、ガリオンは握手しようとした手をひっこめた。
その手がふらふらとしていると、後ろからにゅっと手を掴まれた。
振り返って顔をうかがおうと思う前に、手を握られる。大げさに振られた。
「や、私はマリエール、ひとつ上の2年ね。皆はマリィって呼ぶよ。よろしく、ガリオン」
髪がとても長い女生徒だった。前髪も長く斜めに流しているのに、目が見えない。黒髪のせいか凄く話をしなければ、凄く魔女にふさわしそうな風貌に見えるが、声色は明るくテンションも高い。
「あ、はい。よろしくお願いします、マリィ先輩」
「うんうん、人間の後輩はいいねぇ。何々、ベルちゃんと仲いいの?」
手を頑なに握られたままぐいぐいと顔を近づけられる。綺麗な黒髪が近いとガリオンは思っていたため、問いに対してあんまり考えられていなかった。
「ベルですか?ベルとはちょっと前にここで会ってグリーンズについて…」
「…先輩、もう一人紹介するんでちょっと黙ってもらえますか」
低音の声が、ガリオンの背後からしたと思えば、そこにはベルがいて、ガリオンは一瞬ひやっとしたものを感じた。
その時やっとあまりベルが話してくれたグリーンズの遺言を継ぐものについてはあんまり話してはいけないことなのだと、気がついた。ちょっと遅かったことは自分でも反省しようとガリオンは顔をちょっと青くした。
マリィとガリオンの手が離れたのを見て、ベルは次とばかりにソファーに座っている男子生徒を紹介した。
「3年生のケイオス先輩よ」
ひょろっとした色素の薄いケイオスは髪も白く、目は赤かった。どうやらアルビノのようで、でも肌が緑色に近いこともあるこの学園ではあまりアルビノでも珍しい感じはしなかった。
綺麗に前髪は横一列に切りそろえられ、薄く開いた紅い目が文字を追う。目がガリオンを見ることはなかった。
「…紹介通りだ。研究の邪魔さえしなければいい」
「あ、はい…」
ぐうの音も言わせないほどのぴしゃりとしたもの言いだった。
思わずその紅い目がちょっと怖くなった気がしたガリオンだった。
とりあえずこれで一通りの人間とは会ったことになるだろうとガリオンは、ふうとため息をつく。
そこでマリィがまたやいやいと騒ぎ始めた。
「聞いてるよー、人間なのに大図書館に籠ることなく植人間と仲良く学園生活をおくってる変人だって。私より変人なのがいるとは思わなかったけどねっ」
ガリオンは頭を掴まれて、かいぐりなでまわされる。
どうやらここにいるメンバーは常駐メンバーらしい。やはり人間は大図書館に籠るのが普通、のようだった。
「やっぱり、皆さんは何らかの目的があって入学をしているん…ですよね?それで、大図書館に籠りっきりになっているんですよね?」
ガリオンがそう口を開くと何名かはガリオンを見、マリィは少し悲しそうな笑顔を浮かべた。ベルはちょっと困った顔をしていた。冷静そうなベルの初めて見せる顔だった。
「大体はそうじゃないかな。私も詳しく知らないよ、あんまりお互いのこと話さないしね」
「…そうですか」
「私のことは話してもいいんだけどね、大した話じゃないし」
マリィは長い髪を少し手で弄りながら遠い目をした。積み上げた本の一冊を抜き取って、ガリオンに渡す。
「タイトルは…【繰魔女:Endless】…大魔女?大魔女ってこの学園の理事長以外にいるんですか?!」
ガリオンは思わず本を開き目次とぺらぺらと中を適当に読んだ。どうやらEndlessという大魔女についての微かな目撃証言と生態(魔女の生態っておかしい気もするけれど)について書かれている本らしい。
マリィはにやりと笑った。ちょっとそれはガリオンに対してというよりは、自分に対して嗤っているようだった。
「うんまぁ、私の場合はね、昔ちーっちゃな頃に繰魔女<Endless>に助けてもらった事があるんだ。で、ここへきたら会えるのかな?っていう願いが一つ。で、それともう一つ彼女のような大魔女になりたくてここへ来た。ここなら大魔女になるための環境は揃っているからね。どんな研究もどんな学問も、ここには全知があるのだから。全て叶う。―――ね、私の理由は割と大した話じゃないでしょ?」
ガリオンは話を聞いて、思わず手に持ったままだった本…Endlessについて書かれている本を捲った。
繰魔女<Endless>
人と魔女を繰り返す魔女 転生の魔女 運命の魔女
転生によって人と魔女を行ったり来たりする魔女であり、そのため彼女が魔女のときに出会うのは、運命が味方しなければ不可能と言われている
今生の彼女は人なのか、魔女なのか、それは彼女と交流のある大魔女しか知らないらしい
また、転生を繰り返すのは理由があるとされているが、理由は不明
運命を司るのも彼女だと言われているが、詳細は不明
「なんですかこれ、殆ど不明じゃないですか」
ガリオンがあきれ顔で本をマリィに返すと、マリィははははと笑った。
「世界の三大魔女、神話級の存在のことだもの。流石にその情報がここで全て手に入るとは思っていないわよ」
「…そういえば、この本には“大魔女”ではなく“繰魔女”って書かれていましたね」
ガリオンが気になったのはそこだった。
<TopSecret>のことは大魔女と皆呼ぶし、書物にも神話にも大魔女で統一されているのに、この書物には<Endless>のことを繰魔女と書かれていた。彼女も大魔女の1人のはずなのに。
「厳密に言うと、大魔女はただ一人。<TopSecret>のみなのよ」
ベルが口を挟んできた。
お役目御免と思ったのか、マリィは本を持ってそれを仕舞いに書架の方へ行ってしまった。
ベルが本をまた持ってきて、ソファーに案内してくれたので、されるがままにソファーに腰掛ける。
―――既視感。でも立ち位置が違う。
ふ、とめまいがしたガリオンだったが、それを振り払って、ソファーの隣に座ったベルの手元にある大ぶりな本に目を向けた。
「大きく分けて魔女は二種類、魔女と大魔女。その中で、三大魔女と呼ばれる神話級の傑物たちが大魔女、繰魔女、堕魔女のことよ。大魔女が大魔女と言われる理由は、やっぱりここを、この学園を作ったからかしらね。まああの神話のことも関係しているけれど」
神話。子供でも知っている、魔女と神の契約の神話。
あの神話があるから、大魔女は恐れられてきた。森深くへは入るなと子供には云い聞かせられてきた。
あの神話が彼女を“大魔女”たらしめたのだというのだったとしたら、もしそれだけが理由だったとしたら、彼女はどう思っているのだろうか。
―――何で、俺は大魔女の気持ちなんか考えているのだろう?
ガリオンはふと考えていたことを、止めた。
「ガリオン?」
「あ、いや…えと、魔女は多分ここで学んだりすればきっとなれるんだろう。魔法使いもそうだし。じゃあ大魔女ってどうやってなるものなんだ?」
ベルにそう尋ねると、一瞬首を捻って「そうね…」と呟いて、手元の大ぶりの本をぺらぺらと捲っては、後ろの方のページを開いた。
「大魔女と魔女の違いはたったひとつの簡単なことだと書かれているわ。“境界を超えられるかどうか”よ」
「“境界を超える”?」
何の?どんな?という疑問がガリオンの頭を駆け巡ったが、それを口に出す前にベルが答えを出してくれた。
「魔女には薬作り、魔術、色々なタイプがあるけれど、それでも超えてはいけない一線というものがあるわ。極端に例えて言うなら、死者を蘇らせたりとか時を戻したりとか」
「禁忌の術というものじゃないか」
ガリオンが苦々しく言うと、ベルは気にした風もなく、軽い口調で言った。まるでベルもすでにその“境界を超えて”しまっているかのように。
「そうよ。それを“境界を超える”というの。そしてそれでもなお生き続け不老不死ないしはそれに近いものになってしまったものが、大魔女となるの。<TopSecret>は不老不死だと言われているけれど、今マリィ先輩が話してくれていた<Endless>は転生するでしょう?不老不死ではないけれど、生き続けていることに変わりはないわ。大魔女になるというのは、そういうこと。ハイリスクでハイリターンなことなのよ」
ガリオンが成程、と感心していると、ぱんっと本は閉じられ、ベルはきつく言った。
「ガリオン、貴方この学園に入学したのに、こんな基本的なことすら知らなかったの?貴方はなんの目的もなく入学したというの?」
「…全くないってわけじゃない、んだが…」
ないと、いうわけではない。ただ他の皆に比べれば多分至極ちっぽけだ。たったひとつの小さな魔法を解きたい。そしてあの子に逢いたい。あの涙の理由はなんだったのか知りたい。泣き笑いをさせるくらいなら、自分の胸で思いっきり泣かせる方がいい。
ガリオンはたったひとつのその魔法の解法のためだけに、ここにきたのだ。
それはとてもちっぽけかもしれない。けれども、大事な大事な願いだった。
「ごめん。やっぱり俺はここで教えてもらうような人間じゃないな」
「…え、いや…私、」
ガリオンはソファーから立ちあがってその場から立ち去ろうとした。
ベルは引きとめようと声をかけようとしたけれど、言葉が出ない。ガリオンの背を見るしかできずにいた。それを見ていたものはいなかった。
ガリオンはそのまま来た時と同じようにエレベーターに乗り、1階まで下りて近くの椅子に座って、顔を手で覆った。
「あー、嫌われたかな。もうやだ俺。アレ絶対ベルに嫌われた。あんた馬鹿なのって思われてそう…。でも、」
ソファーのときにあった既視感に、ガリオンは想いを馳せていた。
立ち位置が違ったような気がする。あともうちょっと目線が違う。でも似た感じ。あんなに紙とインクの香りの中ではなかったけれど、似た感じの場所で。
それが脳裏から離れない。ガリオンはまるで喉に何かがつっかえたかのように、気になっていた。
数日が過ぎて、ガリオンの中にあった既視感もちょっと勉学やらクラスメイトとの交流やらで、頭から飛びそうになっていた頃。
エーディヒ先生からの魔力実験の初日がやってきた。
とりあえずはエーディヒ先生の魔力実験に協力しなければならないので、ガリオンはモルモットよろしく上着を脱いで、なんだか小さなケーブルの先端をいくつか背中や腹に付けられた。また胸周りも。それから腕周辺と手。
大仰なモニタは人里にもあまりないタイプで何台も稼働していて、おそらくそれらでガリオンをモニタリングする気なのだろう。
「…一応先生、聞いていいですか」
「どうぞ、被検体のガリオン君」
「これ、何してるんですか」
「簡単に言うと、魔力が溜まっていると一般的に言われているお腹周り、背中含めてね。それから、魔力をコントロールすると言われている心があるという心臓部分、魔力を出すポイントとなる手周辺をモニタリングしたいと思っています。これで答えになっていますかね?」
にこにことエーディヒ先生は語ってくれた。ざっくりとしていてとても分かりやすい。分かりやすいが。
「……すみません先生、一言言うのを忘れていました」
「はい、何でしょうか?」
「俺、自分じゃまだ魔力出せないんです」
そうだ、訓練の必要は魔力が自分で出せないからで。それをエーディヒ先生との訓練で自由にできるようになろうと思ったわけで。
こんなモニタリングをいきなりされても、まだ自由に魔力の出し入れができない状況でできるわけがない。
「ああ、それは考慮しています。確かガリオン君はミドリ君に手伝ってもらって魔力を出してもらったんですよね?」
「あ、はい。そうです」
そう言いながら、エーディヒ先生は背中にもう一つ大き目のコードを取り付けた。ガリオンはちょっと怖くなった。…今度はなんのためのコードだろうと。
「このコードは疑似的に君の魔力を外部から操るためのものです。やってることはミドリ君のやったことと似たことですが、まあミドリ君よりは出力は劣りますがね」
ちょっとびりっとしますよーと軽く言われ、モニタが全部ランプがつき、エーディヒ先生が機械を操作すると、まるで本当にミドリがあのときやってくれたのと同じように力があふれてくるような感覚がガリオンを襲った。
黄金色の光が部屋いっぱいに溢れる。あったはずの背中のぴりっとした痛みも感じなく、ガリオンは思わずまた手を、右手を前に出そうとして―――エーディヒ先生の手にとめられ、機械によって、その光は収束した。
もちろん、黄金色の光が出ていたときに顕現していたガリオンの左目の黄金色も、元に戻っていた。
「…ガリオン君、今の右手は無意識かい?それとも故意?」
「いいえ、なんとなくそうしなくちゃって思って…」
その答えを聞いて、エーディヒ先生はガリオンに付けられていた全てのコードを外した。
モニタリングは済んだらしい。モニタにはガリオンには全く分らないものが出ている。多分魔力の波形かなとは予測はつくのだけど。
「―――よりによって、黄金色純度100%ね。なるほど、フレイライ先生が僕によこすわけだ」
エーディヒ先生は服を着ているガリオンの横でモニタを見つめている。いくつかのモニタに,波形があり、それを渋い顔で眺めていた。
「あの先生、何か問題が?」
「問題と言えば問題かな。レアケースという奴だよ、少なくとも初めて僕は見たし、文献でも発見報告は稀だと読んだことはあるくらいだね。少なくとも100年…いや1000年に1人の確率だよ」
うんうん、と頷いてエーディヒ先生はモニタを全てオフにして、ガリオンに向き合った。
「君はその力の扱いによっては大魔法使いになれると思っていい。ただし、力の使い方を間違わなければ、の話だけれど。それくらいレアケースで、強い力だ。ミドリ君の制御を吹っ飛ばしたというのも頷ける」
「大魔法使い?!」
今まで魔法使いになんかなれやしないと言われ、人里の魔法学校には入れずにいたというのに。
「…フレイライ先生から聞いたのだけれど、君は今まで魔法を使ったことがないそうだね」
「はい」
そうだ、魔法が使えなくて笑われた。それでは魔法使いにはなれない。実技試験が受けられないから、魔法学校にも入れない。
「本当にそうかい?」
「え?」
エーディヒ先生の目はガリオンの目を見て、正確には先ほど見た黄金色の左目を見るようにして、ガリオンを見ていた。
「昔、君の…そうだね、“触媒”、“杖”になるような人はいてくれなかったかい?その人と一緒なら魔法が使える、みたいなことはなかったかい?」
「…俺、昔の記憶がちょっと曖昧で…」
あの夢はその昔の記憶の片鱗な気がしているけれど、それは云わなかった。
ガリオンは大体13歳より前のことが曖昧だった。書類上のことは分かっているのだけど、感情が追い付いていない。たぶんそうなのだろうな、と思う程度。なんとなく希薄なのだ。思い出がない、故意に消されているみたいに。
「そうか、じゃあそれがもしかすると君が黄金色100%の魔力を制御しきれない要因でもあるかもしれないね」
「はい、俺もそう思います。たぶん」
ガリオンにも確証はない。でもそう思うのだった。
―――こんこん
そんな話をしていると、研究室の扉が開いた。
「エーディヒ先生…あれ、ガリオンじゃないか」
「ミルヒ先輩」
現れたのは入学式のときに会ったミルヒ先輩だった。入学式以来だったが、ミルヒの方も珍しい人間ということもあってか、ガリオンのことを覚えていたようだった。
「エーディヒ先生のところで何をしているんだ?」
「ちょっと研究の手伝いですよ」
「ああ、エーディヒ先生、前から人間の魔力の研究がしたいって言っていたものな。そうか、ガリオンが協力しているのか。他の子たちは非協力的だからエーディヒ先生嬉しいでしょう」
ミルヒはにっこりとエーディヒ先生に言うと、
「やー、もうね、嬉しいは嬉しいんだけど、この子レアでね。ちょっと困ってさ」
と、嬉しいやら困ったやらという答えを返した。
ミルヒの方は現状を全く知らないので、首をかしげながら、とりあえず手に持っていたエーディヒ宛のプリントをテーブルに置くと、そのあたりの椅子を取って座った。
「え、レア?レアってどういうことですか?」
「レアだよ。魔力が黄金色100%だもの。レアでしょ?」
ガリオンには全く分からない会話だったが、どうやらその「黄金色100%」というジュースみたいな言葉がレアということらしかった。果汁みたいな表現だなとちょっと思いつつ。
でもミルヒには分かったらしく、優等生らしくなく目を丸くして椅子から転げ落ちそうになっていた。
「おっ、黄金色100%ですか?!本当に?!銀でも赤でもなく、黄金?!」
「そうだよー、これで制御できないっていうんだから、困ったものだよ。どうやって制御方法を教えて、黄金色っていうのがいかに重要かを知ってもらわないと」
とりあえず、そのやりとりにガリオンがそろそろ退屈になってきたので、ガリオンはその応酬に横やりを入れることにした。
「あのすみません、先ほどから出てくる言葉の「黄金色100%」って何ですか?俺、そんなレアキャラなんですか?ただの魔法使えない…っていうか制御できない奴じゃないんですかねぇ…?」
説明求める、とばかりに質問を投げれば、エーディヒ先生がうーん、と首を捻った。
「まだ人と魔力の遣りあいをしたことはないはずだから…ねえミルヒ君が良ければ、ちょっと手伝ってくれないかい?」
「そうですね、言葉で説明するより分かりやすいかもしれません」
「といわけで模擬戦をやろう」
何がというわけなのかが全然わからなかったが、ガリオンは突然ずるずると引っ張り出され、校庭にまで連れてこられた。
道すがら理由を聞けば、やれ魔力の暴走があったときに広い方が収拾がつけやすいだの、最悪校庭だったら砂塵が吹っ飛ぶくらいでなんとかなるだの、スペクタクルな話が飛んできて、また魔力テストのときのようなことをさせられることらしいことだけは、ガリオンにも分かった。
「さて、お相手をお願いしよう。ガリオン」
「は、はい。ミルヒ先輩」
ミルヒとの距離は約3メートルといったところ。ガリオンから約1メートル離れたところにエーディヒ先生が防御結界魔法を張った状態で待機。
それでもエーディヒ先生の手にはあの機械(先ほど計測する際に使った機械)とそこから延びるコードがガリオンの背中にあった。どうやらそれで、魔力をコントロールする気らしい。
「あ、ガリオン君。今回は手は止めないから。好きにやってね」
「…はい、分かりました」
手は止めない。先ほどのことだろう、先ほどは黄金色の光が出て、無意識のうちに手を伸ばし、それをエーディヒ先生が止めた。今回はその制止はないということだ。
「ガリオン君、いくよー」
機械のスイッチが入ったのか、ガリオンが黄金色に包まれ、光が神々しく放たれる。
ミルヒがそれを見て感嘆を漏らした。
「成程…これが、黄金色100%、純粋な黄金魔力…!」
そしてガリオンの左目が黄金色になり、手を、右手を、前へ…伸ばす!
瞬間の判断でミルヒが防御結界を張った。青色の結界が黄金色をはじき、返さなかった!矢のように黄金色の光がそれたものもあったが、通過した黄金色の光は巨大でミルヒを飲み込み、まるでそこだけ黄金色の激流が通っているかのようだった。
流石にこれはと思ったのか、エーディヒ先生が機械のスイッチを切る。瞬間的に黄金色は収束し、黄金色の激流も消えた。
ガリオンも、あまりの黄金色の激流に意識を取られていたようで、自分の手を、まるで自分の手じゃないように見つめていた。呆然と、まるで今あったことが、現実じゃないかのように。
今あったことは、本当に自分の手から出たことなのかと。
そして、はっとなってミルヒがいたところに目をやった。
「ミルヒ先輩っ!」
駆けつけてみれば、先ほどまでぎりぎり立つことを保っていた身体は、もう地に伏せていた。制服はぼろぼろで、焼け焦げたような跡さえある。
助け起こそうとしたところを、ミルヒ自身の手によって制された。
「いや、大丈夫。流石に自分の身の守り位はなんとか。でも制服はぼろぼろかな。本当に身体だけ守るので精一杯だったよ。本当は結界で全部はじき返そうと思ったんだけどね、流石純度100%の黄金魔力だね、手を伸ばすだけでこんななんだね」
ぱんぱんと埃を払って立ち上がるミルヒに、ガリオンが手を伸ばしていると、ようやくエーディヒ先生がやってきた。
「お疲れ様二人とも。さて、これでガリオン君は黄金色100%の威力は分かってもらえたかな?」
「威力は分かりましたけど…」
正直、威力だけだ。ただ凄いということしかわからない。あと、やたらぼーっとするということ。
「エーディヒ先生、俺、この力を使うとき凄く意識がぼーっとするというか…なんだか自分が自分でないような感覚がするんですが」
先ほども、研究室も、その前のテストの時も。自分が自分でなく、コントロールが効かない。誰かが止めてくれなければ止まらない感覚。
エーディヒはにやりと笑って、簡単に答えを云った。
「…そりゃやっぱり、研究室でも言ったけど昔“触媒”がいたんだろうね。魔力の管理を一手に引き受けてくれていた人がいたから、君は何もしなくてよかった。でも今は違う。君はその膨大な魔力と共に管理までしなくてはならなくなった。だから、そっちに能力のリソースを使わなくちゃいけなくて、感情とか理性とかの方にリソースがいきわたらない。この説が正しいことが、証明されただけのことだよ」
でも、と隣でミルヒが頭を捻った。
「先生、“触媒”って大体恋人とか…後は物のことが多いですよね。杖、書物、小動物、ホムンクルス。生き物、僕らみたいな植人間だって相当仲が良くないと、いえ、相当仲が良くたって“触媒”は難しいですよ。ましてや黄金色100%の“触媒”なんて…銀や赤の100%?そんな人だって10年に1人いるかいないかなのに…」
「そこなんだよねぇ…」
エーディヒも首を傾げた。
「普通だったらいくらでも何とでもいえる。だけど君の膨大な魔力を処理するには同じくらい強い魔力の持ち主じゃないとできない。そして親和性…これが一番“触媒”には必要なんだけどね、これは人間と人間だと難しいからね。ガリオン君、君に兄弟は?姉妹でもいいよ、魔力の強い人は?」
「いないです、たぶん…」
書面上は“なし”になっていた。一人っ子だったはずだ。
「…血縁者だったらありえるかなーと思ったんだけどね」
と、ちょっとがっかりした風でエーディヒ先生は云った。
血縁者と言われて、ふとあの夢のことを思い出した。―――あの彼女はもしかすると、姉か妹だったのだろうか。
触媒かどうかなんてわからないけれど、家族と言われて一番に思い当たるのは彼女だった。
そう思いふけっていたとき、ばたばたばたと本校舎の方で騒がしい音がしているのが聞こえた。エーディヒ先生もそちらを見る。もちろん、ミルヒ先輩もだ。
「何かありましたか?!」
ミルヒ先輩が声を上げると、走っていた女生徒が声をキンキンに上げて叫んだ。
「だ、誰かわからないけど、し、死んじゃったの!よくわからないけど、殺されちゃったんだって!なんか、調べてるって、ど、どどど、どうしようっ!!!!」
その言葉にエーディヒ先生はまず女生徒に駆け寄った。
「君は?大丈夫だね?」
「あ、はい。騒ぎがあって聞きつけて、それで…」
「そうかい、ならいいよ。あまり近づかない方がいい」
「はい…」
そっちは丸く収めているようだった。
それとは違いミルヒ先輩は走り出していた。女生徒が走ってきていた方向へと一直線に走り、思わず俺もそのあとを追いかける。
すると、そこには。
―――見るも無残な光景が広がっていた。
植人間とはいえ、見た目は人間とそっくり。
顔を青くしていて、うめいたのか、胸を抑えたまま、死亡している姿がそこにはあった。
こんなの確かに女生徒には見せられない。
―――それが俺たちの発見した第一の殺人だった。