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女神の来訪

部屋に籠って恐怖におびえるA氏。だがそんな彼の元に女神が尋ねて来る。

やがて数人の警官が到着し「B氏は、必ず助け出すから」と言って、A氏とC氏に帰宅を促した。A氏はB氏が心配ではあったが大人しくその命に従った。何より怖かったのである。一刻も早く、つつましいながらも安全地帯である我が家へ帰りたかった。


駅の入り口でC氏と別れたA氏。気がついた時には自宅の洗面所で顔を夢中で洗っていた。どうやって家に辿り着いたのか、途中の記憶がすっぽりと抜け落ちている。


こんな事なら、怪物になんかなるんじゃなかった。


A氏は一晩中、布団をかぶりながら恐ろしさに震え、一睡もせずに朝を迎える事となった。


恐怖の体験をした翌日は、とても出勤する気にはなれず、早々に欠勤の連絡を会社に入れた。多少訝しむ様子はあったものの、それは難なく受け入れられる。


取りあえずの安息を手に入れたと思った途端、A氏は急に腹が減っている事に気がついた。夕べから何も食べていない。彼は冷蔵庫を開けて、あり合わせの朝食をとった。


「そうだ。Bさんは、どうなったんだろうか」


嘆かわしい事に、恐怖のあまり、身を挺して助けてくれた友人の安否すらすっかり失念していた自分を、A氏は情けなく思った。


恐る恐るA氏が救世主に電話をすると、意外なほどアッケラカンとしたB氏がすぐに応答した。彼の話によると、昨晩C氏が言ったように暴徒たちによるダメージは全くなく、駆け付けた警察官が万事うまくやってくれたとの事。


A氏は自分だけ逃げた事を泣いて詫びたものの、かえってB氏は恐縮して「こんなことで、友情にひびが入るなんて馬鹿らしい。本当に気にしないで」とA氏を慰める始末であった。


ただ昨日の今日である。暫くは会わないで大人しくしていようという話になり、C氏へはB氏が連絡する運びとし、A氏は電話を切った。


友人からの有り難い申し出があったとはいえ、A氏は欝々とした気分で数日を部屋に籠って過ごした。もちろん会社の方も、快くそれを認めてくれた。やはり出来るだけ被験者の要望を聞くようにという、政府からの圧力があるのだろう。


彼は休んでいる間、寝るか、テレビやネットをただ漠然と見ているだけの生活を続けていたが、とある変化に気がついた。それは一般人と被験者たちのトラブルについて、以前よりずっと多くの報道が成され始めた事だ。


これは両者間のいさかいが、もう誤魔化し切れない程に大きくなってきた証であろう。そして、社会実験や被験者たちにネガティブな発言をする人物や団体に対し、政府は大変厳しい姿勢で臨んでいった。まるで、彼らを非国民だと言わんばかりの責めようである。


だがそんな政府のやり方が、かえって裏目に出る結果となってしまった。政府の余りに強権的な措置は、ぬるま湯のような民主主義に慣れ切った市民の反発を買い、政府批判、それにともなう今回の社会実験に対する批判、果てはその被験者に対する表立った批判や排斥運動にまで発展していったのである。


A氏は、それを恐怖の内に聞いていた。彼は今いる部屋を安全地帯だと思っていたが、それはもはや通用しない。何故ならば、今この場所に怪物の姿をしている自分が住まわっている事は周知の事実であり、いつ誰がここを襲撃するかもわかったものではないからだ。


かといって、どこか他に逃げ込む場所もなし、A氏は布団をかぶって震えるしかなかった。傍から見れば愛嬌があるとはいえ、立派な怪獣がブルブルと幼子のように震えているのである。人からすれば、それは実に滑稽な姿に映ったに違いない。


ピンポーン。


玄関チャイムが鳴る。だが怯え切っているA氏にとって、それはまるで地獄の使者の来訪を告げる鐘のようにも感じられた。


出るべきか、出ざるべきか。はたまた窓から逃げ出すべきか……。


A氏が布団の中で迷っていると、意外な声が聞こえて来た。


「Aさん、佐藤です。欠勤が続いているので、心配になってお伺いしました。いらっしゃいますかぁ?」


佐藤さん。あぁ、あの佐藤さんだ。俺の憧れの君である……。


A氏は別の意味でまた迷ったが、彼女に対する淡い思いも手伝って「はーい。今出ます」と返事をしてしまった。


覚悟を決めて玄関ドアを開けると、彼女は紙袋を持ってチョコンと立っている。A氏はへどもどしながらも気さくに振る舞うふりをして、彼女をダイニングキッチンへと招き入れた。万年床を敷いている部屋へ案内できるわけもない。


彼女は持参した土産を渡し、心配そうな顔をしてA氏を見つめた。そこで、A氏はハタと気がつく。


おい、これはどういう状況なんだ。会社でも三本の指に入る美女が俺の家にいるなんて。いや、そもそも女性が俺の部屋を訪ねて来る事など、これまでの人生で一度たりともなかったじゃないか。


降ってわいたような状況に、A氏の鼓動はドンドン高鳴っていく。


「みんな、心配してるんですよぉ。何か重い病気じゃないかって。でも見た所、わりかし元気なようで安心しました」


彼女の満面の笑みがA氏を包み込んだ。そして彼女が入れてくれたコーヒーで、持参されたお菓子を楽しむという夢のような時間が過ぎる。


もっとも彼女がA氏を訪れたのも、明らかに社命であろう。会社としては、政府肝入りの実験被験者が、会社を長期にわたり欠勤していると分かれば、どんなペナルティが課されるかわからない。怪物の姿になったとはいえ、A氏も男。美人と評判の佐藤女史を迎えにやれば、また出社して来るのではないかとの皮算用があるのは想像に難くない。


当然A氏もそうは考えたが、ここ数日の突き刺さるような不安の中、今回の訪問は大きな喜びとなった。


俺が怪物にならなければ、この部屋に女性が来る事なんてなかっただろう。しかもこんな美人の女性が……。これは俺が怪物になったおかげに他ならない。いや、怪物になって本当に良かった。


先ほどまでとは打って変わって、A氏の心には希望の光がさし始めていた。


楽しい時間は、早く過ぎ去るものである。彼女がやって来てから小一時間。常識的に考えるならば、そろそろ見舞いもお開きの頃合である。


「あぁ、じゃぁ体調が悪い中、長居をしてしまってすいません。私はこれで失礼しますね。一日も早い復帰をみんな願っています。もちろん、私も……」


A氏はこの言葉の何割が社交辞令なのかと考えたが、もはやそんな事はどうでもいいと思えるようになっていた。


名残惜しいが引き留める理由もないし、そんな真似をしたら下心があるやに思われるだろう。A氏は立ち上がり、玄関まで彼女を送る。


だが、ここでトンデモナイ運命のイタズラが起こった。

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