ep.01 重い理想像
「おはよう!森下さん!」
「おはようございます。」
朝、教室に入ると、決まって誰かが挨拶をしてくれる。
挨拶をされて、笑顔でそれを返すことは、今までに何度も行っていたおかげか、意識せずともできるようになっていた。
それが誰かを幸せにできるなら。誰かの助けになるのなら。わたしは喜んで行おう。
それが誰かにとって不快ならば。誰かを傷つけるなら。わたしはそれをやめよう。
結局、相手の都合に合わせて生きていくのが一番楽だ、と気づいたのは中学校生活も半ばに差し掛かっていた時だった。
人によって快・不快の境界線はそれそれだ。いちいちそんなものを手探りで見つけようとしていては、手間も時間もかかるし、なによりその工程で相手の地雷を踏み抜いてしまう可能性だってある。
つまり、相手を探るのではなく、自分が相手に合った形になればいい。
このことを気づいて以降、わたしは他者との関係を崩さずに保つことができた。
優等生というものは、なろうとしてなるより、自然となっているものなのかもしれない。
周りが勝手にカーペットを引いて、その上を求められている姿勢、態度で通る。
求められている像がある以上はその姿を提供するのが、上に立つ人間の役目だと、わたしは思っている。
「おはよ、森下さん。」
ただ、彼だけは例外で、どうしようにもわたしは彼に合わせるということができない。
馬が合わないと言ってしまえばそれまでだが、わたしはわたしのモットーを貫くために、どうにかして彼に合わせようとしている。たとえそれが、何千里の道であっても。
「おはようございます。」
挨拶を済ませると、彼は再び手元に目線を落とした。
本を読んでいるらしいが、ブックカバーのせいで表紙が見えず、何を読んでいるかまでは分からなかった。
異質
始業前の教室。他の人たちはクラスメイトと談笑をしている中、彼だけはやはり1人で行動をしている。
「でさー、昨日の雑誌に載ってた読モの子、めっちゃ可愛かったのよー。」
「えそれな!まぢわかる。」
「森下さんもどう思う?この子、可愛くない?」
「え?あ、はい。確かに可愛いですね。」
「でしょでしょ!しかもさ…」
わたしも集団に属しているのだが、正直言って面白いかと聞かれれば、すぐ頷くことは難しい。
わたしも、本来ならば1人で読書をしているタイプの人間だが、コミュニティの間で話題が上がれば、それにすぐ反応しなければグループからハブられてしまう。
どうも、彼のことを考えるようになってからというもの、わたしはわたしの本当にやりたかった事ができているのか、疑問に思えてくる。
誰かを助けるなどと言う前に、自分の感情すらまともにコントロールできていないんじゃないのか。
わたしはどの目線で他人にものを言っているんだろうか。
考えれば考えるほど、疑問はとめどなく湧いてくる。
わたし…わたし…わたし…
「あの、森下さん。ちょっといいかな?」
ハッと、彼に声をかけられて正気に戻った。
「あ…大丈夫です。どうされました?」
今話していた集団からは、色々な感情のこもった視線が向けられている。が、そんなことは気にしていられない。
なぜ、彼が?
「よかった。ちょっと話したいことがあるから、一旦教室出ない?」
「はい…はい。」
なぜか2回も返事をしてしまった。
周りからの視線はより一層熱を増した。
「じゃあ、ついてきて。」
訳も分からぬままついていってしまったが、少し落ち着いて考えてみると、これは告白される流れでは…?
しかし、彼との接点は皆無に近しい。それゆえ好かれる要素が全く分からない。
わたしの容姿に惚れたと言うことならば、丁重にお断りさせていただこう。そういう交際はどうなるか、わたしは身をもって経験しているのだから…
突然、彼が足を止めたかと思うと、そこはあたりに人気のない空き教室だった。
やはり、わたしの予想通りなのだろうか。はたまた、人気がないのを良いことに、何か脅すようなことでもするのだろうか。
皮肉なことに、わたしは今までそういう現場を腐るほど見ては、それらの仲介や後始末に携わらせられた。
しかし、わたしの妄想とは裏腹に、彼が放った言葉は
「ねえ、森下さん。」
「は、はい。」
「森下さんって、本好きなの?」
「は…はい?」
自分でもよく分からないような曖昧な返事をしてしまった。
本…本?
「好きですけど、何故?」
「いやだって、さっき僕が読んでる本覗き見してきたじゃん。」
一瞬、何のことだろうと思ったが、すぐに思い出した。
挨拶を交わした後の一瞬、何の本だろうと思ってチラッと見たのを、彼には気づかれていたらしい。
「よ、よく分かりましたね。」
ただ、そんなことを聞くために、なぜこんな所まで連れてきたんだろうか?
「それにしても、なぜこんな所に来てまでその話を?」
「んー、みんなの前で聞いたりしたら、森下さんのその仮面、ヒビ入るんじゃないかなって思って。」
彼の言葉に、わたしは再び面食らった。