Ep.4 鉄壁の亀甲陣
神麗ゼラフィム法皇国対ノートレッド公国。 後に「異端戦争」の名で歴史書に血文字で刻まれる戦いの火蓋。 唐突に、だが必然として切って落とされる。
ゼラフィム軍の思考を支配していたのは、敵に対する侮り。 圧倒的な「数の暴力」さえあれば、小国の首都など半日もあれば蹂躙できる。 傲慢にもそう確信し、兵士たちの眼が向く先は戦闘の勝利よりも、その後に許される略奪行為。
しかし。 その弛緩した空気を逃さない、「ノートレッドの剣鬼」と「若き勇士」。
(しめた。こちらを舐めてかかっている)
内心で舌を打つライゼン。 百戦錬磨の兵法家であり、生粋の武断派である彼の研ぎ澄まされた嗅覚が嗅ぎ取った、千載一遇の勝機。 眼下には、敵軍の先陣およそ三千の兵。 首都ノルトダンの市門へ、雪崩のように押し寄せる奔流。
(まずは出鼻を挫く。奴らにここは「狩り場」ではなく「死地」だと教え込む)
「総員、盾を掲げろぉぉッ!!」
戦場の空気を震わせる、ライゼンの裂帛の気合い。 呼応して動く六百の兵。 即座に大盾を頭上へ連結させ、構築される強固な「亀甲の陣」。
直後、暗転する空。 降り注いだのは、生易しい雨ではない。 無数の矢尻が盾に突き刺さる、硬質で暴力的な打撃の連打。
鋼鉄の雹に打たれるかのような轟音。石畳を穿つ、隙間を縫った矢。 一瞬にして喧騒にかき消される、逃げ遅れた衛兵のうめき声。
「怯むな! 陣を崩せば死ぬぞ!」
兵士たちを鼓舞し、現場の士気を寸分も下げないよう怒鳴り続けるライゼン。 本来、歴然たる彼我の地力差。 平和に暮らしていたノートレッドの兵と、血生臭い聖戦に明け暮れてきたゼラフィム兵とでは、違う生物としての根性。
だが、ライゼンに直接しごかれたこの六百名だけは違う。 彼らが崩れれば、終わるこの街。その覚悟が、盾を持つ腕に力を宿らせる。
その間にも、喉が張り裂けんばかりの声で市民の避難誘導を続ける警備隊長アイル。
「走れ! 荷物は捨てろ! 命だけを持ってアーセンベルク城へ向かうんだ!」
パニック寸前の群衆を、その凛とした声音だけで繋ぎ止める。 泣き叫ぶ子供を抱え上げ、足の遅い老人を兵士に背負わせる。 彼の落ち着き払った指揮だけが、混沌とする市街における唯一の灯火。
「来るぞ! 騎兵だ、槍を構えろ!」
矢の雨が止むと同時に、地響きと共に突っ込んでくる敵の先鋒騎兵隊。 狭い市街地の入り口。盾の壁を突き破らんとする、馬の質量を利用した強引な突撃。
「盾を傾斜させろ! 衝撃を殺して突き殺せぇ!」
衝突の瞬間、轟音。 だが、崩れない壁。 傾斜した盾に乗り上げた軍馬がバランスを崩して滑り、その無防備な腹を正確に貫くノートレッド兵の長槍。 いななきと共に落馬する騎兵。そこへ容赦なく突き立てられる剣。
「ちっ……馬鹿どもが! 一度下がって勢いをつけ直せ!」
聞こえる敵指揮官の苛立ち。 彼らが反転しようと背を見せた瞬間、鋭く光るライゼンの眼光。
「逃がすか! 弓兵、放てぇッ!」
建物の陰に伏せていた二百名の弓兵による、一斉射撃。 背後をさらした騎兵たちは、なす術もなく次々と屍の山を築いていく。
その時、戦場に響く澄んだ口笛の音。 アイルからの合図だ。
(市民の避難が完了したか)
「よし、市街戦に切り替えるぞ! 泥沼に引きずり込め!」
南口の細い路地。 そこはアイルの手によって、既に巨大な「罠の迷宮」と化していた。




