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――廻間桂吾編――

**

 安城が学校に来なくなって何日が経つのだろうか。

 火車の一件から、学校を休んでいるのである。

 風邪でも引いたのだろうかと心配になった。

 連絡を取ってみても、返信はない。

 彼女はいつも、一分以内にメールを返すから嫌な胸騒ぎがした。

 そして、担任からとある知らせを聞いたとき、嘘であってほしいと願ったのだけれど、現実にはならなかった。

 ――安城麻衣が記憶喪失で入院しているそうだ。

 僕は暫く、放心状態だった。

 お見舞いに行きたいから病院先を教えてくれと先生に聞いてみると、先生は不快感を露わにして怒鳴った。

「だから教えられないって言っているだろ!」

 先生が安城の事で、生徒達から何百回と質問攻めに合っていたのは知っている。今頃、訊いてきた僕に怒るのも無理はない。

「お願いします。教えてください」

 生まれて初めて、地面に頭を付けて土下座した。

 このくらいの誠意は見せなければいけない。

「分かったから、頭をあげろ。誰かに見られたらどうするんだ!」

 強制的に身体を起こされた。

「俺から聞いたと誰にも言うなよ。ていうか、広めるなよ。――K病院だ」

「ありがとうございます!」

 僕は深々と頭を下げた。



***

 学校が終わって、K病院に向かうことにした。近場ではなく、電車とバスを乗り継いでやっと着いた。施設の整った大きな病院だった。お見舞いをするのは初めてだったので、何をしたらいいか分からなかった。一階のロビーで、受付の人に問いかけた。

「家族以外の面会は出来ませんが」

「いとこなんですよ」

「はあ、409号室になります」

 409号室は個室だった。

 ベッドの上で、安城は窓の外を眺めていた。

「誰なんですか?」

 安城は低いトーンで僕に訊いてきた。

 それは、こちらが訊きたかった。

 この暗い子は誰なんだ?

 安城の容姿をしているが、あのハツラツとしていた瞳は、死んだ目になってしまっている。どんな時でも笑顔を絶やさなかったのに、今では無表情に等しかった。どんよりとした雰囲気が部屋全体に漂っていた。

「……私、記憶を失くしているんです。もしかして、記憶を失くす前の私の知り合いですか?」

「そうだよ。君の友達さ」

「嘘ですよね。私に友達が出来るわけない」

 昔は暗かったと自負していたが、ここまで陰鬱な少女だったのだろうか。

 記憶が無くなったから気分が沈んでいるだけでは説明が付かない。

 僕の知っている安城麻衣ではなく、

「本当だって。友達じゃなかったらお見舞いにもこないよ。ちょっと、話をしないか。ところで、何歳かな?」

「十一歳です」

「麻衣ちゃんに趣味とかある?」

「ほっこりとする小説を読む事です」

「そっか。身体は大丈夫なの?」

「はい」

「ねえ、外に出てみないか?」

「……無理です。嫌です。出たくありません。怖いんです」

「大丈夫だよ。僕が付いているから」

「そういう問題じゃないんです。貴方には分からないんです。私の気持ちなんて」

「分かるよ。現実が怖いんだろ?」

 安城は確信を突かれたかのような表情をして、

「心が読めるんですか?」

 と訊いてきた。

「まさか」

 と僕は頭を掻いて言った。

「僕も前は結構暗い奴だったんだよ。世界がどうしようもなく嫌で、憎くて、自分の世界を創って殻に閉じこもってしまったくらいだ」

「まるで、私ですね。私もこうして小説を読んでいる方がずっと楽しいです」

「楽しいことは善いことだよ。だけど、いつか現実を見つめなきゃならない」

「嫌です! 私の理想の世界はもっと、綺麗なんです。だけど、理想は現実とは違う。このギャップが私はどうしても馴染めないんです。どうして現実はこんなに汚いんですか?」

「しょうがないよ。君のような人だけの世界なら、きっと美しいだけの世界なんだろうけどね」

「この世界は汚いだけの世界です」

「いいや、それは違うよ。この世界にだって美しいものはある」

「じゃあ、教えてくださいよ」

「うーん。それは外に出なきゃ見られないんだ」

「そう言って、私を外に連れて行く気ですね」

「ばれたか。中々勘が鋭いね。でも、美しい世界を見られるのは本当さ」

「信用していいんですか?」

「信用して欲しい」

 安城は重い腰を上げた。

「……出て行ってください」

「ん?」

「着替えるんです」

「ああ、ごめん。ロビーで待っているよ」

 安城がロビーにきた。帽子と、マスクをしてとても怪しい人だった。

「なんだ? まるで、不審者じゃないか」

 僕は茶化す様に笑った。

「マスクをとった方がいいよ。そっちの方がずっと可愛いから」

 渋々、安城はマスクをとった。

「ど、どこに行くんですか?」

「山だよ」

 


 僕たちはバスで、山の近くまで来た。あの場所に行ったのはつい最近のようで、ずっと前に思えて仕方ない。記憶は曖昧になっているのだけれど、僅かな記憶と勘を頼りに道なき道を進めば、大丈夫だろう。何が大丈夫かよくわからないが……。

 安城は身を窄めて、怯えながら歩を進めている。

「幽霊とかクマとかいのししとか出てこないですよね?」

「さあ」

「……帰ります」

「帰れるのか?」

「来た道を戻ればいいんです」

「まあ、いいけど、印もないし一度でも道を間違えれば、帰れなくなるだろうね」

「うっ」

「それに、そろそろ着くよ」

 草木しかなかった山奥に、海が見えてきた。

 そして、秘密の場所に来た。

「綺麗」

 安城はそう言った。それ以上の言葉は必要なかった。

「この景色は君が教えてくれたんだ」

「私が?」

「そう。君だよ。記憶を無くす前の君さ。僕はこの場所に来て分かったんだよ。前に言ったけど、僕って相当根暗だったんだ。今もちょっと根暗だけど、前よりかは幾分ましかな」

「いいえ、こんなに綺麗な場所を知っている人が暗い人なわけありません」

「世界も捨てたもんじゃないだろ?」

「はい」

 携帯の着信音が鳴った。

「なんですか? キリエ先輩」

「園嵜君、記憶の食らう悪魔を発見したという情報が入りました。S高付近で、グレンが闘っているらしいのです。苦戦しているようだから、今から私も駆けつけていますけど、あなたはどうなのですか? ブラック・ジョーカー」

「ええと、ちょっと――」

 隣には心が子供になってしまっている安城がいるので外しにくい。駆けつけたいのはやまやまだが、現状では難しいだろう。それに、グレンと月夜が相手をするのだ。ここは素直に任せておけば、大丈夫だろう。

 丁重に断ろうとした瞬間、一線の炎が天に昇って行くのが、山から見えた。

 これは、グレンの緊急信号だということを僕は知っていた。

「キリエ先輩。グレンが!」

「ええ、見ていました。不味いことになっているのかもしれないですね。どうやら記憶を喰われてしまったようです。オリジナルの悪魔は対策の仕様がないから、厄介だとは思っていましたけど、まさかここまでとはね。そろそろ着つくので、電話を切ります」

「僕も援護に向かいます」

「お願いしますね」

 通話は切れてしまった。

「ここで待っていてくれないか」

 僕は安城に言った。

「はい。この景色なら永遠に眺めていられます。それに、帰ってきてくれますよね?」

「勿論だとも」

 僕は木陰に隠れると、ヒーローの妄想をした。

「変身――ブラック・ジョーカー参上」

 久しぶりの、変身で僕の鬱積は一瞬にして解消された。

「行くぞ。妃影ちゃん」

「ちゃん付けはやめろ」

「あれ、嫌がっていたの?」

「嫌がってんじゃねーよ。あたいに弱点はない。ただ、恥ずかしがってんだ」

「妃影たん」

「たんはやめろ」

「恥ずかしがってんの?」

「嫌がってんだよ。大体、たんってなんだよ。可愛いとでも思ってんのか? 肉の部位で言えば舌だぞ。美味いけど、可愛くねーよ」

「お気に召さなかったようで残念だよ」

 そして、僕たちは落下するかの如く、山を降りて行ったのだ。

 

 颯爽と山から出ると、老人が倒れていた。

「大丈夫ですか!?」

「どうやら、爺さんだけじゃあないようだな。おもしれえ」

 妃影は楽しそうに言った。

 左右を見ただけで、何人もの人たちが意識を失って倒れていた。人だけじゃなく、犬や猫までも、地面に平伏していた。

 記憶を食らう悪魔は、街中の生物の記憶を喰らっているようだ。

 早く、記憶を食らう悪魔を倒さなければ被害が拡大してしまう。僕がやらなければという一心で、炎が昇った場所まで駆けつけると、蒼い衣装で身を包んだ月夜の姿があった。

「私の記憶が削られていく」

 月夜は、頭を押さえて膝をついていた。

 月夜を見下していたのは、悪魔ではなかった。

 廻間桂吾だったのだ。

「恐れ入った。記憶が無くなっていく感覚があるのか。さすがですよ。普通の人なら、失っていることさえ気づかないのに」

「記憶が戻らない」

「あんたの能力は美しくするんだったよな。失った物をどうやって美しくするんだ?」

「先輩――ッ!!」

 間に合わなかった。

 廻間は月夜の頭を鷲掴みにした。僕は幻覚でもみているのかと目を疑った。廻間の手が月夜の体内に侵入しているのだ。そして、釣り上げるように引き抜くと、目には見えない何かを握っていた。

 月夜の肉体に外傷はなかったが、問題は記憶の方だった。一瞬だけ、絶叫して月夜は力なく倒れた。変身がとけ、仮面が割れた。そして、その美貌が露わとなった。民衆は気を失っているので、廻間と僕しか目の当たりにしていない。

「なーんだ。能力を失ったら、どんな容姿になるか楽しみだったのに、この容姿は授かりものだったのか。不細工だったと思っていたのにな」

 廻間は少しつまらなそうな表情を浮かべ、キリエ先輩の顔を足で小突いた。

「やめろ!」

 僕は走りながら叫んだ。まだ距離があったが、この怒号は廻間の耳に届いたようだ。廻間はこちらを振り向いて不敵な笑みを浮かべた。

「ダークナイトガールとブラック・ジョーカーだな。また次から次へとやってきて。ヒーローってこんなに多いのか。日本には一二一人しかいないはずだけどな」

 手が届く位置まで、近づくと拳を固めて、廻間に殴りつけた。

 廻間は、僕の拳を軽くいなして、ひらりと躱した。

 威嚇の為に、殴りつけたのでこれでいい。

 僕はキリエ先輩の容体が気になって仕方なかった。

「せんぱ――っ」

 ……。

 ――。

 ――。

「ってあれ? どうしてここにきていたんだっけ?」

 急に視界が暗くなったと思ったら、シーンが飛んだように、街中に立っていたのだった。確かに、僕はテレビを観ていたのに、目の前には倒れているキリエ先輩がいた。

 ヒーローになったというのは覚えているんだけど。

「どうして、キリエ先輩が……倒れているんだ」

「おいしっかりしろ! 廻間って奴が記憶を奪っているんだよ」

 妃影は僕の身体を揺すって、頬を叩いた。

「あたいの見てきたもんを流し込んでやる。拒絶するなよ」

 僕の感情から生また一闇妃影は、黒い粒子を僕の脳内に流し込んだ。

 何もかも思い出した。

 じゃあ、まさか、一連の記憶喪失の事件は廻間が犯人だったのか?

「教えてやるよ」

 廻間はおもむろに口を開いた。

「俺は能力で相手の記憶を操ることが出来るんだ。改竄することだって可能だ。奪うことだって出来る。俺はこの能力で、他人の記憶を捏ね繰り回して、完璧な人間を演じてきた」

 僕にはどこまでが本当の廻間なのか分からなかった。

 ダンクを決めたのも記憶の改竄でみせていた幻影だったのだろうか。

 学年トップの成績も。

 この端整な顔立ちも。

 全ては偽物だったのか?

「――序に、記憶を失った能力者はどうなるか知りたいか? 記憶を失った能力者は、能力を失うんだ。そりゃーそうだろな。能力を発現させているのは、経験と現状の理想であるから、記憶がないなら経験も理想もないわけだよ」

 廻間は愉快に笑った。

「つまり俺は、ヒーローたちの天敵なんだ」

 廻間の笑いは止まらない。

 それが、僕の恐怖心を煽った。

 記憶を失えば、ヒーローではなくなってしまう。

 記憶を失えば、経験まで失ってしまう。

 記憶を失えば……。

「天敵なら、俺の使命は悪魔を倒す事ではなくヒーローを倒す事じゃないのか? そんなことを気付いてしまったのさ」

「安城の記憶を何で奪った!」

「ああ、あいつか。その場にいたからだよ。目撃者は問答無用だ。それに、元からいけ好かなかったんだよ。ヒーローの追っかけなんてするからこんなことになったんだ。本当に馬鹿な女だと思うよ」

「悪魔を倒そうとは思わなかったのかよ!」

「この非力な能力で悪魔を倒せると思っているのか?」

 廻間は噛みしめるように言った。心底悔しそうだった。

「……」

 もちろんだ、と言い切ることができなかった。

「お前が思っている以上にヒーローになれるものは限られているんだ。ブラック・ジョーカー。お前は運がいいな。ヒーローになれて。俺は、光を集めるために悪魔を召喚させてヒーローに倒して貰っているんだよ。火車が出現しただろ。あれは俺がやったんだ。倒してくれてありがとうな。倒さなくても、召喚させてしまえば光を得られることが出来るんだ。――さてと。お前をお前ではなくしてやる」

 廻間は僕を見定めた。

「掛かってこい!」

 掛け声とは裏腹に、僕は畏怖していた。

 日本を代表するヒーローがやられたんだ。

 この僕が勝てるのだろうか?

「さあ、暴れるぜえ」

 妃影は肩を唸らせながら、狂気を放っていた。

「まて、ここで暴れたら倒れている人が危ないだろ。人が居ない場所に誘い込もう」

「そんな面倒くせえことやれっかよ」

「いいから、ついてこい。あとで好きなだけ暴れるんだから」

「――ちぃ。しょうがねえな」

 僕たちは踵を返して、人気のない場所まで廻間を誘い込もうとした瞬間、何をしようとしていたのか忘れてしまった。

「離れていても、俺の能力は発現される。微量な記憶しか削れないけどな」

 硬直している僕を尻目に、廻間はゆっくりと右腕を挙げた。

「まあ、そんなことをしなくてもお前らはここから逃げられない。なんだってお前らは誇り高きヒーローなんだからな」

 ――ビキィイィイイイ。

 身体に突き刺さるような高音が、空から降ってきた。

「やめるんだ!」

 今ここで悪魔を召喚したら、意識を失くしている人たちは逃げられないから大きな被害がでてしまう。

「もう、遅い。――さあ、牛鬼よ。暴れ回れ!」

 空間から牛鬼が、生まれ出た。

 下半身は土蜘蛛、上半身は鬼。

 ――妖怪で言うなら、ぬらりひょんと、牛鬼だけは召喚してはならない。

 耳にタコができるくらい、キリエ先輩にそう教え込まれた。その禁を廻間は簡単に破ってしまった。

「牛鬼はあたいに任せろ。お前はあいつとやるんだ」

 妃影は台詞を吐いて飛び出して行った。

 ここにいるのは僕と廻間だけのような感覚だ。

 闘わなければならない。

 追い込まれているのは僕のように思えた。それもそうだろう。今まで、廻間に勝ったことがないのだ。何もかも負けてきた。僕は底辺で廻間は頂点だった。

 でも、だからこそ!

 真実の反逆クーデターなら、僕にも勝算がある!

 滑らす様に地面を踏みつけるとコンクリートは大きくひび割れた。

 それをみて廻間は恐れることはなかったが、僅かに驚いたようだ。

 僕は廻間に向かって行った。しかし、いくら殴り掛かっても廻間に当たることはなかった。それどころか反撃を喰らってしまった。化物染みた威力ではなく、人並みの力だったので、そのままのダメージを受けてしまった。

 僕のクーデターは平均的な人間を基準としている。

 人間よりも強ければ強い程、僕は対象よりも強くなる。

 何故か、記憶を失うことはなかった。

「本気でこい! そうでなければ、お前を倒したことにはならないんだ!」

「実は、もう理想を現実にするだけの光はないんだよ。だから、俺は悪魔を召喚した。悪魔を倒した者だけではなく、召喚した者にも光が配分される」

 それじゃあ――。

 僕は妃影の方をみた。

 ――ギャアアアアアアアアアアアアア。

 牛鬼は腸をぶちまけて、光となっていた。

「倒してくれると思っていたよ」

 光が僕たちに降り注ぐ。

 その瞬間、僕の記憶が消えていくのが何となくだが分かった。心が切断され鷲掴みされているような感覚だった。記憶を抜き取られるまでに、一闇妃影が消滅していくのが見えた。

「相棒!!」

「あああっ! 妃影ちゃん!」

 記憶を失えば……全てを失う。

 黒い靄が消えてしまった瞬間、何が消えてしまったのか僕は理解できなかった。

「六歳児程度までだ。俺が一人の記憶を奪える記憶はな。それ以上の記憶は、スカスカで掴みきれないんだ」

 六歳。

 その時、何をしていただろうか。

 何もしていなかったような。

 外で遊んで、寝て、漫画を読んで、ゲームをして。

 おいしい物を食べたとかそんな記憶はない。

 あの時の僕に、廻間を倒せる術はないし、倒そうともしないだろう。

 いや、望みがあるとすれば――。

「ぐわあああああああああああああ!」

 無くなっていく。

 失っていく。

 僕の思い出が、真っ黒に染まっていく。

 大人に助けてもらおうとしたのだけれど、多くの人が倒れていた。

「ん? まだ意識があるのか? ……お前、園嵜だったのか」

 かっこいいお兄さんが僕の名を呼んだ。

「残念だよ。お前には俺の本性を知って欲しかったのに」

「お兄さん。助けてよ」

「それは無理だよ」

「どうして!?」

「俺が全部やったから」

「お兄さんが!?」

「そう。でもまあ、すぐ忘れるよ」

 手が迫る。

「助けてよ! 勇者ぁああああああ!」

 僕が信じられるのは勇者しかいない。

 轟音と共に、僕ではない誰かが僕の身体を、動かしていた。

 僕が僕ではなくなった。

 僕ではない誰かが、指を動かすと、倒れている人々の下に術式が浮き出た。半透明の壁が作られた。

 そして彼はこういった。

「よくもやってくれたな」

「なんなんだ? まさか、新たな能力を開花させようとしているのか!? 十年以上の記憶は無くなっているんだぞ! 精神年齢は、六歳。どういう、脳みそをしていたらそんなこと出来るんだよ。いや、逆に捉えるなら、お前の力の本質は、その構想力と再現率にあるのか。お前は一体何者だ!」

「俺か? 別に俺は村人でも、商人でもない。魔法使いや戦士とは少し違う。ましてや、魔王なんかではない。そう、俺はただのレベル上げが趣味だった勇者だ」

「ゆ、勇者?」

「どうやら異世界に来てしまったらしいな。んで、何の用だ? 倒して欲しい敵がいるんだろ?」

 目の前にいるそいつを倒してくれ!

 ――と僕は願った。

「よおし。分かった」

 勇者は、僕の願いを聞いてくれたようで、そう言った。

 指を指揮者のように動かしただけで、魔術の術式が空中に出現し、稲妻が放出された。

 迸る稲妻はコンクリートを抉り、破壊していく。

「なんだよ。この出鱈目な強さは」

「お前がレベル50だとするなら、俺はレベル999だ。レベルが上限に達しちまったから、やることなくて魔王を倒しにいっている最中なんだが、お前は中ボスか? お前を倒せば鍵でも手に入るのか?」

「……勝てない。次元が違う。あいつの記憶を戻すしかない。自我を戻させるんだ。それにしかない」

 とお兄さんは言った。

 その瞬間、僕の頭に経験と知識の洪水が流れ込んだ。それは紛れもなく、僕の記憶だった。苦しかった思い出や、些細な日常が蘇っていった。

 自然と涙がこぼれていた。

「お前は、殺さなきゃ駄目だ。記憶が戻ったお前なら倒せる」

 廻間は言った。

「そう。僕は弱い。最弱だ。あまりにも弱いから、生きているだけで辛い。だけど、弱すぎるからお前を倒せるんだ!」

 ――変身。

「ずりゃあああああああああああああああ」

 我ながら、へなへなパンチだ。

 腰は引けて、体重が一切乗っていない。

「お前本気なのか?」

 あまりのへっぴり腰に廻間も驚いていた。

「こんなの簡単に避けられるぞ」

 廻間は避けようとすると、動きが止まった。

 黒い靄に手足を縛られている。

「なんだこれは!?」

 一闇妃影は、そこにいた。

「相棒の記憶が戻ったという事は、あたいも召喚されるってことだぜ」

「そうか、消えてしまったと思ったら、園嵜のオリジナルだったのか」

 僕の拳は、廻間の顔面にめり込んでいく。

「あ、有り得ない」

「有り得ない事が起るのが僕の能力だ!」

 ――クーデータ。

 廻間の目が揺らぎ、膝が折れた。

「やったぞ。グレンでも倒せなかった廻間を倒せたんだ! これで、僕の実力も認められて非公認を飛び越えて公認になれるんだ!」

 今まで非公認としてデビューし損ねてきたのは、この後に贈られる勲章の為だったのか。全ては伏線で、これから公認ヒーローとして華々しい活躍をしていくんだ。

 夢現になりながら、称賛の嵐の光景を僕は想像した。

「まてよ。あたいが捕らえたから一撃を喰わらすことが出来たわけで、九割はあたいのお蔭だ」

「ぬかせ。あの打撃があったから、廻間を倒せたんだ。それに、途中から消えていたじゃないか」

「手加減してたんだよ。本気だったら、この街吹き飛んじまうからな」

「なにを~」

「やんのか、こら」

 僕たちが喧嘩していると、廻間は目を覚まして言った。

「何がいけなかったんだ」

「そりゃー、あたいらに喧嘩を売ったのが誤りだったんだよ」

 妃影は満足げに言った。

「さあ、これで終わりだ」

 妃影は剣を振いあげる。

「ま、まて。俺を殺したら記憶は戻らないぞ」

「知ったこっちゃぁねえーな」

 妃影は黒き剣を振り下した。

 僕はその斬撃を防いだ。

「なにするんだよ」

 妃影は言った。

「記憶が戻らないと、僕が困るんだ。妃影ちゃんは僕の居場所を壊すつもりか!」

「――ちい」

 妃影は舌打ちをして剣を引かせた。

「わからねえぞ。こいつはまた無差別に記憶を奪うかもしれねえ」

「大丈夫だよ」

「どうして言い切れる?」

 妃影の問いに僕は廻間の方を向いた。

「廻間、お前はヒーローになりたかったんじゃないか?」

 廻間は口を瞑ったままだ。

「能力に恵まれなかったから、ヒーローを敵視しているんじゃないのか?」

「いいや、この能力は俺が欲したものだ。これで、完璧な人間になれたんだ。だけれど、ヒーローに憧れていたのは正しいよ」

「じゃあ、新しい能力に目覚めればいい」

「それは無理だ。俺は園嵜のように最近目覚めたんじゃないんだ。構想力も再現率も高くない。俺みたいなやつは、一度、能力に目覚め固定されてしまうと、新たに能力が開花されないんだ」

「能力に目覚めたのはいつなんだ?」

「中学を卒業するころかな」

「じゃあ、まだ間に合う。記憶を改竄して、能力に目覚めたことに戻ればいいじゃないか」

「なっ――」

「廻間なら、辻褄があうように出来ると思う」

「自分の記憶は弄ったことがないんだ。そんなの自信が無い」

「出来るさ。廻間はなんでもこなしてしまうような奴じゃないか。もしかして、これも記憶の改竄でみせていたのか」

「いいや。出来てしまうことは基本やっていたけれど」

「今日からでも、矛盾が無いように構想を練るんだ。出来上がったら、僕に知らせてくれよ。一緒にヒーローになろう」

「俺を許してくれるのか?」

「許す」

「どうして」

「ヒーローになって罪を償えばいいのさ」

「……わかった」

「それじゃあ、皆の記憶を返してくれよ」

「ああ。奪った記憶は返す。ただ――」

「分かっているよ。廻間が犯人だってところは改竄してもいい」

「ありがとう」

 すると、意識と記憶を失くしていた人々が、目を覚ましたようだ。萎ませながら目を開け閉めして、視界をならしていく。頭を押さえて、状況を確認していた。彼らには、黒の道化師の燦然たる姿が映っているだろう。

「何が起こったんだ? どうして、私は眠っていたんだ」

 スーツを着た男が言った。

 恐らく同僚である、もう一人の男はこう返した。

「さあ。……確か、巨大な悪魔がいたような。あっ、紅き鉄拳グレンだ!」

「月夜もいるぞ! きっと二人が倒してくれたんだ!」

 その会話を聞いていた、意識を取り戻した人々が、僕達ではなく、グレンと月夜を称賛した、

 僕と妃影は顔を見合わせた。

「なんてこった」

「なんてこった」

 僕はまた、デビュー出来なかったのか。

「なあ、僕が活躍した所だけでも、記憶を植え付けてくれないか?」

 手でごまをすりながら廻間にお願いした。

「それは難しいな。これだけの人数だと、一日以上かかるかもしれない」

 廻間は、申し訳なさそうに言った。

「くっそおおおおおおお」

 僕は涙を拭いながら、安城のいる場所に戻っていった。


***

 安城は景色を眺めていた。僕が呼びかけるまで、気付かなかったようで、幽霊にでも出会ってしまったかのような驚きをみせてくれた。

「園嵜君。私、どうしちゃっていたんだろう。いつの間にかここにきちゃっていたんだよね」

「記憶が戻ったのか!?」

「記憶? どういうこと?」

 失った記憶を返してもらったということは、十六歳の安城麻衣に戻るということだ。矛盾を起こさないために、奪ったところから、そのまま記憶を繋ぎ合わせているのだろう。

「いや、なんでもないよ。不思議なこともあるもんだね」

 安城の過去は僕の胸にしまっておこう。

「そうなんだよー。ビックリしちゃった。……あれ? なんだか、これ見覚えがある」

 安城は小首を傾げた。

「だろうね。一度、安城とここにきているんだから」

「そうじゃなくて、もっとずっと前のこと。園嵜君が、私をここに連れてきてくれたんだよ」

「それは、憧れの人じゃないのか?」

「あれー。おかしいな。これとはちょっと違うんだよね」

「それに、同い年だろ。似たような風景をずっと前に見たって言っても、僕はその時幼かったと思うけど」

「そっかー。そうだよね。これがデジャブってやつなんだね」

 安城はうんうんと勝手に納得した。

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