いつかはいつかでした。
「アメリア嬢、私だ、オスカーだ」
アメリアが店を開ける準備をしていると、王都へ戻ったはずのオスカーがやって来た。
相変わらず言葉少ない素っ気ない挨拶だが、それがオスカーらしさだと分かっているアメリアは笑顔で出迎えた。
「オスカーさん、おはようございます。お久ぶりですね」
約二週間ぶりの顔合わせにアメリアの顔がほころぶ。
オスカーには色々と恥ずかしい場面を見せたので、心の中で勝手に親友扱いしていた。
だから会うと嬉しい。
アメリアの笑顔は正直だった。
「あ、ああ、二週間ぶりだな、アメリア嬢、あれから変わりはないか?」
優しいオスカーは、王都に戻ってもアメリアの事を心配してくれていたようだ。
それはきっとグレイの事とシェリーの事があったからだろう。
真面目顔で、知らない人が見ればちょっととっつきにくそうで冷たく見える表情だが、オスカーを知るアメリアから見れば、心配げなその顔は優しさで溢れているように見えた。
「あの者達は来ていないか?」
続いて出た言葉にブルーベリー色の瞳がきらりと光る。
アメリアの為に怒ってくれているのだろう。
だけどとっくに吹っ切れているアメリアはオスカーに笑顔で頷く。
「はい、とっても元気です。もう煩わしい事もなくなりましたから」
「そうか、なら良かった」
そう言ってオスカーはふわりと笑う。
イケメンの笑顔は相変わらず衝撃が強い。
その上仲良くなったからか、その笑顔は以前よりもずっと胸に響いた気がして、アメリアはオスカーの顔が見れなくなった。
「そ、そういえば今日はロンさんと一緒じゃ無いんですね」
誤魔化すように外を見てみれば、制服らしきものを着た見知らぬ男性達が店の前にいて、オスカーが出てくるのを持っているようだった。
「ああ、今日は監査官として部下と兵士を連れて来た」
「兵士?!」
こんな田舎村では兵士という言葉は物騒なものでしかない。
それに部下と聞き、オスカーが地位ある人物だと分かり妙に納得する。
きっとオスカーは、本当はこんな田舎村に来るような人では無かったのだろう。
ロンという知り合いがいたから、わざわざアメリアのポーションを調べてくれたのかもしれない。
オスカーがラズベリー村に来た監査官でなければ、今もなおアメリアはグレイ一家に良いように使われていたかもしれない。
そう思うとオスカーには感謝しか湧かなかった。
「それよりも、先ずは君にこれを」
「私に?」
なんだろうと手を出して見れば一通の手紙を渡された。
共通の知り合いと言えばロンしかいない。
(もしかしてロンさんからかな? ポーションの追加依頼とかかしら?)
そう思って手紙を見てみれば、そこには王城薬師課と書かれていた。
もしかして今回の件で何かお咎めがある?
薬師免許取消かしら?
アメリアのいつもの癖で悪い方へと考えながら封を開けると、そこには 「王城薬師推薦状」 と書かれていて驚く。
「オスカーさん……これは?」
驚きを隠せないままオスカーを見つめる。
アメリアがこの村にいるのが辛いと思い、伝手を使って用意してくれたのだろうか?
それとも有名薬師であった祖母の孫という事で準備してくれたのだろうか?
そんな考えが浮かんだアメリアの前、オスカーは真面目顔で答えた。
「君はビオラ薬師から自分で思っている以上に深い知識を学んでいる」
「深い知識……」
「それはこの小さな村では使いきれない程の貴重なものだ。だからけったいな者どもにも目を付けられたのだろう」
「貴重……」
「ああ、そうだ。王城の薬師で自ら状態の良い薬草を育てられ、聖水を生み出す薬師がいるだろうか」
「それは」
「それに砂糖や医者の知識まで持つ者などいないと言える、君はそれ程の存在なのだよ、アメリア嬢。ビオラ薬師が王都に出るようにと言われたことにも意味がある。そうは思わないか?」
「おばあちゃんが……」
確かに祖母には何度も自分が死んだら王都に出るようにと言われていた。
祖母の知り合いだという薬師の名も聞いていたし、訪ねるようにとも言われていた。
でも王都が怖く、祖母の傍にいたかったアメリアはちゃんと理由を聞く事などしなかった。
亡くなった今、その事が悔やまれる。
祖母にもっとちゃんと話を聞いておくべきだった。
最近はそんな後悔ばかりだ。
「私の祖父は王城の薬師で、ビオラ薬師の元同僚でもある」
「えっ……?」
アメリアのポーションが王都で問題に上がった時、祖母のポーション瓶の柄にいち早く気付いたのはオスカーの祖父だった。
大事にならないようにと孫であるオスカーを使い内密に調べるように手を打ってくれたらしい。
本来ならば田舎の薬師を呼び出し、王城で取り調べをし、問題があれば免許を剥奪する、それで終わりだ。
けれどオスカーの祖父はアメリアの祖母を信頼していた。
その孫であるアメリアの事も信じてくれた。
だから身動きが取れるオスカーに調べるようにと話してくれたらしい。
それもロンの行商に紛れてラズベリー村へまで行けるよう手を回してくれた。
他の誰にもアメリアが疑われていると、ポーションの事が問題になっているとバレないように、気配りをしてくれたようだ。
オスカーの家に出入りしている商人の息子であったロンとオスカーは昔からの知り合いであり、友人でもあったため、オスカーは訪ねてきてくれた。それが真実だったようだ。
「私も暇ではない、なので祖父の依頼を最初は断るつもりでいた。だが有名なビオラ薬師には興味があった。勿論その孫である君にもだ」
有名な祖母の名を汚すような人物であれば、すぐに王都の役人に突き出すつもりでラズベリー村へとオスカーはやって来たらしい。
だからこそあれだけ最初から態度が悪かったのかと納得しかかったが、「私は人見知りで尊敬するビオラ薬師の孫である君に会うことに緊張していたのだ」という言葉には笑うしか無かった。
「課長、逢瀬は終わりましたか?」
店のドアを開け、オスカーの部下らしき人物が顔を出す。
少しだけニヤニヤしている顔と 「逢瀬」 という揶揄いの言葉に、アメリアは強く反応してしまい顔が熱くなるのを感じた。
「まだだ、今大事な話の途中だぞ、待っていろ」
ラズベリー色の瞳を細くし、じろりと部下を睨むオスカー。
勘違いされそうな態度と言葉だが、オスカーになれているだろう部下は益々ニヤニヤするだけで嫌な感情は無いらしい。
きっとオスカーが本当は優しい人だと知っているからだろう。
そうやらオスカーは部下にも慕われているようだ。
心の友としてその事にホッとしたアメリアだった。
「でも、罪人が騒いでるんですよ」
「罪人?」
益々物騒な言葉にアメリアの眉間に皺がよる。
この穏やかなラズベリー村に全く相応しくない言葉だが、確かに店の外からは女性の喚くような声が聞こえてくる。これはただ事ではない。
アメリアが困ったような顔でオスカーを見れば、オスカーは一つ小さなため息をつき外へ出ることを決めたようだ。
「話は後でゆっくりと」とアメリアの心臓に悪い囁くというおまけ付きで。
「私は悪くないのよ! 家に帰してちょうだい!」
オスカーに続きアメリアが外へ出ると、犯罪者を輸送する格子型の荷馬車に乗せられていたのは、なんとグレイの母ミラだった。
何日も身を清めていないのか、派手なドレス姿のままなのだが汚らしく見える。
カッチカチに塗られていた化粧も今は溶け、酷い有様だ。
香水臭かった香りは、体臭と混ざり酷い匂いを発している。
格子型の馬車でなく密閉された馬車が良かったのでは? と思う程の臭いで、馬車の周りを囲む兵士の顔色も悪かった。
「……ミラ、おばさん……」
馬車から出せ出せと大騒ぎしていたミラは、アメリアの顔を見ると「アメリアちゃん!」とアメリアの名を嬉しそうに呼んだ。
「アメリアちゃん、聞いて酷いのよ、私がアメリアちゃんのポーションを偽装して売ったってこの人達が虐めるのよ! アメリアちゃん信じて、そんな事ないってこの人達に言ってちょうだい!」
その言葉でアメリアは何となく状況が理解できた。
アメリアからポーションを貰ったミラは、きっと王都でそのポーションを売りさばいていたのだろう。
ラズベリー村では王都よりもポーションを安く販売している。
当然売れば儲けとなる。
それでドレスを買ったり、化粧品や装飾品を手に入れていたのだろう。
利用されたと分かるとやっぱり嫌な気分だ。
眉根に皺を寄せたアメリアに、オスカーが言葉を掛ける。
「この者は自宅のガラス工房で瓶を作らせ、アメリア嬢のポーションを薄めて販売していたのだ。最初は水を少しだけ淹れて薄めていたらしいが、最近は半分以上が水だったらしい」
オスカーのその言葉で (それは捕まるよね) とアメリアは納得する。
それに信じて欲しいと願われても、もうグレイ一家の事をアメリアは信用できなかった。
「おばさん、もしかして病気っていうのも嘘だったんですか? 私を騙していたんですか?」
臭いのせいで近寄りたくなくて、ちょっと離れたところから問いかければミラの視線が泳ぐ。
顔色は正直分からないが悪そうだ。
どうやら図星らしい。
こんなにも簡単に顔に出る状態で良く王都でポーションを売りさばいていものだ。足元を見られそうだと思った。
「ち、違う、違うのよ、私は本当に体調が悪くって……」
ミラは諦め悪くそんな事を言っているが、この場にいる誰も信じていない。
オスカーも「診療所通いの証拠はない」と言っているので、アメリアはすっかり名演技に騙されていたようだ。
家事と夫と息子をアメリアに押し付け、王都で遊びまくるミラ。
そりゃあ数日帰ってこなくてもダンが探すはずはない。
当然病気の事も心配することも無いはずだった。
「これからこの者の家に家宅捜査に入るが、この者の夫にも逮捕状が出ている。調べた結果君のポーションの瓶は、この者が王都で売りさばくことを知っていて夫が偽造したものであり、この者の夫もまた稼いだ金で王都で違法賭博に手を出していた」
「えっ?!」
ダンもまた犯罪を犯していたらしい。
違法賭博。
それはお金が無くなるはずだ。
「それと……君の遺産も狙われていたようだ」
「……ああ……」
言いにくそうにしているオスカーの言葉にアメリアは頷く。
だから息子を使ってアメリアに声を掛けたのかと納得しかない。
もしかしたらアメリアのポーションを売りさばいていたのは、祖母が居たころからでは無いだろうか。
グレイの両親が好んでアメリアのポーションを購入していたのは知っている。
てっきり息子の幼馴染への好意だと思っていたが違うらしい。
アメリアの心はどんどん冷めて行く。
きっと祖母が亡くなって欲が出たのだ。
アメリアならば取り込める。
良い金蔓になる。
そう軽く見られたのだ。
だからからこそ 「いつか」 なんて曖昧な言葉で釣り上げた。
アメリアがグレイ一家に尽くすように仕向けたのだ。
まんまと騙された自分には笑うしか無い。
いつか家族になる。
そんな言葉に騙された自分に腹が立った。
「取りあえず先に仕事を済ませてくる。アメリア嬢、また後で」
「あ、はい。オスカーさん、行ってらっしゃい、気を付けて下さいね」
何気なく発した言葉だったが、部下の前では言ってはいけない言葉だった様で、周りにいるオスカーの部下たちやミラを取り囲む兵士たちがクスクス笑ったり、顔を背け肩を揺らしたり、ニマニマしたりと、アメリアとオスカーの周りには変な空気が湧いてしまう。
「ゴホンッ、あー、アメリア嬢、では行ってくる。また後で」
「はい、待ってますね」
オスカーはブルーベリー色の瞳と反対の色を顔に出しながら、部下たちを引き連れガラス工房へと向かっていった。
「アメリアちゃん! 助けて―! アメリアちゃん! アメリアちゃーん!」
ミラの叫ぶ声が聞こえたけれど、アメリアにはどうにもできない。
きちんと罪を償ってほしい。
アメリアが思うことはそれだけだ。
彼ら(グレイ一家)に対し同情も哀れみも浮かぶことは無い。
彼らといつか家族になることは無い。
いつかはいつか。
結局その日は来なかった。
夕暮れ時に差し掛かり、アメリアが店じまいを始めようかと思った頃、オスカーがやって来た。
「私だ、オスカーだ。アメリア嬢、待たせたな」
朝と同じ素っ気ない挨拶を聞き、アメリアはクスリと笑う。
「お帰りなさい、オスカーさん、お仕事お疲れ様でした」
そんな言葉を返せば、オスカーの顔はほころびまた王都のイケメンらしい笑顔になる。
「今、お茶を淹れますからお話を聞かせて下さい」
オスカーにカウンター内の椅子をすすめ、アメリアはキッチンに向かう。
そこでジャムの瓶が目に入り良いことを思いつく。
「そうだ、ブルーベリーティーにしようかな」
オスカーの顔を見たら、なんだかブルーベリーが食べたくなってしまった。
けれど今はブルーベリーの生る時期ではない。
なのでブルーベリージャムを使って紅茶を入れることにした。
少しだけレモンも入れて味を調える。
朝ご飯用にと焼いたスコーンを出すことに決め、スコーンにブルーベリージャムを添えて出せばいい軽食になる。
一仕事終えて来たオスカーはお腹が空いているだろう。
そう思って「どうぞ」と差し出せば、オスカーのブルーベリー色の瞳が嬉し気に細められた。
「美味しそうだ。アメリア嬢のお茶と菓子がまた食べられるとは、ここまで来たかいがあるな」
相変わらずオスカーは大袈裟な気がするが「美味しそうだ」と言われれば悪い気はしない。
それに何より、オスカーと一緒にまたお茶を飲めることが嬉しかった。
「相変わらず君の淹れてくれたお茶は美味い……」
オスカーが真面目顔でそんな言葉を呟き、アメリアはクスッと笑いながらお礼を言う。
オスカーの今の顔を見たら、とても美味しいと思ってお茶を飲んでいるようには見えないだろう。
そんな不器用な所が、中身を知った今だからこそ可愛いと思えてしまう。
「これもまた、甘いのだな……」
「はい、ブルーベリージャムを使って淹れたお茶です」
「そうか……」
多分オスカーは甘いものが好きだと思う。
だからこそ先日のお茶でもあれほど驚き、今日のお茶にも満足しているようだ。
ただアメリアは 「オスカーさんを見ていたらブルーベリーが食べたくなったので」という言葉は呑み込んだ。
先日「ラズベリー色の髪が美味しそう」とオスカーに言われ衝撃を受けたアメリアは、その言葉が持つ破壊力を良く知っている。
なので正直に話して折角友人になったオスカーとギクシャクした関係にはなりたくはなかった。
こうしてまた会えたので、今のこの時間を穏やかに噛みしめていたかった。
どうやらアメリアはオスカーとのこの時間が好きなようだ。
ブルーベリーティーを口に含みながら、この時間がずっと続けばいいのにとそう願った。
「では、事件の報告をさせてもらおう」
ブルーベリージャムを乗せたスコーンをあっと言う間に平らげたオスカーが、真面目顔でアメリアを見つめる。
無言でスコーンを咀嚼していたオスカーはリスのようで可愛かったのに、今は警戒心の強い狼のよう。
美味しそうなブルーベリー色の瞳もギラリと光っている。
この人はハンサムだが見た目で誤解されやすいと思う。
中身は沸騰中のお湯のような人なのに、見た目が氷の様だからだ。
でも知るとそのギャップが面白くって楽しいのだが。
自分だけが気付いた秘密のようで嬉しくって口元が緩みそうなアメリアは、小さく息を吸い気持ちを落ち着かせながらオスカーの言葉を待った。
「家宅捜査の結果、やはりあのガラス工房の夫妻は君のポーションを水で薄め王都で売りさばいていた。大体三年前ぐらいからだ」
「はい」
三年前と言えばまだ祖母が居たころだ。
そしてアメリアがポーションを一人で作りだした頃でもある。
王都で薬師の試験に合格したアメリアは祖母にも認められ、販売するポーションを作らせて貰えるようになった。
きっとグレイの両親はそこに目を付けたのだろう。
祖母が作るポーションであればミスはないと言える。
けれど新米のアメリアのポーションならば、偽造をしてもアメリアのミスだと言い訳が出来る。
もし偽造が見つかったとしても簡単に誤魔化せる。そう考えたのかもしれない。
「最初は十分の一程度の水でポーションを薄めていただけだったようだ」
「十分の一……」
「普通のポーションであればその時点で気付いただろうが、君のポーションは聖水で作る特級品。多少水で薄めても気付かれはしなかったようだ」
「……そうなのですね……」
その事に味を占めたグレイの両親は、アメリアのポーションを好んで購入するようになった。
きっと祖母も何となく疑問を感じていたのだろう。
オスカーが帳簿を調べた結果、アメリアのポーションを購入した者のリストを祖母は作っていたらしい。それもグレイの両親のところにはチェックが入ってあったそうだ。
だが問いただす前に祖母は体を壊し亡くなってしまった。
アメリアにその疑問を伝えればよかったのだろうが、疑惑でしかない時点で祖母はアメリアには言えなかった。自分のポーションを買ってもらえると言って喜んでいるアメリアには言えなかったのかもしれない。
祖母の気持ちが良く分かった。
「そしてビオラ薬師が亡くなり、あの者達は君に近付いた。購入せずともポーションを手に入れるにはどうすればいいか。そして同時に君に残された遺産についても情報を掴み、息子に結婚を申し込ませたようだ。ただし偽造がバレた時の保険として、罪を君だけに擦り付けるためちゃんとした婚約は結ばなかった様だ」
「ああ、だから ”いつか” だったんですね」
納得するアメリアの前、オスカーは申し訳なさそうに頷いて見せる。
それと良く 「ポーションが効かない」 と言ってきた男性二人もダンの賭博仲間だったそうで、ダンと共に王都で違法賭博に手を出していたらしく、罪人として捕まったようだ。
きっと優しいこの人はグレイ一家の話を聞きアメリアが傷つくと、そんな事を思ってくれているのだろう。
もう何とも思っていない相手なので、今更どう思われていたかを知っても傷つきはしないが、やはり騙されていたと思うと良い気分にはなれなかった。
「ただ、子息はこの件には関わっていない」
「えっ?」
「子息は両親に言われて君に結婚を申し込んだようだが、ポーションの事には関わってはいない。君への想いも本物だったようだ」
「そうなんですね」
「ああ……」
グレイが本当にアメリアを好きだったと聞いても、アメリアの心はピクリとも動かなかった。
良かったと安心することも、なんでよと怒りが湧くことも何も無い。
ただ 「そうなんだ、ふーん、だから」 とそんな冷めた想いしか湧かない。
グレイとは結局、その程度の間柄だったのだ。
「アメリア嬢、大丈夫か?」
「えっ?」
アメリアの顔に何の色も浮かばなかったことでオスカーは返って心配してしまったらしい、椅子から立ち上がるとアメリアの傍へと寄って来た。
全然大丈夫。何の想いもありませんので。
そう答える前に、恐る恐るといった様子でオスカーの手がアメリアの頭に触れた。
「君は悪くない、君はただ素晴らしいポーションを作っただけだ」
そんな言葉を言いながらオスカーはアメリアの頭を撫でる。
拙い手つきで……
「オスカーさん……ありがとうございます」
そう言って見上げればオスカーはふっと笑い、ブルーベリー色の瞳を細める。
その笑顔は幼いころから想像していた王子様のようにカッコ良くって素敵で優しくって、アメリアの心はぎゅうっと何かに掴まれたようなそんな痛みを感じた。
「フフフッ、君の髪は想像していたよりも触り心地が良くさらさらとしているな」
ぽつりとそんな言葉を呟かれれば、恋愛が苦手なアメリアの心は壊れそうになる。
それに視線が合ったままのオスカーの頬がほんのりと赤い気がしてドキドキと激しく胸が鳴り出した。
(ダメよ! アメリア、ダメダメダメ! オスカーさんは王都の人なのよ! 女性の扱いが上手なの! 勘違いしない! 心を落ち着かせなさい!)
お人好しと言われ、騙されたアメリアはちゃんと学んでいる。
もう二度と簡単な言葉に騙されてはいけない。
そう決意しているのだ。
先程のブルーベリーティーのように、甘酸っぱい雰囲気が流れるこの場をどうにか切り抜けなくては!
そんな変な気合を入れたアメリアは、思考を巡らせオスカーに渡された手紙の事を思い出した。
「あああ、そうだ、オスカーさん、朝渡されたあの手紙って」
「ああ」
オスカーも思い出してくれたようで、アメリアの頭を撫でる手を止めると、優し気な微笑みは消え真面目顔に戻る。
いつものオスカーらしい表情に心底ホッとする。
初日ではあり得ない感情だ。
それだけオスカーを知ったという事だろう。
「君にその気があるのならば、王都で働いてみないか?」
「王都で?」
「ああ、ビオラ薬師の弟子である君が、王城の薬師として働いてくれれば多くの者が喜ぶ。それに私も君が傍にいてくれれば嬉しい。君とは気心が知れた仲だとそう思っている。どうだろうか、王都に来て働いてもらえるだろうか?」
どうやらオスカーの方もアメリアの事を 『友人』 だとそう思ってくれていたようだ。
その事が嬉しくって、アメリアの心の中は温かくなる。
それに祖母の言葉もアメリアの心を前向きにさせてくれる。
『王都に行きなさい、村を出なさい』
突き放されたと思っていあの言葉は、祖母なりの後押しの言葉だった。
そう気付いたアメリアは、オスカーの言葉に「はい」と笑顔で答えていた。
「なるべく早くこちらを整理して王都に向かいますね」
王都へと戻らなければならないオスカーとの別れの時間がやって来て、アメリアは笑顔でオスカーにそう告げた。
「ああ、だが無理はしないように、それから来る時はロンの商隊と一緒に、女性の一人旅は危険だからな」
「はい、ありがとうございます、ロンさんにお願いしてみますね」
「ああ」
まるで父か兄のようにアメリアを心配するオスカーが可笑しくって嬉しくって、アメリアはクスクスと笑ってしまう。
この人は本当に優しい人だ。
その事に気付けて良かった。
出会わせてくれたグレイ一家には感謝したいぐらいだ。
「王都に来たら私が街を案内しよう。それに初出勤の日には一緒に王城へ向かおう。君が不安のならないよう、精一杯尽力する。君を誘ったのは私だからな」
真面目顔で気合を入れるオスカーに「ありがとうございます」とお礼を返す。
王都に行ってもオスカーがいるのならば安心だ。
そう思わせるほど、アメリアを気遣ってくれる言葉には好意しかない。
(傍にいたら好きになっちゃいそう……)
イケメンというだけでなく、これだけ優しい人だと分かれば異性として惹かれるのは当然で、アメリアは自分の中に小さな芽が芽吹いたようなそんな気がした。
「私には君の村での生活を壊した責任がある。だから何でも言ってくれ、出来ることは何でもするからな」
アメリアの心を知ってか知らずか、何でもするなどオスカーに言われると苦笑いしかない。
責任という言葉も義務のようでチクリとアメリアの心を刺すし、何でもと言われると変な欲が湧いてしまって困る。
アメリアはそんな思いを振り払うように首を横に振りオスカーに答えた。
「責任なんてオスカーさんが感じる事は無いですよ。騙された私が馬鹿だったんですから」
ちゃんと笑えているだろうか。
グレイ一家に未練はない。
祖母の残してくれた店は大事でも、この村にも思い入れはない。
そんな気持ちを込めて微笑めば、それはオスカーにちゃんと伝わったようで、オスカーも笑い返してくれた。
それもとっても良い笑顔で。
それは恋心を自覚したアメリアを、深く落とすには十分すぎる笑顔だった。
「では、また」
「はい、オスカーさん、次は王都で会いましょう」
握手をし、オスカーは宿屋のある方へと進みだす。
きっと仲間が待っているのだろう。
このまま宿には泊らず王都へ向かうのだと言っていた。
夜の道を進むのは危険だ。
何も無いようにと、小さくなっていく背中を見つめて祈る。
するとオスカーが突然ぐりんと勢い良く振り返った。
「えっ?」
どうした、忘れ物?
そんな心配な気持ちのままオスカーを見つめていれば、眉間にしわを寄せ、何かを考えながら立ち止まっている。
胸に手を当てたり、頭に手を当てたりしているので、忘れ物を思い出そうとしているのかも知れない。
ただ知らない人が見れば奇行にしか見えない。
そしてハッと何かに気付いた様子を見せると、オスカーはアメリアの元へと駆けだしてきた。
全速力だ。
(うわ、オスカーさん、なんだか怖い。敵に突っ込んでくる猪みたいだわ)
好きな相手に思う気持ちでは無いだろうが、まさに今のオスカーは猪のよう。
中身を知らない人が見れば危険人物だと判断されそうだ。
「アメリア嬢!」
「きゃあ!」
一気に近づいて来たオスカーに肩を勢い良く掴まれ思わず悲鳴を上げる。
私この人の事を本当に好きなのだろうか? そんな疑問が湧くほど怖い。
逃げ出したくなるほどだ。
「オ、オスカーさん、忘れ物ですか?」
アメリアの疑問にいいやとオスカーは首を振る。
アメリアを見つめる目もギラギラしていて怖い。
危険人物そのものだ。
「アメリア嬢、どうやら私は君に好意があるらしい」
「はぃぃ?」
表情と一致しない言葉を吐かれ、アメリアは困惑する。
この人は何を言っているのだ?
本気でそう思った。
「君と暫く会えないと思うと胸が痛んだ。どうやら私は異性として君に想いがあるようだ。それにたった今気が付いた。だから何度も君に触りたくなったようだ。良かった、原因が分かって安心した。これで王都で君を待つ時間も楽しくなる。ああ、良かった良かった」
一人納得をし、がばっとアメリアを抱きしめるオスカー。
猪突猛進だと思っていたが、それは恋愛でもそうなのかもしれない。
嬉しいけれど嬉しくない。
良かったと言っているがちっとも良くはない。
ぎゅっと抱きしめられたアメリアの心は痛いぐらいだ。
離して欲しいし、離されたくはない。
そんな感情が湧く自分が怖い。
オスカーに汚染されているようだ。
(どうしよう、王都へ行くのが怖いかも……)
オスカーの勢いのありすぎる告白に、アメリアは嬉しさと共に怖さまで感じていた。
おばあちゃん……と今は亡き祖母に助けを求めてしまう。
「ああ、すまない、許可も無く君に触れてしまった」
がばっと抱きしめて来た勢いとは反対に、そっと体を離される。
向かい合ったオスカーの顔は真っ赤になっていて、アメリアへの想いが嘘でないと分かる。
きっとアメリアも今のオスカーと同じような顔色をしているのだろう。
頬に触れなくても分かる。
体中が熱を持っているからだ。
(ちょっと怖いけど、やっぱり告白は嬉しいかも……)
ドキドキする胸がその答えだった。
「では、今度こそ私は失礼する」
「えっ?」
オスカーは余韻も何も無くあっさりと踵を返す。
「アメリア嬢、王都でまた、次に会ったら君に好かれるよう全力で努力する! 覚悟していてくれ!」
アメリアの返事もまたずオスカーはさっぱりとした顔をしてアメリアの元を去る。
言うだけ言ってスッキリした。
そんな様子にアメリアは呆然としてしまった。
「私……王都でやって行けるかしら……」
あの暴れ馬のようなオスカーの全力のアプローチとはどんなものだろうか。
もしかしたら毎日愛を囁かれ、迫られるかもしれない。
そう思うと違う意味で王都に行くのが怖くなる。
たった今自覚したばかりの恋心に、あの押しの強いオスカーは刺激が強すぎる。
直ぐに陥落する未来しか見えない。
どこまでもどろどろに甘やかされてしまいそうだ。
「もう、オスカーさんの馬鹿、意地悪、大っ嫌いよ」
拗ねた顔でそう呟く。
顔にはまだ熱が溜まったままだ。
今日はもしかしたら眠れないかもしれない。
変な置き土産を残していかないで欲しい。
そう思いながらも、店へと戻るアメリアの口元は緩んでいた。
心から信じられる相手。
その人との恋が嫌であるはずがないのだった。
こんにちは、夢子です。
いつか結婚しよう。これにて完結です。
楽しんで頂けたでしょうか?私としてはオスカーが結構好きなキャラでしたので気に入って頂けると嬉しいです。
また別連載の麦の家が間もなく完結です。そちらも楽しんで頂けると有難いです。
どうぞよろしくお願い致します。
評価、ブクマ、誤字脱字、有難うございました。
ヤル気を沢山いただきました。
m(__)m
*******************
登場人物紹介
☆アメリア
ラズベリー村で薬師をしている
ラズベリーの色の髪
素直でお人よし
グレイやシェリーとは幼馴染
16歳
☆オスカー
王都の監査官
ブルーベリー色の瞳
見た目はクールだが中身は猪
22歳
☆グレイ
アメリアと結婚の約束をしている
幼いころからアメリアが好き
ガラス工房跡取り
17歳
☆ビオラ
アメリアの祖母
王都で有名な薬師だった
亡くなっている
☆ダン
グレイの父親
ガラス工房を営んでいる
賭け事好き
☆ミラ
グレイの母親
体調が悪い
派手好き
☆ロン
王都の商人
オスカーとは友人
一人になったアメリアを心配している
29歳
☆シェリー
アメリアの友人
お菓子と男の子が大好き
いつか素敵でお金持ちな男の子を捕まえるのが夢
16歳
☆ジョン
シェリーの元カレ
隣村の青年
☆オスカーの祖父
ビオラとは元同僚
アメリアを心配している