第七章 沈黙の濁流
誰かが嘘をついている。
誰かが、もう壊れている。
そして、誰かが──このゲームの“全貌”を知っている。
「正しさ」や「真実」なんて、ここでは何の意味も持たない。
有罪か無罪かすら、報道と噂が決める世界で、
人の尊厳は、紙くずのように風に舞う。
黄澤が語る冤罪と、その代償。
家族の崩壊。失われた名誉。
彼の“戦う理由”は、金ではない。
だがそれが、果たして誰かの救いになるのか──誰にも分からない。
一方、赤川にもまた、触れてはならない“過去”がある。
ミスターXが軽く紐を引いただけで、その精神は音を立てて軋み始める。
無関心を装う青井の視線の奥には、
誰よりも鋭く他人の傷を嗅ぎ分ける、毒のような愉悦が潜んでいた。
これはただの「ゲーム」じゃない。
これは──心の奥に沈めたまま、決して開けてはいけなかった「箱」だ。
指をかけた、第三戦。
その勝敗が意味するのは、「勝ち」ではない。
負けた者の心に残るのは、切り落とされた“何かだ“
重苦しい、鉛のような空気が部屋を包んでいた。
それを裂くように、青井が静かに口を開く。
「──それが、アンタの言い分?」
冷たく、乾いた声だった。
「でもさ、アンタ……捕まったんだろ? なのに、なんでここにいんの?」
その言葉に、黄澤は目を伏せ、小さく、しかし確かに言った。
「不起訴になった。」
苦味を含んだ口調だった。
「……報道ってのは、勝手なもんだ。いくら否定しても、罪状と映像がひとり歩きしていく。真実なんて誰も見ちゃいない。不起訴になったって、それを知ってくれる者はいない」
ほんのわずかに目を上げ、続けた。
「でも、地獄は……そこからだった」
黄澤が勤務していた学校には、匿名の抗議が殺到した。
自宅の壁には、スプレーで罵倒が書きなぐられ、
近所の視線は、あたかも“有罪”そのものだった。
──結果的に、黄澤は自主退職した。
妻・美沙子は、極度のストレスで倒れ、
娘・詩織は、学校で執拗ないじめを受けた。
一家は、美沙子の祖父母の家に身を寄せることになり、
やがて、バラバラに離れて暮らすようになった。
──そして、離婚。すべてが壊れた。
壮絶な話に、場の空気はさらに沈み込んだ。
まるで、空間そのものが密閉された水槽の底で、息苦しさだけが濃縮されていくようだった。
そんな空気を切り裂くように、ミスターXが割って入る。
「黄澤先生のお話、涙なくしては聞けません……!」
そう言いながらも、その声はどこか芝居がかっていた。
「ですが──このままでは終われません。
さあ、皆さま……いよいよ“第三戦”へと参りましょう!」
まるで音が死んだ世界。壁すら呼吸を止めたかのような、張り詰めた沈黙が広がる。
その中で、赤川がわずかに眉を寄せた。
(……まずい。オレは何から話せばいい?)
言葉が喉の奥で凍りついたように出てこない。
赤川は自分を落ち着かせるように、頭の中で戦況を整理しはじめる。
(まずは──青井)
そっと青井の顔を見る。
(アイツは第一戦で勝ってる。ってことは、じゃんけんの手は全部出せる……)
(ここで一気に仕掛けてくるか? いや、意外と慎重に来るかもしれない……)
視線をゆっくり黄澤に向けた。
(問題は、黄澤……)
(第一戦、第二戦と“グー”を出した。つまり、第三戦で“グー”は出せない)
(だが、あの絶叫のあと……今の黄澤の精神状態は読めない)
(平常心じゃいられないはずだ。でも、逆に自暴自棄になってる可能性もある。何を出すか……わからねぇ)
揺れる思考の波の中、赤川は言葉を切り出せずにいた。
だが──沈黙を破ったのは、意外にも黄澤だった。
「……青井が言った通り、私はもうグーは出せない」
その声は、不思議と晴れやかだった。
「不利なのは承知の上だ」
言葉の先に、なにかが吹っ切れたような覚悟が滲んでいた。
「だが……私は、勝たなければならない」
「さっき、私の過去を語ったが──あなたたちに感謝している」
「おかげで、心が決まった」
「海東には罪を償ってもらう。そして……私の冤罪を、必ず証明してみせる」
「美沙子と詩織のために──」
その瞳は、これまで見せたことのないほどまっすぐだった。
青井が吹き出すように言った。
「おぉっと……今までビビりまくってたくせに、腹の中の毒出しきったら正義のヒーロー気取りですか? 黄澤先生?」
タイムリミットが近づくなか、赤川が突然、怒声を上げた。
「黄澤! お前は何もわかってねぇ!」
黄澤が目を見開く。
「何が言いたい?」
赤川が、言葉を突きつける。
「お前は……家族のことなんて考えてない。自分の名誉のことばっかだ」
「元奥さんと娘さんはな──もう、お前が有罪かどうかなんて興味ねぇよ」
「平穏な日常が、ある日突然ぐちゃぐちゃにされて、周囲からは犯罪者扱いされて……」
「家族から見たら、お前はもう“卑劣な加害者”と変わらないんだよ!」
怒声というにはあまりに鋭く、まるで稲妻のような激情が赤川を突き動かしていた。
だが──その怒りには、何か別の感情が滲んでいた。
《まるで、自分が同じ地獄を経験したかのように》
「違う!」
黄澤が怒りに満ちた声で返す。
「お前に、何がわかる!」
その瞬間──
「おっと、ここで第三戦終了だぁ〜!」
ミスターXの陽気な声が、唐突に場を割った。
「さあ、このまま勝敗が決まってしまうのか──!」
だがその言葉を、赤川がかぶせるように遮る。
「オレには分かる。だから──お前なんかには、負けない」
ミスターXが、やや戸惑いながら言った。
「第三戦は終わりました。さあ、指をセットして──」
「黙れ!!」
赤川が怒鳴った。
続けようとした言葉は、ミスターXの声で遮られる。
低く、しかし確かな圧がそこにあった。
「赤川さん……これ以上はルール違反になります。よろしいですね?」
「それとも、お父様のことについて、ここでお話いたしましょうか?」
その一言に、赤川は凍りついた。
「……」
何も言えなくなった彼を、ミスターXは静かに見下ろす。
「それで、いいんです。ですが──次はありませんよ」
青井が、ニヤリと笑う。
その目は、あきらかに赤川を値踏みしていた。
父の話を出された動揺を察し、口角を吊り上げながら赤川の方をチラと見て、
“触れてはいけない地雷”を見つけてしまった子どものように、目を輝かせた。
黄澤は、呆然とする。
赤川には、もう攻める力は残っていなかった。
“なぜ、ミスターXはオレの過去を知っている……?”
頭の中が、それだけでいっぱいだった。
三人は無言のまま、右手を上げる。
静かに、機械のスロットに指を差し込む──
ガチン――
透明なカバーが降り、指が固定される。
「では、参ります──じゃんけん……ぽんっ!」
ミスターXの声は、いつも通り陽気だった。
──グー。グー。パー。
ミスターXが、芝居がかった調子で叫ぶ。
「おおっとぉ! 赤川さん、青井さんがグー! 黄澤さんがパー!」
「第三戦は、黄澤さんの勝利です! 対戦相手がグーだったため、指切断はナシ!」
「よって黄澤さんには、勝利ボーナス3000万円の“獲得権利”が与えられまーす!」
黄澤は、天を仰いだ。
これまで背負ってきた苦しみが、一瞬だけ、報われた気がした。
震えるように笑い、涙を浮かべた。
──心の底から、勝ちたかった。そう思っていた。
一方の青井は、悔しさを滲ませながらも口元に笑みを浮かべる。
「へぇ……やるじゃん、先生」
その目には、どこか愉快げな毒気が潜んでいた。
そして横目で赤川を見やると──あからさまにニヤリと笑った。
「ねえ、“お父様”は、どうしてるの?」
と言いたげな表情で。
赤川は……何も反応できなかった。
放心していた。
もはや“グー”以外を出す余裕など、心にも、指にも残っていなかった。
勝者と敗者。
感情と沈黙。
真実と偽り。
すべてが交錯するこの“狂気のゲーム”は、
第三戦を終えてなお──混迷の中にあった。
沈黙の濁流の先で、確実に近づいていた。
指切り言万ゲーム【ルールブック】
1. 基本構成
プレイヤー数:3名
ゲームは最大5回戦まで実施
2. ゲームの進行
開始前にプレイヤー同士で5分間の話し合いが可能
各自が「グー・チョキ・パー」から1つを選び、装置に指を挿入
一斉に手を公開、じゃんけんのルールに従って勝敗を判定
勝敗に応じて賞金獲得または指の切断が発生
5回戦で決着がつかない場合はサドンデスへ突入
3. 判定と指の処置
勝敗は通常のじゃんけんに準拠
勝者が出た場合、敗者の指が切断される可能性がある
誰かの指が切断された時点で、その切断者が勝者となりゲームは即終了
4. 報酬とペナルティ
出した手勝利ボーナス敗北時のペナルティ
グー2000万円(1人につき)指切断なし(安全)
チョキ5000万円(1人につき)人差し指+中指を切断
パー3000万円(一律)全指切断
※指を装置に挿入する位置は、出した手によって異なります。特にパーは全指の挿入が必要です。
5. 特殊判定
全員が同じ手(例:全員グー)→ ノーカウント。戦いは再試行
三すくみ(グー・チョキ・パーが1人ずつ)→ 引き分けとしてカウントし、ゲームを進行
6. 手の選択制限
同じ手は2回まで連続使用可能
3回目は別の手を選ばなければならない
ただし、「パー」で勝利した場合に限り、同じ手の連続使用が認められる
7. 勝利条件
以下のいずれかを満たした者が勝者となる:
他プレイヤーの指を切断した者
→ 賞金額にかかわらず、その時点で即勝利
→ 複数人がじゃんけんに勝利し、指を切断した場合は、じゃんけんの勝者のうち、それまでに最も多くの賞金を獲得した者が勝者
→ 賞金も同額の場合は、同時勝利
5回戦終了時に誰の指も切断されていない場合
→ 最も多くの賞金を得た者が勝者
→ 賞金が同額の場合、サドンデスへ突入
8. サドンデスルール
勝者が出るまでじゃんけんを繰り返す
指の切断が発生すれば、そのプレイヤーが即勝利
パーで勝利しても指切断がなければ、賞金額が最も高い者が勝者
指切断+賞金額が完全同額の複数人が出た場合のみ、同時勝利
備考
プレイヤーは途中棄権不可
ルールへの違反は、即失格または強制切断処置が科される可能性あり