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タキサイキアと死生観

作者: 夏山

この作品に興味を持ってくださったこと、大変感謝します。

拙い文章ですが読んでもらえると嬉しいです。

夜、床につくと、

ズンッズンッと鈍い音が響いていた。

その感覚は1秒ほどだったと思う。

蚊がいたので、叩いた。するとうまく潰れたようで、掌には平たくなった蚊の死骸と誰のか分からない血が残っていた。

私は目を瞑った。



時々、自分が死ぬことが信じられなくなる。

私は死ぬのだろうか?もちろん、死なないと思っているわけではなくて、自分が動物として生きている限り、必ず死ぬということは重々承知である。

しかし、いつか死ぬという事は約束されていても、

それが大往生なのか病死なのか他殺なのかは知り得ない。

漠然としたイメージしか持てない死に、いつしか恐怖を抱くようになった。

私は数多くの動物を殺してきている。蟻や蚊、蝿に蝉…今まで殺してきた動物の死因は他でもない、「私」だ。すると、

ふと今まで殺されてきた動物達は最期に何を思いながら死んだのか考えてみた。

何故なのかは分からなかった。

やはり「死にたくない」とか「まだ生きたい」などの生への執着だろうか。

それとも、「なぜこんな死に方をしなければならないんだ」という不平か。

もしくは、何も考えていなかった、いや、考えられなかったのかもしれない。掌で叩き潰される蚊に、

潰されると気づいてから死ぬまでに不平を言う暇が果たしてあるだろうか。

この思考に至った直後、何故だかすうっと心の奥が軽くなった。

そうだ、そうだ。潰される蚊にものを考える猶予など残されてはいない。

また、心が軽くなったのと同時に、死が急にちっぽけな、まるで

すると、いつのまにか、私の中の死への恐怖は心を蝕む寄生虫から部屋の隅の塵と化していた。



目の前に足らしきものがあった。

私の体を覆えるほど大きかった。

動いたところで何も変わらないのは自明だった。


1秒がとんでもなく長く感じた。

昔考えた死生観を何故か思い出してしまった。

ああ、なんだ。

考える時間はあるのか。

さっきの蚊には申し訳ないことをした。

文中に出てくる「昔考えた死生観」は

実際に自分が寝れなかった時に考えてたことです。

これをメモに書いてたらなんか小説チックになっちゃって、それっぽくまとめてみました。


オチ的に、ファンタジーといえばファンタジーなのかもしれません。一応舞台は現代ですけど。

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