86話 throw dust in eyes
少年は焦りを感じた。
その歩みが、全てを台無しにしてしまいそうで。
「その足を止めろ。勝った気でいるんなら勘違いにもほどがある。ここにいる生贄が全員死ぬことになる」
「なら早くやってみせろ。俺の前でそいつらを殺してみろ」
「…………………っ!!」
ようやく顔が歪み始める。
悔しそうに歯を食いしばり、冷や汗を流しながら。
「ほら早く俺を殺せるんだったら殺せよ。じゃねーと、俺が先にお前を倒すぞ!」
神宮寺の今の発言が口火を切ったのか、少年は周囲の影という影から『黒い槍』……それ以外に刃が付いた凶器をいくつも精製し、一人の人間に対して一斉射撃を行う。
例えどれだけ素早くとも、どのような攻撃も効かなくとも。
これは普通の武器ではなく邪神が作り出したもの。本来ならば神の武器の前に隔てるものなどなく、壁となるものも同じ格で出来た代物だけだ。
今この場に、邪神の出す凶器に神宮寺を護る物はない。
しかし、それらに対して一切避ける気もない神宮寺は目も向けず、ただ真っ直ぐ少年の方に向かう。
ただ歩いているだけ。
憑依している神は戦闘に特化したものでもない。
それなのに、影の凶器は全て神宮寺に触れる寸前で消える。
一瞬で、空気にかき消えるように。
「…え?」
驚きの声をあげたのはアリアだけではなかった。
その場にいた敵味方人質、その全てがお終いだと思っていた場面が予想外すぎて声を出してしまう。
神宮寺は意にも介さず、ただ歩くのみ。
消えていく影の刃。
人を2人も、しかも神ですら倒したそれに何故か殺されない。
「ーーーーッ!!やめろぉ! それ以上こっちに来るなぁ!!」
「はー何だよ、手品がバレたらそこまで狼狽するのかよ。よっぽどバレたらまずいもんだったんだな」
「それ以上近づくなら本当に生贄を全員殺すぞ!!!」
「お前の神が本当に強いんなら試してみろよ」
「ーーーッッッッ!!」
少年は神宮寺の言った通り、人質にされた男女に向けて黒い槍を幾重も飛ばす。
しかしーー。
「いて!」
「痛いけど…針に刺されたみたいな感じ…」
「何だこれ?全然痛くねぇけど?」
刺さったはずの黒い槍は動けない男女も殺すこともできず、いつの間にかそれは痛みすらない代物に変わっていた。
それどころか余裕が生まれたのか、男女はそれぞれ違う表現で痛みの感想を述べる。
「これで分かっただろ。もうバレてるって」
「……」
少年は固まったまま、男女の集まりから視線を動かせない。
目の前に、神宮寺が立っていてもだ。
「ほらよ、こいつでお終い…な」
そう言って少年の頬に向かい、腰を捻らせて勢いを込めた拳を叩き込む。
少年は為すすべも無く、ただ慣性の法則に従って殴り飛ばされる。
殴り飛ばした。
事実として現状の敵を倒した神宮寺は次に『フラッグ』のメンバー……ではなく、店内の四隅に追いやられた椅子や机の山の方に歩き出す。
そこからただ一点、詰められた椅子と椅子の間に手を突っ込みそこからあるものを取り出した。
スマートフォン。充電パックにつながったその機器で光る画面を見る。
そこには常時カメラ画面で、取り出した位置からして背面のカメラでこの場の光景を撮っていたのだろう。
神宮寺はそれの電源を切ってから同じように隠されたスマートフォンを次々と見つけ出す。
誰もがその姿に言及することができず、ただ静かに見守ることしかできない。
「よし、こいつで最後かな」
全てのカメラを見つけたのか神宮寺はそう言ってスマートフォンを床に放り、今度は人質の方に向かう。
「……これってどうやって解くんだ?」
「な、何とかしてくれよあんた、あの化け物を倒したんだからこれぐらいよぉ」
「そうは言っても……これはアリアの専門だしわかんねぇな」
「だったら早くその人に頼んでくれよ」
囚われた青年に言われたので、神宮寺は一旦背を向けてアリアの方に向かう。
アリアは未だに目を丸くして神宮寺と倒れた少年を交互に見ている。
「…え?」
「アリア、この結界ってどうやって解けばいいんだ?」
「い、いやいやいやいや!!何やってるのよ孝作!あんた死人出して、アレ倒して…カメラ見つけたらこれって流れおかしくない!?」
「えー、もうお前も気づいてるんじゃねーのか?…あー、なんていうか意外と言うか」
と、うーんと唸る神宮寺だったが、ふと思い出したように床に血を撒き散らして倒れる渡と浅倉の遺体の方に向かう。
そして、彼らの肩を揺すりだした。
「おーい、もう生きてるから起きろー」
「うぅぅん……もう少し寝てたい…」
「……ぐー」
「寝ぼけてんなこいつら…」
神宮寺に反応を返すその死体に一同が絶句する。
それと同時に床に飛び散っていた血や骨、内臓などが空気に消えていく。
反対に物など置いていなかった床の上に、いつの間にか最初に殺されたはずの『フラッグ』のメンバーが現れる。
目と顔を行き交わし、それぞれがそれぞれ思い思いの表情を浮かべる。
信じられない、あり得ない、冗談だろ。
彼らは皆敵味方、何の事情も知らない第三者ですら驚いていた。
「で、でもなんで!?」
アリアがまだ驚いているので、神宮寺はその顔に少し笑いながら説明した。
「いいか、あいつは邪神を界外させている。それがどんなものかは俺は知らないし、想像も出来ない。最初にあいつが人を殺す場面を見た時は俺も恐れたよ。まさか、知り合いを2人も殺されるとは…ってな」
そう言うと今度は倒れた少年の方に顔を向ける。
「怖かったし…正直に言うと理性が飛んで怒った。でも、俺に憑依しているこっくりが間抜けな声で意外なこと言うから気が抜けたんだ。それに疑問を抱いた時には持ってた黒槍もいつの間にか消えてるし、目の前の敵に恐怖すら感じなくなってた。目の前にいるガキはただのガキだって」
「で、でもあの力は…?」
「邪神の正体もその力も分かんねーけど、おそらく向けられた『意思』や『感情』で強弱が分かれるモンだろ」
「つまり、私たちが勝手に強いと思っていたからあんなことになったと?でも、そうだとしても渡と浅倉、そこに転がってる食われたはずのあいつはなんで生きているの?」
「そこがキモだろうな……さて、そろそろ本人に話してもらおうか」
神宮寺がそう言うと今まで倒れていた少年が起き上がり、腫れた頰をさすりながら彼を睨む。
恨みが込められたその瞳に、ようやく相手の本質が見えたと思う。
「よう、もう大丈夫なのか…元世界で一番強い良い人さん」
「黙れ…黙れよお前」
「もう全部バレてんだ。お前が最初からここにいる人間を殺さずに唯一神にのし上がろうとしていた事なんて」
「……」
会話はそこで途絶えた。
少年は睨むだけで言葉を発しない。
いや、出来ない。
誰にも言わず、味方からでさえ欺いていた自身の本質を、この場にいるこの男にだけ看破されたから。